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【第302回】 2017年4月13日 莫 邦富 :作家・ジャーナリスト
中国で農村の模範だった「金持ち村」はなぜ凋落したのか
華西村には、農村には似つかわしくない巨大なビルが建設されている Imaginechina/AFLO
江蘇省江陰市には「金持ち村」と呼ばれる村がある。華西村だ。1990年代に私が数度取材したところだ。
華西村は、早い段階から豊かな村として知られており、「中国第一村」と呼ばれるほど集団化経営に成功したと言われた存在である。80世帯、1520人、面積がわずか0.96km2という小さな村だ。
1997年にこの村を訪ねたとき、すでに多くの農民の家に自家用車として軽自動車が配給されていた。村営製鉄所や村営衣料品工場などが、村民たちの豊かな生活を保証していた。村のリーダーである呉仁宝氏は、毛沢東の人民公社時代に、朽ち倒れんばかりのぼろ家に豆腐工場をひそかに設けて、現金収入を確保していた。
豆腐工場から身を起こし
工業化に成功した村
党の上層部が検査に来ると、豆腐工場であるぼろ家に藁などをかけて、ばれないように偽装してごまかした。のちに人民公社が解散して、農業経営が自由になったとき、他の村の農民は農業に専念することしか知らなかったが、呉氏率いる華西村は郷鎮企業の雛型を形成し、工業化の道を先に踏み出していた。
当時、私のインタビューに対して、呉氏は次のように強調した。
「先に踏み出したその一歩は、非常に大きな意味をもっていた。販路、市場、経験など市場経済の分野ですべて私たちがリードする形で走り出すことができたからだ。それが今になって他の農村を大きく引き離し、私たちに大きな成功をもたらした」という言葉が印象的だった。
2004年、同村の村民はすでに1人当たり所得が12万2600人民元になっていた。これは、普通の農民の年収の42倍近くに相当する。その成功を武器に、周辺の村をどんどん合併すると同時に、貧困で有名な寧夏回族自治区に「寧夏華西村」を、ロシアと隣接する黒竜江省に「黒竜江華西村」を作るなどして、勢力を拡大していた。そうした華西村の成功を見習って、多くの村も自発的に合作社を作り、集団化経営の道を歩み始めた。
私は、中国の農村のなかで改革の先頭を走ってきた村としてメディアで何度も華西村を紹介し、上記のような内容を日本の読者に伝えた。
村民のカネを乱用し
成金趣味のホテルを建設
しかし、実際、香港返還の年に当たる1997年のその取材で私は華西村に対する印象をかなり悪くした。
村の象徴的存在とされた「金塔」というホテルを案内されたとき、そのダサさと成金ぶりにあきれた。私は、案内係に「こんな建物を作る必要は果たしてあるのか。必要だとすれば、もっとましなデザイナーに頼んだ方がいいのでは」と率直な印象を口にした。案内係が慌てて私の口を塞いで、「案内の責任者は呉氏の息子さんで、その批判めいた発言がもし彼の耳に入ったら、あんた村から追い出されてしまう。この村では、批判的な発言は控えた方がいい」と私に忠告した。
好意的とは言え、その忠告という行為、そしてその内容に私は驚きを覚えた。文革時代への逆行を感じたからだ。
村中に点在していた大きな動物と、歴史上または文学上の聖人たちの彫刻がアンバランス的な雰囲気を醸し出している村の一角に、万里の長城の巨大なミニチュアが配されている。そこを案内された私は、「この長城のミニチュアの長さは1997mで、香港返還の1997年を記念するものだ」と呉氏の息子から説明を聞いた。
「なぜこんなものを作るのか。村民のお金を乱用しているのでは」と心の中ではそのように不満をぶつけていた私は、できるだけ軟らかい表現で疑問を伝え、その真意を確かめてみた。そこでまた不思議な思いに見舞われた。
「どうして疑問を持つのか?香港返還は私たち中国人の一人ひとりにとっては非常に大事な出来事ではないのか」と息子から逆に聞かれたからだ。
それ以上、質問しても意味がないと悟った私は、それ以降、何も聞かなくなってしまった。そして、心の中で「この村にはもう来ないだろう」とつぶやいた。村営企業で村の発展と村民の福祉を支えるビジネスモデルと集団化経営を貫く村の成功経験は、中国の農業経営の問題を解決していない、と認識したからだ。
だから、私は日本のメディアで、「経済が発展し、競争が激しくなった今の中国では、技術レベルが低い製鉄所と、衣料品やインスタントラーメンを加工する町工場的な企業で、集団化の成功村の躍進を引き続き支えていけると思うか」と聞かれると、「強く疑問に思う」と答えている。
コア技術と研究開発力を持たない
金持ち村は窮地に立たされている
最近の中国メディアの報道によれば、2016年3月末現在、鉄鋼、紡績、資材、商業など5つの分野で、傘下企業208社を抱える華西集団は、総資産541.93億元(約8670億円)である。しかし、同集団の負債総額は389億元超、資産負債率は約69%だという。7割近い負債率は、従来の産業モデルが日ごとに衰えるのに伴って、かつて中国農村経済の模範だった華西村が岐路に立たされ、モデルチェンジが避けられないことを物語っている。
現在、華西集団は博豊鋼鉄、華西北鋼、華西南鋼などを擁している。鉄鋼加工では、華西集団は華西村に型材工場、フランジ工場、帯鋼板工場、溶接管工場、曲がり管工場などを相次いで建設し、鉄鋼加工の産業チェーンを構築した。
だが鉄鋼業の不景気で華西集団の3大鉄鋼企業は全面的な赤字となった。
2008年の金融危機後、海運企業の大多数が赤字となり、船舶を売りに出す形で損失を埋めた。当時、華西村はむしろこれを海運業界に参入する千載一遇のチャンスだと踏んで、5隻の船を中古で安く購入し、海運業に足を踏み入れた。その海運業も大きな赤字を作っている。
コア技術と研究開発力をもっていない華西村のような中国の「金持ち村」はこのところ、相次いで窮地に立たされている。突破口がどこにあるのかという基本的な課題さえもまだクリアしていない。村の経営は、今後、ますます凋落していくだろう。
(作家・ジャーナリスト 莫 邦富)
http://diamond.jp/articles/-/124652
統計データから見えてくる北朝鮮の意外な食料事情
米国が北朝鮮への兵糧攻めを中国に要請、果たして効果は?
2017.4.13(木) 川島 博之
北朝鮮・平壌の建設現場を視察した金正恩・朝鮮労働党委員長。国営朝鮮中央通信(KCNA)配信(2017年3月16日撮影)。(c)AFP/KCNA VIA KNS〔AFPBB News〕
北朝鮮は中国に石炭などの地下資源を売り、その代金で石油や食料、それに核やミサイルの開発に必要な物資を調達している。米国は核やミサイルの開発を止めさせるために、中国に北朝鮮と交易しないように要請している。ただ、現時点では中国が本当に米国の要請に従うかどうかは、はっきりしない。
ここでは食料問題に限って言及する。中国が食料の輸出を止めると北朝鮮は本当に困窮するのであろうか。そのことを調べてみたい。
穀物は足りているが豊かではない
北朝鮮は国連に加盟しており、その傘下にあるFAO(国連食糧農業機関)にもデータを提供している。だからFAOデータからその食料事情を伺い知ることができる。ただ、北朝鮮はウソをつくことが多いから、そのデータを丸のみにすることはできない。
図1に北朝鮮の穀物生産量を示す。北朝鮮ではコメと共にトウモロコシが多く生産されている。これは寒冷ゆえにコメを生産できる地域が限られるためである。北朝鮮の人々は日常的にトウモロコシを食べている。コメとトウモロコシ以外の生産はわずかである
。
図1 北朝鮮の穀物生産量(単位:100万トン、出典:FAO)
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(* 配信先のサイトでこの記事をお読みの方はこちらで本記事の図表をご覧いただけます。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/49698)
生産量は1991年から93年にかけて著しく増加した。その一方で、95年から97年にかけて大きく減少している。普通の国で、生産量がこのように大きく乱高下することはない。ソ連の崩壊(91年)に伴い石油の供給を受けられなくなったことから、90年代に北朝鮮の食料生産は危機的な状況に陥った。特にその時期の生産量はデタラメである。全く信用できない。
しかし、ウソの中からも本当のことを読み解くことは可能である。それには歴史的背景を考えるとともに、他のデータと突合せることが必要になる。
栽培面積を見てみよう(図2)。栽培面積には大きな変動はなく、生産量よりはずっと信頼できそうである。生産量は多くの人が注目するためにウソをついたが、栽培面積については概ね本当のことを報告したのだろう。
図2 北朝鮮の穀物栽培面積(単位:100万ヘクタール、出典:FAO)
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北朝鮮の穀物栽培面積は130万ヘクタール程度。人口は2500万人であるから、1ヘクタールで扶養する人数は約20人。世界平均は約10人だから、北朝鮮は農地の割に人口が多い国である。
ただ、戦前の日本は1ヘクタールで20人程度を養っていたから、自給が不可能なレベルではない。しかし、この水準では飼料穀物にまで手が回らない。戦前の日本がそうであったように、北朝鮮の人々は肉をほとんど食べていない。
図3に穀物輸入量を示す。輸入量は生産量に比べて信頼がおける。それは相手国があるからだ。一方的にウソを報告してもばれてしまう。
図3 北朝鮮の穀物輸入量(単位:100万トン、出典:FAO)
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小麦が作れないために、小麦はソ連が崩壊する前から輸入していたが、ソ連が崩壊してからはコメやトウモロコシの輸入量も増えた。ただ、それは2010年代に入って減少している。現在の輸入量は100万トン程度かそれ以下であり、多くの穀物を海外に依存する状況にはない。
北朝鮮の穀物生産量は500万トン前後であると考えられる。それに対して、輸入は100万トン以下だから、穀物の自給率は80%を超えている。
供給量は約550万トン。これを2500万人で割ると人220キログラムになる。1年間に220キログラムの穀物は生きて行くには十分であるが、決して豊かな暮らしとは言えない。戦前の日本と同じような状況にあるが、その食事にトウモロコシが半分程度混じっているから、戦前の日本より悪いと言ってよい。
ついでに北朝鮮の農産物輸出量を見てみよう(図4)。この図から北朝鮮の置かれた状況がよく分かる。北朝鮮はソ連が崩壊する前まで、かなりの農産物を輸出していた。コメの他にリンゴなども輸出しており、農産物輸出国と言ってもよかった。それがソ連崩壊で一変した。
図4 北朝鮮の農産物輸出量(単位:1000トン、出典:FAO)
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1990年代には“麦わら”をかなり輸出しているが、“麦わら”を輸出しても、いくらにもならない。それほど外貨が不足したのだろう。ただ、それは21世紀に入って止まっているから、現在の状況はその時期よりもよいと思われる。
食料よりも大砲
FAOデータを基に考えると、北朝鮮の食料事情は次のようになる。
(1)1人当たりの穀物供給量は220キログラム程度であり、それほど豊かではないが飢餓に苦しむレベルでもない。穀物を腹いっぱい食べることはできるが、飼料がないから肉はほとんど食べられない。牛乳もたまにしか飲めない。
(2)ソ連が崩壊するまでは、農産物の輸出が可能な状況にあった。食料に困るようになったのはソ連が崩壊してからである。現在の状況は1990年代よりも良いが、食料をほとんど輸出していないことから、ソ連崩壊以前の状態には戻っていない。
(3)北朝鮮は食料をほぼ自給している。人々は貧しい食事に慣れていると思われるから、禁輸による兵糧攻めを行っても、政権に大きな打撃を与えることはできないだろう。
* * *
なぜソ連の崩壊がこれほどまでに農業生産に影響を与えたのであろうか。ソ連からの石油の供給が止まり、そのために化学肥料が作れなくなったことが大きいとされるが、果たしてそれだけが原因だろうか。化学肥料は石炭を用いても作ることができる。そして北朝鮮は石炭の輸出国である。
真の原因は、ルーマニアの崩壊を目の当たりにして、先軍思想を徹底し体制の維持を優先したためと考える。“経済学では大砲かバターか”との議論が行われるが、大砲の生産に注力し過ぎて、食料生産をないがしろにしているのだろう。そう考えれば、核兵器とミサイルの開発に血道を上げる昨今、時間が経過しても北朝鮮の食料事情が大きく改善されることはない。
平壌を訪れた人が、北朝鮮の人々はかなり豊かな食事をしていると報告することがあるが、彼らが見たのは全体のごく一部である。平均的な人々はかなり貧しい食生活をしている。
ただ、自給率が高いことから、食料に関する限り禁輸による締め付けを強化しても、北朝鮮が参ることはない。食料供給を見る限り、中国は北朝鮮にそれほど大きな影響力を持っていないと言えそうだ。
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