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俳優・中村敦夫が、原発に警鐘を鳴らす舞台を演じる理由 「線量計が鳴る」は百回公演を目指す https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58205 2018.11.04 高木 香織 編集・文筆業 現代ビジネス
歳を重ねていくと、周りの友人や知人がボツボツと倒れていく。ある者は事故や怪我で、ある者は重病で寝込んだ挙句、あるいは予兆なしで突然死する。 「これを私は『戦場の散歩』と呼んでいるんだよ。要するに、弾がいつ、どこから飛んでくるのか、誰にあたるのかもわからない」 中村敦夫氏は、いつものゆっくりと噛みしめるような口調で話す。 「たいていの人は、このことに気づいて断捨離を始めたり、財産や記録を整理したり、個人史を書こうと思い立ったりする。僕の場合は、本にまとめようと考えた」 その本が出来上がろうとするまさにその時、突如猛烈な「戦場の嵐」が吹き荒れたのだ。それは人々を年齢などに関わらず無差別に、根こそぎ巻き込む未曽有の大災害だった。 中村氏の著作を編集中に東日本大震災が発生! 2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分。突然、床から強く突き上げられ、次の瞬間、左右に大きく揺れた。デスクから顔を上げると、壁沿いのすべての本棚から本が飛び出すように落ちてくる。編集フロアが大きく動いている。東日本大震災が発生したのだ。編集者の私は、中村敦夫氏の書籍の刊行を目前に控えていた。 フロア中のテレビがつけられた。揺れが落ち着いたところで、テレビの前の人だかりに混ざると、画面には倒壊した建物が次々に映し出されている。15時30分ごろ、すさまじい津波の第一波が町を襲う。家々が波に飲み込まれ、引きずられるように海に沈んでいく。 16時、広告宣伝部に向かう。 「こんなときでも、ちゃんと来るんだ」 と宣伝部長に迎えられ、余震でときどき揺れるなか、上司とともに新刊の宣伝打ち合わせをする。 本のタイトルは、『簡素なる国』。 著者は木枯し紋次郎で知られる俳優であり、「みどりの会議」を設立して環境問題に取り組んだ元参議院議員の中村敦夫氏である。 『簡素なる国』は、70歳を過ぎた中村氏が、自分の立ち位置を確認するために書いた本である。それまでの3年間に同志社大学大学院でおこなった講義録をまとめた。 個人史、世界観、宇宙観、宗教観などがアトランダムに交差する。まるで言論の立体曼荼羅のような体裁になっている。全体に漂う論調の響きは、「近代の終焉」であり、さらには「少欲知足」を基本とする仏教的価値観の再評価である。中村氏が自分の生きた時代と世界の本質を総括するために取り組んだ力作だ。 まもなく刊行されるこの本の、新聞や雑誌の広告や取材記事をはじめ、テレビやラジオなどの露出の可能性を探るのである。ターゲットに合わせた交渉先と内容を検討して、打ち合わせは終わった。 私は帰路についた。幹線道路を民族大移動のようなゾロゾロ歩く人並みについていくように歩き続ける。途中の自転車店では、飛ぶように自転車が売れている。 話し声も聞こえ、元気に行進してきた民族大移動は、大きく横たわる荒川の向こう側の停電して真っ暗な川口の街を見ると、ふっと静まり停止してしまう。 歩いて行こうとする気力を失わせる深い暗闇なのだ。前進することをあきらめた人々は、近くの避難所として解放された小学校の体育館に流れ込んでいく。 翌12日(土)15時36分、福島原子力発電所1号機の原子炉建屋が水素爆発を起こして大破、炎上する。建屋の天井を吹っ飛ばして燃え上がる赤黒い炎。次々とテレビに映し出される映像は、まるで映画を観ているようで、実感が湧かない。 東京は外出する人も少なくしんと静まり、空は青く穏やかに晴れ渡っている。 13日(日)の夕方、携帯が鳴った。上司からだ。 「『簡素なる国』の帯、変えるよ」 「ああそうだ、何で気がつかなかったんだろう」と、自分のうかつさを情けなく思う。今まさに、長年に渡り環境問題に取り組んできた中村敦夫氏の本を作っているのだ。カバーを変更するなら、今がギリギリだ。 翌朝、自転車で会社に向かう。まるで中国の大通りのような、都心に向かうたくさんの自転車の波に乗って会社に行き、真っ先に帯のデザインの修正をする。 日本人よ! 今こそ強欲から「少欲知足」へ 震災と原発事故のあとを考える 鮮やかな黄色地の目立つ帯に、白抜きの太い文字が躍る。 「少欲知足」は、中村氏の心の芯にある言葉である。地球規模の環境破壊が進むなか、利便性や効率性を最優先にする社会からは脱しなければならない。成長戦略の根本にあるのは経済至上主義だ。金が金を呼び、欲が欲を呼ぶ。それはやがて身を亡ぼすだろう。 そこに、原発事故はこれからどうなるのか……という文字をかぶせたのだ。中村氏に電話を掛け、帯文字の変更の旨を伝える。さあ、これで仕上がる。もうじき刊行だ。 しかし、このとき中村氏は別のことを考えていたという。 「この原発事故は、戦争に匹敵する困難だ。表現者として何をすべきか」 と――。 原発事故の後で「表現者」として何をすべきか 「あっしには関わりのねえこって」 という決めぜりふとリアルな殺陣。それまでの定番ドラマは、ふらりとやってきた旅人が困っている人々を助けて去っていく――といったハートフルなものだった。 1972年(昭和47年)に始まったテレビ時代劇『木枯し紋次郎』は、一見定番ドラマとは正反対のクールな紋次郎のたたずまいが視聴者の心をつかみ、中村氏を一躍スター俳優にのし上げた。 その俳優のキャリアを投げ打ち、1995年(平成7年)の参議院選東京選挙区で新党さきがけ(当時)から立候補するも、落選してしまう。1998年(平成10年)に無所属で再度挑戦し、当選する。 その当時から、中村氏は原発の危険性を訴えていた。中村氏が毎月1回発行していた新聞には、 「安全な高速道路などはないように『安全な原発』などあり得ないのだ」 と書いていた。 その言葉通り、原発事故は起きてしまった。 「事故を予見しながら、自分が生きているうちには起きないだろうと思っていた。不覚だった」 愕然とした。 「表現者として逃げられない。正面から取り組まなければならない」と感じながら、ならば、どう表したらよいのか。思い悩む日々が続いた。 「一から学び直し、問題全体を自分自身の血肉で理解する必要がある」と感じた。 やがて東日本大震災の発生から二カ月後の、まだ現地の混乱も続く5月。中村氏は福島県いわき市の海岸沿いを車で南下していた。そこは大津波に打ち壊され流されて、がれきだらけのすさまじい惨状になっていた。 いわき市の一部は、福島第一原発の30キロ圏内あり、放射線量が高いために県外に一時避難する人々も多く、人影はまばらである。 いわき市は、中村氏の故郷だ。 第二次世界大戦中、空襲が激しくなってきた東京から、父の実家がある福島県に疎開し、小中学校時代を平市(現いわき市)で過ごした。懐かしい知人も多い。その思い出深い土地は、変わり果てた姿になっていた。 飯舘村や南相馬市も訪れ、自殺者を出した現場にも行った。 中村氏は翌2012年(平成24年)、日本ペンクラブの視察団の一員として、チェルノブイリ原発のあるウクライナを訪問する。そこに福島の数十年後の姿を探した。 キエフの放射線研究所や被ばくした村を回り、今でも苦しんでいる人々に会ってきた。原子炉建屋が吹き飛んだ原発を覆う、不気味な石棺も見た。 資料を読み込み、専門家のアドバイスを受けた。そうやって取材を重ねているうちに、なぜこんなに理屈に合わないことが起こったのかが、次第に見えてきた。 どんどん時は過ぎ、焦りを感じ始めるようになる。しかし、この仕事はライフワークになるだろうと感じ、納得するまで試行錯誤した。 5年後、ようやく心に添った表現方法を思いつく。大げさな企画は、時間も費用も掛かりすぎる。それなら、たった一人で道具を背負い、日本各地で「朗読劇」を展開しよう。原発のある土地で生まれ育ち、原発技師として働き、原発事故ですべてを失った老人の独白を表現するのだ。 その語り言葉を福島の方言に置き換えたとき、このドラマは予想を超えた迫力を生むことになる。 普通なら一カ月もあれば書ける脚本を、3年かけて練り上げた。 そうして、2016年(平成28年)11月、福島県喜多方市において、朗読劇「線量計が鳴る」の初公演が行われたのである。 元配管技師が、原発の抱える問題を明らかにしていく 「立見席しかありませんが、それでもよければ……」 その日、私は「線量計が鳴る」の公演会場にいた。150席ほどの会場は、すでにいっぱいだった。急きょ他の部屋から持ってきたらしいバラバラな形のイスが、会場の後ろの席に詰め込むように置かれている。それでも足らなくて、壁に張り付くように立っている観客たちがいた。 正面に黒づくめの初老の男性に扮した中村氏が、線量計をかざしながら現れる。放射能に反応すると鳴る「ピーピー」という音が響き渡る。舞台の芝居、というよりは会議室のホワイトボードの前に、一人の男が現れた……といった風情だ。それだけに、現実味を帯びている。 中村氏が帽子やジャンパーなどを黒ずくめで演じるのは、被害者の無念を移した亡霊をイメージしているからだ。 主人公は、原発が立地する福島県双葉市で生まれ育った元原発配管技師。線量計が立てる音とともに、 「原発の街で生まれ育ち、原発で働き、そして原発ですべてを失った」 とつぶやき、一幕四場、二時間の朗読劇が始まる。 福島第一原発で働いていた主人公は、原発事故後、酒浸りになる。賠償金を受け取っていることをなじられ、同郷の福島県の人々とけんかをして留置場に入れられてしまう。 原爆を落とされた日本に、なぜ原発がたくさんつくられてきたのか。 原発で利益を得ているのはいったい誰なのか。 あまりに多くの問題を抱えている原発。主人公はその一つひとつを告発していく。背景のスクリーンには、利権の構図などのデータが映し出される。人々が知るべき原発の知識が一通り解説されている。 主人公の名前は、最後まで明かされない。取材を重ねた「被害者たちの集合体」だからである。 これだけの内容を盛り込みながら、退屈しない。 「原発は安全だあって、自分も他人も騙くらかして飯ぃ食ってきた」 主人公は福島の方言で自分の人生を振り返る。観客はときに大きく頷きながら、静まり返って話に引き込まれている。効果的な間の取り方や抑揚のつけ方で話が理解しやすくなっているうえに、その立ち姿の美しさ。 うまい……さすがは名優だ。(誤解を招くかもしれないし、現地の方には失礼かもしれないけれど)芝居として面白い。 「原発の実態報告を優先すると客は飽きてしまい、話を聞いてくれない。物語を優先すると、伝えたい原発の実態が伝わらない。この葛藤に苦しみながら台本を仕上げた」 と中村氏は言う。 この朗読劇は、スクリーンと音響程度があればできる。中村氏が一人で道具を背負い、全国各地に出かけていく。10月後半ですでに44公演をこなし、さらに年内に10公演が予定されているという。 北海道公演のときには、 「なんでこんな遠方の町に、中村敦夫さんが来てくれたんだ……?」 と、観客たちは半信半疑で朗読劇を見つめていたという。 子どもたちが口に長い枝をくわえるのが流行したという、大スターの木枯し紋次郎をリアルタイムで知っている年代の人には、まさに驚きであり感動だったことであろう。 公演は、各地の実行委員会の招きで行われる。営業化されていない、まさに手作りのあたたかい公演である。観客たちは、中村氏に何を期待しているのか? 地方の熱い人々に背中を押されて 道具を背負って、一人旅。日本各地で行った朗読劇の模様を、中村氏の公式HPから少し抜粋してみよう。原発を抱えている町もあれば、環境問題に悩む町もある。自分の国のこととして憂えている町もある。 ●第25回/仙南地区(宮城県)公演(2018年2月24日) いよいよ今年の幕開きだ。 プロデュースを担ったのは、仙南地区の小中学校の先生たちが中心。 会場は、大河原町の「えずこホール」。 「えずこ」とは、昔の農民が田畑で働く時、赤ちゃんを入れて おいた大きな篭を意味する。 ホールの外形が、その篭に似せて作られ、シュールなデザインである。 町自体は、単調なインフラだが、この一画だけは、さまざまな 飛んだイベントが展開されるという。 周辺は保守的な風土なので、今回は観客動員が難しいと予想された。 当初は、150人くらいはと目標を立てたが、開けてびっくり、235人 の超満員。プロデューサーたちも嬉しい悲鳴。 全国版新聞も一社、地方テレビ局も一社、はるばる取材に駆けつけた。 「世の中はもう原発事故を忘れている」という宣伝は、どうやら嘘の ようである。 ●第42回/立川市(東京)公演(2018年9月24日) 主催の「たまあじさいの会」は、西多摩郡日の出町を本拠とする市民環境団体。 以前はこの地のごみ処分場に、三多摩400万人の生活ごみが、1日100トン も運ばれ焼却されていた。ダイオキシンなどで周辺の森林や住宅地が汚染され、 健康被害が拡大した。第一処分会場が満杯になり、新たに第二処分場の建設が 始った時、市民たちが東京都にNOを突きつけて立ち上がった。 その中心を担ったのが20年前結成された「たまあじさいの会」である。 自らも科学的調査機能を持ち、定点観測をくり返し、裁判を起こし、 市民に情報を提供してきた。第二処分場建設は結局強行されたが、 「会」は今でも焼却灰や多摩川に流れる放射能などの調査を続けている。 中村が参議院へ入ったのも、奇しくも20年前。 議員連盟「公共事業チェック議員の会」の会長として、何度も日の出町へ入り、 市民の応援を続けた。後には、この処分場をモデルにした小説「ごみを喰う男」 (徳間書店2007年)を発表。 今回の公演は、「たまあじさいの会」20周年記念のイベントのひとつとして 実現した。 ●第43回/ひたちなか市(茨城県)公演(2018年10月7日) 公演は10/7日(日)だったが、前日入りした。 常磐線の勝田駅(ひたちなか市)を通り過ぎ、次の東海駅で降りた。 期限の切れたポンコツ(東海第2原発)を原子力規制委員会が安全と判定し、 20年間の延長再稼働を認めたばかりである。これを受け入れるかどうか、 近隣自治体の反対派市民とひもつき政治家たちがもめている。 東海村を実際に見て、少からぬショックを受けた。 海際の小さな土地のあちこちに、核関連の大型研究施設や廃棄物処理場などが、 十数ヶ所も点在し、それが村の骨格を形成している。 あちこちに保管されている低レベル、高レベルの固体廃棄物のドラム缶は、 十数万個になるだろう。まさに、放射能施設に占領された村である。 東海第2原発から30km圏内で生活する住民は、96万人。 日本でも最悪の密度である。東京からの距離にしても、110kmと最短であり、 福島原発までの半分だ。こんなところで再稼働とは、狂気の沙汰としか思えぬ。 近隣自治体の住民の危機意識も高まっており、10/7の小劇場も、定員110人を 超える超満員。客席から、終始熱い声援が飛んだ。 中村敦夫氏の伝えたい想いとは こんな人々の支えを受けて、『朗読劇 線量計が鳴る 〜元・原発技師のモノローグ』は書籍になった。原発の技術と問題点、被ばくの危険性、福島第一原発事故の実態など、原発の基礎から今日の課題までを、原発事故ですべてを失った老人の語りからわかりやすく伝える。中村敦夫氏の演劇体験と文筆体験が反映された力作だ。 2016年(平成28年)秋、中村氏は故郷の福岡県いわき市を再訪した。震災直後の無残だったがれきの撤去が進んだ一方で、県内では避難指示が少しずつ解除されていた。 「原発事故をなかったことにしたい」 という意図を感じた。 「原発事故が起きても誰も逮捕されない。津波に罪をかぶせて、責任者が見えないようにしている。これはおかしい。戦争と同じで戦犯がいるはずだ。私の原動力は、誰も責任を取らないことに対する公憤と義憤です」 と中村氏は言う。 朗読劇の最後に、主人公はこう言い放つ。 「右向けといわれれば右向き、左といわれれば左、死ねと言われれば死ぬ。おれはもう、そういう日本人にはなりたくねえんだよ」 朗読劇の目標としている100回公演の実現は、そう遠くなさそうだ。
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