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「ここにも希望はある」原子炉のメルトダウンから見学ツアーへ
2018.10.21 星の金貨 new
福島から原子力発電所事故の記憶が消えることはないかもしれませんが、それでもそこには人々の暮らしがあるのです
巨大自然災害と福島第一原発の巨大事故により、経済基盤を台無しにされてしまった被災地
ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2018年10月17日
巨大地震と巨大津波の発生により福島第一原子力発電所が崩壊してから約8年が過ぎた今も尚、その傷跡が癒えることはありません。
痛めつけられ廃墟となった家屋が、もう作物が実ることのない水田の中に放置されています。
2011年3月11日の午後、日本の東北太平洋側の3県を横断し、福島県の1,600人の含め18,000人以上を殺した津波の通り道にはそんな光景が散らばっています。
福島ブランドは永遠に原発事のイメージがついてまわるかもしれませんが、一部の住民はわずかな期間福島を訪れることにすら危険が伴うという噂に憤慨しています。
彼らは福島に暮らす人々がいて、その生活が続いているという事実を世界に伝えるため観光に取り組んでいます。
「ここにいる人々は恐怖の闇の中で暮らしているという見方には納得していません。」
と少人数の団体にツアーを提供している地元のグループのひとつである『リアル・フクシマ』でガイド役をしている福島県職員の佐々木修三氏がこう語りました。
「福島である以上、ここは危険であるに違いないという考えはまったくの間違いです。」
ジョージア工科大学の学生たちの案内をしたばかりで、来年はデンマークから来る高校生グループのホスト役を務める予定の佐々木氏がこうつけ加えました。
今年の夏、ニュージーランドのジャーナリストのデイヴィッド・ファーリアー(David Farrier)氏が主催するネット・フィクス(Netflix)シリーズで『闇のツーリスト(Dark Tourist)』が公表され、その中で福島の印象を変えようと取り組んでいる人々が直面する絶望的な状況が書かれていました。
紹介されたエピソードの一つには、ファーリアー氏と数人の観光客が福島第一原発の周辺をマイクロバスで視察中、彼らの視線は放射能の線量計に釘付けになっており、計測値が跳ね上がる度彼らは目に見えて動揺している様子だったと書かれていました。
彼らは嫌々ながら被災地近くのレストランで昼食をとりましたが、随行していた県の職員が福島産の食品中の放射線量はEU諸国やアメリカ産の食品に含まれるよりはるかに低いと説明したにもかかわらず、ファーリアー氏は出された料理も放射能に汚染されているのではないかと疑っていました。
除染が行われた地域では放射線量は1時間あたり0.23マイクロシーベルトで、毎日屋外で8時間屋内16時間を過ごすと仮定した場合の年間被曝線量は1ミリシーベルト以下になり、設定された年間の目標をクリアしています。
放射線に対する人間の被曝線量の世界平均は、年間2.4〜3ミリシーベルトです。
小高区でランタン・ハウスというゲスト・ハウスを運営するリアル・フクシマのメンバーでガイド役を担当している平かりんさんは、ネット・フィクス(Netflix)のドキュメンタリーは放射線の危険性を誇張し過ぎており、被災地を完全否定するイメージを作り出してしまっていると主張します。
「この場所が絶望に支配されているかのような印象を与えるものでした。」
平さんがこう語りました。
「でもこの場所にも希望があるのです。」
しかし、津波と原発事故による荒廃の傷跡が消えたわけではありません。
太平洋を見下ろす丘の上には、津波にのまれて死亡した182人の浪江町民の名前が記されています。
そして内陸部は津波の到達範囲以上にはるかに広大なエリアが、別の大きな悲劇に見舞われたことを証拠だてています。
被災した福島第一原子力発電所からわずか2キロ離れた熊谷小学校では、避難命令が出された瞬間そのままに本や鞄などの持ち物が放置されたままになっており、教室全体が凍りついたように成っています。
外では草木や雑草が生い茂り、人間の姿を見かけない道路の上を野生のイノシシやアライグマが自由に歩き回っています。
3基の原子炉のメルトダウンによって避難した約15万人の人々のうち、後になって少数の人々だけが政府によって安全と判断された区域に戻りました。
一部の地域では日本政府が主張するより高いレベルの放射線量が実際に観測された事実を基に、子どもたちが長期間放射線に被曝する危険性を懸念している保護者もいます。
すでに他の場所に定住して新たな生活を築いた人々は、巨大な自然災害と福島第一原発の巨大事故によって経済基盤を台無しにされてしまった場所には、再び戻るべき魅力的な理由はないと考えています。
《後編に続く》
https://www.theguardian.com/world/2018/oct/17/there-is-hope-here-fukushima-turns-to-tourism-after-nuclear-meltdown
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ガーディアンのジャスティン・マッカリー氏の福島に関する記事の基本にあるのはヒューマニスムです。
以前ご紹介したガーディアンの編集方針の大本を示した【 危機の時代のジャーナリズム 】( http://kobajun.biz/?p=32830 )で編集主幹のキャサリン・ヴィナー氏は、市民の視点に立つ公正中立の報道を標榜しました。
ジャスティン・マッカリー氏の記事はその典型ともいうべきであり、私はこれまで同氏の記事をおそらく200本以上翻訳していると思いますが、福島第一原発の報道に関しても、例えば東京電力や日本政府に対する批判も先鋭化したものは多くはありません。
しかし福島第一原発の事故が紛れもない『人間の悲劇』であることを強く感じさせます。
ジャスティン・マッカリー氏の記事を翻訳していて、私自身、福島第一原発の事故現場には自分と同じ『人間』が暮らしているという視点を忘れてはならないということを痛感させられます。
自分がガーディアンのサポートメンバーになったのも、同氏の存在と無縁ではありません。
「ここにも希望はある」原子炉のメルトダウンから見学ツアーへ《後編》
2018.10.23 星の金貨 new
事故後初めて福島を訪れた人々は、実際にここに人間が住んでいることに驚かされる…
それまでの人生がすべて消え去ってしまうということについて、どう理解すべきなのか解りません
ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2018年10月17日
しかし津波に襲われる以前は豊かな農産物や海産物で知られていた幾つかの町や村に、普通の市民生活と変わらぬ様子が戻っています。
今年の夏、福島第一原発の北40kmにある海水浴場が7年ぶりに再開されました。
農家は再び米や他の農作物の栽培を再開し、漁師たちが海に戻ってきました。
放棄された畑には太陽光発電所が建設されていますが、しかしそれも除染の際に被災地の地面の表面を削り取った放射能に汚染された土を詰め込んだ1,600万個の黒い袋がずらりとおき並べられた光景と比較すると、ごく小さく目に映ります。
2020年東京オリンピックの際、福島市では野球とサッカーの試合が開催されます。
福島第一原発の事故の発生後、収束作業に従事する数千人の労働者とその装備の備蓄拠点となったJビレッジも手入れされ、本来のサッカー選手のためのトレーニングセンターとして再生されることになっています。
「観光客の皆さんに来ていただいて、その目で福島の現実を確かめてほしい」
大熊町では地元で暮らす志賀修陽氏とその同僚の人々が、避難命令の解除に合わせ、来年4月の町役場やアパート、店舗などの再開を目指して懸命に準備を進めています。
さらに細部については未定ですが、伝統的日本家屋を改装して宿泊施設を貸し出す人向けのウェブサイトAirbnb(エアビーアンドビー)を使って宣伝する計画もあります。
2016年には52,764人が福島県を訪れ、県当局によれば3.11発生以前の訪問者数の92%以上にまで回復しました。
「事故後初めて福島を訪れた人々は、実際にここに人間が住んでいることに驚かされるようです。」
志賀さんこう語りました。
沿岸都市の南相馬市でホテルを経営する菅野貴弘氏は、福島第一原発や除染のための作業員の宿泊施設になっていた自分のホテルが、観光客や学校に通う子どもたちの研修旅行の宿泊施設に変わったのをその目で確かめることができました。
「福島を訪れるよう人々にすすめることはまだ難しいですが、福島第一原子力発電所の近くに住む人々が再び普通の生活を送っていることにみな驚いています。」
夫ビリー、娘シアラと一緒にこの地域をツアーしていたオーストラリアのノラ・レドモンドさんは、放射線によるリスクについて自分たちの「懸案について答えが出せた」と語り、福島第一原発の近くで数時間のを過ごしたものの、自分たちの健康について心配はしていないと語りました。
「過疎化が進んでいると聞いていたので、この場所で時間とお金を使うことは良い考えだと思ってやってきたのです。」
レドモンドさんがこう語りました。
「私は東日本大震災と福島第一原発の事故の破壊規模、つまりそれまでの人生がすべて消え去ってしまうということについて解りようがありませんでした。私たちは車であちこちを見て回りましたが、多分破壊された家は20軒ほど見たと思います。美しい木製のインテリアだったはずのものを見ましたが、それはすでに粉々にされ瓦礫に成り果てていました。それが私を襲った最も印象深いものでした。」
福島の被災地の住民は犠牲者であると言われると、皆心外な顔をします。
犠牲者という言い方は、放射線レベルが政府目標を下回った場所では地域内の経済活動が急成長しているという実情を無視した表現です。
原子力発電を推進している世界原子力協会はヨーロッパでは自然界に存在する放射線によって被曝する平均値が、低い場所では英国が年間2ミリシーベルト以下であり、高い場所であるフィンランドでは7ミリシーベルト以上に達しているとの見解を示しています。
「災害前と変わらぬ姿がこの場所や周辺の地域で再現されるまでには、これから何年もかかるでしょう。」
菅野さんが認めているます。
「それまでの間、私たちはできるだけ多くの人々にこの地を訪れてもらい、ここでの生活がどのような状況にあるかを自分自身の目で確かめてほしいと考えています。」
「そのための取り組みは今、始まったばかりなのです。」
https://www.theguardian.com/world/2018/oct/17/there-is-hope-here-fukushima-turns-to-tourism-after-nuclear-meltdown
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このタイミングでこの記事が掲載されたことで、福島第一原発の事故も東日本大震災も最大の問題は人間のことなのだということに改めて気づかされました。
先日、東日本大震災で最もひどい被害を受けた仙台市宮城野区の蒲生海岸に行ってきました。
かつては一般住宅が密集し、海に近い方には乗馬クラブや養魚場などがあり、野鳥を始めとする小動物の楽園だった湿原が広がっていたその場所はただの砂浜と化していました。
海岸線から内陸に切れ込んだ小さな河口湖が湿原であったことの名残をとどめているだけで、もはやいくつもの命の営みある場所ではなくなっていました。
「長い年月の中で、地形というのはこうして変わっていくのだな…」
とおもわず呟きました。
自然界という視点から見れば、地形はこうして数百年という単位で形を変えていく、それだけのことにすぎません。
しかしその場所で数十年の人生を過ごす人間にとっては、それまでの人生の記憶を刻んできたものが失われてしまう、奪われてしまうということは耐え難いことであるはずです。
東日本大震災は仕方がないが福島第一原発事故は許せない。
多くの人々がそう思っているに違いありません。
その思いを脱原発運動という形で取り組まれていらっしゃる方々に、改めて敬意を捧げたいと思います。
「ここにも希望はある」原子炉のメルトダウンから見学ツアーへ ガーディアン
— サマンサ 新秩序(New Order) (@WoodBookbegin) 2018年10月20日
巨大自然災害と福島第一原発の巨大事故により、経済基盤を台無しにされてしまった被災地それでもそこには人々の暮らしがあるのです https://t.co/hPmNrNkq4H
「ここにも希望はある」原子炉のメルトダウンから見学ツアーへ ガーディアン
— サマンサ 新秩序(New Order) (@WoodBookbegin) 2018年10月22日
事故後初めて福島を訪れた人々は、実際にここに人間が住んでいることに驚かされる…
それまでの人生がすべて消え去ってしまうということについて、どう理解すべきなのか解りませんhttps://t.co/q4j610z6JY
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