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核使用の決断を下せなかったと証言したムシャラフ元大統領  天木直人
http://www.asyura2.com/17/kokusai20/msg/176.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 7 月 27 日 20:17:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 


核使用の決断を下せなかったと証言したムシャラフ元大統領
http://kenpo9.com/archives/1889
2017-07-27 天木直人のブログ


 きょう7月27日の毎日新聞が、ムシャラフ・元パキスタン大統領の、「核使用を検討したが使えなかった」という衝撃的な証言を一面トップで報じた。

 インドとパキスタンの分離独立20周年を前に単独インタビューし、その中でこの証言を引き出したという。

 確かに、ムシャラフ大統領はかつてそのような発言をしたと報じられ、その事について私も書いた記憶がある。

 しかし、ここまで生々しい証言ははじめてだ。

 おりから北朝鮮の核保有と核弾頭ミサイル攻撃が現実になろうとしている。

 そして、あのトランプでさえも核兵器使用に踏み切れない。

 これを要するに、核兵器の使用は、報復の応酬によって被害が甚大となることを思えば、誰も決断できないということだ。

 もはやいかなる指導者も冷静になれば核兵器を使用することは出来ないことが証明された。

 残る危険性は、指導者が正常でなくなる時だ。

 間違って核戦争につながる時だ。

 あるいはISのごとき自爆テロに核兵器がわたる時だ。

 しかし、そのような理由で核兵器が使われ、人類が破滅するようでは、人類の恥だ。

 そうなる前に、核兵器は人類の手で廃絶させなければいけない。

 それを本気で言い出し、実現する国は日本をおいてない。

 日本にそのような政治家があらわれなくてはいけない。

 その政治家こそ、私が新党憲法9条の政治家第一号にさせようと考えている人物である(了)


<パキスタン>ムシャラフ元大統領「インドに核使用を検討」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170726-00000095-mai-int
毎日新聞 7/26(水) 21:05配信


インタビューに答えるパキスタンのムシャラフ元大統領=ドバイで2017年7月21日、金子淳撮影

 ◇02年、両国関係緊張の事態受け 「報復を恐れ断念」

 インドとパキスタンが8月に分離独立70年を迎えるのを前に、パキスタンのムシャラフ元大統領(73)が毎日新聞のインタビューに応じた。ムシャラフ氏は大統領在任中の2002年、インド国会襲撃テロ事件後に両国関係が緊張した事態を受け、インドへの核兵器使用を検討したが、報復を恐れ断念したと明らかにした。核保有国のトップが核使用を検討した事実に言及するのは極めて異例。印パ対立が核戦争の引き金になりかねない状況を改めて浮き彫りにした。【ドバイ(アラブ首長国連邦)で金子淳】

 01年12月に発生したインド国会襲撃事件について、インドはパキスタン軍情報機関の支援を受けたイスラム過激派が実行したと非難。印パ双方は計約100万人の陸海空軍を国境付近に動員し、02年10月ごろまでにらみ合いが続いていた。

 滞在先のドバイの自宅で今月21日に会見に応じたムシャラフ氏は「緊張が高まった02年に核使用の一線を越える可能性があった」と指摘。「核をどう使うのか。使えるのか。何日も眠れない夜が続いた」という。ムシャラフ氏は当時「核戦争も辞さない」と公言していたが、外交的ポーズではなく、現実的な選択肢として検討していたことを示す発言だ。

 ムシャラフ氏は「当時、印パ両国とも核弾頭はミサイルに搭載しておらず、発射までに1〜2日かかる状態だった」と説明。核弾頭の装填(そうてん)の指示は「しなかった。インドもそこまでしなかったはずだ」と述べ、双方に核の報復を恐れる心理が働いていたことを示唆した。両軍はその後、全面衝突を回避し緊張は緩和に向かった。

 カシミール地方の領有権で対立するインドとパキスタンは1998年5月に相次いで核実験を実施。インドは99年に核の先制不使用を打ち出したが、パキスタンは先制使用もあり得るとの立場を崩していない。このため、インドは国会襲撃事件後、パキスタンの越境テロなどに対し、核を使う時間的猶予を与えずに即座に限定攻撃を加える軍事方針を採用したとされる。これに対し、パキスタンは戦術核の開発を進め対抗している。

 昨年11月にはインドのパリカル国防相(当時)が核先制不使用政策に「縛られない」と発言するなど、核の脅威は高まっている。ムシャラフ氏はこうした状況について「非常に危険だ。核を一つ使えば、(報復で)10個落とされる。最大限の破壊を招く」と警告した。

 ◇ムシャラフ元大統領の発言ポイント

▽2002年に核使用の一線を越える可能性があった。しかし、核弾頭の装填の指示はしなかった。

▽インドの前国防相が核先制不使用を見直す発言をした。非常に危険。核を使うと言っているに等しい。

▽(パキスタンの「核開発の父」と呼ばれる)カーン博士から核開発関連装置がイラン、北朝鮮に流れた。それ以外は知らない。

 ◇ペルベズ・ムシャラフ氏

 インド・デリー生まれ。1998年、軍トップの陸軍参謀長に就任。99年10月に軍事クーデターを起こしてシャリフ首相を追放し、政権を掌握。2001〜08年に大統領を務めた。07年の非常事態宣言を巡り14年3月、国家反逆罪で起訴され、現在も係争中。16年から病気療養のためドバイに滞在している。

 ◇印パ両国を巡る主な動き

1947年 インドとパキスタンが分離独立。第1次印パ戦争

  65年 第2次印パ戦争

  71年 第3次印パ戦争。東パキスタンがバングラデシュとして独立

  74年 インドが初の核実験

  98年 インドが2回目の核実験。パキスタンが初の核実験

  99年 印パが領有権で対立するカシミール地方のカルギルで両軍が衝突▽パキスタンのムシャラフ陸軍参謀長が軍事クーデターで政権掌握▽インドが核先制不使用を含む核ドクトリン草案を発表

2001年 インド国会襲撃テロ。02年まで両軍が対峙(たいじ)し、ムシャラフ大統領が核使用を検討

  08年 ムシャラフ大統領辞任。ムンバイ同時テロで160人以上死亡



























 

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コメント
 
1. 2017年7月27日 20:53:05 : pw3qOiGiIo : 3meNRKwwvow[23]
パキスタン ムシャラフ元大統領インタビュー詳報
2017年7月27日 毎日新聞

 ムシャラフ元大統領のインタビュー詳報は次の通り。


■核使用の一線越える可能性も

 −−インドとパキスタンの独立から70年たっても印パの対立は依然続いている。核戦争の危機は身近に迫っているようだが、どう考えるか。

 印パとも核保有国だが、パキスタンは小さな国で、通常戦力は、インドの攻撃をとめるのに十分だ。核使用に至る一線を越えることはない。だが、究極的に安全や統合を保障するのは、核兵器だ。

 −−1999年に印パが戦闘したカルギル紛争で、インドは実効支配線を越えなかった。これは核抑止が働いたからか。

 いや、働いていない。カルギルは地域的な衝突だったから、核の使用は検討されなかった。核使用が選択肢に入ったのは、2001年12月のインド国会襲撃後、緊張が高まった02年からだ。印パ双方が国境に軍を動かし、陸海空軍が国境で対峙(たいじ)した。あのときは核使用の一線を越える可能性があった。

 −−もしインドが一線を越えれば、パキスタンは核使用の準備があったのか。

 難しい質問だ。私は当時、大統領だった。何日も眠れない夜が続いた。もし何か起きたら、どうやって核を使うか。使えるのか。数百万人を殺すかもしれない。とても大きな負担が私の肩にかかっていた。両国は、核弾頭をミサイルに搭載していなかった。装弾して発射姿勢に入るには、1〜2日かかっただろう。(核弾頭の装てんの指示は)我々はしなかった。カルギル紛争でも、他のどんな時でも、我々はそうしなかったし、インドもそこまではしていなかったはずだ。もしやれば、反撃が予想されたからだ。

■核抑止は必要

 −−昨年11月には当時のインド国防相が核先制不使用の見直しに言及した。核の脅威の高まりをどう見るか。

 これはとても不幸なことだ。98年の核実験後、インドはパキスタンに核を使わせるまで追い詰めないようにする戦略を取り、軍事ゲームは限られていた。しかし今は、前国防相が先制不使用を見直す発言をし、非常に危険な状況だ。核を使うと言っているに等しい。限定的な攻撃といっても、核を一つ使えば、(報復で)10個落とされる。最終的には最大限の破壊を招く。終わりがない。狂気だ。

 −−パキスタンは戦術核を開発している。また今年は潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の実験を成功させた。インドへの抑止になると考えるのか。

 そうだ。すべての軍事行動について、我々は責任を持っている。核先制使用は、弱い国の論理として成り立つ。我々の軍事力は比較的小さいが、大きなダメージを与えることはできる。しかし、戦争は答えにならないことは分かっている。多くの犠牲を払いすぎる。

■アフガン問題でパキスタンは悪くない

 −−アフガンのテロ組織はパキスタンにも侵入している。国際テロ組織アルカイダ、アフガンの旧支配組織タリバン、さらに過激派組織「イスラム国」(IS)も加わっている。テロに対処できるか。

 アフガンについて言えば、問題はタリバンとアルカイダとISだ。アフガンはパキスタンからの越境テロを責めるが、これは間違いだ。インドが直接アフガンに関わっており、この紛争は我々だけの問題ではない。もし米国やアフガンの国際部隊が撤退を決めれば、印パの代理戦争がアフガンで起きるだろう。これは避けなくてはならない。だが、状況は悪い。アフガンはインドとともにゲームをしているからだ。

 −−パキスタン軍はアフガンのタリバンに影響力を持つと言われる。戦争回避のために何ができるのか。

 私が99年に政権を握ってから、タリバンを認め、大使館も開設した。だが、タリバン化は支持しなかった。例えば、(01年にタリバンが破壊した)バーミヤンの大仏破壊を避けるために、宗教指導者らの使者を送った。日本やタイの首相、スリランカ大統領も「大仏を助けてくれ」と電話してきた。それに対し、私は「世界はタリバンを認めるべきだ」と言った。大使館を開設しろと。そして穏健化させようと。もし80の大使館があり、大仏を破壊するならすべて引き揚げると言えば、大仏は破壊されなかっただろう。私の戦略は賢かったが、実行したのはパキスタンだけだった。

■核の装置は北朝鮮とイランへ

 −−パキスタンの「核開発の父」と呼ばれるカーン博士が闇市場で北朝鮮やイランに核関連機器を流していたが、彼は過激派と関係はなかったのか。

 関係があったとは思わない。彼は金もうけをしようとしていた。彼はパキスタンの英雄だったが、核爆弾の父ではない。彼はウラン濃縮を知っていたが、爆弾を作るのはもっと別の話だ。

 −−北朝鮮やイラン、リビア以外に彼のネットワークに関心を持った国はないのか。

 彼は私に隠してリビアやスーダンを訪問したため、疑念を抱いた。核開発の関連装置はイラン、北朝鮮に流れた。それ以外、私は知らない。

 −−スーダンは核物質や核関連機器を入手したのか。

 200%の確信はないが、そうは思わない。

 −−印パのカシミール紛争については、06年にパキスタンから両軍の撤退などを提案し、インドも受けいれるところだったという。まだ可能性はあるのか。

 当時は提案に対し、インドも誠実だった。だから前進した。しかし(08年に起きたパキスタンのイスラム過激派によるインド・ムンバイ同時テロで)機会を失ったのは謝らなければいけない。我々は歴史を作る機会を逃した。

 −−分離独立から70年、何が一番の課題だったか。

 パキスタンは、困難な旅路を進んできた。ずっと我々は脅威に直面している。イスラエルと似ている。国の統合を守ることが目的になっている。大きな隣国インドの脅威があるからだ。今日でさえ、彼らは我々の独立を許していない。だから我々は国を守らなければならない。このしがらみの中で、我々は経済発展しなくてはならないし、法と秩序を維持しなくてはならないし、テロと戦わなくてはならない。安全保障で妥協はできない。

https://mainichi.jp/articles/20170726/mog/00m/030/001000c?inb=ys


2. 2017年7月27日 21:08:46 : pw3qOiGiIo : 3meNRKwwvow[24]
パキスタン インドに02年、核攻撃を検討 ムシャラフ元大統領「連夜眠れず」
毎日新聞 2017年7月27日 東京朝刊

 インドとパキスタンが8月に分離独立70年を迎えるのを前に、パキスタンのムシャラフ元大統領(73)が毎日新聞のインタビューに応じた。ムシャラフ氏は大統領在任中の2002年、インド国会襲撃テロ事件後に両国関係が緊張した事態を受け、インドへの核兵器使用を検討したが、報復を恐れ断念したと明らかにした。核保有国のトップが核使用を検討した事実に言及するのは極めて異例。印パ対立が核戦争の引き金になりかねない状況を改めて浮き彫りにした。

 01年12月に発生したインド国会襲撃事件について、インドはパキスタン軍情報機関の支援を受けたイスラム過激派が実行したと非難。印パ双方は計約100万人の陸海空軍を国境付近に動員し、02年10月ごろまでにらみ合いが続いた。

 滞在先のドバイの自宅で今月21日に会見に応じたムシャラフ氏は「緊張が高まった02年に核使用の一線を越える可能性があった」と指摘。「核をどう使うのか。使えるのか。何日も眠れない夜が続いた」という。ムシャラフ氏は当時「核戦争も辞さない」と公言していたが、外交的ポーズではなく、現実的な選択肢として検討していたことを示す発言だ。

 ムシャラフ氏は「当時、印パ両国とも核弾頭はミサイルに搭載しておらず、発射までに1〜2日かかる状態だった」と説明。核弾頭の装填(そうてん)の指示は「しなかった。インドもそこまでしなかったはずだ」と述べ、双方に核の報復を恐れる心理が働いていたことを示唆した。両軍はその後、全面衝突を回避し緊張は緩和に向かった。

 カシミール地方の領有権で対立するインドとパキスタンは1998年5月に相次いで核実験を実施。インドは99年に核の先制不使用を打ち出したが、パキスタンは先制使用もあり得るとの立場を崩していない。このため、インドは国会襲撃事件後、パキスタンの越境テロなどに対し、核を使う時間的猶予を与えずに即座に限定攻撃を加える軍事方針を採用したとされる。これに対し、パキスタンは戦術核の開発を進め対抗している。昨年11月にはインドのパリカル国防相(当時)が核先制不使用政策に「縛られない」と発言するなど、核の脅威は高まっている。

 ムシャラフ氏はこうした状況について「非常に危険だ。核を一つ使えば、(報復で)10個落とされる。最大限の破壊を招く」と警告した。【ドバイ(アラブ首長国連邦)で金子淳】

■発言のポイント

 ・2002年に核使用の一線を越える可能性があった。しかし、核弾頭の装填の指示はしなかった

 ・インドの前国防相が核先制不使用を見直す発言をした。非常に危険。核を使うと言っているに等しい

 ・(パキスタンの「核開発の父」と呼ばれる)カーン博士から核開発関連装置がイラン、北朝鮮に流れた。それ以外は知らない

■印パ両国を巡る主な動き

1947年 インドとパキスタンが分離独立。第1次印パ戦争

  65年 第2次印パ戦争

  71年 第3次印パ戦争。東パキスタンがバングラデシュとして独立

  74年 インドが初の核実験

  98年 インドが2回目の核実験。パキスタンが初の核実験

  99年 印パが領有権で対立するカシミール地方のカルギルで両軍が衝突▽パキスタンのムシャラフ陸軍参謀長が軍事クーデターで政権掌握▽インドが核先制不使用を含む核ドクトリン草案を発表

2001年 インド国会襲撃テロ。02年まで両軍が対峙(たいじ)し、ムシャラフ大統領が核使用を検討

  08年 ムシャラフ大統領辞任。ムンバイ同時テロで160人以上死亡

 ■人物略歴

ペルベズ・ムシャラフ氏
 インド・デリー生まれ。1998年、軍トップの陸軍参謀長に就任。99年10月に軍事クーデターを起こしてシャリフ首相を追放し、政権を掌握。2001〜08年に大統領を務めた。07年の非常事態宣言を巡り14年3月、国家反逆罪で起訴され、現在も係争中。16年から病気療養のためドバイに滞在している。

https://mainichi.jp/articles/20170727/ddm/001/030/183000c


3. 2017年7月27日 22:03:40 : pw3qOiGiIo : 3meNRKwwvow[25]
パキスタン ムシャラフ元大統領会見 カシミール問題解決必須 印パ核戦争回避 機会逸失、謝罪
毎日新聞 2017年7月27日 東京朝刊

 パキスタンのムシャラフ元大統領が毎日新聞とのインタビューで行ったインドに対する「核使用検討」発言は、核攻撃が現実的な選択肢になっていたことを示す。印パ両国は1947年の分離独立以来、カシミール地方の領有権を巡り対立を続け、両軍の間では武力衝突が常態化している。カシミール問題が解決しない限り、核戦争の危機はエスカレートする可能性がある。【ドバイ(アラブ首長国連邦)で金子淳】

 ムシャラフ氏が会見で、印パが相次いで核実験した98年に比べ現在のほうが「危険」との認識を示したのは、インドの核先制不使用見直しの動きを危惧したものだ。インドが2003年に発表した核使用に関するドクトリンは先制不使用を原則とする一方、核攻撃に加え、生物・化学兵器攻撃を受けた場合でも核による報復が可能としたため、「限定的な核の先制攻撃」を事実上容認したとの見方が国際的に広まった。

 先制不使用の原則に「縛られない」としたインドのパリカル前国防相の昨年11月の発言について、ムシャラフ氏が「核を使うと言っているに等しい」と反発したのも、インドが示していた「核を使うところまでパキスタンを追い詰めない戦略」を現在は転換したという疑念の表れとみられる。

 一方、ムシャラフ氏は会見で「核先制使用は、弱い国の論理として成り立つ」と肯定しており、パキスタンの核開発にブレーキをかける必要性にはまったく触れなかった。

 ストックホルム国際平和研究所によると、核弾頭はインドが120〜130発、パキスタンが130〜140発を保有するとみられている。通常戦力でインドに劣るパキスタンは、射程が短い戦術核の開発にも力を入れており、「限定的な核攻撃」に備え、危機感を高めているのはパキスタンも同様だ。

 ムシャラフ氏は核物質がテロリストの手に渡る懸念を全面否定し、テロ組織が核物質取得を画策したとの情報も「ない」と強調。だが、パキスタンとアフガニスタンの国境地帯は国際テロ組織アルカイダなどが拠点としており、将来的な懸念はぬぐえない。

 カシミール紛争の解決は、08年にパキスタンから越境した武装集団がムンバイ同時テロを起こしたため、一気に遠のいた。ムシャラフ氏は06年にパキスタンが提案した両軍の撤退案にインドが誠実に対応していたと振り返り、「(解決の)機会を失ったのは謝らなければならない。歴史を作る機会を逃した」と述べた。テロをきっかけにした印パ両国の対立は繰り返されており、テロ対策を含めた危機管理が問われている。

 ■ことば

カシミール紛争
 1947年に印パ両国が英国から独立するまで、カシミール地方は英国の下で藩王が統治。住民の多くはイスラム教徒のためパキスタンへの帰属を望んだが、ヒンズー教徒の藩王はインドへの帰属を表明し、領有権を巡り第1次印パ戦争が起きた。49年の停戦で、約3分の2をインド、残りをパキスタンが支配する形となったが、その後も両国間では2度、戦争が起きている。

https://mainichi.jp/articles/20170727/ddm/007/030/181000c


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