http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/721.html
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「72年目のヒロシマ・ナガサキ:北朝鮮の脅威に直面しつつ忘却と闘う」(DW English・RFI・Suptnik日本・Pars Today)
(Hiroshima marks nuclear attack anniversary: DW English)
http://www.dw.com/en/hiroshima-marks-nuclear-attack-anniversary/a-39981909
ニュース
広島は核攻撃の記念日を迎える
日本は米国による広島市への核攻撃から72年目の記念日を迎えた。この攻撃のために1945年末までに全体で140,000人が死亡した。また、北朝鮮がもたらした現在の脅威についての警告も発せられた。
午前8時15分(協定世界時23時15分)、数千人の人々−安倍晋三首相や生存者たちもここに含まれる−はこの西日本の都市の中心で犠牲者たちを思い出して1分間の黙祷を捧げた。1945年8月6日のこの時刻に、米国のB-29爆撃機が最初の原子爆弾をこの都市に落とした。
「この都市・広島で、私は改めて核のない世界と恒久平和を実現するために最善を尽くすことを約束する」と、安倍氏は式典で語った。「私はまた、原爆の犠牲者や遺された家族、ここに参列した方々や広島市民の平安を祈る。」
さらに読む:北朝鮮による言葉の戦争
8月9日、米国は九州島の長崎に2発目の原子爆弾を落とした。その6日後に日本は降伏し第2次世界大戦は終結した。
リトルボーイ原子爆弾投下直後の広島の空撮写真。
「この地獄は過去のことでない」と、松井一實・広島市長は式典で語った。「核兵器が存在し為政者がそれを使うと脅す限り、その恐怖はいつ私たちの現在に襲いかかるかも知れない。その残虐さに苦しむのはあなた自身かも知れない。」
松井氏は日本や核保有国に、国連が7月に採択した核兵器禁止条約に参加するよう促した。また、彼は北朝鮮がもたらした脅威にも言及した。
先日の2度の火星14大陸間弾道ミサイル発射実験により、米国の主要都市が北朝鮮の核の射程範囲に入ったと推測されている。
2016年5月、バラク・オバマ氏は広島に行き現職米大統領として初めて投下地点を訪問したが、謝罪の言葉は出さなかった。
jbh/bw (Reuters, dpa)
この話題の音声・動画
オバマ氏は広島の式典で花輪を置く
発表 2017年8月6日
キーワード 広島、核爆弾
−参考−
平和宣言【平成29年(2017年)】(広島市)
広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式あいさつ(首相官邸)
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(Le Japon commémore les 72 ans du bombardement nucléaire d'Hiroshima: RFI)
http://www.rfi.fr/asie-pacifique/20170806-le-japon-commemore-72-ans-bombardement-hiroshima
日本|第2次世界大戦
日本は広島の原爆爆撃72周年を記念する
記者 RFI
発表 2017年8月6日・更新 2017年8月6日11:50
日本国民が広島爆撃の犠牲者のために祈る、2017年8月6日。
Kyodo/via REUTERS
72年前に広島を打ち叩いた歴史上初めての原爆爆撃を日本国民が思い出している。1945年8月6日現地時間8時15分、「エノラゲイ」という名の米爆撃機が原子爆弾「リトルボーイ」を広島に投下した。全体で140,000人が死亡し、そのうち数千人は即死だった。この3日後、2発目の原子爆弾「ファットマン」が長崎を破壊した。今年は松井一實・広島市長が世界に向けて、国連が北朝鮮の核弾道ミサイルプログラムに対する行動を強化しているいま、核兵器廃絶に向けたあらゆる措置を取るよう呼び掛けた。
報告 RFI東京特約記者、フレデリック・シャルル
毎年8月6日、日本の夏の咽ぶような湿った暑さの中で広島は忘却と闘う。ここで人類が1954年8月6日に核の時代に入ったことを思い出させるのは、平和公園と爆心地に建てられたその記念碑だけだ。
世論調査によれば、今日、日本国民の80%が原爆爆撃の行われた正確な日を知らない。その3日後の長崎への2度目の爆撃はなおのことだ。最後の生存者たち−彼らの平均年齢は80歳だ−はますます数を減らし、彼らの記憶も薄れつつある。
核の火を受けたとき彼らはほんの子供だった。彼らの求めることは一つだけ。自分たちが無駄な存在だったことのないよう自分たちの苦しみを世界が忘れないことだ。昨年、バラク・オバマ氏が現職米大統領として初めて広島を訪問した。ノーベル平和賞受賞者は爆撃に対して謝罪をしなかったが、核兵器廃絶に取り組むことを約束した。
この間に北朝鮮は日本海でミサイル実験を度々行った。その一部は弾道ミサイルでいつか核弾頭の搭載が可能になる。この脅威に直面して、安倍晋三首相は平和憲法を見直すことを模索している。日本国民の大多数はいまなおこれに反対している。それでも日本は福島の事故以来停止していた原子炉の運転を再開している。万一の時に核兵器を保有する準備を整えておくために、日本は核の能力を維持したいのだ。
Japan marks 72nd anniversary of Hiroshima bombing (euronews (in English) - Youtube)
(ユーロニュース・サイトの英語記事はこちら)
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(Suptnik日本)
https://jp.sputniknews.com/opinion/201708093974430/
長崎の被爆体験:母に話せなかった、父親の遺体の話
© AFP 2017/ Jiji Press
オピニオン
2017年08月09日 09:11(アップデート 2017年08月09日 17:29)
徳山 あすか
9日、長崎は被爆から72年目の原爆の日を迎えている。全国にいる被爆者は約16万5千人、平均年齢は約81歳だ。
スプートニク日本
スプートニクは6日、リア・ノーヴォスチと共同で、ロシア人の読者に向けて広島と長崎の被爆体験を紹介した。読者からは「ドイツが先に降伏していなければ事態は変わっていただろう」「もしソ連の核兵器開発が間に合わなければ、同じように原爆を落とされていたのではないか」「戦争の勝者だからといって責められないのは遺憾だ」「そういうことを一度でもやった国は、今度は自分たちがやられるのではないかと常に疑心暗鬼になる」などといった声が寄せられた。今日は、その中でも反響があった長崎の山脇佳朗さんの体験をお伝えする。
山脇佳朗さんは、爆心地から約2.2キロの自宅で被爆したとき、11歳だった。山脇さんが双子の弟とともに昼食をとろうと食卓についた瞬間、青白い閃光が走り、激しい爆風が家の中を吹きぬけて、家はめちゃくちゃになった。山脇さんはその日、学徒動員先の工場から帰ってきた兄と一緒に防空壕で父親を待ったが、夜になっても帰ってこなかった。
© 写真: Nagasaki Foundation For the promotion of peace
山脇佳朗さん
翌日、山脇さんたちは兄弟3人で父親を迎えに勤務先の工場まで行くことにした。山脇さんたちは、工場責任者である父は、被害の後始末で忙しいのだと思っていたのだ。後でわかったことだが、その工場は爆心地から500メートルしか離れていなかった。工場に近付くにつれて被害は凄まじくなり、焼けただれてゴム人形のようにふくれあがった死体が所かまわず転がっていて、目だけが白く光っていた。橋まで来た時、祈るように首をたれた死体が両側にずらりと並び、川にも素裸に近い格好の死体が浮いていた。若い女性の死体が白い帯と一緒に浮いていると思ったら、横腹から飛び出した長い腸だった。
© Sputnik/ Michael Klimentyev
長崎市長「プーチン大統領訪問、実現すれば歓迎」
山脇さんは「歩くといっても、実際には折り重なった死体をひとつひとつ跨いで行かねばなりませんでした。できることなら、目をつむって駆け抜けたいくらいでしたが、足を踏みおろす隙間を見出すのがやっとで、それもひどく気をつかわねばならなかったのです」と振り返る。やっとの思いで父の工場の近くへ来たとき、山脇さんの前を歩いていた兄がうめき声を上げて立ち止まった。肩越しに覗くと、10歳くらいの男の子が口いっぱいに白い束をくわえて亡くなっていた。しかし、白い束のように見えたものは、死んだ身体から一斉にとび出した無数の回虫だった。
工場についたが、そこで山脇さんたちが見たのは、笑ったような表情で亡くなった父親の姿だった。火葬場は破壊されて使えず、焼け残りの木材を集め、工場の人の助けで遺体を荼毘に付すことになった。遺体は積み重ねた柱の上に寝かされ、さらにその上にうずたかく木切れが積まれた。火が放たれ、父親の突き出た二本の素足を炎がなめていく様子を見て、山脇さんは涙があふれて止まらなかった。しかし翌朝、骨を拾いに来てみると、手足だけが骨になり、遺体は灰に埋もれたままだった。もう工場の人はおらず、子どもだけで火葬をやり直すこともできない。手足の骨だけで父親を見捨てる気にはなれず、「頭の骨だけでも持って帰ろう」ということになった。山脇さんの兄が箸で軽く父親の頭蓋骨に触れたとき、それは脆く崩れ、白濁した中身が流れ出した。山脇さんたち兄弟はそれ以上見るに耐えず、足早にその場を離れた。
© REUTERS/ Kyodo
広島原爆の日:原爆を落とした国の「核の傘」で守ってもらう日本の姿勢を悲しむ被爆者
山脇さんたちは、この悲しい体験について母親に打ち明けることはなかった。山崎さんの母親は、弟妹たちをつれて疎開先の実家へ向かっていたので被爆を免れ、2005年に97歳で他界した。山脇さんは、被爆体験の継承を目指す読本「ピース・トークきみたちにつたえたい」(長崎平和推進協会)の中でこの話を紹介し、「被爆者全体からみると、私の被爆体験は軽いほうです」とした上で、「これを『過ぎたこと』と考えないでください」と綴っている。
9日に長崎で行なわれる原爆犠牲者慰霊平和祈念式典では、長崎市の田上富久市長が「平和宣言」の中で、7月に国連で採択された核兵器禁止条約に言及する。この条約を評価し、米露などの核兵器保有国や、日本のように核保有国の傘下で守られている国に対して、安全保障の方針転換を迫る予定だ。
タグ 核兵器, 日本
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(Pars Today)
http://parstoday.com/ja/news/japan-i33736
長崎市長、原爆の脅威をなくすよう要請
長崎の平和祈念式典
長崎市の田上市長が、長崎の原爆の日に際し、世界の核兵器の廃絶を求めると共に、日本政府が、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を批判しました。
フランス通信によりますと、田上市長は、アメリカによる長崎への原爆投下から72年となった9日、平和祈念式典で演説し、「長崎市が原爆の被害を受けた最後の場所となるべきだ」と強調しました。
また、「核兵器が再び使われるのではないかという強い不安が世界に広がっている」としました。
また、AP通信によりますと、田上市長は、「安全保障上、核兵器が必要だといい続ける限り、核の脅威はなくならない」としました。
さらに、日本政府に対し、核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも拘わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しないことを批判しました。
田上市長はまた、政府に対し、核の傘に依存する政策の見直しを進めるよう求めました。
長崎の平和祈念式典は、朝鮮半島の核・ミサイル問題によって朝鮮半島の緊張が高まっている中で開催されました。
2017年08月09日19時15分
Japan marks 72nd Nagasaki anniversary amid mounting nuclear tensions (euronews (in English) - Youtube)
(ユーロニュース・サイトの英語記事はこちら)
−参考−
平成29年 長崎平和宣言(長崎市)
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ(首相官邸)
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(投稿者より)
セーラー服とチマチョゴリ姿の学生さんが並んで献花しています。帝国時代の朝鮮統治の在り方には正邪入り乱れた情報と賛否双方の激しい議論が飛び交っていますが、起きたことは起きたことです。原爆の犠牲者が日本人だけでないことは憶えておいた方がいいようです。
ヒロシマとナガサキの記憶が忘れられようとしています。特に、米朝間の緊張増大の話題に隠れる形で、長崎についてはかなりのメディアがスルーしています。それでも、被爆者の平均年齢が80歳を超えた今、この記憶をどのように残すかという観点の記事も見られました。
ただ、主な論調はむしろ、地域の地政学的な現実の中で飽くまでも核廃絶の理念を追い求めるか、世界の軍事力バランスの中で自国の立場を確立するために核を持つのか、日本が分かれ道に来ていることを示唆しているようです。それに伴い、原爆を投下した米国を非難する意見や、原爆のために被害者を装っていると日本を非難する意見も影をひそめています。
また、福島の事故と結びつけて核そのものの脅威を考える記事も今年は見られませんでした。既に大量死時代に入っているはずですが、その情報が表に出てきません。そのせいか、そのような見方も現れなかったようです。
国を守ることは重要でありこれを綺麗事で済ませることはできませんが、私は核兵器の保有には反対しています。核という存在そのものが人類にとって忌まわしいと思えるからです。
ヒロシマの日・ナガサキの日・終戦の日などは、私たちが過去の行き過ぎを反省し平和への決意を新たにする日です。トルーマンが原爆を使いたいがために日本の終戦を遅らせた、陸軍を忌み嫌った昭和様が将兵を広島に集めた上でここに落とせとメッセージを送った、といった類のコメントはここではご遠慮下さい。
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