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■日本を支配するサトゥルヌスの王朝〜安倍政権はどこから来たのか?
政治家の家系や政治家の親子の関係は、公に伝えられた通りであることは少ない。それは古代からそうであった。なぜなら、孫氏兵法を身につけた忍び紛いの人々が、優性遺伝子ブリーダーともいうべき組織を設立し、金銭を介し、優れた遺伝子を欲しがる女を顧客としていたからだ。顧客となる女は大奥や、有力武家、公家、財閥、大商人の娘が多数を占めていた。
今まで、多くの王朝が滅ぶのを見てきた忍びの者は、その原因が血筋の固執に起因することを見抜いていた。御家を存続させるには、血筋にこだわる必要性は無い。要は、名前や血筋ではなく、いい遺伝子の継続的な導入である。忍びの者は、いい女と、そのいい女が惚れる男の遺伝子を持つ子供なら、どのような御家(将軍家、武家、公家、大商人)であれ、繁栄と存続は間違いないと考えていた。
江戸時代は、正にその実験が大々的に行われた時代である。つまり、徳川家は家康の子孫が代々将軍職に就いたわけではない。家康の血を継いだ子孫は三代将軍家光だけである。他の徳川家将軍たちの父親はどこの誰だか不明である。というわけで、優性遺伝子ブリーダーを用いる夫婦は、必然的に少年愛者と、別の男の優性遺伝子を所望する女のカップルとなる。
それと同様に、安倍政権のメンバーの父親もほとんどが公的な情報とは異なる。興味深いのは麻生太郎と安倍晋三の関係だ。彼らは、赤の他人ではなく、いとこの関係である。つまり肉親だ。じつは、吉田茂は岸信介や佐藤栄作の種違いの兄なのだ。そのため、吉田茂は弟である佐藤栄作の収賄疑惑にも介入し、弟のために事なきを得ようと尽力した。
非常にややこしい話になるが、吉田茂の実父は養父と呼ばれた吉田健三である。公的には、吉田茂の実父と呼ばれた竹内綱が芸者の女を妊娠させ、茂が誕生したということになっている。しかし、実際には茂の実父吉田建造は29歳の時に、14歳の少女を妊娠させた。この時に茂が誕生したのだ。この少女とは後の岸信介、佐藤栄作の実母茂世である。
竹内綱は、自分が芸者に産ませた子であるとして茂を引き取り、スキャンダルを恐れた吉田建三を助けたわけだ。その通り、「茂」の名の由来は母親の「茂世」である。というわけで、麻生太郎と安倍晋三は幼少の頃から兄貴分と子分の関係だった。
また、麻生太郎には子供がいないとされているが、実際には麻生政権に参加した中川昭一や、現在、安倍政権に参加している小此木八郎が麻生の子である。中川昭一は麻生が13歳の時の子であり、小此木は25歳の時の子である。中川昭一の場合、麻生太郎はとある女(誰だか不明。同級生か?)を妊娠させたが、子供がいなかった中川一郎が、スキャンダルを恐れた麻生家に手を差し伸べ、引き取った。それが中川昭一誕生の背景である。だが小此木八郎の誕生の場合は、優性遺伝子ブリーダーが関係していると思われる。
他にも、安倍政権に参加している茂木敏充は小泉純也の子であり、小泉純一郎とは兄弟である。新藤義孝は中川一郎の子であるし、下村博文は佐藤栄作の子である。小野寺五典は鳩山一郎の子であり、甘利明は岸信介の子である。あと、安倍政権のメンバーではないが、自民党の金田勝年は鳩山威一郎の子である。ここで問題となるのが、小野寺五典である。小野寺五典は1960年に生まれているのだが、そうすると1959年に死去した鳩山一郎の子であるわけがない。しかし、そこは優勢遺伝子のブリーダー。忍びの者が少々、手を加えたようだ。小野寺の実母の目的は不明だが、名うての忍びが、生年月日を一年遅らせることなど容易だ。
ここから先が変り種である。中川雅治は池田大作の子であり、高市早苗は朴正熙の子である。また、驚くべきことに韓国人を虐殺した李承晩政権の残党や、文化大革命で粛清された残党の子が安倍政権のメンバーとして参加している。岸田文雄は李承晩政権副大統領のハム・テヨンの子である。山本一太は、ずばり大量殺戮者・李承晩大統領の子である。そして、公明党の山口那津男は李承晩政権の外務部長官・張沢相の子である。
一方、菅義偉、古屋圭司は文化大革命で粛清された毛沢東の腹心だった羅瑞卿の子である。そして、太田昭宏、林芳正、バナナマンの日村は同じく文化大革命で粛清された楊尚昆の子である。楊尚昆は、表面的にはケ小平の良き右腕だったが、裏では陰謀をめぐらし、弟と共に、ケ小平を排除しようと試みていたようだ。李承晩政権や文化大革命粛清組の胸には朝鮮半島、中国に対する復讐心があるだろう。それが安倍政権が掲げる「第九条改正案」につながっている。
因みに、田中角栄、鳩山威一郎、公明党の原島宏治は第七代台湾総督の明石元二郎の子である。田中家は元来がサトゥルヌスの稲荷神社の家系であるが、田中真紀子が正統な田中家の後継者として「義父」田中角栄を排除したようだ。例によって真紀子は誰の子だか不明だが、正統な田中家の男であることは間違いない。
■長州に巣食う物の怪 佐藤ルヌス〜佐藤栄作と大久保清事件
佐藤政権は大して支持率は高くなかったが、高度経済成長に支えられ、長期政権としての記録を樹立した。しかしAD1966年に「黒い霧事件」が発生する。これにより、自民党への国民の信頼は失墜した。衆議院議員田中彰治の逮捕、防衛庁長官上林山栄吉の公私混同お国入り問題、運輸大臣荒舩清十郎の深谷駅急行停車問題、重松誠之農林大臣の共和製糖事件、農林大臣松野頼三の公私混同官費旅行、衆議院議長山口喜久一郎の東京大証社長仲人問題など、佐藤政権関係者が関与した一連の不祥事はまとめて「黒い霧事件」と呼ばれている。
焦った佐藤栄作首相は、これらの事件を何とかメディア上から風化させ「知識人による議論の的とならぬよう、どうしたらよいか」と浄土真宗に相談を持ちかけた。家族の危機に理解を示した大谷は、当時30歳の麻生太郎、21歳の甘利明、16歳の安倍晋三、加計に立派なタナトスになるための修行を命じた。その修行とは、女狩りだ。要は、若い女性の拉致、拷問、殺害である。彼らのやったことが公になったのが「大久保清事件」である。
大久保清の被害者たちは、みな、麻生太郎と子分たちによる拉致、拷問、陵辱、殺害、遺棄によって変わり果てた姿となった。死刑を執行された大久保清は冤罪に過ぎない。大久保清は、「ぼくちゃん」と呼ばれていたと伝えられる。だが、これは実際には大久保清のことではない。実生活でお坊ちゃんであった麻生太郎、或いは安倍晋三が事件に関与していることの示唆である。「俺たちがこのすげえ事件に関わってんだぜ」ということを公にしたい。だが、公にしたら捕まる。ということで、タナトスは、わかる人にはわかる自分の素性をメッセージとして盛り込み、暗に報道することでスリルを楽しむ性癖があるのだ。
この大久保清事件は、浅間山荘などの赤軍派関連の事件とセットで連日報道された。これにより、黒い霧事件は立ち消えになり、メディア上から消滅した。現在の安倍関連の報道も、このときの叔父が用いたのと同じ方法が踏襲され、メディア上から見事消滅している。
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