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教育勅語って、誰が書いたのだろう。勅語となっているけど、明治天皇ではないらしい
http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/038172956acac7ad6b5e1f00c27560b7
2017年04月28日 のんきに介護
山崎 雅弘
@mas__yamazakiさんのツイート。
――教育勅語が実際には「明治天皇が書いたもの」でなく、別人が作って「天皇が書いたこと」にして国民を騙したという事実も、冷静にその意味を捉え直す必要がある。芸能人の自伝ならゴーストライターが書いても特に問題はないが、道徳教育の教材に「ゴーストライターが書いた文」を使うのは大問題だろう。〔12:59 - 2017年4月27日 〕――
ウィキペディアには、
次のように解説されていた。
――編集作業は初め中村正直に委嘱され、法制局長官井上毅に移り、枢密顧問官元田永孚が協力する形で進行した[1]。内容は第1段(天皇の有徳と臣民の忠誠が「国体ノ精華(せいか)」にして「教育ノ淵源(えんげん)」である)、第2段(「父母ニ孝ニ(中略)天壌無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スヘシ」)、第3段(これら徳は「皇祖皇宗(こうそこうそう)ノ遺訓」に発し永遠に遵守さるべき普遍妥当性を持つ)から成る[1]。政治上の一般詔勅と区別するため大臣副書が無い[1]。
この中村原案について、山県が井上毅・内閣法制局長官に示して意見を求めたところ、井上は中村原案の宗教色・哲学色を理由に猛反対した。山県は、政府の知恵袋とされていた井上の意見を重んじ、中村に代えて井上に起草を依頼した。井上は、中村原案を全く破棄し、「立憲主義に従えば君主は国民の良心の自由に干渉しない」ことを前提として、宗教色を排することを企図して原案を作成した。井上は自身の原案を提出した後、一度は教育勅語構想そのものに反対したが、山県の教育勅語制定の意思が変わらないことを知り、自ら教育勅語起草に関わるようになった。この井上原案の段階で、後の教育勅語の内容はほぼ固まっている。――
☆ 記事URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E3%83%8B%E9%96%A2%E3%82%B9%E3%83%AB%E5%8B%85%E8%AA%9E
これによると書いたのは、
井上毅のようだ。
しかし、ウィキペディアの解説、どの程度、信用できるのか。
上掲引用文に、井上の立場として、
「立憲主義に従えば君主は国民の良心の自由に干渉しない」
ということを前提にして、
教育勅語起草の前任者、中村正直の案を
破棄したとある。
建前的なことを言えば、
そうだろう。
しかし、本心に近いところで言うなら、
キリスト教の教理を盗み取ったことを見抜かれないため、
策を弄したということではないか。
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