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「桐島聡」名乗る男が死亡…真相明かすことなく 約40年暮らした藤沢市のバーで「うーやん」と親しまれていた
http://www.asyura2.com/17/nihon32/msg/350.html
投稿者 蒲田の富士山 日時 2024 年 1 月 30 日 17:19:30: OoIP2Z8mrhxx6 ipeTY4LMlXiObY5S
 

これは、911、と同じではないか ?
と、思うのだが。
当初は、太田龍さんが、ターゲットにされたが、
可哀そうに、自由を謳歌したい学生がターゲットにされて、東アジアなんたら、という自称を強いられて・・・。
この人が、ずっと、自分を隠し続けたのは、
周囲に迷惑をかけたくなっかったからなのだろう。
911の、原型と、出発点じゃないか。

―――以下引用

「桐島聡」名乗る男が死亡…真相明かすことなく 約40年暮らした藤沢市のバーで「うーやん」と親しまれていた
2024年1月29日 20時43分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/306022?rct=national

 1974〜75年に起きた連続企業爆破事件で、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されている桐島聡容疑者(70)を名乗る男が29日、入院先の神奈川県鎌倉市の病院で死亡した。捜査関係者への取材で分かった。末期の胃がんで、重篤な状態だった。
◆工務店で働き、給料は現金で
 警視庁公安部はDNA型鑑定で男の身元確認を急いでいる。男が本人と確認されれば容疑者死亡のまま書類送検する方針で、50年近い逃亡生活の全容解明は難しくなる。
 捜査関係者によると、男は「内田洋(うちだひろし)」と名乗り、80年代から神奈川県藤沢市の工務店で住み込みで働いていた。金融機関の口座を持っておらず、給料は現金で受け取っていた。事件後の海外への渡航歴は確認されていないという。
 1年ほど前から胃がんを患い、今月入院。免許証や健康保険証は持っておらず、自費で診療を受けていた。入院当初は内田を名乗っていたが、25日に突然、「私は桐島聡だ」「最期は本名で迎えたい」と病院関係者に伝えた。
 公安部が25日から任意で事情を聴いたところ、桐島容疑者しか知り得ない話をしていたという。
 桐島容疑者は、過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバーで、組織内の「さそり」というグループに所属していた。組織は海外進出した企業を標的に、8人が死亡した三菱重工ビル事件など爆破事件を次々と起こした。桐島容疑者は75年4月に東京・銀座の韓国産業経済研究所を手製爆弾で爆発させたとする容疑で、翌月指名手配された。

◆音楽好きの一面…驚く地元バー関係者
 「桐島聡」の死亡で事件の真相解明が遠のき、警視庁幹部らは一様に「残念だ」と口にした。神奈川県藤沢市で暮らしていた「内田洋」は、周囲から音楽好きで知られていた。胃がんを患い、「桐島聡」と名乗った4日後に命を落とした。
 「本人だとしたらどうやって49年も逃げたのか、支援者はいたのか、聴きたいことだらけだった」。公安部幹部は、男の病状が深刻で満足に聴取できなかったことを残念がった。別の幹部は「全容解明に向け、大きく動き始めると期待していたが…」とつぶやいた。
 約40年前から生活していた藤沢市で男は月1回程度、音楽好きが集まるバーに顔を出していた。
 バーのオーナーの男性(66)は「1960〜70年代のロックやブルースが好きで、店でライブをする時は『イェイ、イェイ』と体を揺らして盛り上げてくれた」と振り返る。
 20年ほど前から1人で店に通うようになり、店員や客からは「うっちー」と親しまれていた。だが、数年前から姿が見えなくなったという。桐島容疑者を突然名乗ったことに「本当にびっくりした」と話した。
 市内の別のバーでは「うーやん」と呼ばれており、週1〜2回来店しては赤ワインを好んで飲んでいた。20年ほど前には、夏に店が主催する70〜80人規模のバーベキューにも毎年のように参加していたが、最近は店にも来ていなかった。容疑者の指名手配写真が貼られている近所の銭湯にも、たびたび通っていたという。
 バーの男性店主(63)は報道後、友人から「うーやんじゃない?」と言われ、「確かに目元が似ている」と思ったという。死亡を受け「愛されキャラだった。悲しくて涙が出た」と語った。
 男が死亡した29日朝、入院していた鎌倉市の病院周辺は多くの報道陣が集まった。近くの70代男性は「本当に容疑者であるのならば、もっと早く名乗り出て被害者側に謝罪すべきだった」と話した。 (山田雄之、浜崎陽介)

◆「わびるために名乗ったと言ってほしかった」と被害者の家族
 「もし本当に本人だったとしたら、『事件をわびるために名乗った』と言ってほしかった。そのひと言があれば、少しは救われた気持ちになれたと思う」
 三菱重工ビル爆破事件で夫がけがを負った宗像信子さん(75)=さいたま市=は、桐島聡容疑者を名乗る男の死亡に割り切れなさをにじませた。
 三菱重工社員だった夫の善樹さん=2021年12月に78歳で死去=は1974年8月30日、ビル内で勤務していたところを爆風に襲われた。右耳の鼓膜が損傷し、聴力が大幅に低下する後遺症が残った。
 定年退職後、事件にまつわる書籍を出版。「命を落とした人に鎮魂の気持ちを表したかった。懸命に救護にあたった人のことも忘れられないようにしたかった」と語っていた。
 信子さんは男の死亡を受け、夫に「あなたならどう受け止めるかしら」と語りかけたという。(大久保謙司)

【関連記事】指名手配から49年…桐島聡容疑者とみられる男を警視庁が聴取 連続企業爆破事件に関与か、神奈川で入院中
【関連記事】桐島聡容疑者とみられる男、「内田洋」と名乗って生活 路上で倒れて救助されたか
 

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コメント
1. 蒲田の富士山[2159] ipeTY4LMlXiObY5S 2024年1月31日 14:23:44 : uvOT9DWn9g : SWxhLmhQS3ZxQU0=[1] 報告
常連バー店長、手配犯と気付けず 心境複雑「被害者に申し訳ない」(東京新聞・共同)
2024年1月30日 19時18分 (共同通信)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/306250?rct=national

 連続企業爆破事件を巡り指名手配されていた桐島聡容疑者(70)と名乗った男は、「内田洋」として神奈川県藤沢市で数十年暮らしていた。常連だったバーの50代の男性店長は一緒に銭湯に行ったり、誕生日にプレゼントをもらったりする仲だった。「約25年一緒にいたけど気付けなかった。うーやんが大好きだけど、もし本当なら一連の事件の被害者や関係者に申し訳ないとも思う」と複雑な心境を吐露した。
 店長は1999年のバーのオープン当時に男が初めて来店したときのことを覚えている。店の雰囲気を気に入った様子で常連となり、他の客らからも「うーやん」と親しまれていた。最初のころはバーボンしか飲まなかったが、「体に悪いから」と徐々にワインやビール、日本酒ばかり頼むようになった。新潟や長野に「友人とスキーに行った」とも話していた。
 容疑者は広島県の出身だが男は岡山県出身で20代のころは品川区の旗の台に住んでいたと語り、その後は「しばらく横浜で港湾労働者をしていた」と話したという。

2. 疾風[9] jr6Vlw 2024年1月31日 23:47:53 : vxpqjnHJNI : R21LellFeWFWRTY=[1] 報告
八咫烏が絡んでいる。
闇は深すぎる。
3. 蒲田の富士山[2162] ipeTY4LMlXiObY5S 2024年2月01日 19:06:40 : uvOT9DWn9g : SWxhLmhQS3ZxQU0=[4] 報告
記事タイトルの後ろに、(東京新聞)を付けるのを、忘れていました。


4. 蒲田の富士山[2196] ipeTY4LMlXiObY5S 2024年2月27日 14:46:47 : 52GI18BkOw : UlVRQzVUQ0MuWlk=[3] 報告
<△28行くらい>
死亡の男、桐島容疑者と特定 連続企業爆破で書類送検へ(東京新聞)
2024年2月27日 11時31分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/311706

 1974〜75年に起きた連続企業爆破事件に関与したとして指名手配されていた桐島聡容疑者(70)を名乗り、入院先の病院で今年1月に死亡した男について、警視庁公安部は、DNA型鑑定の結果などから桐島容疑者本人と特定した。捜査関係者への取材で分かった。
 公安部は27日、指名手配された事件を含む五つの事件について、爆発物取締罰則違反容疑で、容疑者死亡のまま書類送検する。
 捜査関係者によると、男と桐島容疑者の親族のDNA型鑑定で「親族関係に矛盾はない」との結果が出た。また、男が入院先で事件当時の状況や桐島容疑者本人しか知り得ない個人や家族の情報を話していた。
 入院先での公安部の任意の事情聴取に、桐島容疑者は指名手配された75年4月の韓国産業経済研究所の爆破事件は「知らない」と関与を否定した一方、75年2月の間組(現安藤ハザマ)本社の爆破など四つの事件への関与を認めたという。
 桐島容疑者は今年1月中旬、末期の胃がんで神奈川県鎌倉市の病院に「内田洋」の偽名で入院。免許証や健康保険証を持たず、自費で診療を受けていた。重篤な状態の中、1月25日に「私は桐島聡だ」「最期は本名で迎えたい」と病院関係者に告白。4日後の29日、体調が急変し死亡した。
 桐島容疑者は80年代から神奈川県藤沢市の工務店で住み込みで勤務。海外への渡航歴は確認されておらず、約49年にわたり国内に潜伏していたとみられる。
 桐島容疑者は、過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバーで、組織内の「さそり」というグループに所属。組織は海外進出した企業を標的に、8人が死亡した三菱重工ビル事件など爆破事件を次々と起こした。共犯者が海外に逃げているため時効は停止している。

5. 蒲田の富士山[2198] ipeTY4LMlXiObY5S 2024年2月28日 05:27:07 : 52GI18BkOw : UlVRQzVUQ0MuWlk=[5] 報告
<△25行くらい>
「桐島聡だったら弔えないよ…」学生時代や潜伏中に親交があった人たち 指名手配犯だと確定しての胸中(東京新聞)
2024年2月27日 19時04分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/311794?rct=national

 「私は桐島聡だ」と突然名乗り出た男が重要事件の指名手配犯と特定された27日、高校時代の同級生は「悲しいけど事件の被害者もいる。複雑です」と声を落とした。長年暮らしていた神奈川県藤沢市の知人は「弔えない」と突き放した。

◆「穏やかでおとなしい子だった」
 「もともと穏やかでおとなしい子だった。若い時の過ちのせいで、故郷や友だちを捨てて不都合を背負って生きてきたのでしょう。寂しい限りです」
 広島県尾道市の県立高校で同級生だった女性(70)は、死亡した男が桐島容疑者と特定されたことを悲しんだ。一方で「一連の事件ではたくさんの被害者が出た。本当に事件に関わったのだとしたら残念です」とも話した。

◆「内田洋のまま亡くなってほしかった」
 桐島容疑者は1980年代から藤沢市の工務店で、「内田洋」の偽名で住み込みで働いていた。25年にわたって通っていた市内のバーの男性店主(54)によると、岡山県出身で20代は東京・品川で生活していたと説明していた。
 常連客からは「うーやん」「うっちー」と呼ばれ、「みんなに好かれるキャラクターだった。ライブのときは最前列でノリノリだった」と振り返る。
 かつての人気者は指名手配犯だったと特定された。「なぜ死ぬ前に被害者に謝罪を述べなかったのか。僕は内田洋のまま亡くなってほしかった。桐島聡だったら弔えないよ」と声を震わせた。(山田雄之、浜崎陽介)

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