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改革という改革は全部失敗だった
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/158.html
投稿者 中川隆 日時 2018 年 3 月 26 日 10:08:07: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 日本の官僚は悪い 投稿者 中川隆 日時 2017 年 12 月 25 日 13:34:34)


「衰退途上国」日本の平成30年史を振り返る
リベラルはなぜ新自由主義改革に賛同したか 2018年03月23日
http://toyokeizai.net/articles/-/212812


この30年、平成の停滞・衰退をもたらしたものの正体とは

来年4月30日、今上天皇は退位され、「平成」が幕を閉じることになる。この30年間で何が変わり、何が変わらなかったのか? 中野剛志(評論家)、佐藤健志(評論家)、柴山桂太(京都大学大学院准教授)、施光恒(九州大学大学院准教授)の気鋭の論客4人が「つねに改革を叫び続けた時代」を徹底検証する。

中野 剛志(なかの たけし)
評論家。1971年、神奈川県生まれ。元・京都大学大学院工学研究科准教授。
専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2005年に同大学院より博士号を取得。主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『TPP亡国論』『世界を戦争に導くグローバリズム』(ともに集英社新書)、『国力論』(以文社)など


佐藤 健志(さとう けんじ)
評論家、作家。1966年、東京都生まれ。東京大学教養学部卒業。
戯曲『ブロークン・ジャパニーズ』(1989年)で文化庁舞台芸術創作奨励特別賞を受賞。『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(文藝春秋、1992年)以来、作劇術の観点から時代や社会を分析する独自の評論活動を展開。主な著書に『未来喪失』(東洋経済経済新報社)、『夢見られた近代』(NTT出版)、『震災ゴジラ! 戦後は破局へと回帰する』(VNC)、『右の売国、左の亡国』(アスペクト)など


柴山 桂太(しばやま けいた)
京都大学大学院人間・環境学研究科准教授。
専門は経済思想。1974年、東京都生まれ。主な著書にグローバル化の終焉を予見した『静かなる大恐慌』(集英社新書)、エマニュエル・トッドらとの共著『グローバリズムが世界を滅ぼす』(文春新書)など多数


施 光恒(せ てるひさ)/政治学者、九州大学大学院比較社会文化研究院准教授。
1971年福岡県生まれ。英国シェフィールド大学大学院政治学研究科哲学修士課程(M.Phil)修了。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程修了。博士(法学)。著書に『リベラリズムの再生』(慶應義塾大学出版会)、『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 (集英社新書)など

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改革という改革は全部失敗だった


中野剛志(以下、中野):今の日本を「衰退途上国」と呼ぶ人がいるようですが、言い得て妙ですね。

佐藤健志(以下、佐藤):平成が始まったのは1989年。今年は平成30年です。この30年間を振り返って一言でまとめるなら、「良くて停滞、悪ければ衰退」の時代だったのではないでしょうか。経済がこれだけ長期にわたり、停滞したか、あるいは衰退しているというのは、明治以降の日本では初めてのことでしょう。

特に戦後は、1950年の朝鮮特需を皮切りに、約40年にわたって経済発展が続いた。それが突然、ギアが反対に入ったかのごとく、ずるずる落ち始めたのです。なぜそうなったのかを理解せずに、日本再生がありうるとは思えません。平成の停滞・衰退をもたらしたものは何か、これはきわめて重要なテーマだと思います。

中野:同じ停滞でも、改革派の人たちが主張するように「政府や政治が何も手を打たなかったためにこうなってしまった」というなら、まだ救いようがある。しかし現実はそうではなかった。

冷戦終了後、あるいはバブル崩壊後に、「日本はこれから抜本的に変わらなければならない」ということは政治の世界でもメディアの世界でもうるさいほど言われてきた。自民党政権から非自民連立政権に交代した1993年頃から、改革ブームが始まった。橋本政権も、細川政権も、小泉政権も「明確なビジョンと意志をもって、日本という国のあり方を根本的に変えなければいけない」と言っていた。安倍政権もそうです。

その意味で平成とは、「つねに改革を叫び続けた時代」であったともいえます。「このままではいけない。何もやらず座して死を待つのではなく、世界の流れを分析して主体的に、抜本的に改革を行わねばならない」と言い合い、決断し、改革しようとした。

しかしその結果がこうだった。結局のところ、日本の停滞を打ち破ろうとして平成に行われた改革という改革は全部失敗だったわけです。

柴山桂太(以下、柴山):問題はその改革の中身ですね。

僕が大学に入学したのは1993年ですが、最初の頃に講義で読まされたのは、日本型経済システムや日本的経営を礼賛する本でした。製造業の分野で日本がアメリカを追い越したのは、日本の組織運営や長期的取引慣行が優れていたからだという話ばかりだったんです。

ところが1997年に大学院に入ったらすっかり様子が変わっていた。今度は比較制度分析の手法などを用いて、日本型システムを一気に改革しなければならないという話になっていた。

たかだか数年で、評価が正反対に変わって驚いた覚えがあります。終戦時に学生だった人たちが、戦前の教科書を塗りつぶさせられたのに近い体験を、僕たちの世代もしているわけです。


中野:私も学生時代に柴山さんとまったく同じカルチャーショック、同じ違和感を持ちました。おそらく施さんも同じでしょうね。

佐藤:日本全体が「今のままではダメだ!」とばかり、改革路線へと鞍替えしたわけですね。確かに敗戦直後、「今までのわれわれは間違っていた。ナショナリズムや軍国主義など捨ててしまえ、これからは平和と民主主義だ!」という方向性が、あっさり既定路線になったのと似ています。

いわゆる「テンプレ(テンプレートの略。ひな形の意)」ですが、テンプレの問題点は、一度出来上がると、本当にそれでいいのかを考えてみることなく、みんなが乗ろうとすること。

自分で物を考えない人ほど乗りたがるし、乗ってしまった人ほど、ますます物を考えなくなる。そして、ますます物を考えなくなった結果として、いっそうテンプレにハマってゆく。思考停止の悪循環が生じるのです。

アメリカでは保守的な思想の新自由主義

佐藤:1990年代以降に進められた一連の改革の特徴を要約すれば、ずばり「日本社会のアメリカ化」となります。「既得権益をなくし、規制を緩和・撤廃したうえで、セーフティネットを外して自由競争を徹底させよう。それこそが活力ある繁栄をもたらすのだ!」という主張が、幅広い支持を得て、錦の御旗となった。つまりは新自由主義改革ですが、それがグローバル化礼賛と結びついて、国を大きく変えていった。

施光恒(以下、施):1993年に出た小沢一郎の『日本改造計画』の冒頭に、グランドキャニオンのエピソードが出てきます。「アメリカのグランドキャニオンは、あれだけ切り立った崖なのにさくがない。日本だったらおそらくさくだらけになっているだろう。日本人は自律性がないからお上に頼り、規制を張り巡らせてもらっている。これからはさくを取り払って規制もなくし、日本人一人ひとりが自分の頭で考えなくてはいけない」という話です。まだ私が学生だった頃ですが、この手の話は当時あちこちで耳にした記憶があります。

中野:新自由主義改革そのものは1980年代の(マーガレット・)サッチャー、(ロナルド・)レーガンがはしりで、日本では中曽根政権の時代に始まっていますね。ただ1980年代の新自由主義は、日本経済の規模が大きくなってきて、「経済大国として国際的なポジションをどう考えていくのか」といった議論の中で論じられていた。それが1990年代になってバブルが崩壊すると、「日本は新自由主義的な考え方がないからダメなんだ」というような自虐型になっていった。

佐藤:1990年代以降の日本では、「旧態依然の日本的なるもの」が否定の対象となりましたが、逆に肯定の対象、目指すべきゴールとして打ち出されたのが、「アメリカ的なるもの」であり、新自由主義でした。

ところが新自由主義は、アメリカではむしろ保守的な思想なんですね。しかも戦後日本では、親米こそ保守のテンプレ。こうして「保守」と呼ばれる勢力が、妙にアメリカ至上主義となって、「日本的なるもの」を否定するというパラドックスが生じます。


佐藤:のみならず、アメリカにおける保守主義は「反政府・反国家」の側面まで持っている。あの国で銃規制が進まないのも、根底にはこれがあります。

身の安全を政府に頼ってばかりいると、権力による抑圧に抵抗できず、自由が失われるおそれがある。だから独立の理念たる自由を守るためにも武装せよ、という次第。実際、「Free Men Bear Arms」(自由は武器を持ってこそ)なんてスローガンまであるくらいです。

日本は刀狩りに始まり、明治初期の廃刀令、敗戦直後の銃砲等所持禁止令(現・銃砲刀剣類所持等取締法)など、一般の人々の武装を規制してきた歴史がありますから、新自由主義者といえども武装の自由までは主張しません。

とはいえ問題は、「反政府・反国家」の発想自体は、いわゆる戦後民主主義の理念とも相性がよく、ゆえにわが国で受け入れられやすいこと。こうしてアメリカにかぶれた改革主義型の保守勢力は、愛国心やナショナリズムの必要性をうたいつつ、個人主義を前面に出して、日本的なるものを否定せよと主張することになった。

集団主義の否定と個人主義への思いこみ

中野:新自由主義と一口で言っても、実はヨーロッパとアメリカで違う。むしろ国ごとに、その国なりの新自由主義の文脈があるという気がします。アメリカ的新自由主義、イギリス的新自由主義、いろいろあると思うのですが、その中で、1990年代以降の日本的新自由主義は「日本的なるものの否定」という意味合いが強かった。

施:そうなると「では日本的なるものとは何か」という議論になってきますね。

中野:それについて私の考えを言わせてもらうと、多くの人の頭の中にある「日本的なるもの」とは「日本は集団主義の国である」というものだったと感じます。集団主義の日本と対峙するのがアメリカ的な個人主義であり、つまり日本的新自由主義とは個人主義を意味していた。

施:「新たなイノベーションのために、日本にも個人主義が必要である。自律的個人からなる社会へと日本を改革していかなければならない」という主張は今でもしばしば目にします。

柴山:個人主義に対する偏った思い込みがあるように思います。「個人主義だからイノベーションが起こり、経済が成長する」というのは本当なのか。

この発想のルーツはたぶん、ミルトン・フリードマンでしょう。フリードマンは『資本主義と自由』の中で、「ヨーロッパが世界に先駆けて発展できたのは、個人主義があったからだ」という主張をしています。(レオナルド・)ダ・ヴィンチにせよ誰にせよ、ヨーロッパの偉人たちはみな個の自由を追求し、その上に偉大な文化を作り上げた。アジアにはそれがなかったという趣旨のことを述べています。

しかし現実はそう単純ではない。個人主義があったから文明が発展したわけではなくて、経済が発展したから個人主義的な文化が花開いたんです。豊かになると意識が変化して、「自分は個人としての自由を持っている」という観念が出てきますから。

では発展は何によって起きたのかと考えると、実際は多くの要因があったわけです。最近の経済史研究では、ヨーロッパの経済発展を地理的な要因や近代国家形成の観点から説明するものが増えている。文化の面でもイスラーム圏からの影響など、さまざまな条件が重なって発展が起きたのであって、「個人主義的な思想や体制があれば経済が発展する」というほど単純ではないんです。

佐藤:「アジアは集団主義的なため、自覚的な主体性を持った個人が存在せず、文明として遅れている」という考え方は、ヨーロッパにも日本にも根強くありました。たとえば1950年代、増村保造という映画監督が、「日本映画初の本当の戦後派」として評判になります。しかるに増村さん、イタリアに留学していたこともあって、徹底した西洋至上主義者なんですよ。発言を2つ、ご紹介しましょう。

「ヨーロッパの空気を吸ってみて、はじめて『人間』というものを知ったような気がする。ヒューマニズムの伝統がない日本では、人間とは美しく豊かで力強いものだなどとは、観念的には諒解できても、実感として体得できない」(1958年)

「(映画『卍』で描きたかったのは)アジア的暗黒の滑稽さと、ヨーロッパ的肉体崇拝の明晰さである。(中略)何を言うよりもまず、ギリシア以来の論理と客観性を愛したかったのである」(1964年。表記を一部変更)

これが正しければ、増村保造さんご自身も、日本社会で生きている以上、アジア的暗黒の産物にすぎず、本当のところ「人間」ではありません。しかしまあ、その点は脇に置きましょう。

左派はなぜ新自由主義を受け入れたのか

中野:日本では1990年代以降の経済停滞に対して、本来であれば福祉国家を志向し、新自由主義に対して反発すべきリベラル、左翼までが、逆に新自由主義的改革に賛同してしまうという現象が生じた。この傾向はヨーロッパでも多少みられはしましたが、特に日本の新自由主義において顕著な特徴ではないかと思います。


柴山:おっしゃるとおり、反対どころか完全に補完勢力になっていましたね。

中野:左翼がなぜ政府内の改革派の補完勢力となり、新自由主義的改革に賛成したのか。私の解釈は、それは新自由主義が左翼の好きな、「日本的なるもの、すなわち集団主義の破壊」であるから、というものです。

佐藤:日本の野党は伝統的に「小さな政府」志向です。明治政府は富国強兵を国家目標に掲げましたが、政府主導で産業化や軍事力の整備を進めるとなると、国民の税負担が重くなりやすい。これに対して野党は、帝国議会が開かれるようになった直後から、「政費節減・民力休養」を公約に掲げて反対しました。歳出カットによってプライマリーバランスを改善し、減税をやれという話です。

戦後になっても、たとえば1965年に佐藤栄作内閣が初の赤字国債を出したとき、野党第一党だった社会党(現・社民党)は「赤字国債は戦争への道」と反対しています。いわゆる「昭和の戦争」の際、政府は国債を大量に発行しましたが、その経験がトラウマになったのか、「政府負債の増加=戦争(準備)」と決めてかかっているんですね。佐藤内閣にしてみれば、1964年の東京オリンピックが終わった反動で生じた不況を、何とかしたかっただけなんですが。

佐藤:有名なマルクス経済学者の大内兵衛さんまで、「この不況は、放っておいたほうが資本主義は健全になる」という旨の発言をし、赤字国債発行絶対反対を表明されたとのこと。どうも日本では、マルクス経済学すら市場原理主義に通じているらしい。これぞ「マルゆう」、マル経が言うな(笑)。

戦後日本で左翼とか革新とか言われた人たちにとって、国家とは「悪しき権力」であり、抗議・抵抗・打倒の対象でした。それに対して保守がナショナリズムを唱え、日本的なるものを擁護する、この図式が長らく存在していたわけです。ところが平成に入ったら保守の側が「これからは新自由主義とグローバリズムだ。国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去った!」と、ナショナリズムをぶん投げるようなことを言い出した。

おまけに左翼はずっと、国連中心主義的なコスモポリタニズムという形で、政治主導型のグローバリズムを唱えてきています。保守のグローバリズムは経済主導型なので、そこはちょっと違うんですが、「日本(あるいは国家)の否定」に関しては変わらない。

左翼が新自由主義的改革に抵抗できないのも、そう考えれば当然の帰結でしょう。ただし見方を変えれば、これは保守が「左傾化」し、国家否定で相手側と足並みをそろえたということでもある。昨今の日本が本当に「保守化」「右傾化」しているかは、率直に言って疑わしいのです。

ストーリーとしての「1940年体制論」

柴山:左派が新自由主義を受け入れるにあたっては、野口悠紀雄氏が唱えた「1940年体制」という概念の存在が大きかったと感じます。あれは1995年に発表されていますね。

施:野口氏の1940年体制論では、「いわゆる日本型経営と言われるもの、それは実は戦争準備のために作られた統制経済の延長であった」というとらえ方をしていました。その後、「総力戦体制論」といった議論が出てきて、「日本型経営などこれまでの経済成長を導いてきた日本的な特色は軍国主義につながる集団主義であり、前近代的な体制である」と色付けされてしまった。

確かにそれにより、本来であれば新自由主義に対抗すべき左派の人たちが立場を変えてしまった印象があります。左派が、新自由主義の側に立ち、日本型経営や日本型資本主義を集団主義的経済システムだとしてたたき始めたんですね。

中野:1990年代後半から不況が深刻化すると、右も左も1940年体制論に飛びついた。それは野口氏の1940年体制論が、明治以来ずっと日本人を支配してきたストーリーに見事に合致していたからでしょう。

施:そのストーリーとは、「集団主義的な体制こそがつねに日本が敗れる原因なのだ」ということですね。


『富国と強兵 地政経済学序説』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

中野:そうです。「日本は翼賛体制を採ったことで戦争に突き進み、敗れた」と考える。実際には、世界大戦は総力戦ですから、戦争に勝った国々でも集団主義的な体制だったのですが、そういう議論にはならず、日本固有の集団主義が悪いから戦争に負けたということになる。

そして、戦後は経済で頑張ってきたけれども、平成不況でそれもダメになった。そのとき「これは第二の敗戦だ」と言われるわけです。それは「第二の敗戦という以上は、その原因は当然、第一の敗戦と同じはずだ」という発想になる。つまり「集団主義的な1940年体制が戦後の日本を支配していた。だから日本は負けたのだ」ということになるわけです。

柴山:第一次オイルショック後の1975年あたりもそうでしたね。あの当時も「第二の敗戦だ」と言われ、「それまで高度成長を主導してきた総合商社などの企業の体制が、かつての日本軍と同じような集団主義的なものであって、それが第二の敗戦の原因ではないか」という議論が出てきています。

中野:それだけ日本人の頭には「日本が負けたのは集団主義的だから」というストーリーが深く刷り込まれているということですね。

平成が経済の転換点となったもう1つの要因

柴山:平成が経済の転換点となった要因をもう1つ挙げると、これは世代論になってしまうんですが、平成期になって、経営者も政治家もサラリーマン化したことがあると感じます。1989年あたりまでは戦前生まれの世代が社会の中心にいた。1989年つまり昭和64年(平成元年)には、終戦の年である昭和20年に生まれた人が44歳だった。平成は戦前世代が徐々に社会の第一線から退き、戦後第一世代に代わっていった時代なんです。

戦前生まれと戦後世代の違いはやはりあって、インタビューして話を聞いてもかなり違う。戦前生まれの経営者は良くも悪くも頑固で骨がある。状況適応的ではなく、自分で考えて自分で決める、そのために勉強もよくしている。それが下の世代になると、だんだんサラリーマン化していく印象があります。

平成には政治の世界でも田舎育ちの保守政治家が消えていき、都会生まれの比較的高学歴で個人主義的な価値観をもった人たちが政治の中心になっていった。おそらく官僚も学者の世界でもそうだったでしょう。社会のリーダーが戦前の文化の中で育ち、焼け跡からの復興でたたき上げられてきた世代から、戦後の都会の空気の中で育った人たちに交代したことが、時代の潮目が変わる大きな要因ではなかったかと感じます。
 

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コメント
 
1. 中川隆[-10938] koaQ7Jey 2018年4月22日 13:17:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11803]

2018年04月22日
路線バスは全国統一路線にすべき 規制緩和の失敗例

路線が途絶えて頭を抱えるのがおなじみのシーン、これでは誰も利用する筈がない
引用:https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/2d/f5406e0381966b19e8af1f1cb206b5a0.jpg

バス衰退は国策の失敗

全国の路線バスが赤字によって次々に縮小され、鉄道廃線とあいまって地方の衰退に拍車をかけている。

人口が減少しているから当然のようにも思えるが、国の政策失敗による「人災」の要素が大きい。

人災であるからには、国が間違った政策を転換すれば、路線バスは息を吹き返す可能性が高い。


2017年11月には仙台市市バスで、全46路線すべて赤字になったのが分かり、衝撃を与えた。

仙台では100円の収入を得るのに全体で160円を投じており、全国の赤字路線もこういた状態になっている。

1980年に30万人だった利用者は10万人に減少し、今後さらに減少が予想されている。


岡山県両備バスでは78路線のうち31路線の廃止とどけを出したのが大きな話題になりました。

2002年に小泉改革による規制緩和で、格安バス会社の参入が自由になり、路線バスを運行するバス会社は「ドル箱路線」を奪われた。

儲かる路線は格安業者に取られ、儲からない路線だけを「義務」として押し付けられた結果会社が赤字になり倒産の危機を迎えている。


あらゆる業界でデフレ不況を巻き起こした小泉改革の規制緩和は、日本の路線バス壊滅の危機も引き起こしていた。

その小泉親子は現在、電力事業と農業の規制緩和を主張しているが、実現したら農業と電力も壊滅するでしょう。

路線バス運行会社は国策として赤字路線の運行を義務つけられているのだから、見返りとして利益が出る路線で優遇されなくてはならない。

規制強化し全国統一路線にするべき

JRと同じで赤字路線を維持する費用を捻出するため、新幹線やドル箱路線をJRに独占させている。

もし全ての鉄道を自由化したら、利益が出る路線は運賃が安くなるが、赤字路線はすべて廃止されるでしょう。

路線バスは国の愚作の結果こうなろうとしていて、規制緩和が地方衰退を加速させてしまった。


「路線バス乗り継ぎの旅」という人気番組があり、印象的なのは全国どこの路線バスに乗っても、途中で路線が分断されていることです。

隣の県に行けないのは勿論、隣りの町にすら行けなかったり、町内や村内ですら分断されている。

これでは利用したくても利用できないので、全国をひとつの「大路線バス」として接続して利用を促す必要がある。


日本の路線バスは一部の市営バスを除いて小さなバス会社がばらばらに運行していて、バス会社同士の接続も考えられていない。

外国はこうではなく、とりあえずバスに乗れば国中のどこにでも行けるという制度になっている国もある。

小さな会社で利益を出さなくてはならないので、日本の路線バス料金は驚くほど高額で、ますます客離れを起こしている。


全ての路線を計画的に接続する事で、必ずバス利用者は増えるし、経営状態も改善される。
http://www.thutmosev.com/archives/75818566.html


2. 中川隆[-13764] koaQ7Jey 2018年8月16日 01:00:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17878] 報告

2018年8月15日
【藤井聡】終戦記念日に考える、「戦後レジームからの脱却」と「デフレ脱却」
https://38news.jp/default/12284


「終戦記念日に考える、
「戦後レジームからの脱却」と「デフレ脱却」。」
From 藤井聡@内閣官房参与(京都大学大学院教授)

今日は8月15日―――いわゆる「終戦記念日」です。

この頃になると、
メディア上では
第二次世界大戦や大東亜戦争を振り返り、
東京大空襲や大阪大空襲、
広島や長崎の原爆や、
東京裁判、靖国問題、 “従軍”慰安婦問題、
特攻隊、玉音放送、GHQによる日本占領・・・等
が取り上げられます。

「サヨク」系のメディア(主として新聞やテレビ)は、
二度と戦争の過ちを繰り返してはならない、
という「反省」を基調とした報道を繰り返し、

「ホシュ」系のメディア(主として雑誌)は、
民間日本人を大量虐殺したアメリカについては口をつぐみつつ、
先の大戦には大義があった、
“従軍”慰安婦や南京大虐殺といった
中国や韓国のプロパガンダに欺されてはならない、
という「嫌中、嫌韓」を基調とした報道を繰り返すのが、
ここ最近の流儀となっています。

しかし、この「サヨク」のイメージも
「ホシュ」のイメージも、
いわゆる「戦後レジーム」と呼ばれる構図に包含されており、
その意味において、両陣営の「いがみ合い」が続く限り、
「無限地獄」の様に
「戦後」と呼ばれる空間は延々と持続してしまいます。

そもそも戦後レジームとは、
「東京裁判」の「価値観」に基づいて、
あらゆる言論空間と仕組みを構築していく体制です。

東京裁判の価値観とは要するに、

(1)戦前日本は悪者で、
(2)中韓は日本の被害者で、
(3)アメリカは悪者日本をやっつけたヒーロー。

という物語を意味します。
そして、この3つの物語は、
次の「結論」を今日の日本に強要するものです。

(4)戦後日本はヒーローにはもう刃向かわない、お利口さん。

この(1)〜(4)の「物語」こそが、
「戦後レジーム」の根幹にあるものであり、
これが国際社会においても、日本国内においても、
驚くべき程に実に幅広く共有されています。

日本の「歴史教科書」や「国民世論」
そして中韓やアメリカの世論が、
この「戦後レジームの物語」をベースに
構成されているのはもちろんのこと、

「新憲法」や「日米安保条約」、
さらには現代日本の「価値観外交」なる代物
(日米が共有して持つ自由と民主主義を重視する外交)も、
全て「戦後レジームの物語」をベースとしています。

そして、先に述べた「サヨク」の歴史観も、
「ホシュ」の歴史観も
この戦後レジームの物語をほぼ忠実に踏襲したものとなっています。

もちろん「サヨク」は
「反米の気分」を醸し出すという意味で、
そして「ホシュ」は
嫌韓、嫌中の区分を醸し出し、
日本にも大義があったと息巻くという意味で、
それぞれ「戦後レジーム」に対して
若干の反発を示すものではありますが、
最終的な「結論」である

(4)戦後日本はヒーローにはもう刃向かわない、お利口さん

という点については実質上見事に一致しており、
(サヨクは国連に従い、
ホシュはアメリカに従うという相違はありますが、
実質上、国連=連合国=アメリカなのです)
基本的には「戦後レジーム」の物語を
是認していることには相違ありません。

したがって、サヨクとホシュがどれだけ表面上
いがみ合っても、戦後レジームからの脱却など
果たせる筈もないのです。

・・・

ところで、我が国が
この「戦後レジーム」の中に居続けることは、
望ましいことなのかと言えば―――
言うまでも無く、その答えは「No」です。

なぜなら、
(4)戦後日本はヒーローにはもう刃向かわない、お利口さん
という結論は、外国の国益と日本の国益とが相反した時、
「日本よりも外国を重視する」という事を意味しているからです!

したがって、「戦後レジーム」の中に居続ける限り、
日本の国益が毀損し続けていくことは避けられないのです。

実際、小泉首相以来、今日に至るまで
過激に進められてきたあらゆる「改革」や「民営化」は、
いずれも「戦後レジーム」の必然的帰結です。

郵政や農政の改革や、
IRの導入や水道民営化、種子法の改正、TPP等はいずれも、
「ヒーロー」に要請されたもの、
ないしは、要請されていると日本が勝手に
「忖度」したものばかりです。

いわばそれらはいずれも、
「海外のヒーロー達に『お利口さんですね』と褒められるため」
に断行されたものばかりなのです。

さらには、集団的自衛権を巡る議論も、
憲法改正の議論もいずれも、
戦後レジームからの脱却を企図する
「自主独立」を高めるものというよりはむしろ、
「ヒーローからの出兵命令に従順に従いやすくする」という
戦後レジームを「強化」するものとして展開された、
というのが実態です。

・・・

そして、そんな風に
「海外のヒーロー達に褒められる」ことばかりを考えて
政治が展開されていけば、
結局、国内における
「政治を巡る公論」が荒廃していくことになります。

どんなに正論を述べても、
結局は「外国の顔色を窺う」ことが優先されるからです。

そして、「公論が荒廃」すれば、
結局は「力を持つ者」の影響力が極大化することになります。

これこそ、今日「財務省」が圧倒的な力を持ち、
デフレが脱却出来ない最大の根本的原因なのです。

もし、「公論」の力が残っていれば、
世論と政治において不条理な緊縮路線は一発で覆され、
積極財政がいとも容易く断行され、
デフレなどは、とっくの昔に終わっていた筈なのです。

しかし、「外国の顔色を窺う戦後レジーム」が
圧倒的な力を誇る戦後日本では、
「公論」の力が失われ、言論が荒廃し、
最強官庁である財務省に対抗することが出来なくなり、
デフレが延々と続く状況となっているのです。

そして、デフレが続けば続くほど、
人々に余裕が無くなり、
公論の力がますます失われ、
財務省がますます強くなっていくと同時に、
「戦後レジームから脱却」する力も気力も
全て失われていくこととなっているわけです。

―――嗚呼、哀れなり戦後日本―――。

この絶望的状況は、
「あの戦争とは一体何だったのか」
を十分に問い直していないところに、
全ての出発点があります。

「敗戦記念日」である8月15日の今日―――
この機会に是非とも一人でも多くの国民に、
あの戦争とは一体何だったのか、
あの戦争を戦った先人達は何を守ろうとしたのか、
そしてその戦いの果てに我が国を覆い尽くすに至った
「戦後レジーム」とは一体何なのかを、
しっかりとお考え頂きたいと思います。

もしもそれができないのなら、
私たちはいつまでもいつまでも、
「戦後レジーム」という「無間地獄」の中を
さまよい続けることになるのですから―――。

追伸:
「デフレ脱却」をはじめとした具体的な実践のためには、本記事のような思想的な考察が絶対に必要です。そんな角度からものごとを考えるためにも、是非とも、危機と対峙する保守思想誌『表現者クライテリオン』をご一読ください。
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3. 中川隆[-13722] koaQ7Jey 2018年8月23日 06:52:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18040] 報告

2018年8月22日
「ポピュリズム肯定論」がデフレ脱却を導く
From 藤井聡@内閣官房参与(京都大学大学院教授)


そもそも「ポピュリズム」と言えば、日本では
「大衆迎合主義」などと呼ばれ、
何やら「悪しきもの」と見なされています。

ですが、そんな「ポピュリズムを否定する雰囲気」こそが、
今の日本を閉塞させている―――というのが、
本特集の基本認識です。

例えば、今、
我が国で何よりも大切な経済問題は「デフレ脱却」。

「デフレ脱却」さえできれば、
国民の所得は上がり、格差は是正され、
国民の暮らしは「豊か」なものとなります。

しかし、「デフレ脱却」のために必要な
「大型財政政策」も
「過剰なグローバリズムの緩和」も、
双方共に全く出来ていないのが現状です。

それもこれも、
日本官僚や知識人、学者といったインテリ達が皆、
緊縮やグローバリズムを主張し続けているから、
に違いありません。

つまり今の日本は、
インテリ達が間違った政策を主張し、
その方向で政治が動き、
デフレがいつまでも続き、
庶民が苦しめられている―――
という構図にあるわけです。

ところが、今、
アメリカやイギリスでは、
もった異なる議論が展開されはじめています。

イギリスが「EU離脱」を決定し
アメリカが大統領選挙で「トランプ」を勝利させたのです。

EUもクリントンも、
旧来型のインテリ達が推し進めようとする
「グローバリズム」や「緊縮」の象徴だったのですが、
その流れに対して、「国民」が、
「NO」を突きつけたわけです。

これこそまさに「ポピュリズム」。

その結果、
アメリカでもイギリスでも、
庶民を苦しめ続けた政治が、
着実に変わり始めているのです。

ところが・・・

我が国日本では、
こうした英米のポピュリズムを批判する声が絶えません。

「EUから脱退するなんて、
イギリス人はなんて愚かなんだ」

「トランプを選ぶなんて、
アメリカ人はホントに非知性的で、不条理だ」

という意見が、日本においては支配的です。

しかし、そんな日本のインテリ達は、
完全に間違っています。

なぜなら、
グローバリズムや緊縮財政等の
机上の空論を振り回すインテリ達よりも、
「庶民の不満」を代弁するトランプやEU離脱派の方が、
英米の国益にとってずっとずっと「マシ」だからです。

つまり、「インテリ達が間違っている場合」には、
インテリ「以外」の人々の意見を重視する
ポピュリズムこそが、
正しい政治を導くのです!

だからこそ、我が国においても、今、
敢えてポピュリズムを「肯定」する議論が、
強く求められている――という次第です。

「表現者クライテリオン」では
そんな基本的な認識に基づいて、
「財務省」をはじめとした高級官僚達や経済学者、
メディア関係者や一流財界人など、
日本国内でデカイ顔をして、
他者を小馬鹿にしながらエラソーに自説を開陳し続けている
いわゆる「インテリ」達が、如何に、
現実を無視した「間違った主張」を繰り返し続け、
日本を破滅に導き続けているのか―――
一方で、「庶民からの反逆」とも言いうるポピュリズムが、
如何に日本で求められているのか―――
といった論点を、様々な角度から論じました。

デフレから脱却できず、
疲弊し続ける我が国日本において、
こうした「ポピュリズム肯定論」は、
閉塞した現状を打開する、
効果的な「一撃」となるに違いありません。
https://38news.jp/america/12309

4. 中川隆[-13346] koaQ7Jey 2018年10月17日 08:32:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19270] 報告


日本経済はこうすれば復活する 自民党が絶対に実行しない経済政策 グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート2016年5月26日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/3366


日本経済は本当に瀬戸際にある。アベノミクスは円安と株高で経済を持ち上げようとしたが、それは永遠に続くものではなく、金融市場が日銀に反旗を翻した途端、日本経済は失速し、それは既にGDPに表れている。これは最初から分かりきっていたことである。


•金融市場に隷属する中銀: マイナス金利に踏み込んだ日銀の追加緩和が示す株式市場の先行き

•2016年1-3月期日本のGDP内訳: ついにマイナス成長、円安減速で輸出減加速

ではどうすれば良いか? 批判するばかりでは芸がないから、本稿では瀕死の日本経済を少なくとも可能な限り最良な状態へ持って行くための経済政策を考えてみたい。

消費税の撤廃

先ずは消費税からである。消費増税と法人減税が日本経済のためになるという、自民党の面白い論理から崩してゆこうと思う。

そもそも日本経済の問題とは何か。労働人口減少による個人消費の長期的減少傾向である。高齢化により仕事を辞めて年金で暮らす人が増えれば、仕事をして収入を得ていた頃と比べ、人々は消費をしなくなるだろう。日本は先進国で一番初めに、いわゆる長期停滞に陥ったのである。

•元米国財務長官ラリー・サマーズ氏が長期停滞論とは何かを語る

需要減少のもたらす結果は、成長減速とデフレである。インフレ率とは需要と供給のバランスで決まるのであり、需要が供給に対して少なすぎる場合、物価は下がりデフレとなる。

デフレは需要が足りていないというサインである。クルーグマン氏らとともに安倍首相が招聘したハーバード大学のジョルゲンソン氏は、日本経済の問題点は生産性の低さであり、そのためには法人減税を行うべきだと述べて経団連と財務省を喜ばせたが、この論理は無茶苦茶である。

•国際金融経済分析会合、ジョルゲンソン教授への反論: 日本の生産性は低いのか? 法人税減税と消費増税は善か?

先ず、世界経済のデフレ傾向はもう40年ほど続いているが、われわれはその間にIT革命を含む近世以降稀に見るほどの生産性向上を経験している。そしてそもそも、生産性の向上とはコスト減を意味するのであり、コスト減の結果は物価の低下となる。

実際に世界経済はデフレなのであり、生産性が低下しているとする学者らの主張はこうした物価動向を説明できていない。低い生産性はコスト増、そして物価の上昇を生むはずだからである。

だから低成長の原因は生産性ではなく需要減である。アベノミクスの目的もデフレ脱却であったはずなのだが、それでは需要の腰を折る消費増税は理にかなっていない。あり得る選択肢は、デフレ脱却を標榜して消費減税を行うか、デフレ容認を標榜して消費増税を行うかのどちらかであり、それ以外の選択肢はない。上げるべき税金があるとすれば、それは少なくとも消費税では有り得ないのである。これは法人税との比較において詳しく説明しよう。

法人税の大幅増税

消費税を減らすのであれば、その分を補う方法を様々考えなければならないが、先ずは法人税の大幅増税である。

そもそも自民党がさも当然のように法人税の引き下げを行っているのは、経団連がそれを望んでいるからである。経団連とは要するに役員賞与を受けている会社社長などの集まりであり、社内政治以外に特技のあまりない方々である。日本企業で働いている読者が居れば、能力と役職が一致しない会社員など見飽きているだろう。彼らはその成れの果てである。

彼らの受けている役員賞与には会社の費用として計上されるものとそうでないものがあり、費用として計上されないものについては法人税を引いた後の会社の利益から支払われるため、経団連は利益というパイを法人税と取り合っていることになる。だから法人減税を望むのである。

しかし消費税と法人税、どちらを増やすべきか、少し考えてみてもらいたい。消費税とは経済が上手くいっているかどうかにかかわらず、経済活動そのものに課税するものである一方で、法人税とはビジネスを行い利益が出た場合にのみ課税し、儲からない場合には課税をしないというものである。

この意味では消費税は国民が経済活動を行うインセンティブそのものを失わせるものである。どのような場合にも課税がなされるからである。

法人税のように利益に課税されるのであれば、経済活動への影響は軽微で済む。利益が出なければ税金を払わなくとも良いからである。しかしいずれの場合にも課税が発生するのであれば、利益が僅かしか出ないような場合においては経済活動を行わないほうが得となる場合があり、行われるはずだった経済活動が消滅してしまう。したがって法人増税、消費免税が当然の帰結だと思うのだが、自民党がそう思わないのはただ経団連を利するためなのである。

法人税を増税すれば日本からビジネスが逃げてゆくという反論があるかもしれないが、これはナンセンスである。グローバルビジネスの当事者がどのように動くかを理解していない。法人税を40%程度まで上げたとしても、事業が海外に流出することはほとんどないだろう。この理由についてはグローバル・ビジネスにおける法人設立について説明した記事で解説しておいたので、そちらを参考にしてほしい。

•グローバルビジネスにおけるタックスヘイブンの使い方

緊縮財政

次に行こう。次は緊縮財政である。しかし公共事業を減らすという意味においてであり、増税という意味においてではない。

ここでは先ず、そもそも政府の役割というものを考えてみたい。政府には主要な機能が二つあり、一つは公共サービスの提供、もう一つは所得の再分配である。

しかし現在の政権が公共事業を行う目的はそのどちらでもなく、主に景気刺激という名目である。麻生財務相は次のように述べている。

•麻生太郎氏、日銀による財政ファイナンスを肯定: 日本の財政破綻問題はどのように解決されるか


(日本経済では)年間約30兆くらい借りてくれる人が足りない。(中略)誰かがそれを借りてくれない限りは30兆分だけデフレになりますから。それを借りてくれてるのが政府。

つまりは需要が足りないから公共事業で政府が需要を創出するという論理だが、これはおかしいのである。

そもそもの話だが、政府の創りだした需要よりも経済活動で自然に生まれた需要の方が効率的であることに議論の余地はない。だから政府が先ず行うべきは、需要の成長を妨げる課税を先ず取り払い、それでも需要が足りないようであれば財政出動を行う、という手順でなければならない。しかし自民党は消費増税と財政出動を行っている。

増税と財政出動を同時に行うことを正当化する唯一の論理は、所得の再分配である。しかし日本の財政出動は貧困層の利益にはなっていない。上がった株価と上がらない賃金を見ればそれは明らかである。そもそも財政出動は雇用を生み出す目的で行うのだが、日本の労働市場は完全雇用である。

だから異様なまでに膨らんだ日本政府の予算を構成する公共事業は本来不要なのである。所得の再分配にはなっていないし、経済対策と言うのであれば先ずは消費減税である。この論理に反論できる自民党の政治家が一人でもいるだろうか。

経済学的に理にかなっていないにもかかわらず、自民党がそれほどまでに公共事業を行いたがる理由は、いわゆる「大きな政府」を作るためである。

政府とは国民から資金を吸い上げ、そして別の形で吐き出すことを目的としている。そして何処に吐き出すかは政治家が決めることである。だから資金を吐き出す先を決める政治家の周りには企業が集まり、政治家には政治献金や天下りなどの形で便宜が図られる。

これがいわゆる利権であり、政府というものの性質上利権が産まれることは避けられないのだが、日本の場合はかなり度を超えているように思う。ここまで議論してきたように、日本の政策で本当に日本の経済のためを考えて行われた政策は一つもないからである。経団連のために法人減税を行い、財務省のために消費増税を行う。そこに日本経済などは一切関係がない。

政府に存在する利権を拡大する方法とは、端的には増税と財政出動である。こうすれば自民党の経済政策の本質が見えてくるだろう。そうして経済における政府の役割を増やすことで、政府に出入りする資金を増やし、利権を増やしてゆく。

政治家に限らず、財務省が増税を望むのは、財務省が分配する予算が増えれば、財務省に頭を下げに来る政治関係者が増えるからである。そして財務省の権限で配分された予算は、別の利権へと渡ってゆく。そうして日本政府の負債は溜まり、経済は沈む。これが何十年にも及んだ戦後の自民党政治の総決算である。

こうした悪循環を避ける端的な手段は、先ず小さな政府を作ること、そしてもう一つは政府が資金を吐き出す際の政治家の裁量を最小化してしまうことである。つまりは財政出動よりも減税と、そしてヘリコプターマネーである。

ヘリコプターマネー

最後に議論するのは最近話題のヘリコプターマネーであるが、ここで議論をするのは的を絞ったヘリコプターマネーである。

上記のように政治家を利するだけの公共事業をするよりは、国民に直接配ったほうがよほど健全である。とりわけ労働市場が完全雇用であり、公共事業による雇用創出が民間の人材需要締め出しにしかなっていない局面では議論の余地がない。

しかし国民にキャッシュを配るという政策には経済学上の欠点がある。それは消費者の消費性向は企業の消費性向よりも少ないということである。より分かりやすい言葉で言えば、同じ金額を消費者と企業に渡せば、一般的に企業の方がより多くの消費を行う。だから地域振興券などの政策はほとんど使われず、またその事実は財政出動を行う口実にもなる。

これは確かに経済学的な事実である。だからわたしは、ヘリコプターマネーよりは先ず減税を、そしてヘリコプターマネーを行う際には、的を絞って特定の需要のある層に資金を集中投下することを提案したい。

真っ先に対象となるのは子供を産んだ家庭である。日本経済減速の第一の原因は少子高齢化であるが、少子高齢化の原因は20代の若者に子育てのための資金的・時間的な余裕がないことである。

だから少なくとも資金的な問題をヘリコプターマネーで解決する。子供を産んだ家庭には月に5万から10万程度を支給し、出産およびその後の負担を軽減する。

こうした方法の長所は、資金を投下して需要を刺激しようとするのではなく、資金の供給を提示することで消費を増やすインセンティブを作るということである。単に現金をばらまいたのでは、貯蓄に回る可能性が高い。だから需要を増やす特定の行動をした場合には資金を供給する、という順にすることで、個人の消費性向が低いという欠点を回避するのである。

これでどの程度消費性向を上げられるかは分からないが、効果の薄い他の政策よりはやる価値があるのではないかと思っている。所得の再分配としての機能はより単純となり、そこに利権の入る余地はほとんどない。特に子育て家庭への資金供給には意味があると考えている。しかし先ずは消費税撤廃であり、ヘリコプターマネーはそれからだろう。

結論

長くなったが、ここまで眺めてみれば、日本の経済政策の本当の意味が見えてくるだろうと思う。何故消費増税で法人減税か? 何故増税と財政出動か? そうした疑問の答えのなかに、日本経済のためになるからだというものは一つもない。

日本が国として機能していない一番の原因は、自民党に変わるまともな保守政党が存在していないことである。先日取り上げた移民政策などは恐らくは日本人のほとんどが望んでいないものであるにもかかわらず、海外の政治家や安い労働力を望むグローバル企業などを喜ばせるためにそれを実行出来てしまうのは、日本の政治が一党独裁だからである。

•安倍首相がシリア難民150人受け入れを発表、日本の治安と文化は終焉へ

自民党は保守などではない。自民党とは経団連や財務省など様々な既得権益者が集まって利害調整をするための場なのであり、彼らには日本経済がどうなるかなど最初から念頭にないのである。アベノミクスは既にほぼ終了しているが、次に政権を握る政治家も、残念ながらこの枠内から出ることはないだろう。日本には自民党以外の政党が本当に必要なのである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/3366

5. 中川隆[-13423] koaQ7Jey 2018年12月27日 09:53:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22210] 報告


2018年12月27日
【小浜逸郎】急激な格差社会化が進んだ平成時代
https://38news.jp/economy/12983



2018年も終わりに近づきました。
年末にあたり、「日本は世界一の金持ち国」
という素晴らしい笑い話をしましょう。
笑う門には福来る。

車内に動画の広告がありますね。
先日電車に乗って動画広告を見ていたら、
ニュースが流れました。

「大企業のボーナス平均90万円超で、
昨年を超えて過去最高額」というのです。

ちょっと見ると、へえ、ずいぶん景気も
回復してきたんだなと思うでしょう。

政府も「いさなぎ越え」とか
「ゆるやかな回復基調にある」とか繰り返していますし。

でも、そんな実感はありませんね。
ところが、「大企業の」というところに注目してください。

日本の大企業は全企業の0.3%しかありません。
従業員数で言うと、3割。残りは中小企業です。
だから大企業のボーナスが高かったからといって、
それは景気を占う指標にはなりません。

こういう目くらましニュースを流させている
その総本山はどこなのか。

答えは明らかですね。
そう、経団連です。
財務省も裏で結託しているかもしれません。

それでは今年のボーナス支給の実態はどうか。
株式会社ウルクスが2018年12月に、
若手・ミドル層の会社員241名に実施したアンケート結果があります。

それによると、56.4%が「支給なし」と回答。
そもそもボーナスが支給される人より
されない人のほうが多いのです。
また、「支給あり」と答えた43.6%の支給額平均は
42.4万円で、大企業の半分未満です。
従業員別で、もっと詳しく見てみましょう。

1000人以上      43.8万円
300人以上1000人未満 32.5万円
100人以上300人未満  30.0万円
100人未満       30.2万円

ただし100人未満の企業では、
「ボーナスあり」の割合が、38.2%に落ちます。
6割以上が支給されていないのです。
https://wezz-y.com/archives/62359

暴言王・麻生財務大臣が、記者会見で、
記者に対して「少ないというのは君の感性だ」とうそぶいたとか。
ちなみに麻生大臣のボーナスは、一部返納後で352万円です(前記事)
「いさなぎ越え」と「ゆるやかな回復基調」と麻生発言と3点セットで、
もう笑っちゃうしかないですね。

このように、マスコミ報道と実態との間には
ものすごい乖離があります。
GDPが対前年比で2.5%下がり、
実質賃金は低迷、実質消費は下がり続けています。

にもかかわらず、
日本は世界一の金持ち国とよく言われます。

これは全体として見れば間違いではありません。

以下、元国税庁調査官で作家の大村大次郎氏の記事
「なぜ日本のサラリーマンの年収はいつまで経っても低いままなのか」
(2018年12月17日)から、要点を抜粋します。
https://www.mag2.com/p/news/379730?utm_medium=email&utm_source=mag_news_9999&utm_campaign=mag_news_1217

日本の個人金融資産残高は、現在1800兆円、
赤ちゃんも含めて1人当たりにすると1400万円、
アメリカに次いで2位です。

1990年には1000兆円でしたから、
この28年間で80%も増えたことになります。
これに土地建物などの資産を加えれば、
さらに莫大なものになるでしょう。

また対外準備高は全ヨーロッパの2倍、
国民1人当たりだとダントツの1位。
さらに対外純資産は約3兆ドルで、これも世界第1位。

しかも、世界的な金融グループ、
クレディ・スイスの2016年のレポートによると、
日本のミリオネア(100万ドル以上の資産の持ち主)は


280万人超で、前年より74万人増え、増加率は世界一です。

これは全人口の2%にあたります。

この激増している億万長者の大半は、
かなり以前から大企業の株をたくさん持っていた人です。

以下は、上場企業の配当金の総額の推移です。
2005年  4.6兆円
2007年  7.2兆円
2015年  10.4兆円
2017年  12.8兆円
2005年の3倍近く、
2007年の2倍近くに増えていますね。つまりこの大半が、
大企業の株をたくさん持っていた人に流れ込んだことになります。
(大村氏記事抜粋ここまで)さて一方、平成29年版・少子化社会対策白書によれば、

1997年には、給与所得の価格帯の最頻値(モード)が
500万円〜699万円だったのに対し、
2012年には300万円〜499万円に落ちています。また厚労省の統計によれば、
この13年間の実質賃金の推移はご覧のとおりです。さらに、国税庁の民間給与実態統計調査」によれば、
年収200万円以下のワーキングプアは、
安倍政権になってから1100万人を超え、
その推移はご覧のとおりです。90年代後半に比べて300万人も増えていますね。


しかもワーキングプアは、
ひとり親家庭(多くは母子家庭でしょう)が圧倒的に多いのです。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/seikatuzukan/2014/CK2014101502000195.html
https://toyokeizai.net/articles/-/221708?page=2

生活保護世帯も2000年代に入ってから急増し、
安倍政権になってから160万世帯で高止まりしています。
これは90年代後半の2.7倍です。

子どもの貧困率は、2012年の統計で、
先進7か国ではアメリカ、イタリアに次いで3位、
OECD諸国では9位で、平均を上回っています。

先ほどの2016年までの
ワーキングプアの推移のグラフを見れば、
もっと悪化しているに違いありません。

ある人の話によれば、
食事も満足に食べさせてもらえない子どものために、
地域で「子ども食堂」を開設する案があり、
公立高校生600名にアンケートを取ったところ、希望者70名。

さまざまな記事に見られる、6人に一人か7人に一人が
「貧困家庭の子ども」に数えられるという分析と符合します。

もう十分でしょう。
「日本は世界一の金持ち国」ですが、
そのお金はミリオネアに集中して、中間層は脱落し、
多くは貧困層に転落したと言っても過言ではありません。

つまり、これが今世紀に入ってからの実態なのです。
急激な格差社会化と呼ばずして何と言えばいいのでしょう。

もちろん、その原因は、金融グローバリズムが
経済の大きな部分を占めるようになったことにあります。

そして、その危険に対して、
政府がそのトレンドに追随するばかりで、
実体経済を活性化させる有効な対抗手段を
打ってこなかった点にあります。

97年のデフレ突入から20年以上が経ちました。
20年といえば、生まれた赤ちゃんが
大人になるまでの、長い長い期間です。

その間、いくらでも打つ手はあったはずです。
グローバル資本やグローバル金融市場への規制を強め、
一方では内需拡大に向けて、国内産業の保護や
インフラ整備のための大規模な投資をすべきでした。
経済に関する限り、「日本ファースト」に徹するべきでした。

それなのに、ヘンな「自由」イデオロギーと
ヘンな倹約思想にかぶれて、結局何もしてこなかった。

政府関係者よ、「いざなぎ越え」などと
悪い冗談を続けるのは止めて、
どうかこの悲惨な経済実態を直視してもらいたい。

それでも来年は消費増税、やる気ですか。
移民受け入れ、水道民営化、やる気ですか。
国民いじめにさらに邁進する気ですか。

以上、世界一の金持ち国の政府は、
世界一のバカ政府、というお話でした。
ワッハッハッハ。
https://38news.jp/economy/12983

6. 中川隆[-13290] koaQ7Jey 2018年12月31日 11:13:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22210] 報告

平成を否定せよ〜平成最後の大晦日に〜 2018-12-31

 2018年が、本日で終わります。


 今年は、福井県の豪雪災害を皮切りに、4月に島根県西部地震、6月に大阪北部地震、7月に西日本豪雨災害、8月に台風12号上陸、驚異的な熱波襲来、9月に台風20号、21号上陸、そして北海道胆振東部地震(震度7!)発生、北海道がブラックアウトするという、大規模自然災害が相次いだ一年でした。


 日本は世界屈指の自然災害大国である。政府が防災インフラに手を抜くと、国民が「死ぬ」。


 というよりも、実際に死んでいる。


 この現実を目の前にしながら、財政拡大に乗り出すことができない。それどころか、コンセッション方式の水道民営化、カジノ法(IR推進法)、漁業法改正、そして移民法(改正出入国管理法)と、日本の国家の形を破壊する亡国の法案は次々に通す。


 このままでは、我が国は普通に、
「大規模自然災害が頻発するにも関わらず、もはや国民の力では建て直せない。国内は極端な富裕層と、大多数の貧困層に分かれ、国民同士がいがみ合い、攻撃し合い、ナショナリズムが成立しようがない落ちぶれた国」
 へと変貌を遂げることになるでしょう。


 ヒャッハーッ!というよりは、かつてのフィリピンや南米の最貧国という感じですね。


 多くの国民はまともな職に就けず、観光業で白タクや民泊で小銭を稼ぎ、中国人や韓国人をはじめとする外国人にこびへつらう。


 車がない? ならば、トゥクトゥクを漕げばよろしいのでは? 我々の将来世代はトゥクトゥクを漕ぎ、外国人に尽くすことで所得を稼ぐしかない、極東の貧国で暮らすことを余儀なくされます。


 安倍晋三内閣総理大臣の、閣僚をはじめとする政治家の、そして我々有権者の責任です。


 高給の職に尽きたければ、英語を話さなければならない。というわけで、これまで以上に子供への英語教育に熱心になり、いつしか親子間のコミュニケーションすら取れなくなり、バラバラに分断された「個」としての人間が、グローバリズムという怪物に支配される。


 そんな劣等国「日本」を将来世代に引き継ぎたくないならば、グローバリズムの「構造」を理解した上で、政治を動かし、平成の「グローバリズム的な構造改革を進める構造」を変革する、正しい意味における構造改革を実現しなければなりません。


 奇しくも、このタイミングで「平成」が終ります。


 平成という最悪の時代は、1989年、消費税が導入された年に始まりました。その後の三十年間、改革に次ぐ改革で、特に「昭和のケインズ政策」を否定し、
「ケインズ? 昭和かよwww プッwww」
 という感じで、とにかく新しいものが善であるという思考停止的なイデオロギーの下で、国家や社会制度を破壊し、「特定の誰か」が利益を上げるだけの改革が推進されてきました。


 その上、グローバリストの改革に反対する姿勢を見せるのが、「日本国家」を否定する反日リベラルの連中ばかり。


 移民法の審議の際に、反対派の野党が「外国人の人権」を問題視し(それも問題ですが)、被害を受ける日本の「普通の労働者」を守ろうとする勢力が殆ど存在しなかった。


 まさに、現代日本の象徴です。


 日本には、グローバリズムの利益を代弁する自民党と、マイノリティ(LGBT、外国人など)の人権庇護「だけ」に血道を上げる野党と、二つの政治勢力しか存在しない。


 日本国民が置き去りにされている。これが、現実の日本です。


 平成という時代は、国民を無視するグローバリストと、同じく国民を無視する「自称リベラル」が、結局は共に「グローバリズム推進」に邁進するという、最悪の時代だったのです。


 というわけで、来るべき新しい御代においては、
「平成を全否定する」
 という政治姿勢が極めて重要になります。


 中野剛志先生が先日のシンポジウムで仰っていましたが、御代替わりとは「それまでの間違った路線」を否定する絶好のチャンスです。


 と言いますか、平成に入り、昭和の路線が全否定されてしまった結果が今の体たらくなのです。


 というわけで、来年の五月以降に、
「平成? 構造改革? 何十年、同じこと言ってんだよ。ふる〜w、プークスクスww」
 といった空気を、日本国民や政治家の間に醸成する必要があるのです。このタイミングを逃すと、我が国はグローバリズム的な構造改革路線から逃れることはできないでしょう。

 そして、国民が死んでいく。

 平成の全否定が必要です。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12429586585.html

7. 中川隆[-13234] koaQ7Jey 2019年1月02日 20:43:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22216] 報告

消費増税に反対した藤井聡・内閣官房参与“退職”の裏に、安倍官邸の陰湿圧力!「赤旗」に出たことで菅官房長官が
https://lite-ra.com/2019/01/post-4467.html
2019.01.02 消費増税反対の内閣官房参与“退職”の裏に官邸の圧力 リテラ

    
解任の発端!?藤井氏が登場したしんぶん赤旗日曜版 2018年11月18日号


 2019年はいよいよ消費税10%への引き上げが実施されるが、その年が明ける4日前、仕事納めの日に安倍政権がなんとも陰湿な言論弾圧人事を行った。

 消費税増税反対を主張する藤井聡京都大学大学院教授の「内閣官房参与」退職を発表したのだ。

 内閣官房参与というのは、首相が各専門分野で直接、専門家に助言をえるために設けられた非常勤のブレーン職。藤井氏は第二次安倍政権発足と同時に、防災・減災ニューディール政策担当の内閣官房参与に就任し、安倍首相が公共政策の目玉としてぶちあげた「国土強靭化計画」の策定に関わった。

 思想的にも右派で、安倍首相の有力ブレーンのひとりと目されていた藤井氏だが、しかし、一方で増税反対の立場を取っており、以前から様々なメディアで消費増税反対を主張してきた。安倍首相が2019年10月の10%増税を予定どおり行うと表明してからも、口をつぐむことはなく、むしろ批判を強めていた。昨年11月には著書『「10%消費税」が日本経済を破壊する』(晶文社)を出版、さらに、共産党の機関紙「しんぶん赤旗日曜版」(11月18日付け)にも登場して、消費増税を批判していた。

 そんななか、いきなり年の瀬に退職が発表されたというわけだ。当然、これには姑息な裏があった。

 報道では、今回の退職が藤井氏から申し出たということになっているが、実際は完全に建前で、かぎりなく「解任」に近いものだったらしい。

「藤井氏が『赤旗』に出たことを菅義偉官房長官が“政権への背信行為”だと激怒。杉田和博官房副長官ら官邸幹部もいれかわりたちかわり藤井氏に迫り、辞職に追い込んだようです。これまで藤井氏をかばっていた安倍首相もこの決定を追認したようですね。
 もっとも、安倍官邸は今回の『赤旗』問題の前から、藤井氏を切ろうとタイミングを見計らっていました。藤井さんは内閣官房参与であるにもかかわらず、消費増税が貧困化と逆に財政悪化を導くことをあちこちで語っていたうえ、アベノミクスの景気回復に実体がないことを主張するなど、完全に“目の上のたんこぶ”状態でしたから。それでも、安倍首相が増税を決断しないうちは目をつぶっていたのですが、増税が決定したことで、いよいよ放置できなくなった。藤井氏に参与のまま自由に発言を続けさせたら“安倍首相の側近で右派の学者までが消費税に反対している”と取り上げられ、政権を揺るがしかねない。そこで、藤井氏が『赤旗』の取材に応じたことを口実にして、辞職に追い込んだということでしょう」(全国紙政治部記者)

 まったく、安倍官邸らしい陰湿なやり口だが、しかし、不思議なのは、藤井氏がこの事実上の解任の経緯について口を閉ざしていることだ。藤井氏は12月28日、Facebookで内閣官房参与の辞職願を提出したことを報告していたが、〈学究、とりわけ「言論活動」がこれからますます重要な局面となりますことから、今後の本務への参与職の影響を鑑み、安倍総理ともしっかりとご相談させて頂いた上で、参与職を辞する決意を致した次第です〉と書いただけで、圧力については一切ふれなかった。

「菅官房長官のことですから、藤井氏に対して“余計なことしゃべるな”といろいろ脅しをかけたんじゃないでしょうか。それで、自分から辞職を申し出たことにするということで落着したんでしょう」(前出・全国紙政治部記者)

 もっとも、藤井氏は辞職の真相については口を噤んでいるものの、消費増税反対の姿勢は崩していない。むしろ、内閣官房参与という足かせがとれたことで、舌鋒はさらに鋭さを増し、左右の垣根を越えて消費税に反対する勢力と連携を強めているようにも思える。

 本サイトは、藤井氏が「赤旗」に登場した際に、藤井氏の消費増税反対論を紹介したことがある。政治的には右派の藤井氏だが、経済政策では安倍政権の法人税減税などの格差助長政策に反対する立場をとり、消費増税の問題点を鋭く分析している。

 今回再編集して掲載するので、最悪の格差助長政策を阻止するため、改めて読み返してほしい。

■安倍政権の内閣官房参与が「赤旗」に登場して消費増税を徹底批判!

 安倍政権を支える現役の内閣官房参与が、「赤旗」一面に登場し「消費税10%反対」を唱えている。

「私は来年10月の消費税増税は凍結すべきだと思っています。10%への税率引き上げは日本経済を破壊するからです」

「しんぶん赤旗日曜版」(11月18日付け)で、こう断言しているのは、2012年から安倍内閣で内閣官房参与を務めている、藤井聡・京都大学大学院教授だ。藤井氏は「しんぶん赤旗日曜版」のインタビューに応じ、景気への悪影響、貧困の拡大、被災地復興への打撃といった観点から、2面に渡って消費増税の危険性を語っている。

 実は藤井氏が消費増税反対を唱えるのはこのインタビューが初めてではない。先日刊行された著書『「10%消費税」が日本経済を破壊する』(晶文社)においても、〈デフレ状況にある現在の我が国において消費増税を行うことは、 国民を貧困化させ、日本を貧国化させ、そして、挙げ句に日本の「財政基盤」そのものを破壊することにつながると確信する〉と主張。増税の「凍結」、いや「減税」こそが〈日本経済に最悪の被害がもたらされることを避けるための、最善の策〉だとし、増税の凍結・減税は〈政治の力で変えられるのは、当たり前〉だと述べているのだ。

 そもそも、安倍首相は「日本経済は11年ぶりとなる6四半期連続のプラス成長」「内需主導の力強い経済成長が実現している」などとしきりに景気回復を強調するが、一方で今年9月のJNN世論調査では84%の人がアベノミクスの景気回復について「実感ない」と答えている。だが、これは当然の話だ。藤井氏によると各世帯の年間消費額は、2014年に消費税を5%から8%に引き上げる直前が369万円だったのに、増税後は一気に下がりつづけ、2017年には335万円にまで落ち込んだのだ。つまり、〈消費増税のせいで、私達は一世帯当たり年間 34 万円分も「貧しい暮らし」を余儀なくされるようになった〉というわけだ。

 しかも、「景気回復」との掛け声とは裏腹に、2014年の増税後からサラリーマンの給与水準も低いままで一向に回復していない。中小企業の「景況感」をはかる業況判断指数(DI)も、リーマンショックで「どん底」に落ちて以降はマイナス(景気が悪い)ながらも徐々に回復しつつあったが、2014年の増税によって改善傾向がマイナス領域でピタリと止まったまま。「消費」「賃金」「景況判断」の客観的データからも、2014年消費増税によって庶民の暮らしは大打撃を受け、依然として深刻な状態にあることがわかる。何より、日本経済全体の6割を占める「消費」の総額(実質値)は、消費増税前後で14兆円も下落。その後も消費は冷え込んだままなのだ。

■安倍首相の経済ブレーンが「アベノミクスで経済上向き」の嘘を指摘

 では、どうして「アベノミクスで経済が上向き」などという報道が出てくるのか。これを藤井氏は〈世界経済が好調なおかげ〉にすぎないと喝破する。実際、GDPは2014年の消費増税前から現在まで約18兆円(実質値)伸びているが、この間に輸出は約15兆円も増加。輸出の増加がなければ〈一年あたり約0.7〜0.8兆円、成長率にして実に年率平均約0.2%しか伸びなかった〉のである。また、この4年で、輸出に次いで伸びたのは「民間投資」だが、これも輸出が伸びた結果であると考えられるという。藤井氏はこう述べている。

〈つまり、世界経済の好況という「他力」がなければ、日本経済はやはり、消費増税によって「衰退」していたのである〉
〈万一、消費増税によって内需がこれだけ弱々しい状況に至っている中で世界的な経済危機が勃発すれば、衰弱した日本経済は恐るべきダメージを被るであろう〉

 さらに藤井氏は、世界各国の経済成長率(1995〜2015年)に目を向け、〈日本の20年間成長率は断トツの最下位〉〈日本の成長率だけが「マイナス」の水準〉であるとし、〈日本はもはや、「経済大国」でないばかりか、「先進国」ですらない〉〈先進国でも発展途上国でもない、世界唯一の「衰退途上国」とでも言わざるを得ない〉と明言。こうした元凶が、バブル崩壊後の1997年に実施した消費税の3%から5%への引き上げによって「デフレ不況」に突入したためだと説明した上で、〈未だに「デフレ脱却」を果たせていない〉いまの状態で消費税を10%に引き上げることは〈確実に破壊的ダメージがもたらされる〉と警告を発するのだ。

 その上、2014年の消費増税時は「外需の伸び」という幸運があったが、これは「アメリカ経済の好況」と「安い原油価格」があってのこと。ご存じの通り、トランプ大統領は目下、安倍首相に自動車の追加関税をちらつかせており、原油価格も上昇。つまり、〈2019年増税の外需環境は、2014年増税よりも、より深刻な被害をもたらした1997年増税時のそれに類似している〉のである。

 しかも、今回の増税は、安倍首相肝入りの「働き方改革」による〈労働者の所得は8.5兆円縮減される〉という予測や、東京オリンピック投資が縮小に入るというタイミングとぶつかる。また、「10%」という数字の「キリの良さ」「わかりやすさ」が消費行動にブレーキをかけやすいという心的傾向もあると藤井氏は指摘。〈日本経済にもたらす破壊的ダメージは極めて深刻なものになるのは「必至」〉であり、それを回避するためにも「凍結」あるいは「減税」こそが求められるというのである。

■「消費税でなく法人税を上げるべき」と主張する藤井聡・内閣官房参与

 だが、こうは言っても「国の借金は1000兆円もあるのに放置していいのか」「消費税を延期ばかりしていたら国の借金で日本は破綻する」という声が必ずや上がるだろう。しかし、藤井氏はこれを〈何の根拠もない「杞憂」(無用の心配)であり、ただ単に、経済学者や増税推進派が撒き散らかした「デマ」であり「プロパガンダ」(主義の宣伝)に煽られているに過ぎぬもの〉と断言。「デマ」である根拠を挙げている。

 そのひとつが、1997年や2014年の増税がそうであったように、デフレ不況下で消費税を増税すれば、〈経済が停滞し、かえって税収が減って、財政が悪化してしまう〉ということ。国の破綻回避を叫ぶなら、税収が減少する増税を止めたほうがいい、というのである。

 さらに、「国の破綻」という曖昧な言葉自体が詐欺的であり、「日本政府の破綻はありえない」ということ。たとえばよく引き合いに出されるギリシャだが、ギリシャの場合は「国の借金が増えた」ことで危機に陥ったのではなく、〈経済が低迷し、失業者が増えてしまったことが「原因」で、税収が減り、借りた金が返せなくなり、「政府が破綻」〉した。ギリシャの借金は「ユーロ」だったが、日本の場合は基本的にすべて円建ての借金であり、円の通貨発行権もある。自国通貨建ての借金であるために破綻することはあり得ないのだ。また、ギリシャが破綻危機にあった際は金利が30〜40%だったというが、日本の国債の金利はいま0.1%程度。だからこそ、市場関係者が「日本政府が破綻する」などと心配している者はいない、というのだ。

 そして、「国が破綻するから消費税」という主張に対し、藤井氏は加えて〈増税する対象として「消費税」を選ぶ必然性など何もない〉といい、消費増税とは反対に税率が下げられてきた法人税を上げるべきだと強調する。

 当然の主張だろう。第二次安倍政権の発足以降、アベノミクスの成長戦略として法人税率はどんどん引き下げられ、法人実効税率は37%から2016年度には29.97%に減少。消費税増収分は法人税の減収の穴埋めに使われたようなものだからだ。実際、藤井氏は過去約30年に遡って現状と比較し、〈金持ちと大企業がかつて支払っていた税金を10兆円以上減らしてやり、その大半を、貧乏な世帯も含めたすべての庶民が肩代わりしてやるようになった〉〈消費増税は確実に、庶民の間の「格差」や「不平等」を拡大させた〉と指摘。法人税のほかにも、“所得税の高額所得者ほど減税の流れの見直し”や、先日、増税見送りが発表された金融所得の税率引き上げ、環境税・混雑税、土地利用是正税なども提案している。

 格差が広がるなか、低所得者であるほど負担が重くなる「逆進性」の消費税を増税するのではなく、法人税や所得税の税率を見直し、不公平な税制を正すべきというのは、至極真っ当な考え方だ。だが、安倍首相はそれを実行しようとはけっしてせず、世界景気の恩恵を受けているだけの結果を「内需主導の成長」などと嘘をつき続けている。

 いや、それだけではない。消費増税の目的として、安倍首相がぶち上げている「幼児教育・保育の無償化」についてもさっそくインチキが発覚した。スタートから半年間は国費で払うものの、無償化に必要な8300億円のうち半分以上となる4370億円は市町村に負担させるというのだ。

 昨年9月に解散表明をしたときの大義名分は「消費税の使い方の見直し」であり、安倍首相は「幼児教育の無償化を一気に進める」と大見得を切った。だが、これも「半分以上は地方でよろしく」とツケを回そうというのである。しかも、〈自治体によっては無償化の負担が消費税の増収分を上回る〉(朝日新聞11月8日付)という。

 政府は混乱必至の軽減税率を筆頭に「プレミアム付き商品券」だの「キャッシュレス決済でポイント還元」だのと愚策ばかり打ち出しているが、幼児教育の無償化にしても、待機児童家庭はその恩恵を受けられないという問題がある。その上、待機児童解消のための地方財源が無償化によって削られる可能性まで出てきたのである。

 幼児教育の無償化を「未来の投資だ」と喧伝するばかり。一方の国民も、政府に言われるがままで「増税しかたなし」と諦めている。

 上述の「赤旗」で藤井氏は「10%への増税は決まったことだから仕方がないと国民が容認すれば、消費税率は15%、20%へとさらに引き上げられる」とも警告。そして消費税10%への増税中止もあり得るとの見方を示し、「カギとなるのは国民世論」「この問題に党派は関係ありません」と国民世論の喚起を呼びかけている。

「やはり増税はおかしい」と、いまこそ国民が声をあげなくては、安倍政権によってほんとうに立ち直れないほどわたしたちの暮らしは破壊し尽くされてしまうだろう。

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