>天皇陛下は太平洋戦争をどのように受け止め、そして現在に至る慰霊と祈りを続けてこられたのか。現代史研究の第一人者が深層を探る。 こっちが真実:
昭和天皇は戦争を選んだ! 2015/6/15 増田都子 (著) http://www.amazon.co.jp/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AF%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%92%E9%81%B8%E3%82%93%E3%81%A0%EF%BC%81-%E5%A2%97%E7%94%B0%E9%83%BD%E5%AD%90/dp/4907127146 目次 はじめに 1 育鵬社教科書、発行の経緯 2 育鵬社歴史教科書の昭和天皇記述を見てみよう 第一部 満州事変・日中戦争と天皇 第1章 満州事変と天皇 1 大日本帝国は不戦条約を最初に破った国となった 2 天皇は、皇軍の独断越境を許した 3 天皇は、謀略と知りながら、満州侵略軍におほめの勅語を与えた 第2章 日中戦争と天皇 1 五・一五事件と二・二六事件に対する天皇の態度の違いは? 2 天皇は、日中戦争拡大派だった 3 天皇の直接統帥命令である軍令で、大本営が設置された 4 「天皇は国策決定の御前会議では発言しない」というカラクリ 5 天皇は、板垣陸軍大臣に「朕の命令なく一兵も動かすな」と命令した 第ニ部 太平洋戦争と天皇 第1章 開戦決定と天皇 1 天皇が言う「八紘一宇の真精神」とは? 2 天皇の「八紘一宇の真精神」と「平和主義」 3 天皇の裁可により、日本軍は対米戦へのルビコン川を渡った 4 天皇は、対米戦に直結する南進作戦計画作成を命じた 5 天皇は、火事場泥棒を裁可した 5 天皇は、まだ対英米戦の決意はできなかった 6 天皇は平和主義者だったから、明治天皇御製を読み上げたのか 7 天皇は、対米戦を避け得る道を拒否した 8 大日本帝国憲法は立憲君主制か 9 「白紙還元の御諚」は、天皇の平和主義を証明するか 10 天皇は、対英米開戦の「要領」を納得して裁可していた 11 念には念を入れた天皇の「聖断」で開戦が決定された 12 天皇は、九月六日の御前会議で示した態度の理由を語っていた 13 天皇は、「自分の考えと異なる」ことのない開戦実行に満足していた 14 敗戦後の天皇の「開戦時」に関する発言を確認しよう 第2章 開戦後の天皇 1 天皇は、緒戦の勝利に舞い上がった 2 軍は国民も天皇も、欺していたか 3 天皇は、焦って軍に決戦を要求した 4 支配層の一部は一九四四年から「終戦」を考えたが、天皇は考えなかった 5 天皇は、近衛の早期降伏論も拒否した 6 天皇は、東京大空襲を受けても降伏を考えなかった 7 天皇は、一九四五年五月ころから、やっと終戦を考えるようになった 8 近衛の和平交渉条件には何が書いてあったか 第3章 敗戦と天皇 1 天皇は、原爆が投下されても降伏を考えなかった 2 天皇は、国民を救うために「降伏」を決意したのか 3 天皇は、八月十五日から「朕の一身は如何あろうとも、国民が戦火に斃れるのを見るのは忍びない」か ら終戦にしたと大宣伝した 4 天皇は、「鬼畜米英」のマッカーサーに、協力を申し出た 5 天皇は、真珠湾奇襲の責任を東条に押し付けた 6 天皇は、マッカーサーとの第一回会見時、「全責任を負う」と発言したか 7 天皇は、食糧等の「配給量を一般国民と同じにし、粗末な食事をとっていた」か 第三部 日本国憲法制定後の天皇 第1章 天皇と日本国憲法 2 天皇の戦争責任免罪のため、日本政府は嘘で固めて敗戦後を出発した 3 天皇は共産党が嫌いだが、右翼は気に入っていた 4 天皇バンザイ教カルト信者は、平然と真っ赤な嘘を公表した 5 天皇は、アメリカの占領統治に役立つ協力者として免罪された 6 憲法第一条と第九条は天皇制を守るためのワンセット 7 昭和天皇は、いやいや、日本国憲法を受け入れた 8 昭和天皇は、戦争責任を認めず、退位を拒否した 9 東京裁判は、天皇免罪が大きなテーマだった 第2章 日本国憲法下の天皇と沖縄・安保条約 1 天皇は、ストを行う国民を憎悪した 2 天皇は、日本国憲法施行と同時に憲法を蹂躙する政治干渉を開始した 3 天皇は、沖縄を売った 4 天皇は、マッカーサーの袖にすがって退位を免れた 5 天皇は、側近だった木戸の退位進言を拒否した 6 天皇は、政府の頭越しに日本国の主権も売り渡した 7 天皇は、主権を売り渡した安保条約成立を慶賀した 8 宮内庁(天皇)は、『風流夢譚』事件のテロを助長した 9 天皇は、ずっと日本国憲法ではなく、大日本帝国憲法を守っていた!? 10 天皇は、自分の戦争責任を暴露する高松宮に激怒した 11 天皇は、初訪米で謝罪したかのような発言をしたが、日本国内向けは違っていた 12 『裸の王様』の死後も、明仁天皇と政府は虚飾の衣装を賛美し続ける おわりに 1 敗戦後五〇年、昭和天皇死去から六年後、初めて日本政府は「侵略と植民地支配の過去」を認めたが… 2 敗戦後七〇年、歴史の歯車を逆回転させる、戦争する憲法を作っていいか 2017年08月14日 第二次大戦の歴史観を見直す http://blog.nihon-syakai.net/blog/2017/08/7056.html
終戦記念日である8月15日。日本人ならあの悲劇を思い出し、二度とあのような戦争が起こらぬよう願うもの。アメリカの圧倒的物量を目の前に、開戦の前から「負ける」と分かっていた戦争に、なぜ日本は突き進んだのか。それは、天皇や財閥が金儲けのために仕掛けた戦争だからだ。 今、私達日本人は、第二次世界大戦の歴史観を見直す時期に来ている。 昭和天皇をはじめA級戦犯が死刑を免れたのも、財閥解体といいつつ、今なお諸財閥が存続し続けていることなどを考えても、戦争の立役者であった者達の戦後の動向は不整合が大きい。今回は、その一端を紹介したい。 以下は、こちらからの引用です。(赤字は引用者による) 天皇家の秘密―再掲 日本人は知ってはいけない。 http://cosmo-world.seesaa.net/article/118366403.html 天皇が自分の蓄財だけしか頭に無く、日本人の事など何も考えていない事は明白である。(ポール・マニング「米従軍記者が見た昭和天皇」マルジュ社)
なお天皇が第二次大戦中「売春婦輸出業」を行っていた商船三井の共同経営者が、CIA(当時はOSS)の対・日本作戦部長マクスウェル・クライマンであるのは何故なのか? 敵国のCIA対・日本作戦部長と「仲良く」天皇が「売春婦輸出業」を行っている=天皇はCIA工作員であったのか?ん??? 天皇は戦後、このスイス銀行に預けた金塊を担保に資金を借り、CIAが事実上創立した不動産業者=森ビルと共に、港区の不動産を次々に買収し、またハイテク産業に投資し、莫大な蓄財をさらに莫大に膨れ上げさせて行くことになります。 天皇は神でも「象徴」でもなく単なる金儲け主義の金融ビジネスマンで、そしてここでも「何故か」CIAと天皇は「共同経営者」であります。 天皇は、1940年代初頭からスイス銀行に少しずつ蓄財を「移し」始めますが、ヨーロッパにおいてナチス・ヒトラーがユダヤ人から奪った貴金属を管理していたのもスイス銀行でした。 天皇はヒトラーに請願し、ナチス・ヒトラーの口座の中に「天皇裕仁」のセクションを作ってもらい、そこに天皇一族の蓄財を隠していました。 天皇とヒトラーはスイス銀行の秘密口座を「共有」する略奪ビジネスのパートナーであり、ナチスと天皇は一体であったわけです。(アダム・レボー 「ヒトラーの秘密銀行」 ベストセラーズ 及び、濱田政彦「神々の軍隊」 三五館) 1924年、米国は「排日移民法」という法律を成立さましたが、日米関係はまだ険悪ではなく、日本から余りに多数の若い女性が「売春婦」として米国に「輸入」されてくる事が社会問題化し、それを禁止した法律であった事は知られていません。 天皇自身の発言を記録した「昭和天皇独白録」(藤原彰「徹底検証・昭和天皇独白録」 大月書店)の「大東亜戦争の原因」=日米戦争の原因の項目に、1946年3月18日の天皇の発言として以下の言葉があります。 「米国のカリフォルニア州への移民拒否については、日本を憤慨させるに十分なものであった。」 この発言は日米戦争の原因についての天皇自身の発言です。 日本人女性をだまし、売春婦として米国に「売却」する天皇の売春ビジネス=移民を米国が禁止、それに憤慨激怒し米国と戦争を始めたと天皇自身が独白しているのです。 天皇一族は神でも「象徴」でも無く、人間のクズの集団でしかありません。 天皇に欺かれ売春婦にさせられた数十万人の日本人女性達の無念の人生のために、誰かが真実を語らなければならない。 以下は、こちらからの引用です。(赤字は引用者による)
原因を理解していない人間が、結果を変えられるわけがないのである - 戦争 http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-2120.html
・東京大空襲で皇居や財閥系企業の施設は被害を受けなかった。
・三菱重工広島造船所や長崎造船所は広島、長崎の原爆投下でも被害はなかった。 ・東京裁判では米国にとって最大の「敵」であったはずの人物は無罪とされた。 ・天皇の戦争責任を追及したアメリカ人ジャーナリストのバーガミニは、日本ではなく米国から妨害工作を受け、ジャーナリスト生命を断ち切られた。 ・戦時中、財閥系企業は「天皇の軍隊」を利用して莫大な利益を上げた。 ・財閥解体なんて嘘八百であり、戦後も存続・拡大し続けている。 ・昭和天皇はガーター騎士団の一員(エリザベスの臣下)であった。日本がイギリス相手に戦争を起こすということは、君主への反逆を表すことになる。 ・石油も鉄くずも所有していない日本が、何故に4年も戦争を続けることが出来たのか。敵国であるはずの米国から、裏ルートで輸入されていたからだ。 ・白洲次郎やヨハンセン・グループは、空襲や原爆の情報を事前に教えられていた。 ・満州国で実権を握っていたのは、岸信介をはじめとした田布施グループである。 ・満州国で岸信介は麻薬を取り仕切っていた。麻薬の製造方法や販売手段を日本は知らなかったはずである。それらの情報を教えたのは誰か。 ・田布施グループの一人である松岡洋右が国際連盟脱退のお膳立てをすることによって、日米開戦の原因を作った。 ・ロンドン海軍軍縮条約を締結させて日本海軍の弱体化を謀った幣原 喜重郎は、フリーメーソンだった。 ・幣原喜重郎の妻・雅子は三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の四女である。ここでフリーメーソンと三菱が繋がってくる。 ・太平洋戦争開戦以前に、「日支闘争計画」が存在していた。これは、日本と中国を戦争させる計画である。 ・開戦前の二.二六事件も、終戦の際の八.一五宮城事件も、ヤラセであった。ともに「あの戦争は軍部が独走して起こしたものであり、天皇は戦争に反対していた」という嘘を広めることが目的だった。 そして天皇が国際金融資本家らの思惑に沿って太平洋戦争へ邁進していった。こちらからの引用です。(赤字は引用者による)
山本五十六の真実D鬼塚英昭氏が発見した日本の秘密−2・26事件 ♪ペリマリ♪ http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/700.html
天皇は皇統派を一掃し、統制派を参謀本部に配し、ついに自らの住む御文庫の中に彼らを入れて太平洋戦争に突入するべく机上演習を始める。誰ひとり天皇に逆らえる者ない、であった。この机上演習の中から、真珠湾攻撃とシンガポール攻撃が登場してくる。そのために一番役立ったのがヴェルサイユ会議で日本に与えられた、委任統治権であった。天皇は太平洋戦争の前から、闇の権力者たちが創作した、世界のグランド・デザインをどうやら知っていたらしい。近々日本が「非常に苦心せざるべからざる環境に置かれる」とは、戦争以外のなにものでもない。大戦後に、まさしくアメリカとソ連が世界を二分する大帝国となることも知っていたらしい。それにもまして「十年を覚悟し」さえすれば、「有終の美を挙ぐる」とは、敗戦後五年で、1950年に講和条約ができ、日本は再び独立国となる、ということであろう。そのために、一年後に戦争に入るべく努力をしているのだ、と天皇は語っているように思える。
さらには、原爆の広島投下を決定したのは、天皇だった。こちらからの引用です。(赤字は引用者による) 米国指令で「広島」原爆投下地決定したのは昭和天皇 !? 今この時&あの日あの時 http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-ba5e.html 終戦直後の昭和天皇とマッカーサーとの会見は単なるセレモニーで、実は終戦の前に連合国側は天皇家の存続と昭和天皇の生命、財産の保全を決めていたのです。天皇制をうまく利用する方が日本統治上好都合と判断したからです。
それを事前に知らされていた昭和天皇は、だからこそポツダム宣言も安心して受諾したのです。 それはともかく。米国側からヨハンセングループを通して原爆投下地を決定するよう要請された昭和天皇は、「広島」と返答しました。 なぜ広島だったのか?それには理由があったのです。 その時点で終戦決定していた天皇にとって、一番の障害となることが予想されたのが陸軍の存在です。終戦と聞いてクーデターを起こしかねなかったからです そして、無条件降伏と言いつつも、國体護持を唯一の条件として天皇はポツダム宣言を受託する。 ・國体護持のための終戦(1) http://blog.nihon-syakai.net/blog/2015/08/5126.html
・國体護持のための終戦(2) http://blog.nihon-syakai.net/blog/2015/08/5132.html 戦後以降のアメリカ支配は、天皇家や田布施一族との深い繋がりのなかで継続されたきた。奴隷密売で外国へ売り飛ばされた者達、無益な戦争で亡くなった多くの兵士達の命は、一握りの者達の私益のために消えて行ったという事実を、受け止めなければならない。 我々日本人が本当に闘わなければいけない相手は誰なのか。それを見失ってはいけない。 http://blog.nihon-syakai.net/blog/2017/08/7056.html
[32初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数、規定違反多数により全部処理
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