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半狂乱の父と娘 GORAN TOMASEVIC-REUTERS
モスル奪還作戦、写真で見るISISとの戦いの恐怖
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/07/post-7998.php
2017年7月18日(火)19時00分 デービッド・シム ニューズウィーク
<テロ組織ISIS(自称イスラム国)の最大拠点だったイラク北部モスルの奪還作戦は、昨年10月に始まって9カ月間続いた。イラク軍部隊に同行したロイター通信のカメラマンたちが、戦場や住民の様子を写真に収めた。カメラマンがそのとき見たものは>
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■ISISを狙った空爆から逃げる
2016年11月17日、モスル。近くにいるISISの戦闘員を狙った有志連合の空爆に驚いて逃げ惑う人々 GORAN TOMASEVIC/REUTERS
<撮影者、ゴラン・トマセビックの言葉>
「戦場の取材では前線に出られないことはよくあるが、この日はラッキーだった。着いたとき、町は平和で静かだった。直後に、自動車が爆発した。ISISの自爆テロだ。子供が泣き叫び、近くの家数軒が破壊されていた。戦場は何度も経験しているが、モスルほど多くの自動車自爆テロを見たことはない」
「戦闘は波のように襲ってきた。やっと静かになったと思ったら、民間人の老若男女がわずかな荷物を持って注意深く通りを歩いてくるのが見えた。その時、空爆が始まった。標的は民間人の数百メートル後ろのISISだ。近い。ひどいパニックになった。誰もが叫び、屈んで、爆弾の煙から遠ざかろうとした。隠れ場所を求めて逃げ惑った」
【参考記事】モスル奪還作戦、死体安置所からあふれ返る死体
■90歳、瀕死、鶏が心配
モスルを脱出し砂漠にたどり着いた90歳のイラク人女性、その後難民キャンプに移送された(2017年2月27日) ZOHRA BENSEMRA-REUTERS
<撮影者、ゾーラ・ベンセムラの言葉>
「モスル西部に近い砂漠で、モスルの戦闘を逃れてきた90歳のカトラ・アリ・アブダラを撮影した1枚だ。怯えた目は疲労で充血し、立ち上がることもちゃんと座ることもできなかった。長い間何も口にしていないように見えた。感情が込み上げ、シャッターを切りながら涙が出た。目の前にいる彼女に何もしてあげられないのが情けなかった。唯一できるは、写真を通じて安全を求めモスルを逃れた人々の苦悩や困難を世界中の人に届けることだった」
「数日後、人々にカトラの写真を見せて探したところ、幸運にも難民キャンプで再会することができた。カトラはイラク北部の紛争を数十年にわたり生き延びてきたが、モスルの戦闘がこれまで経験した中で最悪だったと語った。狙撃手や迫撃砲に攻撃される危険がある中、砂漠を横断して彼女を運んだのは孫たちだった。彼らをはじめ数千人の住民が危険を冒してISISの拠点だったモスル西部を脱出した」
「カトラが飼っていた鶏20羽を残してきたことを後悔していると言うのを聞いて、つい笑ってしまった。激しい戦闘があって自宅の地下室に隠れていた時でさえ、鶏たちの世話を欠かさなかったという。ISISの支配下でどれほどの恐怖を味わおうと、彼女の人間性は破壊されなかった。『動物にも生きる価値がある』と、カトラは言った」
【参考記事】ISISから奪還間近のモスル、脱出図った住民231人殺害
■自分も娘も死にかけて
モスルのISIS支配地域から逃れる父親と幼い娘。恐怖で泣き叫んでいた(2017年3月4日) GORAN TOMASEVIC-REUTERS
<撮影者、ゴラン・トマセビックの言葉>
「父親も腕に抱かれた幼い娘も恐怖で泣き叫びながら、瓦礫が散乱するモスルのワディ・ハジャル地区の通りを突っ切り逃げてきた。この辺りは一瞬にしてISISとイラク軍特殊部隊の戦いの場となり廃墟と化した。この親子や近隣の住民たちはISISの反攻部隊が街に迫り銃弾が飛び交うなか、サンダルや裸足のまま必死で逃げていた。
「避難した住民がイラク軍特殊部隊のもとに到着するなり、男性はシャツを上げろと命じられた。体に爆弾を巻いていないことを確かめるためだ。自爆テロはISISの常套手段で、イラク軍兵士は駆け込んでくる住民を押しとどめようと空に向かって銃を撃ち、アラビア語で怒鳴った。写真の父親は取り乱し半狂乱になっていた。彼は半袖のシャツを着て女の子を抱いていたので、ISISと疑われることなく無事難民キャンプに移送されるはずだ」
【参考記事】ISIS「人間の盾」より恐ろしい?イラク軍によるモスル住民への報復
■ドローンの後にはロケット弾が
モスル奪還作戦でISISの拠点に向けてロケット弾を発射するイラク軍(2017年3月11日撮影) THAIER AL-SUDANI-REUTER
<撮影者、サイエル・アル・スダニの言葉>
「攻撃があったのは真夜中、イラク軍がISISからモスルの行政庁舎を奪還しようとしていた時だった。破壊されたモスル美術館の写真を撮っていた時、上空にISISのドローンを見つけた。ロケット弾が飛んでくる恐れがあるため、我々は一斉に地面に伏せた」
「私はその時に手を切り、治療のため皆で車に戻った。イラク軍が私たちには目視できない距離にあるISISの標的を目がけてロケット弾を発射していたので、撮影を再開した。この写真は過酷な戦闘を象徴する力強い1枚になると思った。記者会見とは別世界の本物の戦争を伝えている。現場は100%危険で、写真を送るインターネットもほとんど繋がらない状況だ」
■大学も破壊
ISISに破壊されたモスル大学の前を歩く人々(2017年4月10日撮影).MARKO DJURICA-REUTERS
<撮影者、マルコ・ジュリカの言葉>
「4月10日、ロイター通信の取材班はモスル東部に入った。かつてはイラク北部の教育の中心で、現在は廃墟となった地元の名門校モスル大学について取材するのが目的だった。到着した途端、まずキャンパスの広大さに圧倒され、その破壊の凄まじさに立ち尽くした。少なくとも10の大きな校舎といくつかの小さい校舎が瓦礫になっていた。
「入口を警備するイラク軍兵士たちは、銃を掃除したりお茶を飲んだりしていた。化学学部が入っていた校舎の焼け跡から、備品や器具を運び出そうとしている人々を見かけた。彼らはここで教えていた大学教授で、使えそうなものは何でも回収しようとしていた。掃除をする教授や、絶望している教授もいた。大学がすぐに元通りになる可能性はないとわかっているため、感情的になっていた」
(翻訳:河原里香)
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