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2017年4月19日 光浦晋三
「専守防衛」一辺倒では日本は有事に自滅を避けらない
防衛白書によれば、日本の基本防衛政策は「専守防衛」となっている。簡単にいえば「相手から武力攻撃を受けた場合に、初めて防衛力を行使する」という政策で、日本の平和憲法を象徴する言葉の1つといってもいいだろう。しかし、軍事の専門家に言わせれば、この専守防衛は、かなり問題の多い政策なのだという。(取材・文/フリーライター 光浦晋三)
実は「法律」ではなく「政策」
専守防衛の成り立ちとは
最新兵器が使用される最近の戦争では、戦闘開始から30分で大勢が決まるとも言われる。そんな中、「先に攻撃されない限り、こちらからは何もできない」という「専守防衛」のような防衛政策のみでは、有事にたいへんな目に遭う
中学校の教科書にも載っている日本の基本防衛政策「専守防衛」。平成28年度版の防衛白書によれば、「わが国は、日本国憲法のもと、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国にはならないとの基本方針に従い、文民統制を確保し、非核三原則を守りつつ、実効性の高い統合的な防衛力を効率的に整備する」とされており、専守防衛に関しては「憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢」と書かれている。
その基本方針は主に3つ。「相手から武力攻撃を受けたとき初めて防衛力を行使する」「防衛力行使は自衛のための必要最小限にとどめる」「防衛力の整備(自衛隊の総員や装備品など)も自衛のための必要最小限に限られる」というものだ。
ただし、この専守防衛は憲法などで規定されている法律というわけではない。週刊誌などの見出しの中には、「専守防衛」を誤解しているケースも見受けられるのだが、これは「非核三原則」などと同じく日本国憲法の趣旨に則した「政策」であって、法律とは異なるものである。
現在の専守防衛の方針は、1972年に総理大臣だった田中角栄が「専守防衛ないし専守防御というのは、防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行なうということでございまして、これはわが国防衛の基本的な方針であり、この考え方を変えるということは全くありません」と答えた国会答弁がベースとなっている。以降、現在の安倍内閣に至るまで、この解釈が基本概念として用いられてきた。
戦闘開始から30分で勝敗が決まる
専守防衛では負け戦必至
しかし近年、「専守防衛」をめぐっては、さまざまな議論が起きている。挑発的なロケット発射実験を繰り返す北朝鮮や、中国国籍の船舶による度重なる領海侵犯、竹島をめぐる韓国との領土問題などが報じられるたびに、その“限界”が指摘されてきた。
「専守防衛のような防衛政策を採っている国は世界中を見渡しても日本以外にありません。それも当然で、先に攻撃されない限り手を出せないのだから、最近の中国による尖閣諸島周辺の領海、領空侵犯行為のようにやられ放題になってしまう。もちろん国際法上、領海侵犯した漁船に武力を行使することは認められているし、現にパラオやアルゼンチンは中国の違法漁船を撃墜しています。しかし、現実にはそのような手段を取れない日本が中国に尖閣諸島を奪われるのは時間の問題かもしれません」
こう語るのは、防衛問題の専門家で警鐘作家の濱野成秋氏だ。
「昨年は安保関連法案が施行されたことで、左翼メディアが大きな声を上げましたが、本質的な問題は専守防衛では日本を守ることは不可能だという点にあるんです。最新兵器が使用される最近の戦争では、戦闘開始から30分もあれば大勢は決着してしまいます。平和時には耳障りのいい専守防衛ですが、防衛出動一つさえ国会審議を経なければならない日本では、ひとたび攻撃を受けた時点で、ほぼ“負け戦”の結果にしかならないんです」(同前)
専守防衛の看板は、今のところ“弱腰日本”の看板でしかなく、他国から舐められてしまう結果になっているという。では、専守防衛を維持しながら、防衛に実効力を持たせる方法はあるのだろうか。
日本を守るには
報復攻撃の条項の付記を
「私は専守防衛なる言葉を残存させたうえで、『報復攻撃』のあり方について、付記として、きっちり明文化する案を提唱したい。専守防衛は平和憲法の精神に合致するから国民合意ができているし、自衛隊のPKO派遣もやりやすい。侵攻とは考えられないから、国民も納得し、反戦デモも生じない。しかし、今の専守防衛だけでは、有事には自滅する危険性がある。だから報復攻撃の条項を付け、そのうえで報復攻撃を含めた日米安保条約の徹底的改正をすべきでしょう」(同前)
実際、北朝鮮をはじめとする近隣諸国の動きに対し、専守防衛の解釈を拡大する議論が活発化しており、2006年には当時の麻生太郎外相をはじめとした閣僚が「(ミサイルが)日本に向けられる場合、被害を受けるまで何もしないわけにはいかない」として「先制攻撃論」を提唱。読売新聞がこれを支持する社説を掲載したこともあった。
さらに昨年7月には「積極的平和主義」を掲げる安倍政権が、臨時閣議によって従来の憲法解釈を変更し、限定的に集団的自衛権の行使を容認することを決定。今後は、自衛隊法や武力攻撃事態法などの改正が進められる可能性も高まっている。
そんな状況の中、この4月には米政府が原子力空母を朝鮮半島近海に派遣するなど、北朝鮮に対する強硬姿勢を打ち出している。米国は同盟諸国に対して、北朝鮮が弾道ミサイルを発射した場合には迎撃する態勢が整ったと通知し、厳戒態勢で備えるよう要請したとも報じられている。
これに対し日本も海上自衛隊のイージス艦3隻を日本海に展開させるなど、国際情勢はキナ臭さを増している。日本の防衛政策は、大きな転換期を迎えているようだ。
http://diamond.jp/articles/-/125313
やたらと戦争をしたがる人たちに教えてあげたい「ナマコ」の話
人間の対極にあるスゴさ
本川 達雄
プロフィール
シリアや北朝鮮をはじめ、世界各地で一触即発の状況が続いている。なぜ人間はこうも戦争をしたがるのか。もっと賢い生き方を選べないものなのか。近著『ウニはすごい バッタもすごい』がベストセラーになっている東京工業大学の本川達雄名誉教授は、平和に暮らしたいならナマコの生き方に学ぶのが一番、と指摘する。
ナマコのスゴサは人間の対極にある
最近、『ウニはすごい バッタもすごい』という本を出しました。
生物はそれぞれ、スゴイんだ、生きていくためにこんなスゴイことをやっている。「われわれ脊椎動物だってスゴイんだぞ!」と、本の中で褒めちぎっています。
動物にはさまざまなものがいます。この本では、代表的な5つの仲間をとり上げました。それぞれが独自のやり方で繁栄しているものたちです。繁栄の原因はみな違い、それぞれがスゴイなあと褒めたのがこの本です。その中から、今回は「ナマコ」についてお話ししましょう。ナマコのスゴサは、われわれ人間のスゴサとは対極にあるスゴサだからです。
ナマコは棘皮(きょくひ)動物の仲間で、ウニやヒトデと同じグループに属しています。ナマコは他の棘皮動物同様、海にだけ住んでいます。沖縄なら波打ちぎわにナマコがごろごろ転がっています。寒い海にもいますし、深海の底にもたくさんいます。
ナマコは見るからに変な動物です。なにせ目がありません。江戸時代の俳人・炭太祇(たんたいぎ)も、
「そこここと見れど目のなき海鼠(なまこ)かな」
と詠んでいます。
ディズニーアニメや手塚漫画に出てくるキャラクターは、極端に目が大きくて、おでこが出ています。こう描くと可愛いんです。でも、ナマコには目がなく、じつは脳もないから、おでこもありません。これではまったく可愛くなく、そのうえあまり動かず、おもしろい仕草などしないので愛嬌もない。
ナマコは巨大イモムシ型ののっぺらぼーで、見るからにグロテスク。だからでしょう、夏目漱石の「吾輩は猫である」の中に、初めてナマコを食べた人はすごく勇気があった、と書いてあります。
目や脳、耳も鼻も舌もない
ナマコの体はないない尽くしです。目や脳だけでなく、耳も鼻も舌もありません。心臓や血管系もありません。筋肉はないわけではないのですが、ほんの少しです。
ナマコを輪切りにすると、ちょうどちくわのように見えます。ちくわの穴の中には水が詰まっており、そこに腸や生殖巣が浮いています。ちくわの身にあたる部分はすべて皮です。ナマコは体重の6割が皮。筋肉はたったの7%しかありません。われわれ人間とは大違いです。われわれは、体の半分近くが筋肉で、皮は1割強。ナマコはまさに皮ばかりで、筋肉のほとんどない動物なのです。だからあまり動かないのですね。
ところで、ナマコは何を食べているかご存知ですか。
砂です。もちろん砂粒は栄養になりませんが、砂のあいだに生物の遺骸のかけらや、卵などが混じっています。また、砂粒の表面はバクテリアの薄いフィルムで覆われています。ですから、砂をごそっとすくって食べれば、それなりの栄養が得られます。ナマコの口のまわりには、触手という細い手が生えており、これで砂をすくって口の中に押し込みます。もちろん、砂粒そのものが大部分を占めているのですから、まことに貧しい食事です。
NEXT ?? 毒と皮で身を守る
敵に食べられないためのしかけ
ナマコは目につくところにゴロンとおり、捕まえようとしても、逃げも暴れもしません。貝やサンゴのように石の殻の中に入っていれば、そんな態度でもよいのでしょうが、ナマコは石の鎧をまとっていません。無防備のまま転がっていたら、敵に食べられてしまいそうなものです。でも、現実にナマコは海辺にたくさんゴロゴロ転がっているので、どんどん食べられているわけではないのですね。
ナマコは食べられないためのしかけをもっています。その一つは毒です。サポニンの一種で、細胞の膜を壊す働きがあります。サポニンは朝鮮人参をはじめ、多くの植物がもっています。ナマコのサポニンは、魚に対して強い毒として働きます。ただし人間には無害です。
体を守る別のしかけもあります。硬さの変わる皮です。皮を硬くすることで、ナマコは身を守るのです。この皮は硬くなるだけでなく、ものすごく軟らかくもなります。私はときどき、ナマコの皮の硬さが変わるところをテレビで実演するのですが、見る人はみな「おおーっ」と驚きますね。
シカクナマコという沖縄の浜辺にたくさんいるナマコが、私の愛用のナマコです。このナマコをつかむと皮がゴリッと硬くなります。そうなったナマコを両手で1分ほどしごき続けると、皮が非常に軟らかくなり、ドロドロに溶けて指のあいだから流れ落ちていきます。
皮を捨てて中身だけ逃れる戦略
これらの反応には、どのような意味があるのでしょうか。
まず、さわると硬くなるのは身を守る反応です。われわれも身を硬くして身構えますね。溶けるほど軟らかくなるのにも、防衛の意味があります。ナマコの一番の天敵はウズラガイという、殻の直径が10センチ以上ある大きな巻貝で、この貝にはサポニンの毒は効きません。巻貝は殻の縁から外套膜という膜を伸ばしていますが、貝はこの外套膜でナマコを包み込んで丸飲みにするのです。
ただしナマコもそうやすやすとはやられません。ナマコは貝の外套膜に包まれると、皮の一番外側を硬くします。するとナマコは硬い皮の筒の中に入った状態になります。そして、その硬くなった筒と内側との境目の皮を溶けるくらい軟らかくして、中身をグッと縮めます。すると、中身は硬い筒からパリッとはがれ、筒からするりと抜け出すことができます。
この動きは、暴漢に襲われて着物をつかまれたときに、それをさっと脱いで逃げていくやり方と同じです。貝はしょうがないから手もとに残った外側の皮を食べ、そのあいだにナマコは先へと逃げます。貝はナマコに劣らずノソノソしていますから、少しだけでも逃げられたらもう大丈夫。むけてしまった皮も、すぐに再生します。
ふつうの生物は、ひたすら身を硬くして守ろうとしますが、硬くしてもだめなら、軟らかくして体の一部を与えて生き残ろうという、柔軟な戦略をナマコはとっています。硬さ自由自在の皮をもっているからこそこんな戦略がとれ、おかげでノソノソしていても大丈夫というわけです。
NEXT ?? 自ら魅力を減らすという選択
あまり食べなくてもOK
この皮のスゴサは、硬さがすばやく変わることだけではありません。あまりエネルギーを使わずに硬さを変えて、その状態を保ち続けられることです。
私たちは筋肉を収縮させて身を硬くします。硬くするということは、外部から力が加わってもそれに抵抗して変形せずに、そのままの姿勢を保つということです。私たち人間は、こうした姿勢の維持に筋肉を使うのですが、ナマコは皮を使います。
われわれとナマコの違いはこんなふうに考えたらいいでしょう。
手をあげてみましょう。筋肉を使って手をあげます。その手をあげ続けるには、やはり筋肉を収縮させ続けなければなりません。それにはエネルギーが必要です。エネルギーを使い続ければ筋肉内に乳酸がたまって疲れてしまい、そう長くは手をあげていられません。
では仮に、手をあげた状態で、腕から肩にかけての皮膚が硬くなって突っ張ったとしたらどうでしょう。皮が突っ張りますから、腕の筋肉をゆるめても手はあがりっぱなしになります。じつは、ナマコはこうやって姿勢を保っているのです。皮はあまりエネルギーを使わないので疲れません。手を下ろしたくなったときには、皮を軟らかくすれば、すとんと下におろせます。筋肉で姿勢維持するのに比べて、なんと100分の1のエネルギーで姿勢を保てるのです。
ナマコの際だった特徴は、エネルギー消費量がきわめて低いことです。同じ体重の他の動物たち、たとえば昆虫や魚や貝などと比べると、ナマコは10分の1しかエネルギーを使いません。これは変温動物と比べた場合の話で、ハツカネズミのような恒温動物と比べたら、なんと100分の1以下です。これだけ少ないエネルギーで暮らせることに、硬さの変わる皮が大きく寄与しています。
エネルギーを使わないとは、あまり食べなくてもいいということです。食べる量が少なくてもいいし、もし同じ量を食べるなら、より栄養価の低いものでも食物になることを意味します。他の動物が食べないものまでもが、食物になりうるのです。
魅力が減れば、敵に食べられない
ナマコは砂を食べていると前に申しました。ナマコはエネルギー消費量がこれだけ低いからこそ、砂を食べても生きていけるのです。
この意味するところはきわめて大きいでしょう。ナマコは砂の上に住んでいます。つまり、食べ物の上に住んでいるのです。砂は逃げていきませんし、いくらでもあって他の動物たちは見向きもしませんから、食べ放題。餌を探してウロウロする必要はまったくありません。
毒や硬さの変わる皮をもっていて敵にも襲われにくいから、逃げずにも済みます。その結果、筋肉はほとんど必要なくなってきます。餌を探さなくていいから、感覚器官も必要なく、脳という感覚器官からの情報を処理して筋肉に指令を出す中枢もいらなくなります。
心臓や血管という循環系もいりません。われわれだったら酸素や栄養という、エネルギーをつくり出すのに必要なものを、せっせと血液にのせて個々の細胞まで送らねばなりませんが、ナマコ程度のエネルギー消費量なら、循環系の必要がないからです。心臓も筋肉も脳も眼鼻も不要になれば、ますます省エネになります。必要なのは身を守り姿勢を維持するための皮ばかり。
省エネに徹すれば徹するほど、ナマコは皮ばかりになります。すると、ますます捕食者にとって魅力のない食べものになり、安全です。
動物はみな、一種の「軍拡競争」をやっているのですね。餌になるほうの動物は、なるべく足を速くして捕まらないようにします。すると、ますます筋肉モリモリになるから、捕食者の目にはさらにおいしい食べものに見えてきます。そこで捕食者のほうも足をもっと速くして捕まえようとし、それに対抗して食べられる動物はさらに足を速くする。
こうしてとめどのない軍拡競争が続いていきます。この連鎖から逃れるには、自分の体をおいしくなく、栄養価を低くして、捕食者に食うのをあきらめさせればいいわけで、これがナマコの戦略です。まさに逆転の発想です。
NEXT ?? 何もしないという選択
地上に天国を実現したナマコ
ナマコはこうして食う心配も食われる心配もなく、ゆったりと暮らしています。これはまさに天国の生活でしょう。ナマコは地上に天国を実現してしまったのです。まことにスゴイ動物です。
私たち人間も、地上に天国をつくろうとしてきたのではないでしょうか。
日本の場合、大量に食糧を輸入することにより、食べる心配を解決しました。そして野獣に対しては立派な家を建て、火を使い、火器をもつことにより身の安全を確保しました。病原菌という見えない敵に対しては、上下水道による衛生管理、そして医療を発達させました。さらに医療は寿命を延ばして、不老不死を目指しています。これらは大量の資源、エネルギーを使って成り立っています。
われわれはこうしたやり方で天国がつくれると思っていたのですが、これは地獄への道かもしれないと思わせるできごとが起こりました。東日本大震災です。エネルギーを大量に使って天国を目指そうという生き方は大変にあやういものであり、今後とも成り立っていくかどうか、疑問になってきました。
原子力の問題だけではありません、エネルギーの大量消費は地球温暖化をもたらし、それが近年の異常気象の原因となっているようです。医療を発達させて不老不死を目指すと言っても、われわれの生存そのものが怪しくなってきてしまいました。
正岡子規もナマコを褒めた
ナマコは人間の逆張りで、省エネに徹することにより、地上に天国を実現しました。
などと言ってみても、「そんな天国、いくら食うに困らないからって、面白くもなんともないよ」という声も、もちろん出るでしょう。「砂をかむような人生、どこがいいのよ」という言い方もできるでしょう。われわれの目から見たら、ノソノソと砂を食べているナマコの生活など、まったく面白くもなく、生きている意味も価値も見いだせないかもしれません。
でも、でもですね、そもそも生きていなければ話になりません。そして、いまの便利で安全な生活を手に入れるためには、あくせくと働かねばならないのですよ。「たとえあくせくであっても、何もしていないより、よっぽどいいのだ」と、本当に言い切れるものでしょうか。
昭和の俳人、成瀬桜桃子(おうとうし)にこんな俳句があります。
「徹頭徹尾せぬを身上(しんじょう)海鼠かな」
ナマコは何もしない。それに徹したからこそ生きていけ、地上に天国を実現できたのです。このナマコのスゴサを、正岡子規はこんなふうに褒めています。
「世の中をかしこく暮らす海鼠哉(かな)」
あくせくせず、悪知恵をしぼることなく生きていければ、これが一番賢いやり方でしょう。
ナマコは賢い、頭がいい! でも、ナマコには脳はなかったなあ。
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http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51502?page=4
江戸幕府はなぜ「鎖国」したのか ?現代日本人が見過ごしがちな真実それはひとつの宗教戦争だった
堀井 憲一郎コラムニスト
プロフィール
諸悪の根源は「鎖国」にアリ!?
「鎖国」という言葉が日本史の教科書から消えるかもしれない、というニュースがあった。新学習指導要領で、聖徳太子と鎖国などの歴史用語を「厩戸王」「幕府の対外政策」とする改訂案が出されて、少し話題になっていた。
ただ、3月末に出た文部科学大臣の告示によれば、聖徳太子も鎖国も、とりあえず消えないように決まったようだ。
たしかに、「幕府の対外政策」という言葉では何だか弱々しい。当時の徳川政府が維持した政策はかなりの力わざだったとおもうのだけれど、そういうニュアンスが落ちている。より正確に記そうとして、いまどきらしい決断しない姿勢が出てしまっている。
あらためて、「鎖国」という言葉は、実際に国が鎖ざされていた時代ではなく、鎖国のあと、開国してから意味を持っていた言葉なのだな、とおもいいたる。
*
哲学者・和辻哲郎はその著書『鎖国?日本の悲劇?』のなかで、鎖国政策を批判して、17世紀初頭の日本について、このように記している。
「侵略の意図など恐れずに、ヨーロッパ文明を全面的に受け入れればよかったのである。(…)まださほどひどく後れていなかった当時としては、近世の世界の仲間入りは困難ではなかったのである。それをなし得なかったのは、スペイン人ほどの冒険的精神がなかったゆえであろう。そうしてその欠如は視界の狭小にもとづくであろう」
和辻は、とても悔しがっている。
これが書かれたのは昭和25年(1950年)、日本は世界戦争に大敗北して5年、まだ占領下にあった。明治22年生まれの和辻は当時、61歳である。
鎖国したことによって、16世紀の日本は世界のトップレベルから落ちていった、あのときに道を間違えなければ、かくのごときみじめな敗戦国に至ることはなかったのではないか。
そう悔しがっているのだ。
第二次世界大戦における敗北は、そして日本史上初めて他国によって全土が支配されるという惨状は、秀吉・家康ラインから始まった「鎖国」に原因がある、と憤っているのだ。
鎖国さえしていなければ。当時の為政者にもっと広い視野さえあれば。日本史にもう一度やり直しがきくならば。人生が二度あれば。
高名なる知識人が、本気で悔しがっている。
敗戦後の昭和日本では、鎖国がとても憎まれていた。
「鎖国」という言葉は、そういう歴史用語である。
徳川時代の歴史を表した言葉ではあるが、その言葉が意味を持って使われていたのは、開国されたあとなのだ。明治、大正、昭和の時代の言葉である。
「西洋列強と争わなければいけないときに、出遅れてしまった原因」として「鎖国」という否定的な言葉が使われた。
明治政府によるネガティブ・キャンペーン
明治政権は、異様なほどに前政権の施政を否定的に喧伝していた。
徳川政権のやっていたことはすべて前近代的で、封建的で、まったくダメなもので、それを明治政権がきちんと近代化した、という物語を広めていた。
昭和の後半になっても、みんなそれを信じていた。徳川時代もそんなに悪くなかったのではないか、と言われ出すのは、それこそ平成に入ってからである。
鎖国は、そういう明治政府による前政権の否定の一材料として、しきりに使われていた。
NEXT ?? そもそもなぜ鎖国したのか?
徳川時代の次に位置づけられる一区切りとして、「明治・大正・昭和時代1868-1989」という歴史区分があっていいなと今おもいついたのだが(「明大昭」時代、ないしは「MTS時代」との表記はいかがでしょう)、その「明大昭時代」の用語として、「鎖国」という言葉に意味があったのだ。
明大昭時代の思想を考えるときに、「鎖国」という言葉はキーワードの一つなのである。
たしかに、徳川時代を通して、すきまなくぴったりと国を鎖ざしていたわけではない。長崎と薩摩と対馬と蝦夷の四つの口は開けていた。
しかし逆に言うとその四つしか開けていなかったわけで、その前の時代や、あとの時代と比べて、ずいぶんと狭いのも確かである。
その口の狭さが、また徳川時代を形作っていたのだから、「幕府の対外政策」という助詞の入った言葉ではなく、何かしらの一言で表してもらったほうが便利である。
「海禁」なら「海禁」でいいとおもう。そのへんは一般人の常識的な日常用語なのだから、あまり真剣に学者の意見を聞いてもしかたがない。プロの野球戦法を、アマチュア草野球で取り入れたところで、ほとんど意味をなさないのと同じだからだ。
「西洋文化に対する強いコンプレックスを持っていた時代」の空気として「鎖国」という言葉には強い存在感があった。
逆に言えば、鎖国という言葉を使わなくてもいいんじゃないかという考えは、私たちの西洋コンプレックスがかなり薄まってきたからだ、ということになる。和辻哲郎が書いたような、焼けるほどの西洋コンプレックスは、たしかにいまの日本人にはない。
私の個人的な風景からおもいだすと、1989年ころ、日本企業がニューヨークのロックフェラーセンターやコロンビア映画会社を買収したころに、やっと鎖国の出遅れから(第二次大戦の敗戦コンプレックスから)抜け出せたようにおもう。
それからもう30年である。たしかにかなり薄まってきているとおもう。それは悪いことではないだろう。あまりに国粋的な動きになるのは(反っくり返りすぎなので)、どうかとおもうが。
キリスト教布教の異常な熱情
そもそも、鎖国といえる状態になった理由を、みんなあまり真剣に捉えてない。
17世紀に、江戸の中央政府は「国を鎖ざす」という宣言はしていない。世界と没交渉になってこの国だけに閉じ籠もりたいという政策を打ち出したわけでもない。
ただひたすら、キリスト教を日本国内から排除しただけである。
日本にキリスト教徒を存在させないためだけに、国を鎖じた。そのへんの宗教的な事情があまり理解されていないともおもう。
おそらく、現在のフランス、ドイツ、イギリス人、スペイン人などをおもいうかべ、彼らの多くはキリスト教徒だとおもわれるが、何らかの脅威を感じることはなく、他宗教教徒だと強く意識させられることもあまりない。その感覚をもとに、16世紀から17世紀を眺めているからだろう。そこからは何もわからない。
16世紀の宗教にまつわる熱情≠ヘ、いまから見ればひたすらに異常である。
ルターによる宗教改革が16世紀の前半に始まり、新教と旧教の対立が先鋭化していくのが16世紀の風景である。
その対立が、遠い彼方の日本国までやってきた。フラシスコ・ザビエルは命を捨てる覚悟でやってきた。
和辻哲郎も、彼らイエズス会士のことを「中世的戒律を守り、自己及び同胞の魂を救うために身命をささげて戦う軍隊であった。従ってそれは内面化された十字軍であるということもできる」と記している。
彼らは、日本人たちを神の国へ導くのだという強い決意とともにやってきている。きちんと命を賭けている。その熱意は、当時の日本人に伝わったのだろう。日本人のキリスト信徒はどんどん増えていった。
NEXT ?? 秀吉・家康の決断
それはある種の「宗教戦争」だった
羽柴秀吉や徳川家康は、キリスト教が広まる未来を想像して、敢然、排除へと向かった。おそらく、キリスト教が広まることによって、彼らの考える日本の平和は成し遂げられないとおもったからだろう。
暴力的な時代は、その対処も暴力的にならざるをえない。
しかし時間はかかった。
1587年の秀吉の伴天連追放令から、1639年のいわゆる鎖国令の完成まで、50年かかっている。50年の年月をかけて、キリスト教徒を完全に排除していった。
これまたすごい作業である。一時、数十万人いたとされるキリスト教徒を、日本国内から一人残らず排除したのだ。
私はこれをキリスト布教しようとする勢力≠ニ日本国≠フある種の宗教戦争≠ナあった、と見ていいとおもっている。
その緒戦というか、戦いが始まる前に、秀吉・家康ラインが敵を徹底的に叩いたまでである。つまり、鎖国は宗教戦争の結末である。実際に戦端を開かないための知恵だったのだ。
秀吉の時代にはフランスでユグノー戦争が起こり、その少しあと(三代将軍徳川家光が鎖国を完成させる時代)にドイツでは三十年戦争が展開している。宗教戦争である。キリスト教徒同士でも、信じるものが違っていれば敵と見なして、殺し続けている時代であった。
たまたま、その軍隊の本拠地が日本から遠かったために、本格的な戦争に至らなかっただけ、と考えたほうがいいのではないか。
*
昭和25年に、和辻哲郎は「侵略の意図など恐れずに、ヨーロッパ文明を全面的に受け入れればよかったのである」と書いたが、これもまた暴論である。侵略の意図は恐れたほうがいいに決まっている。
ポルトガル軍やスペイン軍と誰も戦いたくなどない。勝ったところで、こちらは何かを得るわけではない。戦国の武将は、おそらく専守防衛をあまり好きではなかったはずだ。
しかし昭和25年の日本人が住んでいたのは、独立国の日本ではない。アメリカに占領された場所に住んでいた。戦争に負けたあと、日本の力で西洋文明に対抗しようとするのは、そもそも無理だったんだよ、という気分が国中を覆っていた。
20世紀にアメリカ占領エリアになるくらいなら、16世紀に少しくらい危険をおかしても、西洋国と一緒に近代を歩むべきだったと言いたくなる気持ちはわかる。
そういう思潮は、昭和の後半をずっと覆っていた。
鎖国という否定的なニュアンスを持つ言葉は、明治大正昭和時代にとても力を持っていたのである。そのことは、頭のどっか片隅に置いておいていたほうがいい。いま現在もまた、そういう流れと同じところにわれわれは立ち続けているのだから。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51429
佐藤優が薦める日本国と日本人の特徴を知るための最良のテキスト
この国の「原理」は何か
佐藤 優作家
プロフィール
インド、中国とは異なる皇位継承
南北朝時代に南朝側の思想家・北畠親房(1293〜1354年)によって書かれた『神皇正統記』(1339年頃に執筆と推定)は、日本国家と日本人の特徴について知るための優れたテキストだ。
2015年に今谷明氏による優れた現代語訳が新人物文庫から上梓されたので、古文が得意でないビジネスパーソンでも苦労することなくこの名著を読むことができる。
「大日本者神國也(おおやまとはかみのくになり)」というのが、親房による日本の定義であるが、これは日本が他国よりも優越しているという排外主義的言説ではない。日本の特徴は神道を原理とする皇統が続いているという意味だ。
〈大日本は神国である。天祖の国常立尊が初めてわが国の「基」を開かれ、日神である天照大神が長くその統を伝えなされた。これは、わが国だけのことであって、「異朝」(中国・朝鮮・インド)にその類はない。そのゆえに、わが国を神国というのである〉
神道は自らの原理を積極的に説明しないので、日本について知るためにはインド(天竺)、中国(震旦)との比較が不可欠になる。
当時は、天竺、震旦、本朝(日本)によって世界が形成されていると考えられていたので、親房は世界的規模での比較思想史に取り組んだのだ。
〈天神の種を受けて世界を創生したというわが国の世界創生説は、天竺の説に似たところがないわけではないようだ。しかし、わが国は天祖以来皇位の継承に乱れはなく、皇統も一種であって、この点については天竺においては例がない。
天竺の初めの民主王は民衆のために擁立され、以来、その後裔によって王位が継承されたが、時代が下ると、その血筋を受けた王種の多くは滅ぼされて、力さえあれば卑しい血筋の者も国主となり、さらには五天竺を統領する輩まであらわれた。
震旦はとりわけ乱逆で無秩序な国である。昔、世の中が純朴で政道も正しかった時代でも、賢者をえらんで王位を授けることもあったようなので、王統が一種に定まっているというわけではなかった。
乱世になるにつれ、力をもちいて国を争うこととなった。民衆の中から出て王位についた者もあるし、戎狄から起こって国を奪った者もある。あるいは代々の臣でありながらその君主を越えて、ついに王位を譲り受けた者もある。伏義氏ののち、中国では天子の氏姓の交替は三十六度に及んでいる。その乱れの激しさには言語もない〉
インドも中国も王朝交代が起きることが日本との決定的な違いなのである。
〈ただわが国だけは天地開闢以来、今の世にいたるまで、天照大神の神意をお受けした皇位の継承は、正しく行われている。一種の姓のなかにおいて、たまたま傍流に皇位が伝えられることがあっても、また正統に戻る道があって、皇位は継承されてきている。
これはすべて、「神明の御誓」(天照大神の天壌無窮の神勅)常に生きていたからであり、他国と異なることのいわれである〉
かりにある天皇が悪政を行った場合は、そのような天皇は廃され、皇族の中でこれまで傍流とされていた者が新たな天皇に就く。このようにして、同じ王朝の中で「革命」が起きるのだ。
このような独自の伝統を持った日本を生き残らせるために重要なのは、宗教的に寛容な精神を持って多元性を担保することだ。
NEXT ?? 棲み分けの論理
〈一つの宗派に志ある人が、他の宗派を謗り蔑視することは大きな間違いである。人の機根もいろいろであるから、教法も「無尽」で多種多様である。ましてや自分の信じている宗すら明らかにしないで、いまだ知らない他の宗を謗るの、この上ない罪業である。
自分はこの宗に帰依するが、他人は別の宗を信じており、ともに分に応じた利益があるのである。これもみな現世だけの巡り会いではなく、深い仏縁によるのである。
一国の君主や、これを補佐する人ともなれば、もろもろの教えを捨てず、機会を逃さぬように利益の広まるように心がけるべきである〉
多元性と棲み分けの世界
自分の信じている宗教が何であるかもよく知らずに他人の信じる宗教を誹謗することを親房は厳しく批判している。宗教的差異が国家と社会の分裂をもたらすことを親房が自覚しているからだ。
さらに多元性と棲み分けの論理を社会のあらゆる分野に導入せよと親房は主張する。
〈また仏教にかぎらず、儒教・道教をはじめさまざまの道、いやしい芸までも興し用いることこそ聖代といえるのである。男は「稼穡」(五穀を植え、農耕に励むこと)に努めて、自分が食べるばかりでなく、他人にも与えて飢えることのないようする。女は糸を紡ぐことを仕事として、自分が着るばかりでなく、他人も暖かにする。
賤しいことのようにも思われるが、これが人倫(人間生活の基本となる大切なこと)の根本なのである。天の時(自然の運行)に従い、地の利(自然からの恵み)に依った営みなのである。
このほか商業で利を得る者、手工業を得意とする者、また仕官を志す者もある。これらを四民という。
仕官する者にも文と武と二つの道がある。坐して道を論ずるのは文士の道であり、これにすぐれたものは宰相となることができる。戦場に赴いて功を立てるのは武人の仕事であり、この道で功績があれば将となる資格がある。
だからこそ、文武の二つは、片時も捨てるべきでないのである。「乱世には武を右にし、文を左とする。平時には文を右とし、武を左とする」という[昔は右を上と考えたので、このようにいうのである]〉
新自由主義的な競争原理が社会全体を覆っていることによって疲れ切っている現代の日本人にとって、親房が説く多元性と棲み分けの世界は魅力的だ。
『週刊現代』2017年4月22日号
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51446?page=2
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