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(回答先: 「めぐみさん娘の義父」スクープ 他紙が追えない理由(田中龍作ジャーナル) 投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 12 月 05 日 00:20:05)
地デジ等大マスゴミに取り上げられることが少ないが、拉致被害者とされる人数は百を超えるはず。米韓が暴走し攻撃など始めれば、無事で済まないのは明らかだ。この国の政府はそこのところをどう考えているのか?
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北朝鮮・拉致問題 日朝の陰に翻弄40年 めぐみさん娘の義父、孫娘の名に希望託し
https://mainichi.jp/articles/20171204/ddm/041/040/067000c
毎日新聞2017年12月4日 東京朝刊
北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(行方不明時13歳)の娘キム・ウンギョンさんの結婚相手は、日本にゆかりを持つ人だった。今も解決をみない「国家的犯罪」と帰還事業という戦後史の一断面。北朝鮮の地でこの二つが結びついたという事実は歳月の流れを物語る。日朝関係に翻弄(ほんろう)されたウンギョンさんの義父にあたる人物の足跡を追った。【金寿英、川崎桂吾】
その青年は、ビートルズを愛していた。公立の中学、高校に通い野球に打ち込んだ。級友たちと違う点があるとすれば、二つの名前を持つことだった。
普段は「コウジ」を名乗ったが、本名は「ソンホ」といった。1955年生まれ。在日1世の両親は、中部地方の繁華街で、小さな焼き肉屋を営んでいた。
「勉強もできるし、冗談も飛ばす人気者」(高校時代の担任)が、変わったのは、高校2年の夏。同級生に「これからは、自分の出自を隠さない。本名で呼んでほしい」と宣言した。幼なじみは「民族意識を高める、在日朝鮮人の運動に感化されたようだ」と振り返る。
朝鮮大学校に進むと、「地上の楽園」への帰国を決めた。1970年代当時、在日に対する偏見や差別は、今よりも強かった。大企業に就職したり、公務員になったりする道は、閉ざされていた。
毎日新聞にソンホさんの来歴を明かした知人は「家族は、猛反対したが、聞かなかった。行ったこともない祖国に夢を描いたのだろう」と語る。
「ビートルズが、好きだったなんて、今から思えば恥ずかしいよ」。1976年10月。友人たちにそう言い残し、新潟港から、万景峰(マンギョンボン)号に乗りこんだ。21歳だった。
◆暮らしぶり「聞かないで」
1年後の1977年11月15日。新潟港に近い住宅街で、めぐみさんは、拉致された。姿を見られたと感じた北朝鮮工作員が、連れ去ったとされる。
「朝鮮語を覚えれば、日本に帰す」。そんな説明を信じ、めぐみさんは、必死に語学の勉強に励んだという。
北朝鮮の説明によると、86年8月に韓国人拉致被害者とされる金英男(キムヨンナム)さん(56)と結婚。87年9月にはウンギョンさんを産んだ。だが、日本に帰す約束は今なお果たされていない。
「自分の本音を口にすることはできなかった」。帰還事業で帰国し、その後、脱北した男性は語る。
日本での宣伝とかけ離れた、貧しい暮らし。特に1990年代半ば以降は、飢え死にと隣り合わせの生活を強いられた。不満を漏らせば、処罰され、中でも帰国者は「資本主義に毒されている」と警戒された。
北朝鮮に渡った、ソンホさんは、どんな思いで生きたのか−−。94年に高校の同級生に送った手紙には、近況とともに故金日成主席を賛美する言葉が並んでいたが、詳しいことは分からない。
ただ、現地の大学を卒業後、帰還事業で日本から帰国した女性と結婚し、一人息子を授かった。
90年代初め。知人は日本から北朝鮮を訪問した時、こんな問いかけをしたことがある。
「どうだ。こっちに来てよかったか」
ソンホさんは、表情を変えずに言ったという。「それは聞かないでください」
◆「横田夫妻はどんな方?」
ソンホさんは2016年5月、がんで死去した。墓は平壌の小高い丘にあるという。
知人によると、ソンホさんの息子とウンギョンさんは大学で出会った。近所同士で帰宅ルートも同じ。交際前にはウンギョンさんがわざとバスをやり過ごし、一緒に乗り合わせることもあった。
「横田夫妻はどんな方ですか」。2人の結婚が決まった時、ソンホさんはそう尋ねてきた。
拉致事件に触れることはなかったが、ウンギョンさんがめぐみさんの娘と知っている様子だったという。
孫の女の子が生まれると、3日と置かずに息子夫婦の家を訪ねたという。
ウンギョンさん一家とモンゴルで面会した際の横田夫妻の記者会見によると、女の子の名には「燕」という漢字が使われている。ツバメは朝鮮半島でも「幸福」や「自由」を連想させる。
知人は「名付け親はソンホさんだったと聞いている」と話す。「拉致は許されない行為で、日朝間には難しい問題が横たわっている。ただ、いつか彼らが自由に二つの国を行き来できる日が来ることを願っている。ソンホもきっと同じ考えだったと思う」
■ことば
◆横田めぐみさん拉致事件
1977年11月15日、新潟市立中の1年生だった横田めぐみさんが、バドミントン部の練習を終えて下校中に消息を絶った。警察庁は97年、北朝鮮による拉致事件と判断。北朝鮮は2002年の日朝首脳会談で拉致を認めた。めぐみさんに関しては「93年に死亡した(後に94年と訂正)」と説明したが、北朝鮮から提供された遺骨は、日本側の鑑定で別人のものと断定された。
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