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がんと闘う大林宣彦監督が映画をつくり続ける理由…「青春は戦争の消耗品ではない」父たちの悲劇をくり返してはならない(リテラ
http://www.asyura2.com/17/senkyo236/msg/778.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 12 月 08 日 15:05:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

がんと闘う大林宣彦監督が映画をつくり続ける理由…「青春は戦争の消耗品ではない」父たちの悲劇をくり返してはならない
http://lite-ra.com/2017/12/post-3637.html
2017.12.08 大林宣彦「青春は戦争の消耗品ではない」 リテラ


        
                NHKホームページより


 肺がんで「余命3カ月」と宣告されたと告白していた映画作家の大林宣彦。今月16日には最新作『花筐/HANAGATAMI』が公開されるが、その大林宣彦と、妻で映画プロデューサーの大林恭子が5日放送『徹子の部屋』(テレビ朝日)に出演した。

 がんが発見されたのは『花筐/HANAGATAMI』のクランクイン直前だった。しかし、抗がん剤が奇跡的に効いたことで最悪の状態からは脱し、無事に作品は完成する。

 危機的状態から映画の完成までこぎつけることができた理由として医師は、やみくもに病気を恐れるのではなく、映画をつくりながら楽観的にがんと生きることを選んだのが功を奏したと話していたそうで、大林宣彦はそれを「戦争と平和」に紐付けながらこのように語った。

「これが徹子さん、僕たちにとってはね、戦争と平和の話にぴったりつながるんですよ。戦争を恐れるだけじゃだめだと。むしろ、平和のほうを信じる力が大事だと」

 平和を信じる力──それは『花筐/HANAGATAMI』のテーマでもある。この映画は、檀一雄が1937年に出版した小説『花筐』を原作としたもので、日米開戦直前を舞台にした青春群像劇により平和と命の尊さを描いている。

 実は、この『花筐/HANAGATAMI』の企画は42年前にも大林監督のもとで進められていたもので、その時点で準備稿の脚本までつくられていたという。

 では、なぜ、いまになって再び企画が動き出すことになったのか。それは、安保法制強行採決後のいまの日本が、『花筐/HANAGATAMI』の時代の日本に近づいているという思いがあるからだった。ドキュメンタリー『青春は戦争の消耗品ではない 映画作家 大林宣彦の遺言』(9月2日放送/NHK Eテレ)のなかで大林監督はこのように語っている。

「40年前はやっぱり僕は文学青年だから、放蕩無頼の檀さんのね、青春文学というものに憧れていた部分もあるし。あれから40年経つと、また日本がね、戦争ができる国になったいまになると、あの痛切な気持ちね、あの放蕩無頼っていうのは、“自分の命ぐらいは自由にさせてくれよ”と、戦争に行って、殺され、消耗品になる、そういう戦争を青春として過ごした人たちの無念の気持ちが、実はこれからまたやって来ると、(そう)いうときにね、ようやく、この『花筐/HANAGATAMI』をいま撮るべしという声が聞こえてきたんでしょうね」

■大林宣彦の母は終戦後すぐ、息子を連れて無理心中を考えた

 大林監督がこのコメントで語り、また、映画のなかでもセリフとして登場する「青春は戦争の消耗品ではない」という言葉。これは『花筐/HANAGATAMI』という映画のテーマとなるフレーズだが、大林監督がこの言葉を使うにあたりイメージした人物がいる。それは、大林監督の父・義彦氏であった。

 義彦氏は医大の外科教室で研究をしていたが、1939年、30歳のときに戦場へ向かうことになる。大林監督は父が復員した後も戦場の思い出を聞くことはなかったというが、軍医として中国、マレー半島からジャワ島へと赴いた先で見たものが何であったかは想像するにあまりある。

 父は晩年、戦場で起きたことを手記に残しており、最近その手記が見つかった。前述ドキュメンタリーでは、1945年10月29日、復員して尾道に帰ってきた日のことがこのように綴られていたと紹介している。

〈やっと戦時生活も終わった。これで自分で考え、自分の意思で生きていける。本当の人生がまた帰って来た〉

 妻と子を日本に残し、研究者としての仕事も中断させられ、6年間もの歳月を軍医としての生活に費やさざるを得なかった父の無念の思いを、ドキュメンタリーのなかで大林監督はこのように語る。

「父のことを考えたら、人生丸ごと消耗品だったんだよね。精神の自由もなかった。なんという人生だろうね。でも、そのなかをきっちり青春があって、生きた。親父たちも自らを納得させていったんだろうと」

 戦争によって人生を消耗させられたのは父だけではない。1938年生まれの大林監督も同様に戦争で人生を大きく狂わされた。もしかしたら、戦後すぐに彼は死んでいたかもしれなかったのだ。

 九死に一生を得たのは、終戦後すぐ、尾道に進駐軍がやってくるという噂が立ったときのこと。ドキュメンタリーでは、その当時住んでいた大林監督の生家を訪れているのだが、寝室に使っていた部屋に入ると大林監督はこんな思い出を語り出した。

「いつもなら布団が敷いてあるんだけれども、それがなくて、ここに座布団があって、こっちに座布団があって、スーツをきちんと着た母親と僕が座って。なぜかここにこれぐらいの短刀が置いてありましたよ。なにか子ども心に、より切実に、夜が明けたらアメリカやイギリスの兵隊さんがやって来て、僕らを取って食べるんだと。だから、その前に母親はこの短刀で僕を殺して自分も死ぬんだと。そう納得してね。父親はまだ戦地から帰ってませんでしたから、『お父さんのお帰りを待てんけどね』と言って母親と話をした」

 結局、この心中は未遂に終わったのだが、その夜のことについて母に話すことはできなかったという。

「戦争中のことはね、親子といえども、というか、親子だからこそ探り合わない。探り合えばきっと傷つき合うんだということを子ども心に真剣に僕たちは承知していましたよ。そりゃだって我が子を殺めて自分も死ぬなんてことを母が決意していたってことをどうして子どもの僕が問い返せますか?」

■「戦争」と「平和」を見直すことが映画づくりの目的と語る大林宣彦

 大林監督はこの日の思い出を「文藝春秋」2016年9月号に寄せた随筆にも書いている。

〈戦争に負けた。男は撲殺、女は強姦、祖国は壊滅する。母と二人、短刀を前に一夜を過ごした。あの時、確かに僕は死んでいた。
 その後の記憶はズタズタだ。教科書の文字を墨で塗り潰したっけ。チョコレートにチューインガム。闇米、パンパン、アプレゲール。自決もせず、「平和」に浮かれている大人たち。日本人の精神年齢は十二歳、とアメリカさんは言う。大いに納得した。大人たちはみんな「平和難民」、僕ら子どもは「平和孤児」だ〉

 そして、この日の経験と、戦後日本の歩みに憤りを覚えたことが、いまにいたるまでの映画監督としての作品づくりの礎になっていると綴る。

〈日本は復興・発展。高度経済成長期、僕は大人になった。すると今度は、日本人が自らの手で、日本を壊し始める。僕は町興しならぬ町守り映画を作る事こそが、「敗戦少年」の責務であると。斯くして「3・11」を経て、明治維新以降の日本の「戦争」と「平和」を見直す「古里映画」を作り続けております。敗戦後七十年は「平和〇年」の筈だった。然し今、この日本は!?
 人ヲ殺シテ死ネヨトテ、二十四マデヲソダテシヤ。
 僕は七十八まで生き延びた。まだまだ、死ねぬ〉(前掲「文藝春秋」)

 ご存知のように、現在の安倍政権は度重なる北朝鮮によるミサイル・核実験に対し、ひたすら圧力を強める方向の反応を示し続けている。喧嘩腰の外交のその先に起こり得る事態を想定しているのかどうか、疑問に残る。人の命は一度失われたらもう二度と戻っては来ない。そのことを果たして本当に認識しているのかどうかすら、はっきり言って微妙だ。

 だからこそ、我々は『花筐/HANAGATAMI』のような作品が語りかけようとしていることに耳を傾ける必要がある。ドキュメンタリーのなかで大林監督は「戦争」についてこのように語っている。

「みんながしっかりと怯えてほしい。大変なことになってきている。過剰に怖がらせているように思われるかもしれませんが、過剰に怯えていたほうが間違いないと僕は思う。それが、実際に怯えてきた世代の役割だろうと思うので、敢えて言いますけどね。怯えなきゃいかん。戦争というものに対して。本当に」

 戦争の恐ろしさをしっかりと認識し、その凄惨さに怯えること。そして、その恐怖を乗り越えたら、今度は「平和を信じる力」を身につけること。大林監督はがんと闘いながらつくった『花筐/HANAGATAMI』で、それを伝えようとしている。

 大林監督はこれからも映画やインタビューなどを通じてメッセージを発信し続けてほしい。

(編集部)









 

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コメント
 
1. 2017年12月09日 12:28:08 : zWn1Sl2jc6 : FzA4g3DVPcs[1]
祖母は12人の子供を産み10人の子供を無事成人させた。
上から4人皆男子で戦争に取られた。
毎朝神社へ参ったという。長男である父がいよいよ戦地に赴く時に、乳飲み子を娘に預けて遠くまで面会に出掛けたそうで、伯母は無茶なことをした祖母を後年まで批判していたが、母親の気持ち息子の気持ちを思うと胸が詰まる。
息子たちはどんなことをしてでも生き延びて帰ろうと強く思っただろう。
父は人肉を食べたことがあると孫に話したそうだ。私には聴かせなかった事だ。瞳の奥に暗く澱んでいたのはそういうものだったのか。
今の若者に、そういうことを想像してもらいたい。

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