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民衆を裏切った福沢諭吉 隠されたもう一つの顔!
http://blog.livedoor.jp/akgrs130/archives/19768248.html
2017年10月30日 半歩前へ
私たちのお宝、一万円札に描かれている福沢諭吉は、日本の文明開化の先駆けとして高い評価を受けていた。だが、彼には隠されたもう一つの「裏の顔」があった。実際は「民衆を裏切った」福沢がそこにあった。
関係者の間で話題沸騰の衝撃の書、「福沢諭吉」 (岩波現代文庫 ひろた まさき著)をアマゾンの書評から紹介する。
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歴史の変動と個人史が福沢の思想にどのように影響したのかを、批判的に評価する。『漱石とその時代』のような書きぶりで、決して、慶應大学関係者には書けなかった伝記である。
幕府の船で、幕臣あるいは従僕として三度も洋行すれば、国家意識や忠誠心は自然と強くなる。帰国後は、幕府独裁と富国強兵を上奏し、幕府開明派に取り入った(P.82)。
「大君のモナルキにこれ無く候ては、ただただ大名同士のカジリヤイにて、我が国の文明開化は進み申さず」。しかし、開明意識が先走ったのか、政府批判を口走った廉で、謹慎を食らう 。
これがきっかけとなって政府とは距離を置き始めたちょうどその時、江戸幕府が瓦解する。幕臣エリート洋学者としての途が絶たれた福沢は、視線を民衆に移して、教育による小民の啓蒙を志した(P.101-104)。幕臣福沢から啓蒙福沢へ。これが一回目の転向(P.282)。
明治五年の『学問のすゝめ<初編>』は、「啓蒙家」福沢のピークだった(P.117)。「一身独立して一家独立し、一家独立して一国独立し、一国独立して天下も独立すべし 。理のためにはアフリカの黒奴にも恐入り、道のためにはイギリス、アメリカの軍艦をも恐れず。」
しかし、現実には、国が独立するとは、他国を蹂躙する事でしかない。「報国心と偏頗心とは、名を異にして実を同うするものといわざるを得ず」。とても、西洋文明が文明的だとは言えない。それでも、現在のところ、その西洋文明が、相対的には最も文明的であるのだから、その西洋文明を、清濁併せて学ぶしかない(P.165)。
近代化とは別の発展段階を考えつくことができなかった福沢には(P.164)、原則を欠いた、権道的な現実追認主義しか見えなかったのである(P.187)。
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下流の民間など犠牲にしてよいと福沢諭吉!
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2017年10月30日 半歩前へ
また、明治七年に長沼事件と関わったことで、民衆が、自分の期待する「一身独立の気風」を身につけるにはほど遠いことを実感した。日本が文明化するまで、「下流の民間」が啓蒙されるのは、待ってられない(P.178)。
同時に、明治八年に四十歳を迎え、老年を意識し、余生の短い事を悟っていた福沢にとって(P.183)、教育のような迂遠な方法に頼っている時間も残されていなかった(P.194)。むしろ、内安外競の「方便」として、「下流の民間」など犠牲にしてもよい(P.167, 281)。
つまり、明治八年に書き下ろされ、啓蒙思想の頂点と誉れの高い『文明論之概略』は、福沢文明論の凋落でしかなかったのである(P.168)。明治十四年の『時事小言』では、それが露骨に宣言されているという(P.201)。
啓蒙福沢から権道福沢へ。これが二回目の転向(P.282)。そもそも、「私のために門閥制度は親の敵で御座る」と啖呵を切っておきながら 、中津藩の江戸藩邸に出府を命じられれば、いそいそ出掛けていった頃から、風見鶏だったのである。
そして最後は、資本主義者/帝国主義者福沢に転向する(P.282)。明治二十三年恐慌を経験した福沢は、明治二十四年の「貧富論」で、大資本こそ国家独立の要であると宣言した(P.232)。すでに、数多くの門下生が三菱商社や三井銀行に入社し、財閥の中核を占めていた(P.235)。
そして、その大資本確立のために、朝鮮政略を上奏する(P.225, 242)。朝鮮を犠牲にして日本に資本主義を導入しようという発想は、国家独立のためには「下流の民間」など犠牲にしてよいという発想と全く同じである(P.228)。
福沢は、「政治、経済、社会、学問の分野で節操をまげ現実主義の世俗にまみれることを強いられ続けた」(P.267)。ブレまくったのである。
『学問のすゝめ<初編>』の頃、民衆の啓蒙による底上げを説いたまでは良かったが、『文明論之概略』を経て、独立の対象は、民衆ではなく、大資本家へと転向、凋落していった(P.282)。
要するに、弱者切り捨ての歴史だったのである。最後は、天賦人権論や啓蒙主義は、一欠片も残っていなかった(P.255)。その福沢が、最高額紙幣で乙に澄ましていたのは、話が出来すぎている。
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編注
ひろたまさき(広田 昌希)
日本の思想史学者、大阪大学名誉教授。
京都大学大学院博士課程修了。
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