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三流の維新 一流の江戸
【第30回】 2017年2月8日 原田 伊織
日本史の一大汚点
「廃仏毀釈」は
いかにして行われたか?
江戸という時代は、明治近代政権によって「全否定」された。
私たちは学校の教科書で、「明治の文明開化により日本の近代化が始まった」と教えられてきたが、はたして本当にそうなのか?
ベストセラー『明治維新という過ち』が話題の原田伊織氏は、これまで「明治維新とは民族としての過ちではなかったか」と問いかけてきた。
そして、今回さらに踏み込み、「2020年東京オリンピック以降のグランドデザインは江戸にある」と断言する。
『三流の維新 一流の江戸』が話題の著者に、「廃仏毀釈」についてはじめて聞いた。
興福寺金堂
「廃仏毀釈」という
仏教文化の破壊活動
原田伊織(Iori Harada)
作家。クリエイティブ・プロデューサー。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加したマーケティングの専門家でもある。株式会社Jプロジェクト代表取締役。1946(昭和21)年、京都生まれ。近江・浅井領内佐和山城下で幼少期を過ごし、彦根藩藩校弘道館の流れをくむ高校を経て大阪外国語大学卒。主な著書に『明治維新という過ち〈改訂増補版〉』『官賊と幕臣たち』『原田伊織の晴耕雨読な日々』『夏が逝く瞬間〈新装版〉』(以上、毎日ワンズ)、『大西郷という虚像』(悟空出版)など
そして、政権奪取に成功するや否や、日本史の一大汚点というべき「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」という徹底した仏教文化の破壊活動を繰り広げたのである。
仏教伝来から既に千四百年近く経っていた明治維新といわれるこの時点に於いて、仏教という宗教及びその影響を受けた文化的、精神的諸要素は、既にこの美しい島国の風土を創り上げている主たる要素といってもいいほど大地に、空間に、人びとの心に浸み込んでいる。
その意味では、薩長新政権が惹き起こした「廃仏毀釈」というムーブメントは、歴史上例をみない醜い日本文化の破壊活動であった。
これは、俗にいう明治維新の動乱の中で、明治元(1868)年に薩長新政権が打ち出した思想政策によって惹き起こされた、直接的には仏教施設への無差別な、また無分別(むふんべつ)な攻撃、破壊活動のことをいう。
これによって、日本全国で奈良朝以来の夥(おびただ)しい数の貴重な仏像、仏具、寺院が破壊され、僧侶は激しい弾圧を受け、還俗(げんぞく)を強制されたりした。
ひと言でいえば、薩摩、長州という新しい権力者による千年以上の永きに亘って創り上げられた我が国固有の伝統文化の破壊活動である。
現代のイスラム原理主義勢力タリバーンやイスラム国を思えば分かり易いであろう。
文化財の破壊という点のみでいえば、イスラム原理主義者による文化財の破壊より規模は遥かに大きかった。
発端は、新政権が出した太政官布告「神仏分離令」と明治三(1870)年に出された「大教宣布」にある。
学者は、これ自体が直接仏教排斥を指示したり、煽(あお)ったりしていないとするが、それは文章面(づら)のことであって当たり前である。
これを後ろ盾として、仏教弾圧の嵐が吹き荒れたことは否定のしようもないことなのだ。
私ども大和民族は、それまで千年以上の永きに亘って「神仏習合」というかたちで穏やかな宗教秩序を維持してきた。
平たくいえば、神社には仏様も祀(まつ)って別(わ)け隔てなく敬ってきたのである。
多元主義と一元主義
これは、極めて濃厚にアジア的多元主義を具現する習俗であったといえる。
それをいきなり廃止せよと命じ、神社から仏教的要素を徹底的に排斥することを推進し、ご神体に仏像を使用することも禁止したのである。
これが、全国的に大々的な廃仏運動を燃え盛らせたのだ(平成日本人は、「神仏習合」が大和的な、おおらかで自然な姿であったことも分からなくなっている)。
今、近代と呼ばれている私たちの世界は、一元主義によって行き詰まりを迎えているといえるだろう。
かつての東西冷戦も現代の西欧社会とイスラム社会の衝突も、一元主義と一元主義の対立である。
一元主義同士の戦いを一元主義によって収束させることは、残念ながら無理なのだ。
薩長権力が一転して狂ったようにかぶれた西欧文明はまもなく確実に終焉を迎えるであろうが、それは言葉を換えれば一元主義の破綻といっていい。
もともと大和民族は、多元主義的な生態を維持してきた故に、多少の混乱期を経験しながらも長期的には平穏な生存空間を、政治的な版図(はんと)を超越して維持してきたのである。
単に島国であったから、という地勢的な理由だけに頼るのは余りにも稚拙というものであろう。
ところが、薩摩長州の下層階級が最初にかぶれた思想とは実に浅薄なもので、単純な平田派国学を旗印に掲げ、神道国教、祭政一致を唱えたのである。
これは、大和民族にとっては明白に反自然的な一元主義である。
ここへ国学の亜流のような「水戸学」が重なり、もともと潜在的に倒幕の意思をもち続けてきた薩長勢力がこれにかぶれ、事の成就する段階に差しかかって高揚する気分のままに気狂い状態に陥ってしまったのだ。
こういう現象は、時代の転換期には間々あることではある。
とはいえ、神聖政治を目指す、神道(しんとう)を国教とする、仏教はそもそも外来のものである、すべてを復古させるべきだというのだから、これはもう気狂い状態に陥ったというべきであろう。
では、一体どこへ復古させるのが正しいのか……当然、五世紀以前ということになってしまうのである。
そもそも薩摩長州は、徳川政権を倒すために天皇を道具として利用したに過ぎない。
そのために「尊皇攘夷」という大義名分が必要となった。
これは、どこまでも大義名分に過ぎない。
薩摩長州のリーダー層が純粋に尊皇精神をもっていたかとなると、幕末動乱期の行動、手法が明白に示す通り、そういう精神は微塵(みじん)ももち合わせていなかったとみるべきであろう。
「尊皇攘夷」を方便として喚き続けているうちに本当に気狂いを起こし、「王政復古」を唱え、何でもかでも「復古」「復古」となり、大和朝廷時代が本来のあるべき姿であるとなってしまったのだ。
その結果、寺を壊せ、仏像を壊せ、経典を焼け、坊主を成敗(せいばい)せよ、となってしまったのである。
この「廃仏毀釈」を単なる民衆の行き過ぎた一時的なムーブメントとし、新政権の方針とは全く無関係であると学者はいい続けてきたが、それは違う。
新政権政府は、僧侶に対して「肉食妻帯勝手なるべし」と、わざわざ命令している。
僧侶に戒律を犯させ、仏法の教えにいうところの「破戒」をさせようと企図したことは明白である。
凡(およ)そ政治施策を推進する上で、こういう手法は実(まこと)に知性、品性に欠ける下劣な手法であるといわざるを得ない。
このようにして、俗にいう明治維新という動乱期に、日本の伝統文化、伝統芸術の根幹を担ってきた日本の風土に溶け込んで進化してきた仏教は、宗教としても文化的価値としても徹底的に弾圧されたのである。
奈良興福寺と内山永久寺の惨状
中でも奈良興福寺や内山永久寺の惨状は、筆舌(ひつぜつ)に尽くし難い。
興福寺だけで二千体以上の歴史を刻んできた仏像が、破壊されたり、焼かれたりしたことが分かっている。
僧侶は、ほとんど全員が神官に、文字通り“衣替え”したり、還俗することを強制された。
経典は、町方で包装紙として使われるというゴミ同然の扱いを受け、五重塔は二十五円(一説には十円)で売りに出された。
薪(たきぎ)にするために売りに出されたのである。
多くの宝物(ほうもつ)は、混乱に乗じた略奪等によって散逸し、二束三文で町方に出回ったのである。
因みに、現在の奈良ホテルや奈良公園は、当時の興福寺の敷地内である。興福寺と共に我が国四大寺の一つという格式を誇った内山永久寺に至っては、更に酷(ひど)いもので、徹底的に破壊され尽くし、今やその痕跡さえ見られない。
姿を残していないのだ。この世から抹殺されてしまったのである。
「廃仏毀釈」とは、それほど醜い仏教文化の殲滅(せんめつ)運動であったのだ。
「復古」「復古」と喚いて、激しく「尊皇攘夷」を口先だけで主張し、幕府にその実行を迫ってテロを繰り広げた薩摩長州人は、このように古来の仏教文化でさえ「外来」であるとして排斥したのだが、政権を奪うや否や一転して極端な西欧崇拝に走った。
「尊皇攘夷」式にスローガンとしていうならば、今日からは「脱亜入欧(だつあにゅうおう)」だと豹変したのである(後に福澤諭吉が唱えた「脱亜入欧」は、経緯、主旨が異なる)。
これほど激しい豹変を、それも昨日と今日の価値観が逆転するといった具合に短期間に行った民族というものも珍しい。
どちらの態度も、己のアイデンティティを破壊することに益するだけであることに、彼ら自身が気づいていなかったのである。
日本人は、テンション民族だといわれる。
明治維新時に植え付けられたと思われるこの特性は、大東亜戦争敗戦時にも顕著に顕れた。
その悪しき性癖は、今もそのまま治癒することなく慢性病として日本社会を食いつぶすほど悪化していることに気づく人は少ない。
このことは、ほとんど近代政治家と官軍史観による教育の犯罪といってもいい過ぎではないだろう。
文部官僚・岡倉天心のまごころ
奈良興福寺の仏像修復に精魂を傾けたのは誰か。
彼の努力がなかったら、今日私たちは興福寺で仏像を鑑賞することができないのである。
それは、文部官僚岡倉天心である。彼が、長州人を中心とした西欧絶対主義者たちによって職を追われたことと、それにも拘わらずその後も地道に仏像修復に当たらなかったら、今日の興福寺さえ存在していなかったことを、私たちは肌身に刷り込んで知っておくべきであろう。
原田伊織(Iori Harada)
作家。クリエイティブ・プロデューサー。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加したマーケティングの専門家でもある。株式会社Jプロジェクト代表取締役。1946(昭和21)年、京都生まれ。近江・浅井領内佐和山城下で幼少期を過ごし、彦根藩藩校弘道館の流れをくむ高校を経て大阪外国語大学卒。主な著書に『明治維新という過ち〈改訂増補版〉』『官賊と幕臣たち』『原田伊織の晴耕雨読な日々』『夏が逝く瞬間〈新装版〉』(以上、毎日ワンズ)、『大西郷という虚像』(悟空出版)など
http://diamond.jp/articles/-/114630
ネット炎上のかけらを拾いに
「亭主元気で留守がいい」から30年、「稼ぎのいい夫に替える」は笑えない
2017/02/08
網尾歩 (ライター)
このCMで笑える人との間にあるのはジェンダー観の差ではなく世代間ギャップかもしれない。
男性蔑視であり、女性蔑視でもある描写
「安い電気に替えるか、稼ぎのいい夫に替えるか」
こんなことを妻が言い放つ、JXエネルギー「ENEOSでんき」のCMが炎上している。筆者はこのCMが不興を買っているのをツイッター上で知り、その後実際にテレビで見て、よくこんなCMを現代にやるなと思った。随分と時代遅れなCMである。
内容はこうだ。「主婦って自由に使えるお金って少ないのよねえ」と妻役の女優が茶飲み友達に言い、「解決策は2つあるわ」と続ける。そして冒頭でも紹介した「安い電気に替えるか……」というセリフを、目を見開いて言うのだ。さらに、後ろのドアから覗いている夫役の男優を振り返って威圧し、犬を抱いていた人の良さそうな夫は後ろに吹っ飛ぶ。
30秒バージョンの方では「安い電気に替えるか…」のセリフの後で、友人の女性が「やあだ〜」と笑い話に変えようとするのだが、妻はいったん笑った後で真顔になり「本気よ」と畳みかける。妻役を演じているのは小池栄子さん。もともとグラビア出身だが2012年には日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞するなど演技派として知られるだけに、このCMでもいい目力を見せている。
iStock
J-castがこの炎上を伝える記事「『安い電気か、稼ぎのいい夫か』 『ENEOSでんき』CM炎上」の中で下記のようなコメントがネット上にあったことを引用していたが、まさにそれ、である。
「このCMは男性の扱いも問題ですが、世の主婦・女性はこのような考えであるという誤解を生みかねないものでもあり、困りものですね」
「男性蔑視というか、女性蔑視でもあると思うが。男性に経済的に依存しているのが通常ということが前提なわけだろ」
バブル時代の価値観ではもう笑えない
ネット上で女性を叩く言葉のひとつに「寄生虫」がある。主に専業主婦に対してこの言葉が使われる。言わずもがな、夫の稼ぎに“寄生”して生きているという意味だ。このCMは、ネット上にはびこる偏見と同じ目線にある。寄生することが前提の女性、働きアリになることが前提の男性。どちらの性にとっても差別的だ。
とはいえきっと、こう言う人もいるだろう。「いやいや、ただの冗談でしょう。このくらいユーモアですませなさいよ」と。
その昔、「亭主元気で留守が良い」というキャッチコピーを使ったCMがあった。もともとは「亭主達者で留守が良い」ということわざだが、「達者」を「元気」に置き換え、1986年の流行語に選ばれた。さらに2013年には「新語・流行語大賞」過去30年のトップ10にも選ばれている。
1986年といえば、バブル景気がまさに始まろうとしていた時期。稼ぐ夫と家にいる妻が典型的な夫婦像であり、そして「留守の方がいい」と冗談を言って笑う「余裕」があった時代なのだろう。裏を返せば、それだけ女性の社会的地位が低く、男性にとって脅威ではなかったということだ。
当時から30年が経ち、専業主婦世帯を共働き世帯が上回って久しい。20〜30代の独身者が結婚後に「共働き」を望む割合は専業よりも高いという調査結果が多くある。その一方で、働き続けたくても雇用の場がなかったり、子どもを預ける保育園がなくて仕事を諦めなければならない状況がある。女性が働くことを政府が奨励しているのに、なぜか足かせがなかなかなくならない。男性も男性で昔のようにただ働いていれば自動的に年収が右肩上がりになるわけではないし、育児と家事をともに担うのが「当たり前」で、ちょっと子どもと遊んだだけで「イクメン」を名乗ろうものなら四方八方からドヤされる。男も女も、旧来の働き方や生き方、そして価値観から脱却しようと四苦八苦しながら模索を続けている。未来では「過渡期」と言われるかもしれない、そんな厳しい時代である。そんな時代に、今さらバブル時代の価値観で笑いを取ろうとされてもね。
恐らく「ENEOSでんき」CMの制作担当者は、1980年代からタイムマシーンに乗ってきたのではないだろうか。怒っちゃいないがぽかんとする。ははのん気だね〜って感じである。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/8851
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