>>7 ユダヤ陰謀論で有名になったハザール偽ユダヤ説は間違いだったとわかっているからね: 「ハザール=東欧ユダヤ人」説を否定する 三鷹板吉
ユダヤ人の本来の言語はヘブライ語です。彼らがディアスポラで諸国に離散した 後、それぞれの地元の言葉に聖書やタルムードの言葉を混用し、表記するのにヘブ ライ文字を使いました。これが一般に「ユダヤ語」と言われる諸言語で、ドイツ語 をベースとしたイディッシュもその一つです。 一方、ハザール人の言葉はトルコ語系の言語でした。彼らの支配階級は、政治的 理由からユダヤ教を受け入れましたが、当然のことながら言語までは変わりません でした。変える理由も必要も無かったのです。 たとえば日本の戦国時代、いわゆるキリシタン大名はキリスト教を受容しました。でも、彼らがスペイン語を話すようになったワケじゃありませんし、まして領民に日本語を禁じスペイン語使用を強制するなど、やろうと思っても不可能だったでしょう。それと同じことです。 スペイン人による征服の結果、キリスト教を押し付けられたフィリピンでさえ、 タガログ語は滅びなかったのですよ。 ですから、もしも東欧ユダヤ人(アシュケナージ)のルーツがハザール人ならば、アシュケナージの言語に、彼らの本来の言葉であったトルコ語系言語が残っているはずなのです。しかし、痕跡さえも残っていない。ゆえに、アシュケナージはハザール人ではない。以上、証明終わり(笑) 簡単な話です。 ハザール人はあくまでハザール人であり、 東欧ユダヤ人(アシュケナージ)のルーツなどではありません。
「ハザール=東欧ユダヤ人」という俗説を近年広めたのは、自身ハンガリー出身 のユダヤ人作家であるアーサー・ケストラーですが、彼自身のルーツに関わるロマ ンチックなファンタジー程度に読んでおくのが適当なようです。 まして、西岡さんや宇野正美のように、イスラエル国家の正統性批判にコジツケ るのは、歴史学に似て非なる俗流「歴史談義」の政治的利用と言えるでしょう。 それ以前に、ユダヤ人という存在を「血統」で説明しようとするのが間違いなん ですがね。ナチスの疑似科学による人種論と同レベルです。 http://ime.nu/www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/reizoko/reizoko20010929.htm PATERNITY AND DANGER: A CASE OF BEHAVIORS FOR GENES James Boster Society for Psychological Anthropology Meetings October 1997, San Diego, CA
http://ime.nu/www.anth.uconn.edu/faculty/boster/cohen/ アシュケナージとセファルディの司祭階級のDNAを比較検討したところ、両者のDNAの間には高い類似性が認められた。 これを見た限り、「アシュケナージユダヤ人のハザラ起源説が、学問的にも裏付けられた」とは言いがたい。 「アシケナジー=カザール説」は、60年代の学説であり、もしこの説が “現在の学界で”メジャーになってないとすれば、通常の感覚では 「かなり古ぼけた説」といわざるをえませんね。
実際、アカデミシャン(プロの学者及びとの周辺)の人は、頭から否定しない までもかなり冷淡な態度です。この事実と対極的に、トンデモ業界では たいへん評価が高い。 そのへんから空気を察したまでのことです。ついでにいうと、岡田英弘氏も 「アシケナジー=カザール説」を一言で斬り捨てています。 http://ime.nu/snsi-j.jp/boards/sample2/1.html アシュケナジーユダヤ人が、カザール人のユダヤ教改宗者ではないという根拠は、いくつもある。
その一つは、上にリンク先を引用したしたデイブ・ハント(Dave Hunt)氏の回答にもあるが、遺伝学的にアシュケナジー・ユダヤ人は、イスラエル12部族の直系であることが証明されている。 かつてユダヤ人の学者がカザール説を提唱したが、これはDNA鑑定が行なわれる 以前のことであり、科学的根拠に限界があった。 http://ime.nu/www.forward.com/issues/2001/01.08.17/genetic2.html そして歴史的根拠がある。上のミルトスのホームページからの引用でも触れ られているが、ローマ帝国拡大時に、すでに紀元前1世紀に、ユダヤ人が ドイツや東欧に住んでいたという歴史的事実がある。紀元8世紀以降の カザール帝国のはるか前に、アシュケナジー・ユダヤ人は存在していたのである。 http://ime.nu/www.myrtos.co.jp/topics/juda/juda01.html#Q5
そして、文化的根拠からの反証もある。アシュケナジー・ユダヤ人の共同体 の中には、カザール人から受け継がれた習慣がほとんどないことがある。 離散の地における文化や習慣を、ディアスポラのユダヤ人は身に付けているが、 例えば、中国系ユダヤ人であれば中国の習慣を、ブラジル系ユダヤ人であれば ブラジルやポルトガルの習慣を持っており、世界中から移住したユダヤ人の 集まりであるイスラエル国は、さまざまな国際文化や習慣も垣間見ることが できる。しかし、カザール系の名残がアシュケナジー・ユダヤ人の中に、 ほとんど見ることができない。 http://ime.nu/www.faqs.org/faqs/judaism/FAQ/07-Jews-As-Nation/section-5.html 参照ページにも書かれていることだが、歴史的事実はこうである。
「西、中央ヨーロッパにてすでに、アシュケナジー・ユダヤ人共同体は存在 しており、カザール帝国のユダヤ教改宗があったことは事実だが、その共同体 に影響を与えることは少なかった。カザール帝国自体が、王や役人における ユダヤ教改宗はあったが、一般民は主にイスラム教徒やキリスト教徒であった。 東欧に移住したカザール人は、すでに移住していたアシュケナジー・ユダヤ人 と結婚したことはあろうが、後者が前者を吸収し、その逆ではなかった。 したがって、今日のアシュケナジー・ユダヤ人と呼ばれている人々は、聖書 のイスラエル人子孫であると言うことができる。 http://ime.nu/72.14.203.104/search?q=cache:QtTAgKUXDw8J:www.logos-ministries.org/kiyotae/kiyo2/02_0116.html+%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB+%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%A2&hl=ja&ct=clnk&cd=24 現在世界各地に広がっているユダヤ人はすべて古代ユダヤ人の子孫だった.
ユダヤとアラブは血縁 染色体分析で確認 【ワシントン8日共同】ユダヤ人と、パレスチナ人などアラブ人が共通の祖先 を持つことがDNA分析で確認された、と米ニューヨーク大のハリー・オストラー博士らが9日付の米科学アカデミー紀要に発表した。 ユダヤ人とアラブ人に血縁関係があることは旧約聖書など宗教、歴史文書の 記述から当然とみられていたが、遺伝分析ではっきり確認できたのは初めてという。 同博士らは中東地域をはじめ、北米、アフリカ、欧州各国など世界29地域の 1371人の男性のY染色体のDNAを調べた。同染色体は父親から男の子に伝わり、 遺伝的に近い人は共通の特徴を持つ。 その結果、イスラエルや北米、欧州、アフリカ北部に住むユダヤ人のY染色体 に共通点が多いことが判明。ユダヤ人は紀元前にパレスチナから世界各地に 離散した後も他民族とあまり混血せず、遺伝的な同一性を保ってきたと 分かった。 またパレスチナ人、シリア人はユダヤ人とY染色体の特徴を共有しており、 旧約聖書などが示すように遺伝的なルーツは同じと分かった。(共同通信 2000/05/09) http://ime.nu/homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/bcg_weapons1.html イスラエルで「建国根拠なし」本、ベストセラーに(朝日新聞) 2008年05月31日11時12分
【エルサレム=村上伸一】 シオニズム運動は、古代に世界各地へ離散したユダヤ人の子孫が「祖先の地」に帰還するというもの。著者はユダヤ人でテルアビブ大学のシュロモ・サンド教授(61)=歴史学。3月にヘブライ語で出版され、アラビア語やロシア語、英語に訳される予定だ。 著書では、古代ユダヤ人の子孫は実はパレスチナ人だ――との説が記されている。 シオニズム運動は欧州で迫害されたユダヤ人たちが19世紀末に起こし、「ユダヤ人国家の再建」を目指した。運動の根拠になったのは、ユダヤ人が紀元後2世紀までにローマ帝国に征服され、追放されたという「通説」だった。 これに対し、教授は「追放を記録した信頼できる文献はない。19世紀にユダヤ人の歴史家たちが作った神話だった」との見解だ。パレスチナ人から土地を奪うことを正当化するために、「2千年の離散の苦しみ」という理由が必要だったという。 古代ユダヤ人は大部分が追放されずに農民として残り、キリスト教やイスラム教に改宗して今のパレスチナ人へと連なる。イスラエルの初代首相ベングリオンらが建国前に著した本の中で、パレスチナ人たちをユダヤ人の子孫と指摘していた。ユダヤ人の入植で対立が深まる中で、パレスチナ人を子孫とは言わなくなったという。 http://www.asyura2.com/08/holocaust5/msg/110.html パレスチナ人とユダヤ人の比較遺伝学
パレスチナ人は、イスラエルのユダヤ人移民のほとんどと同じくらいのユダヤ人の遺伝子素材を持っています。 異なる地域のユダヤ人の間での遺伝子構造の類似性は過去十年にわたって十分に研究されてきており、Y染色体とミトコンドリアDNAの分析によって、これらの人々の共通の起源が確認された。 Y染色体とミトコンドリアDNAに関する何百もの遺伝子マーカーや、残りのゲノムのほとんどが、異なるユダヤ人社会の共通の起源を確認しています。しかし、また最近の研究で、異なるユダヤ人グループをある共通の先祖に結び付ける類似性のいくつかが、異人種との結婚によりオープンな文化を持つパレスチナ人の多くにも見つけられました。 イスラエルのベストセラーのリストに載っている学者Shlomo Zand本「ユダヤの人々はいつどのように作られたか」は、いくつかの裏づけとなる歴史的証拠を示しています。 現代のイスラエル国家の抑圧の下で数十年にわたり暮らしてきたパレスチナのアラブ人は、実際旧約聖書に書かれている『イスラエルの子供』と全く同じ先祖を持っているとZandは言っています。 およそ1万人の古代のユダヤ人がローマの戦争の最中に打ち負かされたと彼は推測しています。それらの生き残りのうち何人かは、アラブ人の征服者達がその地域を支配下に置いたときに、イスラム教に改宗し吸収されたと彼は言います。そのほか逃げて世界中に散らばり、私達が今日知るユダヤ人コミュニティを作った人々もいます。 Zandの歴史的なパレスチナの人々の説明は、パレスチナ人とユダヤ人の遺伝子分析を比較するこれまでの少数の研究によって立証されています。 http://ja.raelpress.org/news.php?item.146.1 Geneticists Report Finding Central Asian Link to Levites By NICHOLAS WADE Published: September 27, 2003 A team of geneticists studying the ancestry of Jewish communities has found an unusual genetic signature that occurs in more than half the Levites of Ashkenazi descent. The signature is thought to have originated in Central Asia, not the Near East, which is the ancestral home of Jews. The finding raises the question of how the signature became so widespread among the Levites, an ancient caste of hereditary Jewish priests.
ユダヤ人の祖先を研究している遺伝学者のチームはアシュケナージユダヤ人のレビ(祭司)階級の半分以上に出現する遺伝子の特徴を発見した。 この特徴は中央アジアに発するもので、ユダヤ人の祖先と考えられている近東起源のものでない。 アシュケナージとセファルディの司祭階級のDNAを比較検討したところ、両者のDNAの間には高い類似性が認められた。 http://www.nytimes.com/2003/09/27/science/27GENE.html 世界に散らばるユダヤ教徒のコミュニティーや宗教的集団には以下がある。 ・ イシューブ(イスラエル(パレスチナ)の地のユダヤ教徒) ・ ミズラヒム ・ 北アフリカのユダヤ人(マグレビーム) Maghrebim cf.African Jews モロッコのユダヤ人 アルジェリアのユダヤ人 チュニジアのユダヤ人 Jews in Tunisia ・ ペルシア・ユダヤ人 ・ イエメン・ユダヤ人(テイメン) Yemenite Jews ・ ベタ・イスラエル(ファラシャ)(エチオピアのユダヤ人) 山岳ユダヤ人(タート・ユダヤ人。ダゲスタン、アゼルバイジャン、アルメニアのタート人社会の内部) ・ グルジーム ・ ブハラ・ユダヤ人 Bukharan Jews (タジキスタンから中央アジア全土) ・ インドと周辺のユダヤ人 Jews in India ・ コーチン・ユダヤ人 ・ クナナヤ Knanaya(キリスト教徒) ・ ベネ・イスラエル ・ ボンベイ・ユダヤ人 ・ バグダーディ(イラク系) ・ マニプール・ユダヤ人(集団改宗者) ・ 中国のユダヤ人 Jews in China ・ 開封市のユダヤ教徒 Kaifeng Jews [1] ・ ヘレニスト ・ ロマニオット(「ローマ人」、ユダヤ系ギリシャ人) ・ イタリアのユダヤ教徒 History of the Jews in Italy (北部にはアシュケナジムが多い) ・ ツァルファーティー(フランス系ユダヤ教徒) History of the Jews in France 消滅した世代と残留者、新しい世代(諸地域・諸国からの移民) ・ セファルディム ・ アシュケナジム アイルランドのユダヤ人 Jews in Ireland (ツァルファーティー・セファルディムとアシュケナジム) ・ アバユダヤ Abayudaya ・ レンバ族(ジンバブエ) Lembas ・ サマリア人 ・ ブラック・ジュー ・ ハザールのユダヤ人 ・ カライ派 ・ クリムチャク人 ユダヤ=キリスト教徒 Judeo-Christians ・ メシアニックのユダヤ教徒
東ヨーロッパに住み着いたユダヤ人はアシュケナージ(アシュケナジム)と呼ばれ、ドイツ語圏に住む彼らの多くはドイツ語を話し、ドイツ語圏外に住む彼らの多くはドイツ語の方言であるイディッシュ語を話していた。
スファラディ(セファルディム)系ユダヤ人は、オスマン・トルコ圏やスペイン・フランス・オランダ・イギリスなどに多く、かつてはラディーノ語を話していた。 アシュケナージや、スファラディといったヨーロッパに移り住んだユダヤ人に対して、中東地域、アジア地域に移り住んだユダヤ人はミズラヒと呼ばれていた。 ほかにもイラン、インド(主に3集団)・中央アジア・グルジア・イエメン・モロッコなどを含んだ大きな観念であるミズラヒム、カライ派・カライム人、中国、ジンバブエなどのユダヤ人のほか、イスラエル建国はメシア到来まで待つべきだとするサトマール派・ネトゥレイ・カルタ、キリスト教関連のメシアニック・ジュダイズム、ネオ・ジュダイズムなど多くの分派もある。エチオピア・ベルベルのユダヤ人は孤立して発展し、タルムードを持たない。 ユダヤ人の歴史
旧約聖書によると、民族の始祖アブラハムが、メソポタミアのウルから部族を引き連れて「カナンの地」(現在のイスラエル、パレスチナ付近)に移住したとされる。彼らは「移住民」という意味の「ヘブライ人」と呼ばれた。この付近で遊牧生活を続けたヘブライ人は、紀元前17世紀頃カナンの地から古代エジプトに集団移住するが、やがてこの地で奴隷とされる。その後、エジプトのヘブライ人指導者モーセが中心となり、約60万人の人々がエジプトからシナイ半島に脱出を果たす(「出エジプト」)。 彼らは神から与えられた「約束の地」と信じられたカナンの地(パレスチナ)に辿り着き、この地の先住民であったカナン人やペリシテ人(いずれもフェニキア系民族と考えられる)を、長年にわたる拮抗の末に駆逐または同化させて、カナンの地に定着した。この頃から「イスラエル人」を自称するようになり、ヘブライ語もこの頃にカナン人の言葉を取り入れて成立したと考えられる。 紀元前10世紀頃、古代イスラエル人はヤハウェ信仰(ユダヤ教の原型)を国教とする古代イスラエル王国をカナン(パレスチナ)に建国したが、ソロモン王の死後、紀元前930年頃、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した(「ユダヤ」とは元来、ユダ王国のあったパレスチナ南部を指す)。 北のイスラエル王国は紀元前721年にアッシリアによって滅ぼされ(失われた十支族)、さらに南のユダ王国は紀元前586年に新バビロニアの侵攻により滅亡、多くの人民が奴隷としてバビロンに囚われた(バビロン捕囚)。彼らはユダ王国の遺民という意味で「ユダヤ人」と呼ばれるようになった。 アケメネス朝ペルシアによる新バビロニア王国滅亡に伴い、捕囚のユダヤ人は解放されてエルサレムに帰還し、ペルシア帝国の支配下で自治国として統一イスラエルが復興された。ユダヤ教の教義も、この頃にほぼ確立された。 アケメネス朝の滅亡後、古代マケドニア王国、セレウコス朝シリアなどに宗主国が引き継がれ、最終的にはローマ帝国領のユダヤ属州とされる。この頃にはヘブライ語は既に古典語となり、日常語としては系統の近いアラム語にほぼ取って代わり、のちに国際語としてギリシャ語も浸透した。また、ヘレニズム諸国の各地に商人などとして移住したユダヤ人移民(ディアスポラ)の活動も、この頃に始まる。 紀元66年からローマ帝国に対し反乱を起こすが(ユダヤ戦争)、鎮圧されてユダヤ人による自治は完全に廃止され、厳しい民族的弾圧を受けた。ユダヤ人の自称である「イスラエル」という名や、ユダヤ属州という地名も廃され、かつて古代イスラエル人の敵であったペリシテ人に由来する「パレスチナ」という地名があえて復活された。 以来ユダヤ人は2000年近く統一した民族集団を持たず、多くの人民がヨーロッパを中心に世界各国へ移住して離散した。以降ユダヤ教徒として宗教的結束を保ちつつ、各地への定着が進む。 最盛期の人口は2億5000万人である。 「ユダヤ人」は世界に離散後もそのほとんどがユダヤ教徒であり,キリスト教やイスラムに改宗した途端、現地の「民族」に「同化」してしまう。
その後もパレスチナの地に残ったユダヤ人の子孫は、多くは民族としての独自性を失い、のちにはアラブ人の支配下でイスラム教徒として同化し、いわゆる現在の「パレスチナ人」になったと考えられる。 7世紀 - 10世紀に、カスピ海北部にハザール王国が出現し、ユダヤ教を国教としたが、その後相次いだロシア、ルースィ、ブルガール、オグズとの戦争により帝国は滅んでいる。 残党のハザール人も、結局はイスラム教に改宗したが、わずかに未だにユダヤ教カライ派の信仰を保っているハザール人の集落も東ヨーロッパには現存している。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA ■アシュケナジーとスファラディー イスラエルに行きますと、よくアシュケナジーかスファラディーかの区別があることを聞きます。これは、ユダヤ人が祖国から離散して世界中に住むようになって以来、その祖先の出身地別に分類したときの区別です。 アシュケナジーとは「ドイツ」という意味の古いヘブライ語で、ドイツや東欧に住むユダヤ人の子孫を指します。彼らの祖先は、紀元1世紀にまで遡ります。当時のローマ帝国拡大と共にヨーロッパ辺境のライン川沿いまで移住していったことが知られています。ドイツやフランスにも居住区をつくりました。経済的には富み栄えたようです。 アシュケナジーが歴史に登場してくるのは、中世以後です。キリスト教徒の迫害を受け、居住地を東欧・ロシアへと追放されたり各地に移動を余儀なくされましたが、逆にユダヤ人の独自性が保たれて、世界のユダヤ人の中でも優れた文化を発展させ、やがて近代に指導的地位を得ていきました。アメリカに渡ったユダヤ人の多くがアシュケナジーでした。また、イスラエル建国につながるシオニズム運動も、アシュケナジーが大きく担い推進させました。 アシュケナジー・ユダヤ人は、イーディッシュ語という独特の言語を話しました。イーディッシュ語は中世ドイツ語とヘブライ語の混じり合ってできた言葉です。 スファラディーとは「スペイン」を指す言葉です。イスラム文化が栄えた時代に、その支配地のユダヤ人も豊かな文化や経済の花を咲かせました。もちろん、イスラム教文明の中で世俗的にも大いに活躍しました。当時、地球上の最も進んだ文明がイスラム圏にあったのは、事実ですね。 やがて、キリスト教徒にスペインが占領され、1492年、キリスト教への改宗を拒否したユダヤ人は追放されました。地中海沿岸に散らされ、そして衰退していくイスラム文化圏の中で一緒に歴史の陰に隠れてしまったのが、スペインのユダヤ人の子孫、スファラディーでした。彼らはイスラム教徒とは、比較的平和共存して暮らしていました。 スファラディー・ユダヤ人は、スペイン語とヘブライ語の混成語であるラディーノ語をつかっていました。今はすたれています。 中世キリスト教とユダヤ教との論争をテーマにした『バルセロナの宮廷にて』(ミルトス)は、難しい内容を戯曲風にわかりやすく紹介していますので、当時の雰囲気がよく伝わってきます。 ■アシュケナジーとカザール人
宇野正美という人物が、自著の本で「アシュケナジーは本当のユダヤ人ではなく、カザール人というユダヤ教改宗者の子孫である」ということを主張しています。 しかし、彼の主張がいかに誤りであるか、ここでの説明を見ていただければお分かりだと思います。少しユダヤ人の歴史の知識があれば、いかに虚偽で事実を曲げているかすぐ分かりますが、何も知らない日本人にはもっともらしく聞こえます。念のため、間違いを正しましょう。(氏の本にはその他たくさん誤謬がありますが、ここでは省略します。) 第1に、アシュケナジーが古代ユダヤ人の流れを汲むことは、歴史的事実です。例えば、ドイツにローマ帝国時代のユダヤ人居住区(例えば、コロニア、つまり現在のケルン)があったことなど、ことさら無視しています。古代以来、ヨーロッパの諸都市にユダヤ人が居住していたことは言うまでもありません。 第2に、カザール人とは、カスピ海とヴォルガ川沿いにあった国で、8世紀頃その王がユダヤ教に改宗したと伝えられる人々です。その国が10世紀に滅んだのち子孫がどうなったかは歴史に照らして検証される必要がありますが、ユダヤ人は改宗者であってもユダヤ人なのです。本当のユダヤ人でないとは、その点からも言えません。 シュロモー・ザンド・テルアビブ大学教授が著した『ユダヤ人はいつ、どうやって発明されたか』という書(ヘブライ語原著、日本語訳はなし)も、このカザール人を論拠としたものです。これに関しては、隔月刊誌「みるとす」2008年8月号にてイスラエル人識者が論破しています。 http://myrtos.co.jp/info/judaism01.php 414 :朝まで名無しさん:2006/08/28(月) 19:30:20 ID:MgwFllOM どうも 東欧のユダヤ教徒=ハザルの末裔 という風説は欧州でのアラビア語文献学の進展で、昔キプチャク草原にユダヤ教国家が存在したという史実を欧州側が過剰反応し、しかも当時ロシアなどで再三問題になっていたユダヤ教徒問題を安直に結び付けたオリエンタリズム的ロマン主義の匂いを濃厚に感じる。 文献学的調査や考古学的調査では、遊牧部族集団におけるユダヤ教の需要は確認できてはいるようだが、これらテュルク系遊牧民であるハザルが定住化したのが起源ぽいことをいってはいてもそもそもこの定住化→東欧のユダヤ教徒の図式自体実証できてるか怪しい。 11世紀初頭にはすでにほとんど記録から消失傾向にあり、この頃アラル海東方から進出してきたセルジューク朝はムスリムだった。1220年代にチンギス・ハンがクリミア半島方面まで劫略しているが、ハザルやユダヤ教云々は何ら伝えていない。勿論ブルガール族についても触れてはいるがイスラームの信仰を保持していたかすら書いていない。ハザルにいたってはユダヤ教どころか存在自体記録されていない。 つまり、11世紀以降の黒海からアラル海北方地域の遊牧諸民族の動向が良く分かっていないにも関わらず、アシュケナジームはハザルを起源とする説はそもそもが憶測に憶測を重ねている俗説止まりの部分が極めて大きい。 419 :朝まで名無しさん:2006/08/28(月) 19:41:37 ID:MgwFllOM アシュケナジムとは、元来ドイツのライン川流域に定住していてドイツ語とヘブライ語が交じり合ったイディッシュ語を話す人たち。
カザールとは10世紀頃まで、カスピ海と黒海の間にあったトルコ系遊牧民族国家 ユダヤ教に集団改宗した。 論点は、ポーランド以東のイディッシュ語を話すユダヤ人が、ドイツ起源なのか カザール期限なのかということ。 ドイツ起源説だけでは、数が多すぎるのが難点 カザール起源説だけだと、なぜドイツ語が変形されたイーディッシュを話すのか説明できない。 424 :朝まで名無しさん:2006/08/28(月) 19:57:18 ID:MgwFllOM カザール人は、黒髪、茶目トルコ系のはずだな。
なぜ、金髪、青目のアシュケナージ・ユダヤ人が居るのか? ドイツで交じり合ったという説もあるが、ユダヤ教は2.3世紀には スラブ人やギリシャ人に対する宣教活動を盛んにした。 キリスト教が ゲルマンを改宗させようとした時、それに反抗する勢力がユダヤ教になった という説もある。 白人優越論者=キリスト原理主義者が振りまくカザール=アシュケナジー論は プロパガンダというのが常識でしょ。 http://2se.dyndns.org/test/readc.cgi/news18.2ch.net_news2_1156420267 【遺伝】アシュケナージ系ユダヤ人の母方の系統の起源がヨーロッパである可能性が浮上 Nature Communications 2013年10月9日 Genetics: Ashkenazi maternal lineages may originate in Europe Nature Communications アシュケナージ系ユダヤ人のミトコンドリアDNAの塩基配列解読が行われ、ユダヤ人の母方の系統がヨーロッパ起源である可能性が明らかになった。 これまでに、中近東やコーカサス地方を起源とする学説が表明されていたが、むしろヨーロッパ地中海地方であることが、今回の研究で示唆されている。 アシュケナージ系ユダヤ人の起源をめぐっては激しい論争が繰り広げられている。 父系遺伝するY染色体、母系遺伝するミトコンドリアと両親から遺伝する常染色体に関する遺伝情報を用いて祖先との関係を推定する研究が行われたが、相矛盾する結論が示されていた。 主に中近東(イスラエル/パレスチナ、レバノン、シリア、ヨルダンを含む領域)の人々を祖先とする見解があった一方で、主にコーカサス地方の人々が祖先だとする見解もあったのだ。 今回、Martin Richardsたちは、74点のミトコンドリアゲノムの塩基配列解読を行い、ヨーロッパ、コーカサス地方と中近東に由来する3,500点以上のミトコンドリアゲノムの解析を行い、アシュケナージ系ユダヤ人の詳細な系統史を再現した。 その結果、Richardsたちは、アシュケナージ系ユダヤ人のミトコンドリアDNAの変異の少なくとも80%が、中近東やコーカサス地方ではなく、先史時代のヨーロッパの系統を受け継いでいることを明らかにした。 この結果は、アシュケナージ系ユダヤ人の女性が、約2,000年前には、ヨーロッパに同化していた可能性を示唆している。 Richardsたちは、ヨーロッパの地元の女性が動員されて、改宗したことがアシュケナージ系ユダヤ人コミュニティーの形成にとって重要だったことが今回の研究結果で浮き彫りになり、今回の研究がアシュケナージ系ユダヤ人の系統史の再構築にとっての重要な一段階となったと考えている。 http://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/8799 ユダヤ人のY-DNA遺伝子 http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/ 10月8日付けのNature Communicationsに 「アシュケナージ系ユダヤ人の母方の系統の起源はヨーロッパ」 という内容の論文がでました。 一般常識ではユダヤ人は中東のセム族出身の民族です。 ユダヤ教から分かれたキリスト教もイスラム教も含めセム族が世界の宗教の発信者だと言うことは驚くべきことです。 過酷な中東の砂漠環境で部族をまとめるために「神」が必要だったらしいのです。 するとアシュケナージの人々は中東からヨーロッパに離散した際にヨーロッパ大陸の先住民を現地信仰から大量にユダヤ教に改宗・入信させたということになります。
ユダヤ教のどこが改宗・入信するほど魅力的なのか、もしくは精神的な抵抗がないよう現地信仰をうまく取り込んだのか(たとえば日本では仏教が「お盆」など当時の日本列島の縄文-弥生系の先住民の祖先信仰・習慣を大量に取り込みやっと民衆に受け入れられたように)は門外漢にはわかりませんが、短絡的に考えると 離散したユダヤ人は男性がほとんどで、まだ生活が不安定だった数千年前のヨーロッパの先住民の女性と交配し部族集団(むしろ宗教集団か?)に取り込み民族化していったと推測することも出来ます。 mtDNAのハプロタイプの頻度分布は次のようにヨーロッパ大陸(つまり欧州白人)起源が81%も占めており、ユダヤ人本来の出自の中東系はわづか 8%に過ぎなかった。つまりアシュケナージ系ユダヤ人とはユダヤ教という宗教でまとまった珍しい宗教民族集団だと言えるのでしょう。 興味のある方は是非、下記原著をお読みください。 A substantial prehistoric European ancestry amongst Ashkenazi maternal lineages Marta D. Costa, Joana B. Pereira, Maria Pala, Verónica Fernandes, Anna Olivieri, Alessandro Achilli, Ugo A. Perego, Sergei Rychkov, Oksana Naumova, Jiři Hatina, Scott R. Woodward, Ken Khong Eng, Vincent Macaulay, Martin Carr, Pedro Soares, Luísa Pereira & Martin B. Richards Nature Communications Volume: 4, 2543, Published 8-Oct-13 ただし、図中の最大の頻度を持つハプロタイプmtDNA「K」は西ユーラシア系ではあるのですが中東でもかなりの頻度を持つので必ずしもヨーロッパ起源とは言えません。
メソポタミア農耕文明を興したのはY-DNA「J」系の「J2」ですが、農耕がヨーロッパに浸透する際にY-DNA「J2」のパートナーのmtDNA「K」も一緒に移動したと考えると「K」は中東起源とも言えるのです。 欧米人はどうも敵対するイスラム文明の担い手であるY-DNA「J」が自分たちの出自に直接関与していることを認めたくないのでしょう。 もしAshkenajiのmtDNA「K」32%を中東起源とすると、ヨーロッパ起源は 49%、中東起源は40%となり拮抗するのです。欧米白人にとってはおぞましいことなのでしょうね!! ちなみに図中の最大の頻度を持つハプロタイプmtDNA「K」はアルプスで凍ったまま発見された約5300年前のアイスマンのmtDNAハプロタイプでもあります。ただしアイスマンのハプロタイプ「K」の子亜型「K1ö」は現代では既に失われ母親の女系は断絶したことが知られています。 一方、アイスマンのY-DNAの子亜型は「G2a」になりスターリンと同じコーカサス系となります。 アイスマンの時代にコーカサスから既にアルプスまでコーカサス人は移動をしていたことが良くわかります。アイスマンの父親はヨーロッパに入った後先住民の女性と交配したと考えられますが、中東経由で母系と一緒に移動してきた可能性もあるのです。 更に言えば図中の mtDNA「M1」は「M」系列の中で後述の「M*」の次に古い子亜型です。中東から西に出戻りしマダガスカル島の「M23」と共にアフリカ唯2の「M」系です。
これもヨーロッパ系ではありません。中東系(あえて言えばアフリカ系)なのは明らかです。 この論文の著者の分類は若干恣意的です、 西欧系mtDNA「N」系が最も多いのはその通りですが、アシュケナージの母方がヨーロッパ系と言いきるのは正しくはないですね。ヨーロッパ系と中東系の混合というのが正しいです。 ヨーロッパで最大の頻度を誇るmtDNAハプロタイプは図のmtDNA「H」になりヨーロッパ人の40〜50%を占めています。
では、Y-DNAから見たユダヤ人はどんな集団なのか?
一体何故、欧米人はユダヤ人のことを謎解き扱いするのだろうかY-DNAの頻度分布から調べて見ました。 この分野の重鎮中の重鎮のHammerが2009年に子亜型・孫亜型までしっかりと調査した論文がありました。しかもこの論文の共著者にはこの分野の創始者のひとりのKarafetも、ユダヤ遺伝子研究専門のBeharも名を連ねているそうそうたるメンバーの報告になっています。研究者にはユダヤ人が謎の存在として調査せずにはいられないようです。
また調査中にわかったことは、欧米人が話題にするユダヤ人とはほとんどアシュケナージのことであってセファルディではないことも面白い一面です。 それほどアシュケナージが欧州ユダヤ人の中核で欧米の政治経済を動かす存在なのでしょう。 調査では、海外の研究者はユダヤ人集団をひとくくりではなく「Cohen」、「Israelite」と「Levite」の3種類に分けて調査していました。
また当方には良くわからないのですが、要するにユダヤ教を信奉する人は全てユダヤ人らしい。エチオピアのユダヤ人=Beta・IsraelのようなY-DNA「A」の黒人もユダヤ教信者なのでユダヤ人になるのだそうです。 ・Cohen(Kohen)は世襲の司祭者の末裔らしく、アロンの男系子孫と考えられているらしい。アロンはモーセの兄なので当然Levite出身であることは言うまでもないのですが、何故モーセの子孫がいないのか?は、これから調べてみます。
・Israeliteは俗人、要するに一般大衆のことらしい、勿論、政治家も首相も宗教従事者以外は皆ここに属するようです。 ・Liviteは「主みずからが嗣業」だそうで、あのモーセの出身部族だそうです。Cohenの男系先祖はモーセの兄のアロンと考えられているらしい。ということはCohenも本来はLeviteの一部のはずなのですが違うらしい。 また研究者はAshkenazi(アシュケナージ)とSephardi(セファルディ)に分けても調査しています。
・Ashkenazi(アシュケナージ)は、ディアスポラ(離散)後にドイツ語圏や東欧圏に定住したユダヤ人を言うそうで、大雑把にヨーロッパ系ユダヤ人と言われているそうです。
・Sephardiはアシュケナージ以外の中東系ユダヤ人のことらしいが、それなら本家ユダヤ人ではないかと思われるのだがどうだろうか? ともかくこの分野の重鎮中の重鎮の Hammaer と Krafet の二人が加わって研究・調査しているくらいなので、ユダヤ人の起源は欧米人にとって、我々が想像できないほど重大な?魅力的な?題材のようです。
以上の前提でY-DNAの頻度分布を見ると
● CohenのY-DNA頻度分布はAshkenaziでもSephardisでもセム系のY-DNAであるY-DNA「J」が80%近くを占めており、ユダヤ人本来のセム系の遺伝子を維持しているオリジナルJewであることが見て取れます。 いわゆる純系のレヴィ部族に近いと言え、由緒正しいユダヤ教徒=ユダヤ人のようです。「司祭」なので厳しく男系部族遺伝子を守ってきたのでしょう。 ● LeviteはSephardiとAshkenaziでかなり異なる様子です。
Ashkenajiではスラブ系Y-DNA「R1a」が52%も占め、10%のセム系「J」からスラブ人がレヴィ族を乗っ取った様子が見て取れます。 「主嗣系」にもかかわらずです。過去に何か入れ替わる歴史があったはずですが、一体何が起きたのだろう? Ashkenaziを にせユダヤ人と呼ぶ人もいますが、この遺伝子頻度を見るとAshkenajiの Leviteに関しては充分納得出来ます。 一方、Sephardiではスラブ系「R1a」は4%しかないのですが、代わりにインド亜大陸発の移行期のY-DNA「K」が23%も占めており、バルカン系と思われるY-DNA「I」も20%を占めています。40%以上が他遺伝子に置き換わっているのです。 不思議な頻度分布です。主嗣系にもかかわらず、他の遺伝子の混入が激しい。一体どこで交配したのだろう? これではSephardiを中東系と定義するのは非常に無理があります。 ともかくLeviteと呼ばれる集団は、本来のセム系ではなくすっかり他の遺伝子集団に変貌している。ユダヤ教にとってはLeviteという存在はどうでも良い包末集団なのかもしれない。 いや、それも変です。Leviteを調べると包末どころか、他の Cohen や Israeliteのように相続できる土地や財産を持たない代わりに、彼らから寄付・寄進を受ける神聖な立場のようです。 何しろモーセの出身家系の子孫のはずなのですから。その神聖な存在のはずにも関わらず、ある時 Y-DNA「R1a」,「I」や「K」等の異遺伝子集団にごっそりと乗っ取られたのだと思われます。 そうして AshukenaziとSephardi は確立し、現代まで存続してきたようです。 ● Israeliteは俗人=一般ユダヤ人なので現代イスラエル人の標準的はY-DNA頻度と考えても差し支えなさそうです。
36%程度が本来の中東セム系Y-DNA「J」であるが、ラテン(地中海)系Y-DNA「E1b1b」も20%程度あり、 ゲルマン系のY-DNA「R1b」も13%もあり、パキスタン系のY-DNA「R2」もあるなどCohenやLeviteとも異なる頻度分布を示しています。一体どんなキッカケでユダヤ人に紛れ込んできたのだろう?不思議です。 ユダヤ人が布教活動でいかに多くの信者を取り込み、ユダヤ教徒=ユダヤ人という宗徒=民族を実践してきた特異な「宗教民族」であることを如実に表しているようです。 余談ですが、あのヒトラーの父親はユダヤ人だったとの説が根強くありますが、ヒトラーのY-DNAはユダヤ人 Israeliteの重要な構成成分の「E1b1b」なので間違いなさそうです。 ● ユダヤ人全体としては、セム系Y-DNA「J」が約43%なので今でも中東系と言っても差し支えなさそうですが、次が約17%の地中海(ラテン)系、11%のゲルマン系Y-DNA「R1b」と続きます。
いかにAshkenaziやSephardiのLeviteが異様で特徴的な特異なY-DNA頻度分布を持つかが改めて良くわかります。 とにかく「主嗣系」のLeviteが何のためにセム系以外の他 Y-DNA遺伝子を Ashkenajiでは71%も取り込んできたか、非常に興味深いのです。 当然そうしなければユダヤ教は消滅する危険性があったからには間違いなかったのでしょうが、どんなことが起きたのか?ディアスポラなのか? Leviteがヨーロッパ系Y-DNA遺伝子「E1b1b」,「I」,「R1a」と「R1b」を71%も取り込む過程で、現地の先住ヨーロッパ女性と交配を強力に進めた結果、mtDNAの約80%もがヨーロッパ系に変貌したものと考えられます。 アシュケナージやセファルディはユダヤ人が中東をでてヨーロッパ大陸に新天地を求めて移動したときに現地ヨーロッパの先住女性と交配しながら新しいユダヤ教徒=ユダヤ民族を形成していったものと思われます。 その間に現地改宗男性も教徒に加わり、アシュケナージはセム系からヨーロッパ的に大きく変貌していったと思われます。 http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/ 要するに、アシュケナージ系ユダヤ人はハザール人ではなく、古代ユダヤ人の子孫とヨーロッパ女性の混血だったという事ですね。
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