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仮想通貨は「通貨」と本当に呼んでいい存在なのか
http://diamond.jp/articles/-/163458
2018.3.15 室伏謙一:室伏政策研究室代表・政策コンサルタント ダイヤモンド・オンライン
近年注目が集まり、話題になっている仮想通貨、未来の通貨などと持て囃され、バラ色の未来が広がっているかのように思われている向きもあるようだ。しかし仮想通貨は「通貨」なのだろうか?「通貨」と呼んでいい存在なのだろうか?そして、本当にバラ色の未来とやらが待っているのだろうか?こうした点について、我が国における仮想通貨の法的な位置づけを出発点として考えてみたい。(室伏政策研究室代表、政策コンサルタント 室伏謙一)
「通貨」という言葉があるが
仮想通貨は通貨ではない
いわゆる仮想通貨については、我が国では資金決済に関する法律第2条第5項において次のとおり規定されている。
《5 この法律において「仮想通貨」とは、次に掲げるものをいう。
一 物品を購入し、若しくは借り受け、又は役務の提供を受ける場合に、これらの代価の弁済のために不特定の者に対して使用することができ、かつ、不特定の者を相手方として購入及び売却を行うことができる財産的価値(電子機器その他の物に電子的方法により記録されているものに限り、本邦通貨及び外国通貨並びに通貨建資産を除く。次号において同じ。)であって、電子情報処理組織を用いて移転することができるもの
二 不特定の者を相手方として前号に掲げるものと相互に交換を行うことができる財産的価値であって、電子情報処理組織を用いて移転することができるもの》
要するに「通貨」という言葉が用いられてはいるものの、通貨ではないということである。
同法を所管する金融庁の説明を借りれば、仮想通貨はあくまでも「インターネット上でやりとりされる暗号化された電子データを使って、決済や送金を行う」仕組みであり、強制通用力のある通貨ではないのみならず、有価証券やプリペイドカードのように発行者が存在したり、何らかの権利を表象したりするものでもない。
あくまでも相手方が受け入れる場合に限って対価として利用が可能な、決済や送金の仕組みに過ぎないといえ、仮想通貨の価値の変動はその仕組みの利用料のようなものが上下しているだけと言ってもいいだろう。
しかも、その価値を変動させているのは仕組みそのものの価値というわけではない。昨年の11月ぐらいから仮想通貨の価格が急激に上昇したが、それは投機的なお金の流入によるものであって、そうしたことからすれば、つまるところ仮想通貨は投機の対象でしかないということであろう。実際、流通しているいわゆる仮想通貨で、使われているものは数パーセント程度と聞いているし、昨年12月10日に米国ではシカゴ市場で先物として取引が始まっている。
さらに言えば、仮想通貨を手に入れるためには、法定通貨でこれを購入しなければならないし、その価値も法定通貨で計られている。つまり、法定通貨によるある種の裏付けがなければ、決済や送金の手段としても、先物として投機の対象としても成立し得ないということであり、こうした実態からしてもとても「通貨」と言えるようなシロモノではないことは明らかであろう。
安易に飛びつく日本人に
日本経済の危機的状況が垣間見えてくる
そうした実態を踏まえてか、仮想通貨に関する制度を所管する麻生金融担当大臣は、昨年12月5日の記者会見において、米国シカゴ市場での仮想通貨の先物取引開始についての記者からの質問に対し次のように答えている。
「ビットコインというものが貨幣ですか、商品ですか。 〜(中略)〜 そこも決まっていない話ですから、ちょっと財務省に持ち込まれても、うちは通産省ですか。うちは財務省なのですけど。それでは貨幣と決めたわけですかと言うと誰も答え切らないので 〜(後略)〜 」
また、昨年12月19日では、フランスの財務大臣が仮想通貨の共同規制をG20に提案することについての質問に対しても、次のように答えている。
「ビットコイン、あれは通貨でしょうか。 〜(中略)〜 通貨なのかというところのデフェネションから決まっていないところもありますので、そういった意味ではこれはなかなか扱いづらい問題ではあるのですが 〜(中略)〜 まだこれが十分に通貨みたいなものになり得るかということに関してはなかなか信用、証明、そういったものがまだなされていないと思いますので、もうしばらくこれに関しては見ていかないといけないかなと思っています」
バラ色の未来を勝手に想像して飛びつくようなことはせず、一方で規制を強化することになれば、麻生大臣の回答にあるとおり通貨なのか単なる商品なのかといったことについて、法的に、政策的に決めなければならず、それは仮想通貨に一定の地位を与えることにつながってしまう。そうしたことを見越した上での、極めて冷静な対応であると言えよう。
さて、政府は、担当大臣、担当府省はこうした冷静な対応をしているものの、民間レべルではいまだに熱は冷めやらないようで、仮想通貨に期待する声や仮想通貨に関する広告・宣伝は巷に溢れているし、仮想通貨で一儲けしようという怪しげな「勉強会」のお誘いまで出回る始末である。
そうしたことからは、貨幣でも商品でもない、海のものとも山のものともつかない仮想通貨のようなものに安易に飛びつく日本人、日本経済の危機的状況が垣間見えてくる。
投資の対象を失いつつある
資本主義の行き詰まりと限界を感じる
同時に、仮想通貨という単なる投機の対象のようものに投機的マネーが集まり、殺到しているのを見るにつけ、投資の対象を失いつつある資本主義の行き詰まり、限界を感じざるをえない。
また、仮想通貨は、実体経済と根拠の不確かな「仮想」経済の乖離を象徴するものであると言うこともできよう。その根拠の不確かで、実態も見えにくい仮想通貨が投機マネーを集めて膨張し、暴走していけば、最終的にはサブプライム問題と同様の結末に導かれていくであろうことは想像に難くない。
つまり、仮想通貨がもたらす未来はバラ色のものなどではなく、日本経済の混乱であり、濃い灰色とも黒いとも表されるべき近未来であろうということである。
ロイターは、英国中央銀行のカーニー(Mark Carney)総裁が、2月19日にロンドンのリージェンツ大学で行った講演の中で、ビットコインは伝統的な通貨という観点ではほとんど失敗した( “pretty much failed” )と述べたと伝えている。
また、ビットコインは四散して存在していて価値を貯めるものでもなければ、交換の手段としても使われていないとも述べたようだ。要は通貨としての基本的な性格を持ち合わせておらず、通貨として使用されることも想定されていないということである。
仮想通貨に過剰な期待を抱く人には
良識を疑わざるを得ない
こうした仮想通貨の実態が明らかになってきているにもかかわらず、まだ仮想通貨に過剰な期待を抱く人がいるとすれば、その人の良識を疑わざるを得ない。しかし残念ながら現状で我が国にはまだまだそうした人は多いようであるし、今後増えていくことだろう。
では、仮想通貨や投機的なマネーに振り回されないようにするためにはどうすればいいのか。
それは、通貨ではない、単なる投機の対象でしかない仮想通貨に一般人は手を出さないこと、商店や企業は決裁や送金のインフラとしても使用しないことが一番であるが、その前提となる精神、心の有り様として、手っ取り早く稼ごう、すぐに結果を出そうといった考え方を放棄することであろう。
まさに水野和夫氏がその著『閉じていく帝国と逆説の21世紀経済』の中で述べておられる「より遠く、より速く、より合理的に」から「より近く、よりゆっくり、より寛容に」への転換である。
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