http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/612.html
Tweet |
破綻した経済をコロガシで誤魔化してきた米国だが、それも限界で、戦争への道を歩む(その2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201802040001/
2018.02.05 櫻井ジャーナル
アメリカの東アジア侵略は1898年から始まる。その年、キューバのハバナ港に停泊していたアメリカの軍艦「メイン号」の爆沈をスペインが実行したと主張、戦争を始めたのだが、この戦争に勝利したアメリカはスペインにキューバの「独立」を認めさせ、プエルトリコ、グアム、フィリピンを買収する。この年にはハワイも支配下におく。フィリピンを植民地化し、中国市場へ乗り込む橋頭堡として位置づけられた。
このアメリカを幸徳秋水は1901年に出版された『廿世紀之怪物 帝国主義』の中で帝国主義だと批判している。「米国にして真にキュバ叛徒の自由のために戦えるか、何ぞ比律賓人民の自由を束縛するの甚だしきや。」「それ他の人民の意思に反して、武力暴力をもって強圧し、その地を奪い富を掠めんとす。」
この幸徳は1910年に「天皇暗殺を計画した」という口実で逮捕され、死刑になる。大逆事件だ。支配者にとって目障りな人々を一掃するために当局が仕組んだフレーム・アップだった。この時代からイギリスやアメリカは中国やロシアの制圧も計画、日本はその手先として働いている。朝鮮半島は侵略を始める上陸地点だ。大戦後の朝鮮戦争も目的は中国侵略だっただろう。
朝鮮戦争が勃発したのは1950年6月25日だが、その前から小規模の軍事衝突はあったという。また、その当時、ダグラス・マッカーサーに同行して日本にいた歴史家のジョン・ガンサーによると、半島からマッカーサーに入った最初の電話連絡は「韓国軍が北を攻撃した」というものだったという。(F. William Engdahl, “Gods of Money”, Progressive, 2009)
戦争勃発の3日前、アレン・ダレスの兄であるジョン・フォスター・ダレスは朝鮮半島から日本へわたり、吉田茂と会談した後にニューズウィーク誌の東京支局長だったコンプトン・パケナムの家で夕食会に参加している。日本側から出席したのは大蔵省の渡辺武、宮内省の松平康昌、国家地方警察企画課長の海原治、外務省の沢田廉三だ。
そして1951年4月、約2000名の国民党軍がCIAの軍事顧問団とともに中国領内に侵入して一時は片馬(ケンマ)を占領、翌年の8月にも中国へ侵攻して国境から約100キロメートルほど進んだが、この時も人民解放軍の反撃で失敗に終わっている。
朝鮮戦争は1953年7月に休戦協定が成立するが、その2カ月前にベトナムではアメリカの支援を受けていたフランス軍がディエンビエンフーで北ベトナム軍に包囲され、翌年の5月にフランス軍は降伏した。
フランスが降伏する4カ月前、1954年1月にジョン・フォスター・ダレス国務長官がベトナムでのゲリラ戦を準備するように提案している。その年の夏、ダレス国務長官の弟であるアレン・ダレスが長官だったCIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成、破壊活動を開始している。
この段階からアメリカはベトナムへ軍事介入していたわけだが、1961年から大統領になったジョン・F・ケネディ大統領はアメリカ軍をベトナムから撤退させることを決めていたが、63年11月に暗殺され、引き継いだリンドン・ジョンソンはケネディの決定を取り消して本格的な軍事介入へ突き進んだ。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。