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皇太子の時から護憲だった明仁天皇
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2017-08-28 天木直人のブログ
少し前の記事だが8月18日の日経新聞「象徴と戦争」という連載に、次のような記事があった。
すなわち昨年11月、天皇陛下は皇后陛下とともに、長野県阿智村にある「満蒙開拓平和記念館」を訪問され、開拓団の高齢者と懇談し、引き上げ時の悲惨な体験に耳を傾けられて、「こういう歴史があったことを経験のない人に伝える事はとても大事だと思います」と語られたことがあった。
しかし、天皇陛下は皇太子時代から旧満州を開拓した人たちが戦後に入植した長野県をたびたび訪問され、言葉をかけられていたというのだ。
それだけではない。
天皇陛下は皇太子の時、欧州を歴訪した昭和天皇に代わって1971年にはじめて天皇を代行されたが、そのひとつが戦没者叙勲の裁可だったという。
おりしも、沖縄の本土復帰を翌1972年に控え、戦没者叙勲の感想として、次のように語られたという。
「第2次大戦で沖縄などに若い戦死者が多いのに心が残りました」と(1971年の誕生日会見)。
皇太子時から、悲惨な戦争に思いを馳せられていた今上天皇にあらためて驚かされる。
今上天皇は筋金入りの護憲者だ。
象徴天皇制に詳しい神戸女学院大の河西秀哉準教授は、その日経の記事の中でこう述べている。
「陛下は・・・皇太子時代に次の天皇としての役割を模索し、戦争被害者ら弱い立場の人に心を寄せることを続けられている」と。
まさしくこの今上陛下の護憲の気持ちが最後に凝縮されたのが、昨年8月8日のあのお言葉だったのだ。
心身の衰えを感じたいま、その責務を後継の天皇に譲らざるをえなくなったが、誰が後継の天皇になっても、この象徴天皇の務めだけは引き継いでもらいたいと思うが、国民は、この私の考えをどう思うか、と尋ねられたのだ。
その今上天皇の渾身の問いかけに正面から答える事無く、安倍首相は天皇退位を急いで決めた。
しかも、その退位の日程までも、安倍首相の政治日程を優先し、2019年元旦に前倒しするという。
それが皇室の多忙な時期に重なるのなら少しぐらいずらしてもいいが、遅くても2019年4月には待ったなしに改元するつもりだ。
どこまでも天皇陛下の気持ちをないがしろにする安倍首相だ。
しかし、天皇陛下の退位式は自らの手で行うという安倍首相の野望がここにきて急速に危うくなってきた。
そのために解散・総選挙に打って出るというのなら、ますます今度の衆院選は黙って見逃すわけにはいかない。
何としてでも新党憲法9条を掲げて挑戦し、そして新党憲法9条をこの国の政治の中に実現しなければいけない。
それが天皇陛下のお言葉に対する国民の答えであると私は思う(了)
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