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市場幹部ら激白「石川雅己氏は港湾局長時代、東京ガス側に“移転”を提案」〈週刊朝日〉
dot. 2/8(水) 7:00配信
小池百合子都知事vs.都議会自民党の“ドン”内田茂都議の「代理戦争」と化した千代田区長選。知事が支援した現職の石川雅己氏が5選を果たしたが、大どんでん返しとなる“疑惑”が浮上した。築地市場移転問題のきっかけを作った当事者は、石川氏だというのだ。
緑色のマフラーを巻いた小池百合子都知事は2月3日、秋葉原駅前にさっそうと現れ、石川雅己氏とつないだ手を掲げ、こうアピールした。
「今日は節分、あちこちで豆まきが行われました。しかし、この演説者はまくのではなくて、みなさま方から清き一票をいただくためにお願いをしてます」
小池都知事は、混迷を深める築地市場移転の発端は誰なのか、ご存じないのだろうか。
石川氏は1963年に都庁に入庁。75年に千代田区役所へ企画課長として出向した。
「この時から、都議会自民党のドン内田に見込まれた」(元都庁幹部)とされる。都庁に戻ってからは港湾局長、福祉局長などを歴任して99年に退職。首都高速道路公団理事を務めた後、2001年に千代田区長選に初当選して以降、今回で5期目を迎える。
石川氏が築地市場に関わったとされるのは95年6月、港湾局長就任時だ。
この年4月に行われた都知事選で、臨海副都心地区で開催が予定されていた世界都市博覧会の中止を公約に掲げた青島幸男氏が圧勝。青島氏は公約を守って同年5月31日に都市博の中止を発表した。
臨海副都心開発の起爆剤とされた都市博の中止により、多くの企業が予定していた開発計画の見直しを余儀なくされ、後に豊洲市場用地を都に売却した東京ガスも例外ではなかった。
築地市場幹部が語る。
「東京ガスが豊洲に計画していたのは、レインボーブリッジから豊洲に橋をかけるというマンハッタン・ベネチア構想といわれるものでしたが、都市博中止で頓挫。東京ガスは同時に計画されていた豊洲の護岸強化工事などを進めていましたが、都が撤退したことにより、約60億〜70億円の工事費を自前で拠出しなければならなくなった。その時に助け舟を出したのが、監督官庁でもある都の港湾局長(当時)、つまり石川千代田区長でした」
街づくりを手掛けていたのは東京ガスの子会社、東京ガス豊洲開発(現在は東京ガス用地開発)だった。
「当時の東京ガス幹部が豊洲の所有地に公的な施設を誘致すれば、莫大な工事費が減免できるのではないかと考え、港湾局長の石川さんに相談した。石川さんが目をつけたのが、築地市場の移転でした。石川さんが初めて築地の豊洲移転の構想を提案したのです」(同前)
築地市場は当時、現在地で営業しながら再整備を進める方針を決定し、工事も始まっていた。
しかし、95年秋になると、この方針が急変したのだ。95年10月に水産卸など3団体が築地市場再整備の工事促進を求める要望書を提出していた。
ところが11月には、逆に買荷など3団体が工事見直しの要望書を出している。
このわずか1カ月の間に何があったのだろうか。
「もちろん、石川局長だけで市場移転の話が進むはずもなく、95年夏頃、番所(宏育)築地市場長(当時)、自民党の政治家らが秘密の会合を持ったとされています。この時から築地再整備の流れがガラリと変わった」(築地市場関係者)
95年夏には青島都知事の特別秘書を務めていた辺見廣明氏が市場関係者らとの面談の席で、「いまは豊洲への移転の方向で動いている」と言い出し、市場関係者らを驚かせたという。
「築地市場ではまだ豊洲の『と』の字も出ていません。本当にびっくりした」(別の築地市場関係者)
辺見氏に真相を確かめると、次のように語った。
「95年夏にそう話したことは覚えていないが、当時から豊洲が移設先という話は聞いていました。石川氏がどの程度関与していたかはわかりませんが、彼は自民党の内田都議と仲が良く、業者との蜜月が過ぎるという噂が絶えなかった。このため青島知事の判断で港湾局長職は1年間だけで代わってもらい、福祉局長に就いて頂いたという経緯がありました」
青島知事時代に副知事を務め、市場を担当した植野正明氏もこう振り返る。
「番所築地市場長が、築地は豊洲へ移転しなければならないという趣旨の話をあちこちで吹聴していたので、『市場長の立場で言うべきことではない』とクギを刺した覚えがあります」
番所氏を直撃したが、「もう引退させて頂いておりますから」と語るのみだ。
長年にわたって築地市場移転問題を取材しているジャーナリストの池上正樹氏もこう話す。
「都は市場の人たちには内緒にしたまま、港湾局主導で調査や交渉が行われていたのです。95年7月に臨海地区を調査し、8月に初めて豊洲の名が移転候補地の一つとして挙がったのです。築地再整備と並行して、移転先が模索され始めた。しかし、そもそも臨海再開発失敗による財政悪化で、築地を売却して移転させるしかなくなったのです」
都が臨海地区の調査を始めたのは、石川氏が港湾局長だった時と重なる。
ところが、都が秘密裏に進めていた豊洲への移転の調査や交渉が、市場の卸、仲卸など業者たちの知るところとなる。
寝耳に水の話に、業界6団体は態度を硬化させる。対処に当たったのは、番所氏の後任の市場長の宮城哲夫氏だった。
「豊洲は40ヘクタールもあって広いし、いい場所を見つけたと思った。だけど市場の卸とか仲卸の組合は理事長が推進派か反対派かで、方針が変わるんです。私の時もまとめ切れなかったですね」(宮城氏)
都が改めて、各業界団体に意思の確認をしたところ、移転推進派と反対派に真っ二つに分かれた。
都は一転して「現時点で移転可能性は極めて困難」と判断せざるを得なかった。
01年、千代田区長選出馬を控えた石川氏は内田事務所に立ち寄り、市場関係者に悔しげにこう漏らしたという。
「(豊洲移転を)番所(市場長)の野郎がベラベラしゃべっちゃったからダメになったんだ」
内田氏と蜜月だったころのエピソードだが、いまや石川氏は内田氏と袂を分かって敵対関係にある。(本誌・亀井洋志、上田耕司、小泉耕平)
※週刊朝日 2017年2月17日号より抜粋
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170207-00000044-sasahi-soci
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