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ロシア、イラン、朝鮮に対する制裁法を成立させる一方、イスラエル・ボイコットを禁止する米政界
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2017.08.03 02:45:09 櫻井ジャーナル
ロシア、イラン、朝鮮に対する「制裁」法案にドナルド・トランプ大統領は署名した。この法案は7月25日に下院で419対3、27日に上院で98対2という圧倒的な賛成を得て可決されていた。この法律はEUを厳しい状況に陥らせるため、ドイツやフランスなどから反発の声が挙がっているが、大統領は無視したわけだ。
その一方、アメリカ議会ではBDS運動を禁止する法案が浮上している。BDSとはイスラエルに対するボイコット(Boycott)、投資撤退(Divestment)、制裁(Sanctions)。この運動は2005年7月に始まり、世界的な広がりを見せていた。そうした状況に危機感を持ったと思われる民主党のベン・カーディン上院議員を中心に作成され、多くの議員が同調している。
イスラエルは侵略、破壊、殺戮、略奪を繰り返してきた国で、現在はガザを攻撃、ヨルダン川西岸へ違法移住、そして巨大な分離壁(堀、有刺鉄線、電気フェンス、幅60〜100メートルの警備道路、コンクリート壁で構成)を建設してパレスチナ人の居住地区を収容所化している。
BDS運動が始まったのは2005年だが、イスラエルに対する批判がヨーロッパで強まったのは1982年に引き起こされたサブラとシャティーラ(パレスチナ難民キャンプ)における虐殺が切っ掛け。虐殺は周到な準備のうえで行われた。
まず、その年の1月にアリエル・シャロン国防相がベイルートを極秘訪問、親イスラエル派とイスラエル軍が軍事侵攻した際のことについて話し合っている。その直後にペルシャ湾岸産油国の国防相とも秘密裏に会い、石油を武器として使わないことで合意した。
6月には、PLOのヤセル・アラファト議長と対立していたアブ・ニダル派がイギリス駐在のイスラエル大使暗殺を試みているが、実際はアブ・ニダル派に潜り込んでいたイスラエルのエージェントが仕掛けたものだった。この事件を口実にしてイスラエルはレバノンへ軍事侵攻、1万数千人の市民を殺した。つまり偽旗作戦。
8月にイスラエル軍は撤退、その直後にPLOもレバノンを離れる。その際、アメリカはパレスチナ難民の安全を保証していたが、PLOの撤退が完了した直後、9月14日にファランジスト党のバシール・ジェマイエル党首が爆殺され、その報復だとしてファランジスト党のメンバーがイスラエル軍の支援を受けながらサブラとシャティーラの難民キャンプを制圧、数百人、あるいは3000人以上の難民が殺されたと推測されている。
この虐殺はイスラエルが黒幕だと考えるのが自然だが、実際、イスラエルの責任を問う声が世界的に高まり、親イスラエル派だったイギリス労働党もイスラエルに批判的な姿勢を強める。その流れを変える出来事が1994年5月に起こった。労働党の党首だったジョン・スミスが心臓発作で急死したのだ。
その1カ月後に行われた新党首を決める投票で勝利したのがトニー・ブレア。この人物はスミスが急死する4カ月前の1994年1月、妻のチェリー・ブースと一緒にイスラエル政府の招待で同国を訪問、帰国して2カ月後、ブレアはロンドンのイスラエル大使館で富豪のマイケル・レビーを紹介された。その後、レビーはブレアの重要なスポンサーになった。
レビーのほか、イスラエルとイギリスとの関係強化を目的としているという団体LFIを資金源にしていたブレアはその後、労働組合の意向を気にすることなく行動することになり、マーガレット・サッチャーの後継者と言われるようになる。それが「ニュー・レーバー」だ。外交面では労働党を親イスラエルへ引き戻した。ニュー・レーバーを支援した団体のひとつがBAPだが、そこにはメディアの人間が多く参加、人々に知られずに活動することができたと言われている。
勿論、イギリスだけでなくアメリカの議会や有力メディアも筋金入りの親イスラエル派。アングロ・サクソン系の両国はイスラエルと緊密な関係にあるとも言える。そのアングロ・サクソン系の両国に支配されてきたのが日本だ。より正確に言うと、日本は米英の金融資本の属国。本ブログでは何度か指摘したが、こうした状況は明治維新から続いている。
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