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究極の偏差値エリート集団・東大教授の「凄まじい階級社会」 その出身校を徹底調査してみた
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54825
2018.03.21 週刊現代 :現代ビジネス
日本の最難関大学、東大。そこで教授になるには、運、才能、努力、様々なものが必要とされる。しかし、教授になれても安心はできない。そこでは、さらなる競争と選抜が待っている。
同じ高校の出身者を教授が推薦
「東京大学の医学部に小川誠司さんという特任准教授(有期雇用)がいました。遺伝学が専門で抜群の実力があったのですが、東大の中では評価されず、結局、'13年に京都大学に移ってしまい、今そこで一流の学会誌に掲載される論文を量産しています。
東大時代の彼の上司たちは、実力がありすぎる彼を嫌ったのではないかと言われます。しかも彼は岡山朝日高校の出身。それが影響している可能性もある」(東京大学医学部の元教授)
東京大学教授――。
日本最高の知性が集まる大学で出世の階段を昇り、確固たるポストを勝ち得た人々である。その数、1171人、平均給与は約1189万円、平均年齢は56.4歳(すべて'16年度)。
東大教授と言えば、世間では「特別な存在」として尊敬の念を集め、好きな研究に没頭できる人々と思われている。しかし実は、偏差値エリートの頂点にたどり着いた後にも、そこには格差や階級が存在し、嫉妬や蔑みといった上下意識が渦巻いている。
もちろん、そのポストにたどり着くまでも茨の道だ。優秀な東大生が学問に励めば自動的に教授になれるわけではない。大学入学前の出自、「出身高校」が大きく関わってくるのだ。
今回本誌は、理系、文系の偏差値トップである医学部と法学部の教授の出身高校を調査した。
まずは医学部。73人の教授が所属しているが、判明した中で最も多いのが灘高校出身者(10人)だった。その後に開成高校(8人)、筑波大学附属駒場高校(筑駒・6人)、筑波大学附属高校(筑附・5人)、麻布高校(5人)などが続く。
そのほかも都立西、駒場東邦、武蔵といった都内の進学校が名前を連ねており、地方の進学校出身者が医学部教授になるのはレアケースだ。
そもそも東大入学時の「医学部進学コース」である東大理Vは、年間100人強しか合格できない狭き門。灘高校から20人前後、筑駒から10人前後が合格するのだから、学生時点で超進学校が大勢を占めている。
しかし、出身高校がどこであるかということが、教授になる際にも影響を持つとすればどうか。前出の元教授が解説する。
「かつての東大医学部は、ボス医師が自分の担当する講座で絶大な人事権、裁量権を握る『講座制』だった。山崎豊子の小説『白い巨塔』の世界です。その弊害を受け、建て前では講座制を廃止しましたが、今もそうした状況から完全に脱し切れたわけではない。
ポストについても、教授会で協議されるとはいえ、一定の条件を満たせば、現役教授が強く推すことで決まる。同じ高校の出身者を推そうとすれば推せるのです。
医学部はそうした側面が、ほかの学部に比べて圧倒的に強い。冒頭にお話しした小川さんの件も、嫉妬に加え、出身高校の論理が働いているかもしれない」
中学から「選抜」が始まる
出身高校によって研究者たちの生き方や研究の仕方に特色や特徴があれば、なおさらのことだ。元教授が続ける。
「筑駒の出身者は、官僚主義的で上からの通達を守り、その指示に従って動く。結束も固い。バランス感覚のある偏差値エリートで、企業との関係づくりもうまい。
糖尿病部門のトップを務める門脇孝教授は筑駒出身。武田薬品工業と密接な関係を持ち、多大な研究費を獲得しながら糖尿病薬の論文を書いていました。
灘高校や開成高校出身者は筑駒ほど群れないけれど、緩いつながりや派閥を持っている。別の出身高校の部下を遠ざけることは自然です」
東京大学大学院医学系研究科国際保健政策学教室の渋谷健司教授(東京学芸大学附属高校出身)も言う。
「現在のところ、東大では教授の評価機軸が明確になっていません。そのため、医学部での評価に際して、どの教室のどの派閥にいたかが一定程度影響を持ってしまうという面が強く残っている。
東大医学部の内部だけにとどまっていると、その内部の論理に取り込まれ、視野が狭くなっていく。医学部はもう少し外に開かれてもいいのではないかと思います」
続いて文系のトップエリートが集結する法学部はどうか。70人いる教授のうち、出身高校が判明した中では筑駒が最多(5人)だった。その後に筑附(3人)、栄光学園高校(2人)、ラ・サール高校(2人)が続く。
さらに、神奈川県立湘南高校、東京学芸大学附属高校、灘高校、開成、麻布など、やはり灘以外は首都圏の高校ばかりが名前を連ねる。
なぜこうなるのか。法学部には、医学部とは違った「学士助手」という東大法学部独特の制度の影響がある('04年までの制度)。文系学部の現役教授が解説する。
「東大では3年生から専門教育が始まりますが、優秀な学生はその頃から教授や准教授などに目をかけられ、それとなく大学に残るよう告げられます。彼らは卒業後すぐに『助手』として研究室に入り、3年間で助手論文を書くのです。
年に多くて10人程度、少ないと3〜4人です。法学部は1学年400人強ですから、トップ1〜2%の超エリートと言えます。彼らを『学士助手』と呼ぶ。博士課程をすっ飛ばして助手になるわけですから、いわば飛び級。
かつては、そのまま東大に留まって、一度も外に出ずに教授になるというケースもありました。最近の有名人だと、憲法学者の木村草太・首都大教授や、元マッキンゼーの瀧本哲史さんが学士助手です。
大学入学以前から、相当、教育環境に恵まれていなければ、学部3〜4年生で頭角を現すというのは難しい。そうした人は、筑駒や開成、麻布といった超名門に通う人に限られる。
たとえば政府の委員などを多数務める憲法学の宍戸常寿さんは、筑駒→学士助手→東大教授です。中学、高校の時から『選抜』が始まっているようなもの」
さらに法学部の教授の履歴を見ていて驚くのは、「東大法学部卒」の割合の多さだ。70人の教授のうち、東大法学部卒ではない教授は、わずか9人に過ぎない。
そんなこと普通ではないかと思われるかもしれないが、決してそうではない。アメリカでは、大学内の多様性を確保するためにわざわざ出身大学の教授に就くのに高いハードルを設けている。そうしなければ、大学が閉鎖的な世界になってしまうからだ。
自校出身者を教員として採用することは「インブリーディング(近親交配)」と言われ、揶揄される。
京都大学経済学部を卒業後、民間企業などを経て東大に就職した、東洋文化研究所の安冨歩教授は、東大の「純血主義」的な側面について、違和感を口にする。
「法学部や経済学部、文学部といった伝統ある学部の教授は大半が東大出身者で占められています。今も『東大に合格したこと』に高い価値を置く文化が支配しており、受験生の時に成績が日本一だった先生が、未だにそのことで畏怖されていたりする。
私が東大に就職できたのは、駒場の教養学部の三谷博先生に声を掛けられて公募に応じたからですが、歴史と伝統を重んじる本郷の学部では、こんな間違いは起きなかったでしょう。
東大は国内最高の権威を誇りますが、東大教授はその権威を守るため、自分を押し殺すのも厭わず、他人にもそれを押し付ける。そんな文化が蔓延しています。しかし、純血主義のせいで誰もその異常さに気づかない」
メディアに出る人は一段下
こうして様々な関門をくぐり抜けて教授になるわけだが、その後の身の振り方でさらに様々な「階級」ができあがっていく。
「教授になれば一国一城の主。まわりのことを気にせず、研究ができるから幸せだという人もいるのもたしかです。
しかし、偏差値エリートとして生きてきた彼らの中には、まわりとの『差』を常に確認しないと気が済まない人がいるのも事実です」(前出の文系学部の教授)
そこに見出される「差」はわずかであるが、狭い世界ゆえ、強烈に意識され、嫉妬を呼び起こすのだ。かつて東大に所属していた研究者が言う。
「たとえば、教授になってしまえば、学士助手出身か否かは関係ないはずですが、学士助手でないことにコンプレックスを抱く教授もいます。
前の東大総長である濱田純一先生やJICAのトップを務める北岡伸一先生などは、学士助手になれなかったことをバネに発奮されたという話を聞きます」
東大教授ともなれば、メディアから声がかかることも多いが、そこには思わぬ陥穽がある。
同研究者が続ける。
「たとえば、法学部を出て学士助手になった御厨貴さんは山っ気が強く、メディアで発信をしたいと考えていた。しかし東大では、研究を脇に置いてメディアに出ることは一段低く見られがちです。
それが影響したのか、御厨先生は、都立大学(当時)の教授などを歴任した後、法学部には戻らず、東大の先端科学技術研究センターという王道からはやや外れたポジションに就きました」
研究がうまくいかない場合、その穴埋めをするかのように、大学運営に邁進することもある。
東京大学名誉教授で『東大教授の通信簿』などの著書がある分子生物学者の石浦章一氏が解説する。
「中には能力が高くないのに、人間関係のあやなどによって教授になってしまった人もいる。彼らは、もはや研究では大成できないとわかると、文科省にゴマをすったり、面倒な大学運営の事務仕事を担ったりして、大学組織の中での『出世』を目指します。
東大教授の給料は年功序列で決まりますが、学部長になれば年収も上がるし、世間的には名声も得られます。だから実のところ、一般に偉いと思われている学部長の中には、研究者としては優秀でない人も少なくないのです」
いずれにせよ、教授として様々な生き方を選ぶに至るまでに、出身高校が重要であることは間違いない。
「週刊現代」2018年3月24日号より
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