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2017年4月17日 矢部 武
トランプは悪性の人格障害!?米で精神科医らが解任求める
Photo by Keiko Hitomi
トランプ大統領は6日、化学兵器の使用が疑われるシリアのアサド政権に対する攻撃を命じた。軍事作戦をためらったオバマ前大統領と違い、決断力と実行力があると誇示したかったのかもしれないが、はたしてこの「即断」は正しかったのか。国連決議や国際社会の支持を得ることなく、主権国家攻撃の根拠もシリア内戦終結の戦略も示さないまま、単独で武力行使に踏み切るのはかなりの危うさをはらんでいる。
また、トランプ大統領は北朝鮮の核や弾道ミサイル開発をめぐり、中国の対応によっては米国が北朝鮮への軍事攻撃に踏み切る可能性をほのめかしている。もし米国が攻撃すれば、北朝鮮の報復によって韓国が火の海になるだけでなく、日本も甚大な被害を受ける可能性がある。そのリスクが大きすぎるために、米国の歴代政権は北朝鮮への軍事攻撃に踏み切らなかった。問題は気まぐれで衝動的なトランプ大統領が大惨事のリスクをすべて考慮に入れて、軍事的選択肢をテーブルの上に載せているのかということだ。
実は米国ではいま、トランプ大統領の自己制御がきかない衝動性や精神不安定性に対する懸念が高まっている。きっかけは2月半ばに35人の精神科医らが連名でニューヨーク・タイムズ紙に送った、「トランプ氏は重大な精神不安定性を抱えており、大統領職を安全に務めるのは不可能だ」とする内容の投書だった。
米国精神医学会(APA)は「精神科医が自ら診察していない公的人物の精神状態について意見を述べるのは非倫理的だ」とする規定を設けている。しかし、この投書の後、「危険性について認識しながら、沈黙しているのは逆に倫理に反する」として多くの精神医療の専門家(精神科医、臨床心理学者、ソーシャルワーカーなどを含む)が立ち上がり、トランプ大統領の解任を求める運動に加わっている。彼らが口を揃えて指摘するのは、「現実と空想の区別がつかない妄想症で、サイコパス(反社会性人格障害)の人物が核のボタンを握っていることの怖さ」である。
現実と空想の区別がつかない「妄想症」
トランプ大統領は就任後も選挙戦中と同様、根拠のない発言を繰り返している。たとえば、就任式の参加者数がオバマ前大統領の時より少なかったと報じたマスコミを「嘘つきだ!」と非難し、「過去最大規模の人出だった」と主張した。CNNテレビなどが流した両者の就任式の映像を比べればトランプ氏の方が少ないことは明らかなのに、また、就任式当日のワシントンの地下鉄の乗降者数でもトランプ氏の方が少なかったことが報道されたにもかかわらず、トランプ氏は主張を変えなかった。
選挙結果にしても、トランプ氏は選挙人数で民主党のヒラリー・クリントン候補を上回ったが、総得票数ではクリントン氏より約300万票少なかった。この事実を受け入れられなかったのか、トランプ氏は何の根拠も示さずに「得票数で負けたのは300万〜500万人の不法移民が不正に投票したからだ」などと突拍子もないことを言い出した。
ガートナー医師
ジョンズ・ホプキンス医科大学での精神療法を含め、35年以上の実績と経験を持つジョン・ガートナー精神科医はトランプ氏の一連の言動をこう分析する。
「自分はベストで偉大だと思い込む誇大妄想の傾向が強いので、そこそこの勝利では我慢できないのだと思います。普通なら、“選挙に勝って大統領になったのだから十分だ”と考えるだろうが、彼の場合は“選挙人数でも得票数でも勝っていた”と主張しないと気がすまないのでしょう。就任式の参加者数でも同じことが言えます。トランプ氏は自分に都合の悪い現実を受け入れることができない。本当に危険なのは、彼が事実をねじ曲げ、自分の空想と一致するような“もう1つの事実”(嘘)を作り上げてしまうことです」
トランプ氏は選挙戦中からずっと事実と異なる発言(嘘)を繰り返してきたが、目的を遂げるためなら平気で嘘をつき、それに対して自責の念を感じることも謝罪することもないというのが多くの専門家の意見だ。実際「トランプ氏の選挙戦中の発言のうち、77%は嘘だった」(『ポリティファクト』)との調査結果もある。
そして、ロシアによる米大統領選介入にトランプ陣営が関わっていたのではないかとするFBI調査で追い詰められる中、トランプ氏は国民やメディアの関心をそらそうとしたのか、新たな暴言を吐いた。3月4日の朝、「なんということだ。オバマが投票日直前、トランプタワーを盗聴していたことがわかった。何も見つからなかったが、これはマッカーシズム(赤狩り)だ」とツイッターでつぶやいた。さらにこの後、「神聖な選挙戦の最中、私の電話を盗聴するとはオバマはどこまで落ちたのか。ニクソンのウォーターゲートと同じ悪い奴だ」などと立て続けに3回書き込みをした。
結局、トランプ大統領からは何の証拠も示されず、FBIのジェームズ・コミー長官は「盗聴は起きていません」と議会で証言し、「トランプ大統領が言う盗聴を裏づける証拠はない」と明言した。
超ナルシストの「自己愛性人格障害」
メイヤー医師
カリフォルニア州ロサンゼルスで精神科クリニックを約25年開業しているリン・メイヤー医師(臨床心理学博士)は最近、トランプ大統領の「精神障害」について他の医師と話す機会が多いが、ほとんどの人は「自己愛性人格障害」(NPD=Narcissistic Personality Disorder)を疑っているという。
NPDは誇大妄想症、過剰な賞賛欲求、共感性の欠如などによって特徴づけられる人格障害である。米国精神医学会(APA)の「NPDの定義」によれば、多くの人は「自己愛性」の特徴を持っているが、そのうちNPDと診断される人は1%程度。次の9項目のうち5項目以上があてはまると、相当するという。
1.自分の実績や才能を誇張する。
2.無限の成功、権力、才能などの空想にとらわれている。
3.自分は「特別」であると信じている。
4.過剰な賞賛を求める。
5.特権意識をもち、特別な取り計らいを期待する、
6.対人関係で相手を不当に利用する。
7.共感性の欠如。
8.よく他人を妬み、または他人が自分を嫉妬していると思い込む。
9.傲慢で横柄な行動や態度を示す。
メイヤー医師は、「トランプ氏の場合、9項目すべてが当てはまるように思う。学校の成績でいえば“オールA”です」と話す。
「就任式の参加者数のことでメディアを批判したのは、どれだけ多くの人が自分を賞賛しているかを示す意味で重要だからです。一方、自分を批判する人に対して激しく攻撃するのは、批判を受け入れられないからです。褒めてほしい欲求が強すぎて批判に耐えられない、これもNPDの兆候です」
さらにメイヤー医師はNPDを疑われる人物が核のボタンを握っていることについて警告する。
「最も注意しなければならないのは、結果をよく考えずに行動してしまう衝動性です。外国の指導者から否定的なことを言われたり、批判されたりした時に激しい怒りを抑えられず、行動に移す可能性があります。このような人物が核のボタンを握っているのは米国にとっても世界にとっても非常に危険だと思います」
たしかにトランプ大統領が真夜中の執務室で核のボタンとツイッターを前にしている姿を想像するとぞっとする。世界最強の軍事力を誇る米国は7000個以上の核弾頭を所有するが、それを使用するかどうかは大統領の決定にかかっているのだ。
「世界でも最も危険な指導者になる」
前出のガートナー医師も同様の懸念を示す。
「現実と空想の区別ができない妄想症のため、相手が攻撃を仕掛けてくると勝手に思い込み(現実は違うのに)、“想像上の敵”に向かって攻撃するかもしれない。このような人物に核のボタンを握らせるべきではないと思います」
さらにトランプ氏の怖さはそれだけではない。豊富な診療経験を持つベテラン精神科医で心理学者のガートナー医師は、トランプ氏は非常に稀で深刻な「悪性の自己愛性人格障害(MNPD=Malignant Narcissistic Personality Disorder)」ではないかと推測する。MNPDは主にナルシシズム(自己愛性)、パラノイア(偏執病)、反社会性、サディズム(他人を傷つけて喜ぶ)の4つの要素を持ち、治療はほぼ不可能だという。
「パラノイアは移民やマイノリティへの侮蔑発言やメディアへの敵視などに現れ、反社会性は人々の権利を侵害したり、嘘をついても自責の念がまったくない所に現れています」
MNPDという病名を最初に使ったのはナチスドイツの迫害から逃れた心理学者のエリック・フロム博士で、1964年にヒトラーなどファシズム指導者の精神構造を解明するために考え出した。そのため、MNPDは「ヒトラー型の人格障害」とも呼ばれているそうだ。
ガートナー医師はこう続ける。
「これまで多くの人格障害患者を診てきたが、トランプ氏のケースは“最悪の最悪”と言ってよいでしょう。普通のNPDなら、問題はあってもなんとか大統領として4年の任期を全うできるかもしれません。でも、彼は悪性のNPDですから、それよりはるかに病的です。パラノイドで反社会的で妄想的で、現実と空想の区別ができない。精神医学の見地から言っても非常に危険です。たとえば、精神医学の研究所で“世界で最も危険な指導者をつくる実験”をしたとしても、彼以上の危険な“人格”をつくり出すのは難しいでしょう。彼は意図的に混乱をつくり出し、人を傷つけることに喜びを感じているのですから」
「トランプ解任」を求める動き
にもかかわらず、トランプ大統領は今でも40%前後の支持率(4月11日のギャラップ調査で41%)を維持している。それについてガートナー医師は、「全ての人を常に騙すことはできないが、一部の人を騙すことはできる」というリンカーン大統領の言葉を引用しながら、「だからこそ、彼の危険性についてより多くの人々に知ってもらわなければならない。それを行うのは私たち精神科医の責任だと思っています」と話す。
ガートナー医師は2月半ば、他の精神医療の専門家と一緒に「警告義務の会」(DTW)を結成した。DTWはトランプ大統領の人格障害や危険性についての情報をメディアや政治家に提供したり、憲法修正第25条を適用して職務不能を理由に解任を求める署名運動を行ったりしている。3月末の時点で3万人を超える精神医療の専門家が署名したという。
第25条には「職務不能を理由に大統領を解任し、副大統領を代理に据えることができる」と規定されている。具体的には、「副大統領と閣僚の過半数が“大統領は職務上の権限と義務を遂行できない”と判断した場合、副大統領が直ちに職務を遂行する」というものだ。
精神医療の専門家に連動するかのように、議会でも大統領の解任に向けた動きが出ている。野党・民主党のアール・ブルメンナウアー下院議員は2月半ばに憲法修正第25条の適用に備える会を立ち上げ、「妄想症で偏執病の大統領には本条項が適用される可能性はあると思います」との声明を発表した。
また、医療助手として働いた経験を持つカレン・バース下院議員は、「トランプ氏の衝動性と自己抑制の欠如、精神不安定性は米国にとって非常に危険である」として、「トランプ大統領に精神科医の診断を求める」署名運動をchange.orgで始めた。「ダイアグノス・トランプ(DiagnoseTrump)」と呼ばれるページには、4月14日の時点で3万6882人の精神医療の専門家が署名している。
前述の「警告義務の会」と合わせて6万6000人以上の専門家が(一部は重複しているかもしれない)、トランプ大統領の「精神障害」を懸念し、職務能力に疑問を持ち、政府や議会に適切な対応を求めているのである。
憲法修正第25条はこれまで一度も適用されたことはなく、しかも副大統領や閣僚が「大統領にノーを突きつける」というハードルの高さを考えると、現実的には難しいかもしれない。しかし、トランプ大統領は他に自らのビジネスとの利益相反問題や選挙中のロシアとの不適切な関係など、弾劾訴追の大きな火種をかかえており、憲法第2条(弾劾規定)の適用を受けて解任される可能性はある。
ロシア関連の調査は現在、FBIと上下両院の情報委員会で進められており、疑惑はどんどん膨らんでいる。そのため、トランプ大統領がシリア攻撃に踏み切ったのは、ロシア疑惑から国民の関心をそらす目的もあったのではないかとの指摘も出ている。
「公共政策世論調査」(PPP)が3月30日に発表した調査では、ロシア疑惑について国民の44%は「米国大統領選の介入でロシア政府とトランプ陣営は“共謀”したと思う」と答え、「そう思わない」(42%)を上回った。そして、「もし証拠が出たら、トランプ大統領は辞任すべきだ」と答えた人は53%にのぼった。
与党・共和党が議会両院の多数を握っている現状では、普通に考えればトランプ大統領の弾劾は難しいかもしれない。しかし、ロシア疑惑の調査や「利益相反裁判」(トランプ氏は政治倫理監視団体から訴えられている)の行方次第では、世論が一気に高まる可能性はある。そうなれば、共和党の議員たちも「トランプ弾劾」に向けて動かざるを得なくなるだろう。そうしなければ、共和党は2018年11月の中間選挙で惨敗し、代わって多数を握った民主党が弾劾に向けて動きだす可能性が高いからである。
ガートナー医師は最後に、「民主党が過半数を握ればトランプ大統領の弾劾訴追を行うでしょう。こちらの方が第25条より可能性は大きいと思います」と話した。
(ジャーナリスト 矢部 武)
http://diamond.jp/articles/-/124974
トランプ大統領が勢いづいている本当の理由
失点を一気に挽回する人事の勝利があった
湯浅 卓 :米国弁護士 2017年4月15日
トランプ政権で新たに最高裁判事に就任したゴーサッチ氏(写真:ロイター/アフロ)
4月10日、連邦最高裁判事に決まったニール・ゴーサッチ氏の宣誓式がホワイトハウスで行われた。同氏の就任で、終身制の最高裁判事は保守派5人、リベラル派4人となった。保守派論客だったアントニン・スカリア氏の死去で、1年以上空席だった体制が、これでやっと元に戻った形だ。
保守派のゴーサッチ氏をドナルド・トランプ大統領が指名したのは1月31日のこと。この間、指名されたゴーサッチ氏が指名したトランプ大統領を批判するという”珍事”が起きたり、上院での承認手続きをめぐってフィリバスター(長時間演説による議事妨害)阻止という「禁じ手」を使った強行採決が行われたり、とにかく紆余(うよ)曲折があった。それらの逆風を乗り越えて、最終的に保守派の判事が決まったことは、トランプ大統領にとって大きな得点になる。
就任以来、トランプ大統領は移民規制に関する大統領令の挫折やオバマケア(医療保険制度改革法)代替法案の撤回など、失点続きだった。そのトランプ大統領にとって、就任100日を前に、公約の1つである保守派の最高裁判事の就任が決まったことは、逆転ホームランに値するほどの大きな勝利といえる。
なぜそこまで重要なのか。それは「最大のライバル」であるバラク・オバマ前大統領に一矢報いることになるからだ。
ヒラリー氏勝利ならオバマ氏が最高裁判事に
9人制の最高裁判事は、1年以上にわたって保守派4人、リベラル派4人で、1人空席のままだった。その空席を埋めるために、オバマ前大統領がリベラル派のメリック・ガーランド氏を指名したのは昨年3月。ところが、共和党は新判事を任命するのは新大統領であるべきとして上院での審議を拒否してきた。
オバマ氏は最高裁の権威を損なう共和党の妨害行為にうんざりし、「共和党はアメリカ民主主義の中核をなす機関の1つをむしばんでいる」と怒りをぶちまけていた。リベラル派はもちろんのこと、多くの国民がその怒りに共感した。
実は、そのオバマ氏は、ヒラリー・クリントン民主党大統領候補が当選した暁には、最高裁判事に指名されるであろうという話が民主党関係者の間でひそかに語られていた。そのうわさは共和党系支持者が圧倒的に多いウォール街にも伝わっていた。それは長年にわたる連邦最高裁の保守化を覆し、長期的に民主党寄りの連邦最高裁の実現という、民主党にとって究極のアメリカンドリームとさえいえた。
オバマ氏はハーバード大学ロースクールを首席で卒業した秀才だ。最高裁判事になる資格は十分に備えている。ヒラリー・クリントン氏が大統領になり、オバマ氏が最高裁判事になれば、民主党のリーダーシップは絶大なものになる。
選挙戦中、オバマ氏が全米を回って、まるでわがことのようにクリントン候補を応援したのは、そんな潜在的な願望もあったからだと邪推すれば、その熱心さも理解できるというものだ。
オバマ氏は、大統領任期中も退任後も抜群に高い支持率を誇っている。その人気の高さに遠く及ばないトランプ大統領にとって、最大のライバルは、いまなおオバマ前大統領なのである。選挙戦中にオバマ前大統領の最大公約であり、政治的成果でもあるオバマケア廃止をぶち上げたのも、ここへきてのシリア攻撃や北朝鮮に対する強硬姿勢も、「最大のライバル」オバマ氏への挑戦と言っていい。
オバマ氏のレジェンドを潰した
1期目のアメリカ大統領にとって最大の目標は再選を果たすことだ。その難関の扉を開くにはどうするべきか。「扉をたたけ、さらば開かれん」と新約聖書のマタイ伝にある。その言葉をウォール街で何度も聞いた。その難関の扉を開くには、2つの条件を満たさなければならないという教えがウォール街にある。
1つは、ギブ・アンド・テイクなど交渉相手とのやり取りを通じて、現実に仕事の実績を上げること。もう1つは、近い将来、自らの目標を実現できるように仕事をしっかり遂行すること。つまり、現在の実績と将来の実績、その2つの実績を上げることである。
オバマ前大統領はその2つの実績を上げて、再選という難関の扉を開いた。オバマ氏を「最大のライバル」と意識しているトランプ大統領にとって、自分以上にオーラがあり、人気の高いライバルに張り合うには、まず相手の実績をたたき潰すこと、そしてそれこそ、トランプ大統領の実績なのだ。
ゴーサッチ最高裁判事の決定は、その第1の実績に当たる。オバマ氏が最高裁判事になるチャンスを封じたからだ。ゴーサッチ氏は連邦控訴審判事を務め上げた49歳、オバマ氏は55歳。最高裁判事は終身制であり、判事仲間で結束力が強く、年功序列を重んじる。ゴーサッチ氏のあとにオバマ氏が選任されることは、もはや考えられない。
その結果、オバマ氏の将来のレジェンドはついえることになった。オバマケアが潰れるよりも、そのインパクトのほうが大きい。トランプ大統領にとって大きな得点であり、大勝利だ。
将来の実績に向けて、もう1つ手を打った。シリア攻撃と北朝鮮に対する強硬姿勢だ。「偉大なアメリカ」再興という目標に向けて、「戦果」を上げることができるかどうかも焦点だ。
4月6日夜、米軍はシリアの空軍基地をミサイル攻撃した。6年前、シリア内線が始まって以来、米軍のシリア直接攻撃はこれが初めてだ。バッシャール・アル=アサド政権が反体制派の拠点を空爆した際、シリア軍が化学兵器を使用したことに対する対抗措置という。
トランプ政権は、これまでアサド政権には関与しない方針だった。それが急きょミサイル攻撃に転じたのは、シリア軍の化学兵器使用による子供たちの悲惨な映像がトランプ大統領の長女イヴァンカ氏(大統領顧問)の「悲しみと怒り」を誘い、それが父を動かしたとも報じられる。
ともかく、シリア内線の混乱、泥沼化は、2013年夏の米軍によるシリア攻撃が、突然中止されたことが原因とされる。このドタキャンは「オバマ最大の失態」とされ、タカ派は「史上最弱の大統領」と非難した。その失敗を繰り返さないためにも、トランプ大統領がシリア攻撃を即決したとしても不思議ではない。
今回のシリア攻撃は、これまでのオバマ支持者の目を覚まさせ、トランプ支持者を増やす絶好の機会になる。CBSテレビの世論調査(4月10日実施)では、シリア攻撃支持者は米国民の57%、反対は36%だった。
トランプ大統領が米軍にシリア攻撃の命令を出した当日は、まさに米中首脳会談の最中だった。パームビーチの別荘で習近平国家主席と会談中、トランプ大統領は何度も席を外した。にもかかわらず、トランプ氏はシリア攻撃については包み隠さず、習氏に伝えた。その説明を聞き、習氏は米軍のシリア攻撃に対して理解を示したという。
「トランプ軍複合体」のパワー発動
習氏が本当に理解を示したかどうかはともかく、目下、米中間では北朝鮮問題が焦眉の急となっている。トランプ政権は、中国政府に北朝鮮への説得工作を強く求めている。そんな対中折衝を進めるに当たって、このシリア攻撃は絶妙のタイミングだった。
トランプ政権は、オバマ政権時代の「戦略的忍耐」戦略の終わりを宣言し、先制攻撃を含む「あらゆる選択肢」を検討中であることを公言している。もし中国が北朝鮮の説得に応じず、北朝鮮の核開発を放置するなら、米軍はシリア同様、単独で北朝鮮攻撃も辞さないというメッセージになったはずだ。
パックスアメリカーナの全盛時代、「偉大なアメリカ」は「産軍複合体」という強力なパワーを発揮した。そのパワーを支えた産業の力は衰え、これから「偉大なアメリカ」を再興するには、「産軍複合体」に代わって「トランプ軍複合体」というべきパワーが発揮されることになる。トランプ大統領の指導力と軍事力の組み合わせによるパワーの発動だ。近い将来、それがうまくいく可能性が高まれば、トランプ大統領の評価も高まり、2020年の再選が視野に入ってくる。
http://toyokeizai.net/articles/-/167707
意思決定の「ノイズ」
企業の知られざる大損失
ダニエル・カーネマン,アンドリュー M. ローゼンフィールド,リネア・ガンジー,トム・ブレイザー:プリンストン大学名誉教授(心理学)
2017年4月17日
人の判断力はあてにならない。医師や裁判官、経営者など、訓練や経験を積んだプロフェッショナルも、その時の気分やお腹の減り具合、天候などさまざまな要因の影響を受け、判断がぶれる。同じ人に同じ案件を別の日に検討させると、前回と異なる判断を下すケースが実に多い。こうした判断の不安定さを「ノイズ」と呼ぶ。企業はノイズにより多大な損失を被っているが、ほとんど認識されていない。本稿では、まず自社のノイズを把握することから始め、それを減らす方法を具体的に提示する。
『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』2017年5月号より1週間の期間限定でお届けする。
「ノイズ」は企業に
多大な損害をもたらしている
ある世界的な金融機関と仕事をともにした際、こんなことがあった。同社の古くからの顧客が間違って、金融サービスの申し込みを2ヵ所の支店に提出してしまったのだ。本来ならその申込書を社員の誰が担当しようとも、全社共通の基準に従って審査し、同じような結果になるはずであった。ところが実際には、2ヵ所の支店から顧客に返ってきた2通の見積書は内容がまったく違っていた。顧客はあっけに取られ、その仕事を競合他社に頼むことにした。
会社とすれば、同じ業務を担当する社員は代理が可能で、同じ回答を出すはずであったが、このケースで2人の社員は同じではなかったのだ。残念なことに、これは広く見られる問題である。
多くの組織は、社内のプロフェッショナルに対して、無作為に案件を割り当てる。信用格付け機関のアナリスト、緊急治療室の外科医、融資と保険の審査・引き受け担当者──。そして組織は、こうしたプロフェッショナルに一貫性を求める。すなわち、ほぼ同一の案件を扱うなら、完全に同じとまではいかなくても似たような対応をすべきであると。
しかしやっかいなことに、人間の意思決定能力はあてにならない。人間の判断は、その時の気分やお腹の減り具合、天気といった、どうでもいい要因から強い影響を受けるのである。
こうした判断の不安定な変動を、「ノイズ」と呼ぶ。ノイズは、最終損益に課される目に見えない重い負担として、多くの企業に損害を与えている。
ノイズの影響を受けない仕事も一部にはある。銀行や郵便局の窓口係は複雑な業務をこなすが、厳格な規則に従って仕事をしなければならないので主観的判断は制限され、同一案件には間違いなく同一の対応をするよう意図的に設計されている。
これとは対照的に、医療の専門家や融資担当者、プロジェクトマネジャー、裁判官、企業幹部などは皆、自分で判断を下す。その判断のよりどころとなるのは厳格な規則ではなく、むしろ個人的な経験や一般原則である。そして、他の誰もがその立場にいたら下すであろう結論でなくても、それは受け入れられる。これこそ、「判断の分かれる問題」といわれるものである。
社員にこうした判断をさせる企業も、ノイズの影響をまったく受けない意思決定などできるとは思っていない。
しかし、ノイズの影響は、企業幹部が許容範囲だと思うであろうレベルをはるかに超えていることが多い。しかも、企業幹部はそのことにまったく気づいていない。
ノイズがどれだけ蔓延しているかは、複数の研究によって実証されている。時期を変えて同じデータをプロフェッショナルに見せると、前に下した判断と矛盾する結論に至ることが頻繁にある。
このことは学術研究者が繰り返し立証してきた。たとえば、「この作業を完了するのに何時間かかりそうか」という見積もりを同じソフトウェア開発者に日にちを変えて行わせると、彼らが予測する時間は平均して71%もぶれていた。
病理学者に生体組織検査の結果を見せて症状の深刻さを2回診断させると、2回の診断結果の相関関係はわずか0.6(完全一致は1.0)しかなく、かなり多くのケースで彼らが(過去の自分の診断と)相反する診断を下しているだろうと推測される。
判断するのが別人なら、判断結果がばらつく可能性はさらに大きくなる。さまざまな仕事において各分野の専門家たちが下す判断に非常にむらが大きいことは、研究によって実証されている。たとえば株式の価値の評価、不動産の鑑定、犯罪者への量刑、仕事の業績評価、財務諸表の監査など──。つまり次のように結論せざるをえない。
プロフェッショナルは、他のプロフェッショナルとも、自分の過去の判断とも、自分たちが従っていると主張するルールとも、相当に違う判断を下すことが頻繁にある。
多くの場合、ノイズはひっそりと悪さをする。成功している企業でさえ、ノイズによって気づかぬうちに相当の金額を失っている。相当の金額とは、どれくらいか。一つの目安を得るため、我々が研究対象とする某組織の幹部たちに次のように質問した。「ある案件の最適な査定額が10万ドルだったとします。もし、その案件を担当したプロフェッショナルが11万5000ドルと査定したら、組織が被る損失はいくらになるでしょうか。また、8万5000ドルと査定された場合は、組織の損失はいくらでしょうか」──。
こうして得られた損失の見積額は大きかった。1年間のすべての査定を何期にもわたり集計していくと、ノイズによる損失額は何十億ドルという桁になった。仮に国際的な大企業であっても、容認できないレベルの巨額な金額である。この組織のノイズをわずか数ポイント減らすだけでも、その価値は数千万ドルに相当しよう。驚くべきことに、この組織は調査時点まで一貫性の問題にまったく無関心であった。
ところで、統計を使った簡単なアルゴリズムによる予測と判断のほうが、専門家による予測と判断よりも正確なことが多い、という事実はかなり前から知られている。それは、アルゴリズムの利用する情報量より専門家のほうが多くの情報にアクセスできる場合でさえ当てはまる。
これに対して、それほど知られていない事実もある。アルゴリズムのほうが優れている主な理由はノイズフリー(ノイズの影響を受けない)だからである、ということだ。人間と違い、アルゴリズムの方程式はどのような入力値であっても同じ入力値には常に一定の答えを返す。一貫性に優れているため、単純かつ不完全なアルゴリズムでさえも、人間のプロフェッショナルより高い正確性を達成できるのだ(もちろん、業務上の理由や政治的な理由でアルゴリズムが導入できない場合もあろう。これについては後に触れる)。
本論ではまず、ノイズとバイアスの違いを説明し、組織内に存在するノイズの強さと影響力を幹部がチェックする方法を示す。次に、費用もあまりかからず、もっと利用されるべき方法として、ノイズを減らすためにアルゴリズムを構築するやり方を紹介する。さらに、アルゴリズムが利用できない場合でも一貫性を高めることができる手順についても、概略を述べる。
ノイズとバイアスの違い
判断や意思決定の誤りを考える時、たいていの人が頭に思い浮かべるのは、マイノリティを固定観念で見るような社会的バイアスか、自信過剰や根拠のない楽観といった認知バイアスだろう。しかし我々がノイズと呼ぶ無意味なばらつきは、これらとは種類の違うものである。その違いをきちんと理解するため、自宅にある体重計を思い浮かべてほしい。
もし体重計の目盛りが常に実際より重め、または軽めに表示されるのなら、それは目盛りに「バイアス」がかかっているという。一方、体重計のどこに足を置くかによって体重が左右されるようであれば、この体重計は「ノイズ」が多いという。
常に本当の体重よりもきっちり4ポンド軽く表示される体重計は、大きなバイアスがかかっているものの、ノイズはない。2回乗ったら2回とも違う数値を示す体重計はノイズが多い。計測の誤りをもたらす原因は、多くの場合バイアスとノイズの組み合わせである。最も安価な体重計にはそれなりのバイアスと大量のノイズが存在する。
両者の違いを図示したのが、図表1「ノイズとバイアスが正確さに与える影響」である。これは4人チームで1人1回ずつ撃つ射撃訓練の結果である。
図表1
ノイズとバイアスが正確さに与える影響
http://www.dhbr.net/mwimgs/5/0/-/img_5090dc9e2dfc53826eb0559b519baf2f382167.jpg
●Aチームは「正確」だ。チーム全員のショットが的の中心部に当たっており、それぞれの位置も近い。
Aチーム以外の3チームはいずれも「不正確」だが、どのように不正確なのかはそれぞれ異なる。
●Bチームは「ノイズが多い」。各ショットは的の中心部を囲んで分散しているが、それぞれが大きくばらついている。
●Cチームは「バイアスがかかっている」。各ショットは皆中心部を外しているが、互いに密集している。
●Dチームは「ノイズが多く、かつバイアスがかかっている」。
AチームとBチームを比較すればわかるように、バイアスがない状態でのノイズ増加は必ず正確さを低下させる。バイアスがある状態だと、ノイズ増加はまぐれ当たりを引き起こすことも実際にはある。Dチームにはこれが起きた。もちろんまぐれ当たりを当てにする企業などないだろう。ノイズは常に望ましくないし、時には破壊的影響をもたらすこともある。
社員の判断にどのようなノイズとバイアスが存在するのか、それを知れば間違いなく会社の役に立つ。だが、その情報を集めるのは一筋縄ではいかない。そうした誤りを集計しようとするといろいろな問題が持ち上がる。
大きな問題の一つは、たとえ判断の正誤がわかるとしても、多くの場合はるか先になることだ。たとえば融資担当者が、可とした融資の結末がどうなるか、何年も待たねば判明しないことは頻繁にある。そして融資を不可とした融資先については、その後どうなったかなどほとんど知ることもない。
バイアスとは違い、ノイズは正確な答えがどんなものかを知らなくても計測できる。前述の射撃訓練の図表から、狙うべき的の中心の赤い部分が消された姿を想像するとわかりやすい。各チームの総合的な正確さについては何一つわからないが、BチームとDチームのばらついた弾痕を見れば、何らかの問題があると確信できるだろう。的の中心部がどこにあろうと、2つのチームは、全員が中心部に近いという結果ではない。判断に含まれるノイズを計測するには、数人のプロフェッショナルがいくつかの現実的な事例を別個に評価するという簡単な実験だけで済む。
繰り返すが、正しい答えを知らなくても判断のばらつきは計測できるのだ。我々はこうした実験を「ノイズ検査」と呼んでいる。
ノイズ検査の実際
ノイズ検査の意義は、報告書の作成ではない。最終目的は判断の質の向上であり、部門ごとのリーダーが不愉快な検査結果を受け入れて対策を取る覚悟ができていない限り、検査は成功しない。そのような積極的な受け入れ姿勢は、組織の幹部がノイズ検査を自分のプロジェクトとして扱うことで実現が容易になる。
そのためには、検査用の事例の収集作業は部門内で尊敬されるメンバーにやらせるべきであり、また事例はよく起きる問題を幅広く含んでいなければならない。ノイズ検査の結果を皆にとって意味あるものにするため、部門のメンバー全員が検査に参加すべきである。検査の技術的側面は、厳密な行動実験を行った経験のある社会科学者の監修を受けるべきではあるが、検査プロセスの主導権はプロフェッショナルの所属する部門が握らねばならない。
我々は最近、2つの金融機関でノイズ検査の実施を手助けした。2つの機関は業務内容も専門分野もまったく異なるが、どちらもそれなりに複雑な資料を評価する必要があり、数十万ドルがかかった判断をすることもしばしばあった。我々はどちらの機関に対しても同じ手順で事を進めた。
最初に、関連するプロフェッショナルの所属部門の各マネジャーに依頼して、評価用の現実的な事例集をいくつか作成してもらった。このテストの内容が漏れないよう、すべての取り組みは両機関とも同じ日に実施し、当日ですべて完了するようにした。その日、プロフェッショナルの社員にはほぼ半日をかけて2つから4つの事例を分析してもらった。彼らは日常業務と同じように各事例について金額を決める。
談合が起きないよう、これが信頼性に関する検査だという点は参加者に伏せられた。たとえば一つの機関では、この調査の目的は社員の専門的思考方法を理解し、彼らの使うツールの利便性を高め、社員間の意思疎通を改善することだと説明された。機関Aでは組織内のプロフェッショナルのおよそ70%が検査に参加し、機関Bではおよそ50%が参加した。
我々は事例ごとにノイズ指数を作成した。これを見れば「無作為に選ばれた社員2人の判断にどれほど差異があるか」がわかる。差異の大きさは、2つの評価の平均値に対する比率で表す。たとえばある事例を2人の社員が評価し、結果が600ドルと1000ドルだったとしよう。2つの評価の平均は800ドル、差異は400ドルなので、このペアのノイズ指数は50%ということになる。社員すべての組み合わせに対してこれと同様の計算を行い、その後で事例ごとに全体の平均ノイズ指数を求めた。
ノイズ検査に先立つ両機関の幹部インタビューでは、彼らが自社のプロフェッショナルの行う判断の誤差を5〜10%の範囲に収まると予想していたことがうかがえる。「判断の分かれる問題」なら許容範囲であると彼らが考える水準だ。
しかし、ノイズ検査の結果はショッキングだった。機関Aでは6つの事例のノイズ指数が34〜62%の範囲で、組織全体の平均ノイズ指数は48%。機関Bでは4つの事例のノイズ指数が46〜70%の範囲で、全体の平均ノイズ指数は60%だった。おそらく最もがっかりさせた点は、業務経験がノイズ削減に役立たないように見えたことだ。現在の業務に5年以上のキャリアを持つプロフェッショナルだけ見ても、ノイズ指数の平均値は機関Aで46%、機関Bで62%だった。
このような結果は、両機関の誰一人として予測していなかった。だが、どちらの機関でも幹部が主導権を握ってノイズ検査を実施したため、彼らは自社のプロフェッショナルによる判断の信頼性が許容範囲を超える低さであるという検査結果を受け入れた。この問題に対処するため何らかの手を打たねばならない、と全員がすぐさま合意した。
我々はこの検査結果に驚かなかった。プロフェッショナルの判断でも信頼性は低い、というそれまでの研究結果と一致していたからだ。我々が大いに不思議だったのは、どちらの機関も信頼性が問題になると一度も考えたことがない点だった。
ビジネス界では、ノイズ問題は実質的に目に見えない。プロフェッショナルの行う判断の信頼性に問題があると指摘されて、聞き手が非常に驚く姿を我々は何度も目にしている。会社が、自社のプロフェッショナル社員の判断にノイズが多いと気づかないのはなぜなのだろうか。その答えは2つの見慣れた現象にある。
経験を積んだプロフェッショナルは、えてして自分の判断は正確だという強い自信を持っている点と、彼らが同じプロフェッショナルの知性に大いに敬意を抱いている点だ。この2つが組み合わさると必然的に、自分の判断には他人も皆、合意するはずだと過大評価する結果になる。他のプロフェッショナルならどう判断するだろうかと問われると、実際よりはるかに自分に近い判断をするだろうと予想するのだ。もちろん経験豊富なプロフェッショナルはたいてい、他人ならどう判断するかなどまったく無関心であり、自分の判断が最良だと素直に思い込んでいる。
図表2 ノイズとバイアスの種類
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ノイズとバイアスは種類の異なるミスだ。それぞれ違う形で出現し、是正措置にも違う行動が求められる。
ノイズ問題が目に見えない理由の一つは、人は自分の下す判断一つひとつにそれぞれ妥当な別の判断がありうるなどと、わざわざ想像しないで日々生きていくからだ。
他人でも自分と同じ判断をするはずだと予想するのがもっともな場合もある。とりわけ判断が熟練の域に達して、ほとんど直感に近くなるような場合だ。
訓練によってほぼ完璧となるタスクの定番といえば、チェスと運転である。チェスの名手たちが同じ盤面を見れば、ゲームの状況について非常に似通った判断を下すだろう。たとえば「白のクイーンが危ない」とか「黒のキングの守りが手薄だ」といったように。ドライバーについても同様で、交差点やラウンドアバウト(信号のない環状交差点)で周囲のドライバーが自分と同じ優先順位の判断をしていると想定できなければ、車の流れに乗った運転など危なくてできない。こうしたハイレベルのスキルにはほとんど、もしくはまったくノイズがない。
チェスおよび運転の熟練スキルは、自分の行動に対して即時かつ明快なフィードバックが得られるとわかり切っている環境で、長年の訓練を積み重ねることで培われる。だが残念なことに、そのような環境で仕事をしているプロフェッショナルはほとんどいない。
ほとんどの人は、職場で上司や同僚が口にする釈明や批判を聞いて判断の仕方を学ぶ。自分自身のミスから学ぶのに比べ、はるかに当てにならない情報源である。一つの仕事で長い経験を積めば、人は例外なく自分の判断に自信を深めていく。だが、素早いフィードバックのない経験を積み重ねたところで、その自信は正確さもみんなの合意も保証してくれない。
これを一言にまとめて次の格言を捧げよう。「判断のあるところ常にノイズあり。しかも、あなたが思うより多くあるものだ」。概して、上司もプロフェッショナル自身も彼らの判断の信頼性を的確に推定することはできない、と我々は確信している。的確に見積もるにはノイズ検査を実施するしか方法はない。少なくとも一部の組織では、何らかの手を打つ必要があるほどノイズ問題は深刻である。
ノイズを減らす
ノイズ問題の解決策として最も徹底的な手は、人間の判断を形式的なルール(要するにアルゴリズム)で置き換えることだ。その案件に関するデータを使って予測や決定を行うのである。
過去60年間、人間は数百に及ぶ分野で正確さをアルゴリズムと競ってきた。がん患者の余命から大学院生の成功見込みまでそのタスクは多岐にわたる。調査結果のおよそ半数ではアルゴリズムのほうが人間より正確であり、残り半数ではだいたい対等だった。対等であればやはりアルゴリズムの勝ちとすべきだろう。コスト面で人間に勝るのだから。
もちろん、アルゴリズムが実用に適さない状況も数多くあるだろう。入力すべきデータが特異なものや、一貫したフォーマットに押し込めないものなら、形式的ルールはおそらく利用できない。また、相手との交渉が必要の場合や、複数の側面を持つような判断や意思決定にも、アルゴリズムは役立たない可能性が高い。
原理的にはアルゴリズムを用いた解決法が使えるはずなのに、組織上の配慮によって導入が見送られる場合さえ時にはある。既存社員をソフトウェアで置き換えるのは痛みを伴う作業であり、結果的に彼らがそれまでの仕事より面白い作業に就けるようにしない限りは抵抗を受けるだろう。
しかし、条件が揃っていれば、アルゴリズムの開発と導入は驚くほど簡単な場合もある。一般にはアルゴリズムを使うには大量のデータを統計的に分析する必要があると思われている。たとえば、我々と話すほとんどの人は、商業ローンの貸倒率を予測する計算式の開発には数千件の実際の融資と結果のデータが必要だと思い込んでいる。実際には融資の結果データなど一つもなくても、少数の案件の情報さえあれば十分実用的なアルゴリズムを開発できるのだが、そうと知る人はほとんどいない。このように結果データなしで考案された予測用の計算式を、我々は「推論ルール」と呼ぶ。常識的な推論を利用しているからだ。
推論ルールの考案はまず、予測すべき結果と明らかに関係のある少数の変数(たいていは6〜8個)を選ぶことから始める。
たとえば予測すべき結果が「商業ローンの貸倒率」なら、融資先の資産と負債は確実に変数リストに含まれるだろう。次に、これらの変数にわかり切った正負符号をつけて(資産にはプラス、負債にはマイナス)、同じウェイト付けで計算式に組み込む。その後、この計算式を使った簡単な計算を何度か繰り返して手を加えてもいいだろう(詳細は囲み「推論ルールのつくり方」を参照)。
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驚くべき成果は、多くの調査研究によって明らかになっている。さまざまな状況においてこの推論ルールは、結果データを使って構築された統計モデルとほぼ同等の正確さだったのだ。
標準的な統計モデルは、予測に使う一連の変数を組み合わせ、各変数同士の関係、および予測する結果との関係に応じて、それぞれの変数にウェイト付けを行う。ところが多くの場合、このウェイト付けは統計学的に見て一定しておらず、実用的見地から見ても重要性は低い。選んだ変数に皆同じウェイト付けをする単純なやり方でも、標準的な統計モデルとほとんど同等の有効性がある。すべての変数に等しいウェイト付けをし、結果データに頼らないアルゴリズムは、人事選抜や選挙予測、アメリカンフットボールの試合結果の予測、その他の事例で、有効性が証明されている。
要するに肝心なのは、ノイズを減らすためにアルゴリズムを活用するつもりなら、結果データが入手できるまで待つ必要はないということだ。常識的な判断力を使って変数を選び、一番簡単な方法でそれら変数を組み合わせれば、アルゴリズムのメリットの大半を手にできる。
もちろん、どのような種類のアルゴリズムを使おうとも、最終決定権は人間が握っておくべきだ。アルゴリズムを監視し、案件の母集団で時折発生する変化に合わせてアルゴリズムを修正しなければならない。マネジャーは個々の判断内容にも目を光らせ、誰が見てもそうすべき場合にはアルゴリズムの判断を覆す権限を持つ必要もある。
たとえば融資可と判断されたケースでも、その借り手が逮捕されたとわかったら一時的に判断を覆さねばならない。そして最も大事なのは、アルゴリズムの判断結果をどのような行動に変換するのかは組織の幹部が決めなければならない点だ。アルゴリズムは融資の申込書を見て、その借り手が上位5%に属するのか下位10%なのかは判断できる。しかしその情報をもとに「どう行動するか」は、人間が決めなくてはならない。
アルゴリズムは、プロフェッショナルが最終判断を下す前に利用する補助的な情報源として役立つ場合もある。その一例が、被告人を保釈しても安全かどうかを米国の裁判官が判断する際に役立てようと開発された計算式「パブリック・セーフティ・アセスメント」(公衆安全評価)である。ケンタッキー州で導入された最初の半年間、裁判前に保釈された被告人の割合は増えたにもかかわらず、保釈中の被告人による犯罪はおよそ15%減った。このケースでは、人間の裁判官に判断の最終決定権を残すべきなのは明らかだ。もし法の裁きが計算式によって行われるのを見たら、人々はショックを受けるだろう。
人が聞いたら不愉快に感じるかもしれないが、複数の調査研究で次の点が明らかになっている。すなわち、人間は判断に役立つ情報を提供できるものの、最終判断をする役割はアルゴリズムのほうが上手にできる。もしミスを避けることが唯一最大の目的であれば、例外的状況でない限りアルゴリズムの判断を覆してはならないとマネジャーに強く言い聞かせるべきである。
判断に規律を与える
プロフェッショナルの判断にノイズが多い場合は、人間の判断をアルゴリズムに切り替えることを必ず検討すべきではあるが、この解決策はあまりに急進的だったり、どうにも実用的でなかったりすることが大半だろう。そこで代案として、次のような手順を導入して一貫性を高める手もある。
同じ業務を行う社員は共通の方法で情報を集め、それらの情報から共通の方法で案件に対する意見を構築し、その意見をもとに判断を下す時にも共通の方法で行うことを徹底するのである。この手順のすべてを細かく検証するのは本論の枠を超えるが、何点か基本的な助言をすることはできる。判断に規律を植え付けるのはけっして簡単なことではない、という重要な警告とともに留意してほしい。
言うまでもなく訓練は極めて重要だが、一緒の訓練を受けたプロフェッショナルでさえ、ともすれば各自が独自のやり方へとずれていく。このずれをなくすため、企業によっては判断を行う社員を集めて案件を評価する討論会を実施するところもある。だが残念なことに、こうした討論会の大半は、あまりにも簡単に意見が一致してしまうようなやり方で運営されている。
参加者は最初に出た意見か、または自信満々で述べられた意見に皆、収束してしまうからだ。こうした見せかけの意見の一致を避けるため、討論会の参加者はそれぞれ独自に当該案件を研究し、簡単には譲れない意見を持ち、その意見を事前に司会者に提出しておくべきだ。そのうえで意見の違いを考えるグループディスカッションも加えれば、討論会は効果的なノイズ検査の場となろう。
また、討論会の代わりにもなるし、討論会と両立もできる方策として、プロフェッショナルが担当案件の情報を収集する段階、途中で補助的な判断を行う段階、そして最終的な判断を下す段階という各過程で、それぞれの指針となるような使い勝手のいいツールも提供すべきである。
具体的にはチェックリストや慎重に練られた質問事項といったものだ。望ましくないばらつきは、上記のそれぞれの段階で発生する。企業はこうしたツールでばらつきをどれほど減らせるかテストできるし、すべきである。利用者がこうしたツールを、自分の仕事を効率的・経済的に行うのに役立つ助手のように考えてくれれば理想的だ。
残念ながら我々の経験から考えると、効果的でかつ使い勝手のいい判断支援ツールの作成は多くの企業幹部が思っているより難しいようだ。たしかにノイズの抑制は大変だが、組織がノイズ検査を行ってそのコストを金額で把握すれば、一貫性のないばらつきを減らす努力はそれに見合う価値があると納得してもらえるだろう。
* * *
本論の主な目的は、誤りの原因となる「ノイズ」という概念を組織のマネジャーに紹介し、バイアスとの違いを説明することにある。バイアスという言葉は人々の意識に広く浸透し、いまや「誤り」と「バイアス」が同じ意味で使われることも頻繁にあるほどだ。ところが実際は、一般的なバイアス(たとえば楽観)や、より具体的な社会的バイアスや認知バイアス(女性差別やアンカー効果)を減らすだけでは判断の質は改善されない。
組織の幹部として正確さを気にするならば、プロフェッショナルの判断に広く見られる一貫性のなさにも立ち向かうべきなのだ。ノイズはバイアスよりも実態を正しく知るのが大変だが、バイアスと同じだけリアルな存在であり、もたらす損害額もけっしてバイアスに劣らないのである。
倉田幸信/訳
(HBR 2016年10月号より、DHBR 2017年5月号より)
NOISE
(C)2016Harvard Business School Publishing Corporation.
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【特集】知性を問う
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◇小説は何者が生み出すのか(朝井リョウ 作家)
◇「心の質感」が創造性の源泉になる(前野隆司 慶應義塾大学大学院 教授)
◇人間は機械へと進化する(石黒 浩 大阪大学大学院 教授)
http://www.dhbr.net/articles/-/4797
【第14回】 2017年4月17日 池田義博 :一般社団法人日本記憶能力育成協会代表理事兼会長
脳が納得する命令の出し方とは?
新刊『世界記憶力グランドマスターが教える 脳にまかせる勉強法』では、脳の仕組みを活用し、4回連続記憶力日本一、日本人初の記憶力のグランドマスターになった著者による世界最高峰の勉強法を紹介していきます。記憶力が左右する試験、資格、英語、ビジネスほか、あらゆるシーンで効果を発揮するノウハウを徹底公開します。
自分の目標を脳にわかりやすく理解させることができる
有効な手段とは?
さまざまな分野で成功している人たちが、子どもの頃に自分の将来像を紙に書いて宣言していたという話を最近よく聞きます。
本当に書いてある内容どおりに実現していたりするので驚かされます。
「目標は紙に書くといいらしい」というのは昔からよく聞く話ですが、まさに彼らもそれを子どもの頃から実行していたというわけです。
そういう私も世界記憶力選手権で日本人初の記憶力のグランドマスターを目指したときは、紙に「必ず日本人初の記憶力のグランドマスターを獲得する!」と書いて壁に貼り毎日眺めていたものでした。
なぜ、紙に書くことによって目標を達成する可能性が高くなるのでしょうか。私なりにその理由を想像してみました。
脳は一日のあいだに、ものすごいスピードで次から次へと思考を続けています。
今こう思っていても次の瞬間には違うことを考えたりしています。
瞑想の経験がある人ならば、この感覚はよくわかるはずです。
瞑想中は雑念をなくしたいものですが、意に反して頭の中には次から次に新たな思考が入り込んできて、よくもまあこんなに出てくるものだと逆に感心するほどです。
そんなわけですから、ひっきりなしに新しいことを考えて働き回っている脳に向けて伝えたい自分の意志があったとしても理解してもらうのは難しいのです。
「こうなればいいなあ」と、なんとなく考えるだけでは、その思いはたくさんの思考の中にまぎれてしまい、脳はそれをあまり重要だと感じてくれません。
そこで、全速力で走っている脳を立ち止まらせて「こうなりたい!」という意志をしっかり理解させる必要があるのです。
一度納得すると、脳はその目的のために一生懸命働いてくれる律儀な性格も併せ持っています。
脳の特徴の一つに「カラーバス効果」というものがあります。
たとえば家を出るときに、「今日は赤い色のものを意識して探してみよう」と脳に言い聞かせるとします。
すると、「今まで本当にこんなにあったのか」と思うぐらい赤い色のものが目に入ってきます。しかも、ものすごいスピードで見つけ出すことができます。
試しに今、目を閉じて何か一つの色を探すと決めてから目を開けて周囲を見渡してみてください。すぐに、その色をした何かが目に飛び込んでくるはずです。
脳というのは納得して命令を受け取ると、まるで熱線追尾式のミサイルのごとくその対象を探し始めるので、探す対象をあなたが目指している目標に設定すれば、脳は自動的にその目標に向かって進み始めるのです。
そして、自分の目標を脳にわかりやすく理解させることができる有効な手段が「紙に書く」ということなのです。
紙に書く目標は、ある人にとっては「◯◯大学に絶対合格する!」や「TOEIC目標900点!」など、試験に合格することであったり、点数であったりするでしょう。
そこで、目標実現の精度を高めるためにしたほうがいいことがあります。
それは最終目標のみを紙に書くのではなく、ゴールを達成するまでのあいだに必ずクリアしなければならない小さな目標をできるだけたくさん書いておくことです。
「ひと月に100個ずつ英単語を覚える」とか「問題集を毎日必ず3ページ進める」といったような目標です。
最終目標は、そこまでの距離が遠いので、脳の熱線追尾ミサイルがはっきりとその標的をとらえるのが難しいのです。
それに対して小さな目標は達成までの距離が短いので、それぞれの標的に対してミサイルの精度が高くなります。小さな目標を的確にクリアしていくたびに、最終目標に近づいていくことになるのです。
書いた紙は毎日見るようにします。そして、小さな目標の達成度もチェックするようにしてください。標的に向けて照準をキープし続けるためです。
他にも必ず行ってほしいことがあります。
定期的に内容を更新していくことです。なぜなら、勉強を進めていくうちに小さな目標が変わっていくはずだからです。
最終目標自体も、もっと上のレベルに変わるようなことだってありえます。途中でゴールを見失わないためにも、脳に命令する内容をこまめに変更して微調整をする必要があるのです。
そして欲をいえば、目標を達成した後、自分はどうなっているのか、またはどうなっていきたいかまで想像で書くようにすれば、そのイメージが心を浮き立たせ、必ずそうなりたいという気持ちをさらに強くさせます。
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http://diamond.jp/articles/-/124920
【第3回】 2017年4月17日 南谷真鈴
大変であればあるほど「目標に近づいている」と実感できる
世界で約50名しか成し遂げていない偉業「探検家グランドスラム」(世界七大陸最高峰、北極点、南極点を制覇すること)を世界最年少で達成した南谷真鈴さん。本連載では、南谷さんが快挙を成し遂げることができたエッセンスをお伝えするべく、話題の新刊『自分を超え続ける』の内容を一部公開いたします。連載第3回。
南谷真鈴 (みなみや・まりん)
1996年、神奈川県川崎市生まれ。1歳半でマレーシアに渡り、大連、上海、香港など幼少時から約12年間を海外で生活。2016年7月、北米大陸最高峰デナリに登頂し、日本人最年少の世界七大陸最高峰登頂者となった。早稲田大学政治経済学部に在学中。「CHANGEMAKERS OF THE YEAR 2016」受賞。「エイボン女性年度賞2016」ソーシャル・イノベーション賞受賞。
白い砂漠をひたすら南へ
世界で一番乾燥している、氷で覆われた白い砂漠。
360度、なんの目印もない、平らな大地。
気温マイナス40度、体感温度はマイナス60度くらい。
その中を重いソリを引きながらスキーで走行します。
第二次世界大戦で爆撃機として使われていた小型旅客機ツインオッターに乗り込み、南緯89度地点に降ろしてもらったところが、南極点へのスタート地点となります。
コンパスの針を南にセットし、前進するのみ。
2015年1月4日、南極点踏破への旅が始まりました。
南極点までは凍りつくような強風にさらされ続けました。チームメンバーは4人。ソリに積むテント、食料、燃料は、1人あたり60キロ以上の割り当てです。ビンソン・マシフのキャンプ1でも同じように荷上げをしたし、数日間トレーニングしていたとはいえ、これはけっこうな重さ。ソリとつながっているゴム製のベストでどうにか引っ張っていきます。
誰にも話しかけられない。自分からも話しかけない。
ただ自分のペースで、ひたすらに突き進む真っ白い大地。
4人のチームで進んでいるとはいえ、南極点への道は完全に1人の世界でした。吹き付ける風と強烈な寒さはつらかったものの、私はなんとなく楽しくなり、やがて瞑想している感じになりました。
たぶん、ランナーズハイのようなものでしょう。
聞こえるのは風の音と、自分の心の中のおしゃべり。
これまでのこと。これからのこと。
何も考えていない時もあれば、いろいろなことを考えている時もありました。
行程が進むうちに、チームメンバーもそれぞれのスタイルが出てきます。
進むのが遅くてどんどん後ろに行く人。
苦しくてハアハア言いながら、「絶対に、自分が一番前にいたい!」という人。
私は「絶対前!」というタイプではありませんが、自分のペースを崩したくないほうです。私がチームで一番速いペースだったので、自然と前を進むようになりました。
南極点までは、1時間もしくは2時間に1回、立ち止まって休憩します。これがだいたい1日に5〜6回。マイナス40度とはいえ、ソリで引く荷物が本当に重いし、体が熱を発しているので、動いている時にはめちゃめちゃ暑い。それなのに止まった瞬間、3分で凍え死にそうになります。しかも私は他のチームメンバーの男性に比べると体に肉がついていないので、みんなが10分休むなら5分くらいですませるようにしていました。
止まった瞬間、分厚いダウンジャケットを重ね着して、立ったまま大量のお菓子を口に詰め込みます。板チョコが、もう最高においしかった!
板チョコ2枚にバナナチップス、ドライマンゴー、ドライメロンをそれぞれ山盛りにしてリスのようにモグモグ。休憩でなくても、ポケットに入れてある何十本ものエナジーバーを滑りながら食べ続け、「とにかくエネルギーがあるものを」と、バターを丸ごとかじったりもしました。1日1万カロリーは最低でも摂っていたと思います。
こうした食料はユニオン・グレーシャー・キャンプ(南極唯一の民間基地、宿泊施設)に大量に保管されていて、出発する時に自分の好きなものを各自で持っていくのです。
食べたか食べないかで、パフォーマンスがまったく違う。いくつかの登山でそれが身に染みていたので、私はひたすら食べていました。
「いい」とわかっていることは、迷わず実行あるのみです。
個性的なチームメンバーで「自分の世界」が広がる
南極点へ共に向かった4人は、私以外男性ばかりの個性的なメンバーでした。
チームリーダーはスコットランド人の登山家。
南極点には初めて挑むそうですが、何百回も山に登っているクライミングのプロフェッショナルです。ジョーダン・ロメロ君が世界最年少の13歳でエベレストに登った時のガイドを務めるなど、経験豊富な彼の話は面白くて、とても仲良くなりました。
アメリカ人は身長190センチぐらいの非常に頭が切れる方。
ハーバード大学でMBA(経営学修士)を取得後、経営コンサルタントをしていましたが、アラビア語ができるうえに戦略を学んでいたことからFBI(米連邦捜査局)にリクルートされ、アフガニスタンで司令官をしていたというキャリアの持ち主です。彼はすでに七大陸最高峰登頂を終えていて、探検家グランドスラム達成を目標として南極に来ていました。
日本の自衛隊と、アメリカや中国の軍事システムの違い。ウォールストリートのコンサルティング会社が、採用面接で何を質問するか……。
彼にはいろいろなことを教えてもらいました。
ロシア人は起業家。
全身にタトゥー、背中には傷という、危ない雰囲気の方。
スキーをしたこともないし、山も初めてなのに「寒さに強いし、体力があるから南極点を目指してみる」と言うのです。「なんだろう、この人?」という感じで、私には別世界の人に見えました。
しかし30代、40代の彼らにとっては、19歳になったばかりの「日本の小娘」である私のほうこそ、別世界の人間に映ったことでしょう。
普通の生活では出会うことがない人同士が出会い、年齢も国籍も関係なく、同じ目標に向かう。自分の内側にある「心の世界」が広くなった気がしました。
世界を見るというのは外側を広げることではなく、自分の内側を広げることなのかもしれません。
マイナス70度近くなった時には風が凄まじく強くなり、経験したことがないほど足とお尻が冷たくなりました。寒くて寒くて、足の表面が凍ってしまうと心配になるほど。凍傷まではいかないけれど、痛んだ皮膚がアレルギーのようになり、だんだんかゆくなってきます。
ヒートテックのインナー、フリース、ウルトラライトダウンのジャケット、スキーパンツと何枚も重ね着し、寒さと強烈な紫外線から守るように顔も忍者のように覆っているなか、かゆくてもかけないじれったさ。
ずっと横になれず、座ることもできず、ひたすら60キロ以上のソリを引いて滑っていると、徐々に足腰の負担も大きくなってきます。それにひきかえ、ちっとも寒さがこたえていない様子のロシア人には「体のつくりがもともと違う!」とつくづく感心しました。
「腰が痛くてもう動けない。無理だ! 飛行機をチャーターしてくれ!」
アメリカ人が言い出したのは、なんと初日でした。
スコットランド人リーダーは驚き、「大金が必要だ」と言います。ベースキャンプに戻るまで所要4〜6時間のフライトのチャーター料は、日本円にして約3000万円もするそうです。
ベースキャンプで出会った人の中には、最初からチャーター便でらくらくと南極点に飛んだ人が何人かいました。
中国人の大富豪。
アメリカの超有名企業の経営者。
そして国から起訴され、ボディガードにFBIが2人ついているというロシア人実業家。
待機中にウオッカやウイスキーを飲みながら、ヨットや家、しまいには「自分の島」を賭けてカードゲームをしているような並外れた人たちです。
ところが我がチームのアメリカ人も並外れた人らしく、「費用なら大丈夫」と即答。みんな驚きましたが、彼がチャーターすれば、飛行機が来るまでチーム全員で待機しなければならず、それは大きな時間のロスとなります。
「大丈夫、フォローするから」
リーダーがアメリカ人をなだめ、結局全員で再出発することになりました。弱ったチームメンバーの荷物は、残りのメンバーが分担して持つのが決まりで、それは女性であっても同じです。ソリには、さらなる重みがずっしり。
「そんな大男なんだからがんばってよ!」
こう言いたいところですが、目標は荷物を減らすことではなく、みんなで無事に南極点に到達すること。文句を言っている暇はないのだと、気持ちを切り替えました。
南極点に近づくにつれ、空気が薄くなってきます。南極は標高が平均約150メートルの陸地とはいえ、上にかぶさった氷はおよそ2700メートル。富士山の標高は3776メートルですから、高地にいるのと同じ状況です。
私はビンソン・マシフ(南極大陸最高峰)に登ってきたばかりで体が高地に慣れていたこともあって、まだまだエネルギーがみなぎっていました。
南極点も北極点も「冒険の途中」
2015年1月11日、私たちのチームは南極点に到達しました。
たどり着けたことが、本当にうれしかった。残った甲斐があったと思いました。
途中で怪我をして動けなくなる可能性。
ぎりぎりしかない食料や燃料がなくなる可能性。
ありとあらゆるできない可能性を乗り越えて、「ついにやった!」という気持ちがあふれてきました。
南極点踏破はその場でやろうと思い、その場で決めたこと。
「失敗したらどんな顔をして帰ればいいだろう」と考えてもいたので、ホッとした気持ちもありました。
南極点からは再び、ツインオッター機がピックアップしてくれました。「ちょっといいな」と思っていた、かっこいいパイロットが操縦する定員19人という小さな機内で、私はゆっくりと広がる喜びを味わっていました。
2016年は、南極点到達のあと、春から夏にかけてカルステンツ・ピラミッド、エルブルース、エベレスト、デナリを次々と登頂。世界七大陸最高峰すべてを踏みしめた年となりました。
そして2017年4月には、探検家グランドスラム達成となる北極点を目指します。
北緯89度のスタート地点まで軍用機で飛び、10日から2週間かけて到達するプラン。軍用機は氷山の広い部分を探してなんとか着陸するのですが、緯度が1度変わるだけで北極点までの距離がまったく違ってしまいます。
南極点と北極点を比べた場合、北極点のほうがはるかに難易度は高いとされ、「エベレストよりもつらい」と言う人もいるそうです。
それぞれ南緯90度と北緯90度ですが、南極点は大陸の上なのに比べて、北極点は海の上です。平均気温は南極のほうが20度ほど低いとはいえ、北極は湿度が高く、じめっとした寒さ。スキーで行くのはどちらも同じですが、北極は氷山と氷山をつなげるように覆う氷の上を滑っていくのですから、氷の裂け目もあるし、氷山がぶつかり合って盛り上がっているところもたくさんあります。
もしも氷山が崩れたら、凍りそうな海を泳いで次の氷山に向かうことも想定内。ウエットスーツ着用とはいえ、なかなかにハードです。安全な客船で北極圏ツアーに行くのなら「かわいい」と思えるホッキョクグマも、一緒に泳ぐとなると「こわい動物」に変わるでしょう。
話を聞いたり本やネットで調べたりするほど、大変なことは山積みだとわかりますが、私は今、わくわくしています。
地球温暖化で環境がどんどん変わっているという北極を、この目で見て、この体で感じてみたい。「今」の地球を体験するのが、楽しみでたまりません。
出発に備えて、さらなるトレーニングも必要です。
10時間以上歩き続けられる持久力。重い荷物を引っ張っても大丈夫な足腰の筋力。心肺機能も大切です。
世界七大陸最高峰を目指していた時は、元K-1日本王者でクロスフィットトレーニングの権威であるニコラス・ペタスさんの指導を受けていましたが、今はパーソナルトレーナーの指導のもと、大学や家の近くのジムで足腰を中心とした筋トレをしています。
1人でできることもたくさんあるので、ほぼ毎日10キロのランニングと筋トレも欠かしません。かなり筋肉がつき、スクワットを300回やってもつらくないので、もっと負荷を上げていくつもりです。
また、体力が落ちていないか試すには山に行くのが一番なので、友人と「日帰り富士山登頂」なんてこともしています。
体づくりと同時に、テクニックや知識も大切です。ロープの結び方、器具の扱い方などの技術の本を読んだり、実際に練習したり。もちろん大学の勉強もあり、自分としては忙しい日々です。
トレーニングをしている最中は、もちろんつらい。
食事をしたあと、「スクワット300回!」というのを毎日続けるのはきつい。
勉強したり、原稿を書いたり、トレーニングをしたり、掃除や料理をしたり、大学生にしてはやることがけっこう多いことも確かです。
それでも、「やめよう」と思ったことは一度もありません。
種類の異なるいろいろなタスクをこなすと気分転換になりますし、誰に強制されたのでもない、すべて自分で決めてやっていることばかりです。
目標さえあれば、すべては苦であって苦ではない。
どんなに苦しくても、最終的にやり遂げたあと、最高にいい気持ちになることを、体で味わっているからくじけない。
大変であればあるほど、「目標に近づいている!」と実感できるのです。
南極点がそうであったように、北極点もきっと通過点。
私の冒険は、まだまだ途中なのですから。
http://diamond.jp/articles/-/122566
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