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今村前復興大臣がかつて所属していた国鉄もそうだが官僚機構の幹部や有力政治家は、“大所高所”からものごとを抽象的に考えるだけで、生きている人ひとり一人に配慮する習性や感性を持ち合わせていない。
今村前復興大臣は、自主避難者への住宅無償提供打ち切りに関してジャーナリストからしつこく質問を受けて切れたため国会で謝罪したが、そのような今村氏を激励する目的のパーティで、今村氏がまたまた“危ない原理的正論”の発言を行ったため、結局首を切られるハメに陥った。
この問題については、見ていないが、TBSの番組で田崎史郎氏が発したという「大臣は被災地に寄り添ってる”フリ”はしないといけない」という説明が正鵠を射ていると思う。
二人の発言が“原理的正論”というのは、原発が電力大需要地の近くではなく過疎に建設されている理由を考えればわかる。
送電効率が良い大都市圏に立地しているのと過疎地に立地しているのでは、事故が起きたときの被害の大きさに雲泥の差があるからである。
要は、原発プロジェクトを開始するときから、「事故が起きたとき、被害が莫大な額にならない過疎地につくる」と考えているのである。
だから、「あっちの方だったから良かった。首都圏に近かったりすると、莫大な、甚大な額になった」と言った今村前復興大臣の言葉は、原発立地政策の趣旨に合う“原理的正論”なのである。
(過酷事故は想定していないのも真っ赤なウソということ。過酷事故は起きないという説明は立地住民に対するダマシ)
そして、政治家はサイコパスこそがふさわしい職業であり、田崎氏が言われるように、少々付け加えるが、「大臣(政治家)やメディアは被災地に寄り添ってる”フリ”はしないといけない」のである。
(同じ結論でも言い方を変えれば受け止められ方が変わる。言わないほうがいいことは公開の場では触れず、内部の会議など密室でのみ話題にしなければならないという話)
たぶんだが、生々しく生活しているひと一人ひとりのことを考えていると政策を決定できないというのが国政だと思う。
だから、政治家や官僚は、具体的に誰々さんではなく、千人とか1万人とか低所得者や子持ちだといった抽象的な数として国民(これ自体が注的な存在)を考える習性がついてしまう。(政治家は、選挙があるので、有力後援者にかんしては、誰々さんと考えながら行動する)
“フリ”をしてくれる政治家を良しとするか、おぞましい考え方や発言と受け止めつつも“原理的正論”を吐く政治家を良しとするのかは、各人の自由だと思う。
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