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「人口減少」は悪という固定観念を捨ててみよう
http://diamond.jp/articles/-/167809
2018.4.22 加藤年紀:株式会社ホルグ代表取締役社長 ダイヤモンド・オンライン
人口減少は邪悪なものという論調が多い。「地方消滅」などと刺激的に表現されることも相まって、「人口減少に抗うために」というフレーズも目にする。しかし、そもそも人口減少は抗うべき対象なのだろうか。
人口減少の対策を牽引するのは内閣官房傘下の「まち・ひと・しごと創生本部」であり、同組織が作成した「まち・ひと・しごと創生総合戦略(2017 改訂版)」では、特に経済的な観点から人口減少を問題視しつつ、こう記す。
“経済の好循環が地方において実現しなければ、「人口減少が地域経済の縮小を呼び、地域経済の縮小が人口減少を加速させる」という負のスパイラル(悪循環の連鎖)に陥るリスクが高い。そして、このまま地方が弱体化するならば、地方からの人材流入が続いてきた大都市もいずれ衰退し、競争力が弱まることは必至である。
したがって、人口減少を克服し、将来にわたって成長力を確保するため、引き続き以下の基本的視点から人口・経済・地域社会の課題に対して一体的に取り組む。”
『一極集中』という表現に対する違和感
この「まち・ひと・しごと創生総合戦略」の取り組みの筆頭には「東京一極集中を是正する」とある。ここでは東京への移住を抑制し、地方への移住促進を計ることで、地方人口の維持をはかる。
東京一極集中と聞くと、地方から一切合切の人口を吸い尽くしているような印象を受ける。しかし、東京都への流入超過は1957年の24万4010人をピークに一度下降し、意外にも1967年から1996年までの30年間のうち、29年間は流出超過を記録している。同期間になんと208万2586人が他都道府県に流出しているのである(※1)。
1997年以降は回復傾向にあり、2016年の東京都への流入超過は7万4177人、一都三県への流入超過は11万7868人となる(※1)。
年間市区町村間移動者数は488万0967人にも上り、現在の日本の人口は1億2652万人(※2)という中で、これを一極集中と表現するのは少し言い過ぎの観もあるように思う。
(※1)=住民基本台帳人口移動報告(総務省統計局) (※2)=人口推計 平成30年3月報(総務省統計局)
移住をコントロールする政策が進む
地方の人口を維持するために、政府は各自治体に将来の人口ビジョンや目標を作成させた。しかし、その結果として、非現実的な移住者獲得数や合計特殊出生率の目標を掲げている自治体が散見される。
「よそから移住者を奪うのではなく、人が幸せになれる移住を提供したい」と、本質的な視点で語る自治体職員が存在する一方で、多くの自治体間では補助金を中心とした移住者の獲得競争が続く。
それと歩調を合わせるかのように、地方から東京への人口流入を防ぐ施策も進む。2018年2月に政府は「東京23区の私立大学等の定員数増を認めない」とする方針を閣議決定したが、学生の教育機会を奪い、学力の低下を招くと問題視されている。加えて、年間3000億円以上(※3)の補助金が投下されている私立大学の経営に悪影響を及ぼすとともに、教育の独立性、自主性を損ねるリスクもある。
(※3) 私学助成に関する参考資料(文部科学省)
人口増を前提にした、社会システムの制度疲労
人口減少という単体の事象は、人々の幸福度に直接的な悪影響を及ぼすものではない。真の課題は、人口増の社会を想定して作られた社会保障システムが制度疲労を起こしていることである。
もちろん、急激な人口減少が引き起こす過疎化が、セーフティーネットを破壊することは問題である。しかし、移住は国民の自由であり、都市部への移住は若者自身やその家族の意思によってもたらされた結果である。それは必ずしも悪とは言えない。
また、都市部の低い合計特殊出生率が課題と叫ばれるが、地方においても合計特殊出生率の低下は既に進み、全国でずば抜けて高い1.95を記録する沖縄県(※4)ですら、人口を維持する基準値2.07を下回る。これは、地方から都市部への人口移動がなくなったとしても、人口減少が起きることを意味する。
もちろん、出産や地方への移住によって幸福感を得られるのであれば、それが実現される社会は素晴らしい。しかし、晩婚化が進み、希望出生数が下がる中で、合計特殊出生率を高めることが、国民一人ひとりを幸せにするのだろうか。社会で活躍し、経済的にも恵まれている女性が「結婚や出産を後ろ倒しにしたい」と話すことは多い。
(※4)=平成 28 年(2016)人口動態統計(厚生労働省)
衰退は地域の当事者が選択した結果
地方衰退の象徴として、シャッター商店街を嘆く声も根強くあるが、大型スーパーの登場に利便性を感じ、消費行動を変えたのは、紛れもなく地域の住民である。それにも関わらず、大型スーパーを敵視することが正しいとは思わない。
昨今、アマゾンなどのネットショッピングが拡大を続ける。今後、大型スーパーなどが撤退を決めた時には、アマゾンを悪者にするのだろうか。もちろん、アマゾンであっても未来永劫繁栄を続けるわけではない。いずれやってくるであろう衰退期には、「アマゾンは良かった」と、絶えず過去を懐古し続けるのだろうか。
これは余談だが、10代や20代の若者にとって大型スーパーは地方にとっての外敵ではなく、初デートの淡い記憶に結びつくらしい。世代間の異なる感覚、特に幸福という多様で曖昧なニーズを把握することは実に難しい。
幸福の度合いを経済力で測るべきではない
幸福度の測定が、全面的ではないにせよ経済性に依存していることに対し、筆者は2つの懸念を抱いている。ひとつは、「富によって国民が得られる幸福感が小さくなっている点」、ふたつめは、「経済成長の実現可能性が不確かな点」である。
前者については、若者が車や時計などの高額商品から、距離を置いていることに現れている。一方で、SNSを利用すれば、お金をかけずに常時、人とつながることができ、ユーチューブや安価なオンライン動画配信サービスなど、エンターテインメントは溢れている。“モノ消費”から“コト消費”へ移行する時代、すでに“モノ消費”は必ずしも幸せに直結していない。
後者の経済成長の実現性はどうだろうか。そもそも、経済全体を伸ばすというのは非常に難しい。一企業の新商品がヒットし、「経済効果○億円!」などと大々的に報じられることがあるが、これはその裏で起こっている現象が考慮されていない。
たとえば、自動車業界でヒット商品が出れば、競合企業の売上は少なからずダメージを受けるうえ、車を購入した当事者が、他の消費行動を抑えることもあるだろう。前述した大型スーパーも同じだ。新たにスーパーが出店されたからといって、人は1日6食食べるわけではなく、洗濯機を2つ持つわけでもない。
個人消費の金額のパイは概ね決まっており、それを各企業が必死に取り合うという構図を俯瞰して見ると、当面の人口減少が確定している中で、経済を伸ばすというのは簡単なことではない。
経済成長ではなく生活コストの抑制を
もちろん、筆者は経済がどうなってもいいとは考えていない。現在、特に地方において、所得を上げようという機運があるが、それは否定しない。しかし、それ以上に注力すべきは生活コストの削減ではないかと思う。具体的には衣食住費や光熱費、教育費、医療費、電話やネットなどの通信費などである。
手取り収入が3万円上がることも、個人の生活コストが3万円下がることも、損益という観点からは同じ結果を生む。さらに特筆すべきは、生活コストを抑えるメリットは労働者だけではなく、子どもや高齢者、そして、当然ながら地方を含めた国民全体が享受する点からも、広く効果が見込まれる。
現在、年金支給の開始が68歳になる案も浮上している。もし、生活コストを抑えることができれば、今後、社会保障制度にメスを入れたとしても、生活に与える影響は限定される。さらには、ベーシックインカムに必要な財源の閾値を下げ、導入をより容易にするなど、新しい仕組みや政策の幅を広げる可能性も期待できる。
規制緩和が地方のセーフティーネットを持続可能にする
『限界費用ゼロ社会(ジェレミー・リフキン著、NHK出版)』にあるように、資本主義社会が続く限り、長期的には多くのサービス価格は下降していく。しかし、独占状態にあったり、規制の強い業界はその限りではない。特に食料や医療、交通インフラなどは安心、安全な状態を担保するといった理由から、特定の利害関係者が守られていることが多い。
しかし、安心安全が重視されるような生活に不可欠なサービスだからこそ、その価格を下げることは国民全体にとって大きなメリットになり、地域を問わずセーフティーネットの存続を可能とする。
衣料業界は比較的に規制が弱いため、既にユニクロなどがコストを大きく押し下げた。もちろん、既存システムにおける利害関係者に対して、経過措置などの配慮は必要に応じてなされるべきだ。しかし、国民全体を守ることと、利害関係者を守ることを天秤にかければ、規制を緩和すべきかどうかの答えは明白ではないか。今は幸いにも、テクノロジーの進化やシェアリングエコノミーなどの追い風も吹き、コスト削減の手法は多様化している。
一人ひとりの人間の幸福度に着目すべき
避けることのできない人口減少を悪と掲げ、都市部への人口流入を批判することは簡単である。しかし、国民一人ひとりの幸福度がどう満たされるのかは、人口の増減以上に突き詰めるべき課題だろう。
出生数が減少し続け、1000年後に日本人と日本国は存在しないという説を唱える人もいる。筆者はこれについては意見を異にするが、仮にそうなるとしても、むこう1000年の間、国民一人ひとりが幸せに暮らせたのであれば、悪いことではないと思う。国家は存続することが目的なのではなく、一人ひとりの国民に幸せをもたらす手段として在るべきだからだ。
全てのものには繁栄と衰退の絶えざる循環が存在する。鎌倉時代前期に平家物語で語られた「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とは、今もなお変わらない世の中の本質を鋭く捉えている。盛者必衰という真理の前で、人口や経済の拡大に対する過度な執着や、縮小に対する悲観論は、時代とともに移り変わる人々の新しい生き方や、幸福の在り方を見失うことに繋がってしまうかもしれない。
(株式会社ホルグ代表取締役社長 加藤年紀)
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