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「都議会のドン」内田茂、引退の真相〜本当に小池の勝ちなのか? 激震の都政・内幕レポート(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/17/senkyo221/msg/458.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 2 月 27 日 14:25:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 


「都議会のドン」内田茂、引退の真相〜本当に小池の勝ちなのか? 激震の都政・内幕レポート
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51009
2017.02.26 鈴木 哲夫 現代ビジネス


■「地方政界のドン」の力の源泉

小池百合子東京都知事が繰り広げる、いわゆる「小池劇場」が注目されるほど、相対的にその存在がクローズアップされてきたのが、東京都議会自民党の内田茂・東京都議(77)だ。

誰もが認める「地方政界のドン」だった内田氏。小池知事は、それを「ブラックボックス」と呼び、対立軸を作った。

その内田氏が、2月25日、ついに次期都議選への不出馬を明らかにした。理由については、出馬すると任期中に80歳を超えるため定年の内規に触れること、体調に不安があることを上げた。小池知事は標的を倒したことになるが、長年都政を取材してきた私は、内田氏の言葉を額面通りに受け取ることはできない。

私は、このところの混乱の中で、「ドン」や「ブラックボックス」と称され、メディアが「悪」のイメージの延長線上で内田氏を捉えていることに、違和感を持っている。確かに実像というべきところも一部あるが、そのほとんどは明らかな虚像である。

意外に思う読者もいるかもしれない。今回は、まさにその「虚実」について記してみたい。

もちろん、内田氏が地方政治家として歩んできたなかで、罪と呼ぶべきものに手を染めたこともあることは間違いない。

敵対した相手や追い落とされた人間からすれば、内田氏は「冷徹な男」と映っていただろう。都議会自民党や東京都連の運営のなかでも、「意見が言えない。風通しが悪い」(2期目の自民党若手都議)という声も聞こえてくる。

しかし、一方の「虚像」の作られ方は、異常というべきものだった。引退を決めた今こそ内田氏に関する真実を整理しておくことで、「小池劇場」や「東京の問題」の本質がより正確に見えると思うのだ。



話は、1998年にさかのぼる。

世界都市博覧会の中止を、青島幸男・東京都知事(当時)が決めるなど、都政が大きく揺れていた頃だ。私もその内情を一人の記者として集中的に取材していた。

反青島都政の急先鋒だった都議会自民党の幹事長に就任したのが内田氏。ある日、その就任パーティが開かれたのだが、私はその会場を覗いて「ドンの力」に驚いた。

ホテルの会場に詰めかけたのは、なんと2000人超。東京選出の国会議員はもちろん、党本部の三役以下幹部らも全員が顔を揃えていたのだ。

それだけではない。東京に本社を持つ大手ゼネコンからメーカーまで、各社の幹部が幅広く出席。その人脈と資金力をまざまざと見せつけられた。自民党都連幹部は「国会議員並み、いや国会議員以上のパワーだ。東京で何かやる場合には、内田さんを通さなければできないことを示している」と話した。

内田氏は、1939年東京都・神田の生まれ。1975年から千代田区議を4期、都議会議員を7期務めるという、地方議員の一本道を歩いてきた。

「政治家を志したきっかけとして内田さんが話しているのは、20代の頃火事に遭って一家離散状態になったこと。内田さんの弟さんには障害もあった。そんなときに、のちに参議院議長にもなる安井謙氏が弟さんのための施設を紹介するなど親身になって助けてくれたそうです。

そのとき、自分も政治家になろうと思ったのだそうです。いまの若い政治家は、その多くが高学歴で家庭も恵まれているが、内田さんは、苦労の中から這い上がってきたという典型的な叩き上げタイプで、それが強さの源泉でしょう」(前出都連幹部)

■石原の息子を「人質」にとって…

内田氏が、「ドン」にまで上り詰める転機となったのは、91年の都知事選挙だ。

このとき自民党は小沢一郎幹事長(当時)が中心となって、元NHKキャスターだった磯村尚徳氏を擁立。国政でのPKO法案成立で公明党の協力をもらうため、自公で協力して都知事選に臨んだが、これに反発する都議会自民党は現職の鈴木俊一氏を立て、真っ向から対立した。

このとき、小沢幹事長が都議会自民を切り崩すために接触したのが内田氏だった。

当時東京選出の自民党国会議員は、伝統的に宏池会と政科研という二つの派閥の系列議員が主流で、都議会議員もほとんどがその両派閥の系列だった。そんな中、経世会に属する小沢幹事長は、この都知事選挙をきっかけに、経世会の東京進出を図り、内田氏らに接触したのだ。

「選挙の結果磯村さんは敗れましたが、その後、国政や自民党本部では経世会の天下が続くことになりました。そして内田さんは、この選挙をきっかけに、地方議員ながら中央に直結するようになったのです。

例えば地方議員が総理大臣や自民党幹事長に会うには、普通はその地域の国会議員を通さなければ会えないのに、内田さんはそんな慣習は飛び越して直接会った。国会議員と同格、ということです。政権や党本部とパイプを持ち、直に話ができる存在として力を持つようになったのです」(自民党ベテラン議員)

また、内田氏が力を蓄えていった背景にあるのは、都庁職員との強固なパイプだ。

内田氏は選挙で圧倒的な強さを誇り、ほとんど選挙区に戻る必要がなかったため、常に都議会の自民党控室にいた。このため都庁幹部は、困ったことがあったらすぐに内田氏に会いに行けた。内田氏はそうやって都庁職員の人心を集めていったのだ。30年にわたって作られた「内田人脈」は、都庁全体に張り巡らされることになる。

さらに内田氏の選挙区である千代田区には、大手企業の本社が集積している。その地区を仕切る内田氏へは、当たり前のように企業や個人献金なども集まるようになる。人脈も資金も、急速に蓄積されて行ったのだ。

その内田氏の政治手法の特徴として見落とせないのは「変幻自在」という点である。

実は、都議会自民党は磯村選挙で敗れたあとの都知事選でも、擁立した候補が連敗している。95年都知事選挙で擁立した石原信雄元官房副長官は青島氏に敗れ、99年には元国連事務総長の明石康氏が石原慎太郎氏に敗れた。

ところが、選挙では対立していた候補が当選するや否や、内田氏は新たな都知事との共存を図り、やがて手のひらに乗せ、最後は主導権を握るのだ。



「石原知事の場合が分かりやすい。内田さんは石原氏が都知事に就任するや、その人気を利用しようと考えた。たとえば、石原氏の子煩悩を利用して、伸晃氏と宏高氏の二人の息子をいわば『人質』にしたのです。

ご承知の通り、二人とも自民党の衆議院議員。伸晃氏を都連会長職に据えて、内田さん自らが幹事長としてお目付け役を務めるなどして、石原氏に『ご子息二人は面倒を見てますよ。生かすも殺すも分かってるでしょうね』とプレッシャーをかけるのです」(前出ベテラン議員)

そうすることで、石原氏は都議会自民の選挙応援に入り、さらに都議会自民の政策にも協力したのだ。

その一方で、剛腕ぶりも見せる。09年に民主党政権が誕生し、都議会自民党も議席を大きく減らしていた頃のことだ。内田氏自身も落選していたが、都連幹事長の任にそのまま就くという異例の人事で君臨。都議会民主党に対して、あからさまな切り崩しを見せつけたこともある。

■ドンと呼ばれるゆえん

内田氏の政治家としての「情」も見過ごされている。

昨年、舛添要一・前都知事が巻き起こした辞任劇。実は、内田氏が舛添氏を最後まで守っていたことはあまり知られていない。

都知事選で舛添氏を推した以上、自分に責任があるというのがその理由だったが、舛添氏が法律に反していないこともあり、舛添氏を守り通そうとしたのだ。

ところが、当時は参議院選の直前という時期であり、これ以上舛添問題を引き延ばすと参院選にも影響が出るうえ、舛添氏にとってもこれ以上評判を落とすと再起すらできなくなると判断。

大詰めの場面で密かに舛添氏に接触して、「自分一人、あなたを守ってきたがうまく行かない。俺に不信任を出させないでくれないか」と語り、誰の言うことも聞かなかった舛添氏はこれを受け入れた。

最後まで自分を守ってくれた内田氏に対して舛添氏は「もっと早くから内田さんに相談しておけばよかった」と周囲に語ったという。

そんな内田氏は、舛添氏に代わって知事になった小池知事の目の敵にされるとは思ってもいなかっただろう。メディアに追いかけられていたある日、内田氏は都連会長室に避難していた際にこうポツリと漏らした。

「ドンとか言われるけど、都民や都庁のためにやってるんだけどなあ」

彼は何を言いたかったのか。

東京という土地は無党派層が圧倒的に多く、また流動人口も多い。そのため、東京都知事選は人気投票となる傾向が強い。すると、1期4年でさっさと知事を辞めたり、人気だけで当選し、政治経験がないために思い付きの政策を掲げる知事が突然誕生したりもする。

昨日まで進められていた政策がいきなり取り止められたり、それまで善だったものが、一転悪になったりする。すると、都民も都庁も大混乱に陥る可能性がある――。



だからこそ、内田氏はいち地方議員として、行政の継続性を貫くために、時には都知事と厳しく対峙し、時にはそれを取り込んできた。これは、地方議員の「矜持」と言えなくもない。

そこに価値観を見出している内田氏だからこそ、「決して上(国会議員や都知事など)を目指さない」(都庁OB)のだろう。

その結果、彼は東京で常に影響力を保持し、さらに実益をも左右する人物となった――。

これこそが「ドン」と呼ばれるゆえんだ。

■引退は「決められたストーリー」?

さて、小池百合子東京都知事と都議会自民党のドン・内田茂都議の代理戦争として大きな注目を集めた、2月5日投開票の千代田区長選挙。結果は予想通り小池氏が推した現職の石川雅己氏が、内田氏が推した与謝野信氏にトリプル以上の差をつけて圧勝した。

「この選挙は石川さんが勝ったのではなく、小池さんが勝った選挙と表現していい」と石川陣営幹部が認めるほど、小池人気頼みの選挙であった。

元々75歳の石川氏には、多選批判や、長期政権による区議会との対立などがあったため、前回区長選挙では辛勝、今回もかなり厳しい戦いと見られていた。ところが、小池知事が石川氏についたことで、一転圧勝となったわけだ。

そして、いよいよ区長選が終われば「次は都議選。千代田区は内田さんの地盤。小池さんは候補を擁立して、内田さんの定数1を奪って自民党を潰すつもりだ」(同周辺)という展開が待っていた。

ところが、区長選挙の翌日。内田氏が選挙結果の責任を取り、次期都議選には出馬せずに政界引退を決めたという情報が駆け巡った。

そしてついに25日、内田氏は選挙区内で行われた会合に出席した後、ぶら下がり取材に応じ、不出馬を明らかにしたのだ。

ある都連関係者はこう打ち明けた。

「今回、区長選直後に引退表明するというのは、実は自民党の都連の一部の国会議員など幹部が、選挙前からそのタイミングを図っていた。第一義的には、内田さんは小池さんとのバトルに負けて身を引くんじゃない、あくまでも区長選の責任で引退するという形にして内田さんのメンツが立つようにしようというのです」

ところが、もっとしたたかに「二次的な効果」も狙っているというのだ。

「内田さんが都議選に出ないということになれば、小池さんは次の都議選で攻める最大の敵、いわば決戦の象徴を失うことになる。小池さんを敵失の状態にして、勢いをそぐという選挙戦略にもなる」(同)

そもそも自民党は、小池知事に対して、最近は対立路線ではなく「抱きつき作戦」という方向に転換しつつある。

たとえば、自民党都議会は来年度予算案でも小池知事の方針に賛成の意向を示すなどしている。今夏の都議選でも内田氏を消すことで対立軸をなくし、小池知事の追い風を弱めて、組織票のある自民党が有利に戦えるようにことを運ぼうとしている。つまり、内田氏の引退というカードを、小池対策として早めに使おうということだったのだ。

しかし、自らの引退が「政争の具」に利用された内田氏は何を思っているのだろうか。

実は内田氏の引退は、小池知事が彼を敵視しているからだとか、区長選の責任をとってだとかいう理由で出てきたものではない。今から2年前の夏に、すでに内田氏は当時の都連幹事長を辞め、次期都議選でも引退を意識していたのだ。

当時は都連執行部の人事が長く変わっていなかったので、そろそろ刷新を迫られている時期だった。都連会長は長く石原伸晃氏、そして幹事長は内田氏という体制だったが、これには理由があった。

当時東京都知事に君臨していた石原慎太郎氏に対して、都連は伸晃氏を会長に据え、いわば人質にしておくことで、コントロールしてきたのだ。それを幹事長職で仕切っていたのが内田氏というわけだ。しかし、慎太郎氏が知事を辞めたことで、もうその体制を維持しておく必要がなくなったのだった。

このとき内田氏は、周囲に「もう自分はやり切った。年も取ったし」と語り、幹事長には後継者として手塩にかけて育ててきた高島直樹都議を、そして、17年の都議選には出馬せず引退し、これも娘婿の千代田区議に譲ろうと決めていたのだった。

■「ドン」が見せた最後のプライド

ところが、ここで伸晃氏が突如「会長を来年(2016年)夏の参院選までやる。東京の候補を勝たせる」と参院候補の支援者を前に公言し、執行部をあと1年継続させる流れを作ってしまったのだ。

その理由は「当時伸晃さんは国政での役職もなく、都連会長が唯一の肩書だった。これを手放したくなかったようだ」(前出幹部)という。

これによってお目付け役の内田氏も、あと1年そのまま幹事長で続けるという話になり「内田氏はしぶしぶ、仕方ないなと受けた」(同幹部)のだ。その後に舛添問題が起き、小池知事が誕生してしまった。

「そもそも、小池さんは内田さんを敵視しているが、それまで二人がどれほどの関係だったか。内田さんは『あまり話したことないんだよなあ』と言っていたほど。

しかし、知事に就任したばかりで後ろ盾のない小池さんにとって、戦う姿勢を都民に見せることや、改革を進めていくうえで内田さんが最高のターゲットだったことは間違いないし、内田さんに狙いを定めて対立構図を作って行った」(同)

この構図は都民だけでなく誰がみても分かりやすい。それゆえにメディアも「小池vs.ドン」、「東京にはブラックボックスがある」という構図を仕立てて、日々これを報道したのだ。

こうして見ると、すでに引退は既定路線だったが、政争の中で別の意味を帯びてしまったというのが、内田氏引退の真相である。

内田氏本人は25日に記者団に「体調のこともあり、早くから(議員引退の)決意をしていた」と語ったが、この言葉から、一昨年から水面下で引退に向けた話し合いが進められていたということをはっきりと見て取れる。

前述の通り、自民党は「ここで内田氏を引退させ、対立構図を解消する」という老獪さを見せている。

だが、これに気づかない小池知事ではない。ならばと「次期都議選では小池派の候補を70人擁立して、単独過半数を狙う」と小池氏周辺が話しているように、敵が不在ならば味方を増やせばいいと一気に攻勢をかけるつもりのようだ。

「小池さんにとっては、内田さんがいなくなることは敵失になります。それならば『自民党』という巨大組織そのものを敵にして、70人擁立して、一気に単独過半数を目指すという、さらに上を行く大きなケンカを仕掛けたということです」(小池氏を支援する都議会会派幹部)

「政界を引退するわけではない」

内田氏はぶら下がり取材でこう付け加え、可能な限り政治活動は続けていく意思を示したが、この言葉には「決して小池との戦いに負けたのではない」という、「ドン」の最後のプライドが込められている気がしてならない。(了)

(*3ページ目までは「月刊リベラルタイム」筆者出典を大幅加筆しました)


 

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