侵略されたら徹底殺戮・徹底破壊・徹底収奪の地獄が出現する
2017年8月14日、韓国は路線バスの一部に慰安婦像をバスの座席に乗せて運行を始めている。
この他にも市民団体が広場に500人分のミニ慰安婦像を並べたりしている。さらに、慰安婦問題だけでなく捏造的な徴用工の問題も蒸し返している。 挙げ句の果てに、1965年の日韓請求権協定を完全に無視して、三菱重工に無償労働を強要されたとして韓国の地裁は賠償支払いを命じる判決を出している。 これが韓国という国の実態だ。やること為すこと、すべて反日なのである。 日本政府はずっと弱腰で対応してきたので、韓国は「日本という国は恫喝すれば言うことを聞く」と考えて、激しい反日外交を繰り広げている。 韓国だけではない。ミサイルを飛ばして恫喝する北朝鮮や傲慢に日本の国土を侵略してくる中国を見ても分かる通り、この「特定アジア」三カ国は、すべて反日を基盤にして日本に対処している。 なぜか。日本は恫喝すれば折れると気付いたからだ。報復もしてこないと気付いたのだ。つまり日本の弱腰が、この事態を招いている。 「相手がいいというまで謝るべき」と言う間抜け 日本が歴史プロパガンダ戦争を仕掛けられているのも、歴代の政府が、それを仕掛けられるたびに謝罪と賠償をするという弱腰に終始してきたからである。 「戦わないのが、この国のあり方」と馬鹿なことを言う文化人や「相手がいいというまで謝るべき」と間抜けなことを言う人間が、日本全体を覆い尽くしている。 たとえば、村上春樹という作家もそのように言っていたのは記憶に新しい。(村上春樹が「相手」についてまったく無知と嘲笑されている) こんな人間を囃し立てて、あたかもそれが日本人全体の総意のように報道するのがマスコミである。中国・韓国・北朝鮮に報復しろ、という意見は1行たりとも報道されない。 「報復外交が必要だ」という意見は、あたかも存在しないかのように「報道しない自由」で完全に握りつぶされる。だから、日本は永遠に「謝罪と賠償」を要求され続けているのだ。日本は「舐められている」のである。 中国・韓国・北朝鮮は、自分よりも弱いと思った相手は徹底的に叩いてくる。膨張主義を取っている中国を見れば、アジア情勢がよく分かるはずだ。 チベットも、ウイグルも、中国の拡張主義に飲まれて犠牲になっていき、今も激しく戦っている。いったん弱みを見せると、中国はとことん侵略してくる。 日本のマスコミはほとんど報じないが、中国はチベット仏教を徹底的に破壊し、非暴力を推進しているダライ・ラマを悪魔扱いし、ほとんど民族浄化のような虐殺を行っているのだ。 現在もチベットでは拷問が続いており、指の爪の間に竹串を打ち込まれたとか、後頭部を強打されて眼球が突出したとか、そのような話まで伝わってきている。 中国政府は、こうした人権侵害を絶対に止めない。止めるどころか、チベットの土地も、文化も、宗教も、歴史も、遺産も、すべてを略奪・破壊し尽くそうとしているのである。 これを諸外国が非難しようものなら「国内問題に干渉するな」と激しく抗議して妥協がない。 このままでいくと、チベットは助からない。中国が自滅しない限りは民族浄化が続いていくからである。平和主義者が祈っても問題は解決しないのは歴史が教えるところだ。 侵略されたら徹底殺戮・徹底破壊・徹底収奪が起きる
ここでよく観察しなければならないのは、いったん侵略されると、そこには凄まじいまでの地獄が出現するということだ。弾圧と浄化と略奪は容赦がない。 侵略する側に、慈悲や共存と言ったものはない。徹底殺戮・徹底破壊・徹底収奪あるのみである。侵略された民族は浄化され、滅亡させられるのである。 残念なことだが、人間の歴史を見ると「溺れた犬は叩け」はあらゆる時代のあらゆる地域で起きている。 アメリカ人がネイティブ・アメリカンを虐殺しまくった歴史もあれば、スペイン人がインカ帝国の末裔たちを皆殺しにした歴史もある。弱い民族は淘汰されてしまうのだ。 人間の歴史は話し合いと友好で築きあげられたものではなく、激しい殺し合いと、闘争で築きあげられた。人間の歴史は戦争で成り立っている。 だから、弱くなれば、領土が侵され、侵略され、周辺国から愚弄され、嘲笑される。人間の歴史は暴力で作り替えられており、それはこれからも変わらない。 ところが、1945年の敗戦から、日本人は世界でも類を見ないような、現実離れした平和主義者が溢れる国になってしまった。信じられないが、「平和を守れ」と言えば平和が実現すると思い込む人がいるのである。 平和過ぎて、「日本が攻められるかもしれない」という想像力すらも喪失してしまったのかもしれない。 これまでは、そんなお花畑の平和主義でもよかった。しかし、周辺国が台頭し、悪意と敵意を持って侵略の意思を見せているとき、お花畑の平和主義者は国を滅ぼす元凶と化す。 もう「戦わないのが、この国のあり方」などと、馬鹿なことを言っているようではいけない時代になってしまったのだ。危険が迫っていることを察知して、防衛力を高めなければならない時代に入っている。 軍事的衝突が起きて、日本が巻き込まれる日が来る
平和主義であれば侵略される危険な世の中になっているのだから、今まで日本人が敢えて切り捨てて来た「防衛」「軍事力」をもう一度見直さなければならなくなっている。 北朝鮮がミサイルを飛ばし、核実験を進めてアメリカを激怒させているのだが、本来であればこれは日本が激怒しなければならない局面である。 すでに世の中はグローバル化によって民族対立が先鋭化しており、明確に暴力の時代に向かって突き進んでいる。暴力は自分が振るわなくても相手が振るってくることによって巻き込まれる。 反日国家に囲まれた日本も「暴力の時代」と無縁ではないのだ。日本はまさに今、侵略され、領土を犯され、周辺国から脅されるようになっている。 だから、軍事力に対して、忌避感を持ってはならない。 いずれ東アジアで軍事的衝突が起きて、日本が巻き込まれるのは必至なのだから、殺し合いの時代になることを準備しておかなければならない。 「暴力なんてとんでもない。野蛮で危険だ!」と叫んだところで、周辺国は仕掛けてくるのであれば巻き込まれる。彼らはゆっくりと確実に、意図的に侵略と略奪をして来る。 そして、いったん物理的な暴力が始まると、暴力には暴力でしか対抗できない。 中国・韓国・北朝鮮は軍拡に走っているが、軍事の本質は「暴力」だ。暴力の気配が拡大している。そして、その暴力の矛先に日本がある。その意味を、私たちはよく知る必要がある。 実際、東アジアの不穏な空気はどんどん拡大している。その現実が読めるのであれば、日本人は国を守るための軍事力に関心を持たなければならないのは必然である。 1945年に日本人が棄てた軍事力に対する忌避、対立や衝突に対する忌避を考え直し、新しい時代にかけて軍事力や報復外交を取り戻さなければならないのである。 暴力の時代が日本に迫っている。私たちは今、否が応でもお花畑の平和主義を脱ぎ捨てなければならない時代に突入した。 ここで日本が変われず、中国・韓国・北朝鮮に侵略されたら徹底殺戮・徹底破壊・徹底収奪が起きる。だからこそ、手遅れになる前に、生き残りを賭けて日本人は闘争心を取り戻す必要がある。 ここで日本が変われず、中国・韓国・北朝鮮に侵略されたら徹底殺戮・徹底破壊・徹底収奪が起きる。だからこそ、手遅れになる前に、生き残りを賭けて日本人は闘争心を取り戻す必要がある。
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