2017年1月20日(金) 2017焦点・論点 「共謀罪」の問題点 神戸学院大学法学部教授 内田博文さん 治安維持法の亡霊が導く「戦争国家」と「刑罰国家」 犯罪行為がなくても意思の段階で犯罪とする共謀罪。その問題点について、戦前の弾圧法・治安維持法に詳しい内田博文・神戸学院大学教授に聞きました。(聞き手・安川崇) http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-01-20/2017012003_02_0.jpg (写真)うちだ・ひろふみ 1946年生まれ。神戸学院大学法学部教授、九州大学名誉教授。専門は刑事法学。近著に『治安維持法の教訓 権利運動の制限と憲法改正』(みすず書房)。 ―共謀罪はよく「現代の治安維持法」と例えられます。共通点は。 治安維持法の対象は「国体変革結社」や「私有財産制否認結社」ですが、その内容があいまいでした。結果、度重なる法改定と裁判所の逸脱適用で、取り締まり対象は幾何級数的に拡大しました。 今度の共謀罪について政府は「組織的犯罪集団」だけが対象だと言いますが、実は何の限定にもなりません。 刑法の犯罪は(1)人の行為が(2)明記された構成要件に該当し(3)有害な結果が発生し(4)当人に責任がある―時に成立します。基本原則です。 しかし共謀罪や治安維持法はもっと前の段階で、行為も結果もないものを処罰する。基本原則がすべて外れている。そういうものを犯罪にすると言っていて、その犯罪集団というわけですから、「団体」の定義の中身が何もない。客観的な犯罪ではなくて、取り締まり当局が犯罪だと思ったものが犯罪になるというだけの話です。 共謀罪法案は組織犯罪処罰法の改定案ですが、同法の今の運用実態が参考になります。 例えばある会社が預託金を集めて、赤字になっても募集を続けていると組織的詐欺として処罰されます。これが中心的な運用です。合法な会社や団体でも、行為の時点で「組織犯罪」とされる。この実態があるのに、共謀罪だけ違う対応をすることはありえないでしょう。 普通の人に拡大適用も 治安維持法の制定時も、政府が帝国議会で同じような説明をしています。「全く乱用しません、共産党だけが対象です」と。それ自体問題がありますが、現実には党関係者からその外郭団体へ、さらに自由主義者や反戦主義者、新興宗教関係者へと対象を広げ、「普通の人たちの普段の生活」を取り締まりました。 裁判所が権力チェック機能を果たしていないのもポイントです。 当時も政府は「裁判所が厳格に適用して乱用を防ぐ」と言いました。戦後の裁判所も、沖縄問題を見れば政府言いなりの判決ばかり。その裁判所が共謀罪の厳格な適用を担えるか。難しいでしょう。 もう一つの治安維持法の教訓は、投獄され出所した人や家族が社会でどう扱われたか。「あいつらはアカだ」とバッシングを受け続けた。それもあって「治安維持法は特別な人たちを狙ったものだった」というイメージがいまだに残ります。 共謀罪も「テロリストを狙いますよ」とプロパガンダされている。すると多くの人が「私とは関係ないことだ」と勝手に誤解して、拡大適用されてもほとんどの人が気づかない事態があり得ます。「皆さん自身も対象になるんですよ」ということを理解してもらう必要があります。 改憲のため法律を準備 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-01-20/2017012003_02_0b.jpg (写真)治安維持法の施行などを報じる1925年の新聞 ―安倍政権が狙う改憲との関連は。 一番注目すべきはそこです。その上で、「戦争」と「戦争状態」を区別する必要があります。 軍隊同士がドンパチやるのが戦争だというイメージだと、「日本はまだ戦争をしていないよ」となる。しかし、戦争をするためにはそれを支える戦争状態をつくる必要があります。 軍隊の移動などの軍事情報が絶対に漏れないようにする秘密保護法。すべての資源を戦争に動員できる総動員法。戦争に反対するような人は徹底的に取り締まれるような戦時治安法。有事の「上からの」意思決定を準備する戦時組織法。それらを一体として用意するのが戦争国家です。 その法体制を今、着々と準備しているという意味で、日本は戦争国家に向かっています。直接戦地に行かなくとも、誰もがその法体系の中にどっぷりと巻き込まれていく。そういう観点で共謀罪をとらえる必要がある。狭い意味での戦争をイメージしていると「私は関係ない」となってしまいます。 「いざ憲法を改定し、今以上に世界中に軍隊を派遣できるようにする時には、反対者がもっと広範に出てくるだろう。それを徹底的に取り締まれる法律が必要になる。その時に共謀罪は、その気になればいくらでも使える」。そういうふうにできているというのが要点です。 ―刑事手続きとしての特徴は。 共謀罪は自白で立証することになるので、自白調書さえ取れれば有罪にできる。捜査機関は長期間の身柄拘束をして取れるまで取り調べるでしょう。 実は、自白調書を裁判で有罪立証に使えること自体、治安維持法事件が突破口でした。それまでは殺人などの重要事件ではえん罪のおそれがあるとして、証拠として使えませんでした。しかし昭和16年(1941年)の改定で、治安維持法や国防保安法などの戦争関連刑罰法令の違反に限って証拠能力を認めました。 戦後に治安維持法が廃止された時、これも廃止されるべきでした。しかし不思議なことに、新刑事訴訟法でそれを一般の刑事事件すべてに広げてしまった。この役割を担ったのが戦前の思想検事で、戦後に公安検事に転身した人たちです。「戦後の未曽有の混乱による治安悪化に対処するため」との説明でした。 他にも、治安維持法下で拡大された捜査権限の多くが現行制度に温存されています。戦後、最高裁はこれらを合憲とする判決を立て続けに出しました。えん罪を生む日本型司法の骨格が、この時期に固められました。 治安維持法は死んでいません。よみがえるためのものは残してあります。それを今、まさに取り出してきてほこりを払って使おうとしている。治安維持法の亡霊が跋扈(ばっこ)して、それが為政者にまとわりついています。 先にも言いましたが、問題は共謀罪そのものだけではない。これは大きなプログラムの一環です。1990年代以降、為政者が戦前の歴史を彼らなりに勉強して、その絵を頭に描いて事を進めているように感じています。 新自由主義の政策を採り、「自助・共助」が言われて福祉が後退していく。代わって「安心安全社会」と刑罰が前面に出てくる。福祉でなく刑罰で国民をコントロールする「刑罰国家」化です。 国民が持つ武器は憲法 ―戦前と同じ破滅に向かわないための歯止めは。 戦前と違うのは、私たちが武器を持っているということです。日本国憲法の下、反対する権利が保障されている。デモをしたり集会を開いたり、本を出したり投書したりできる。憲法が裁判所の違憲立法審査権を保障しているので、「共謀罪は違憲だ」という訴訟を起こすこともできます。裁判所がどう判断するかは別問題だけれど、その違憲性を世に問うことはできます。 私たちはそういった武器をもっと十分に活用する必要がある。戦前の反省に基づいて憲法が私たちに保障した武器ですから。 治安維持法 1923年(大正12年)、関東大震災後の緊急勅令として治安維持令を公布。25年、治安維持法を公布。28年(昭和3年)の改定で処罰範囲拡大、法定刑に死刑を追加。41年の改定で処罰範囲と死刑の対象をさらに大幅拡大。45年、連合国軍最高司令部(GHQ)の指令で廃止。 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-01-20/2017012003_02_0.html
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