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金正恩は金正男暗殺事件の波紋に驚いた?
Wedge 2/24(金) 11:20配信
北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長の異母兄である金正男氏がマレーシアの空港で殺害された。北朝鮮の関与は間違いないだろうが、具体的な犯行について確認されたことは少なく、捜査は難航必至だ。乱れ飛ぶ情報の多くは推測やあやふやな情報に基づくものであることに注意しなければならない。一方で、事件を見ていて私は一つの感想を抱いた。「事件がこれほど大きな国際的波紋を生むなどと北朝鮮は予想していなかったのではないだろうか」というものである。「まさか」と思う人が多いかもしれないが、実は、専門家にぶつけると「同感だ」という答えが返ってくることが少なくないのである。
金正恩氏の指示なくできる犯行ではない
現地警察は、実行犯とされるベトナム人とインドネシア人の女、マレーシア在住の北朝鮮国籍の男らを逮捕した。さらに北朝鮮国籍の男4人を容疑者として特定したが、この4人は事件当日に出国して平壌に戻ったという。警察はさらに北朝鮮国籍の人物3人が事件に関与していると見ており、このうち1人はクアラルンプールの北朝鮮大使館に所属する外交官だという。ここまでくると、北朝鮮の組織的な関与があったと推定することには無理がないだろう。
そして、北朝鮮の犯行であるならば、最高指導者である金正恩氏の指示に基づくものであるはずだ。金王朝の血統に連なる人物の殺害という重大性を考えれば、金正恩氏の指示もしくは承認なしに実行されるとは考えられないからだ。
ただし、動機はまったく不明だとしか言えない。確実なのは、客観的に見て金正男氏を排除しなければならない理由など見当たらないということだけだ。余談になるが、こういう時は本物の専門家を見分けるチャンスでもある。テレビでは往々にして「分からない」というコメントが嫌われるのだが、ここで堂々と「分からないものは分からない」と言える人は本物だ。あるいは数日後にコメントの内容を精査すれば、発言の確度を確かめることもできる。
金正男氏は体制の脅威などではなかった
では、金正男氏を排除しなければならない理由が見当たらないというのは、どういうことだろうか。
金正男氏がコンピューター関係の重要な職に就き、後継候補ではないかと見られたのは1990年代のことである。この頃は「おごり」があったのか、殺害後に日韓のメディアで書かれているような「いい人」像とは全く違う、傍若無人な行動ぶりに関するエピソードがよく語られた。本当かどうか確認されてはいないが、平壌中心部の高級ホテルである高麗ホテルのロビーで拳銃をぶっ放した、などという話である。
周知の通り、金正男氏は偽造旅券で入国しようとした疑いで2001年に成田空港で摘発され、国外追放処分となった。この事件が直接の契機になったかはともかく、その後は完全に後継候補から外れたと見られている。
それから20年近く経った今、金正男氏の支持勢力など北朝鮮に残っていないし、国内情勢への影響力もない。子供の頃から面倒を見てくれていた叔父の張成沢氏も2013年に処刑された。韓国の情報機関、国家情報院は国会情報委員会に対し、事件について「金正男が体制にとっての脅威になるというような計算があったわけではなく、金正恩の偏執狂的性向が反映されたものだろう」と報告した。金正恩氏が偏執狂かどうかは評価の問題だろうが、前段は完全に同意できる。金正男氏が体制の脅威になっていると考えるのは難しい一方、金正恩体制はきちんと地盤を固めたというのが専門家の一般的評価なのだ。
釣り合わない「成果」と「ダメージ」に頭を抱える専門家たち
金正恩氏が偏執狂だからという国情院の判断は、本来なら「本当だろうか」と疑われるような話である。それでも、そんな報告が出るのは「金正男殺害によって達成されたと北朝鮮が見なせる成果と、事件によって北朝鮮が被った外交的ダメージの大きさを比較すると、とても釣り合いが取れない」(小此木政夫・慶応大名誉教授)からだろう。
金正男氏を排除することで金正恩体制が得ることになるメリットは、前述した通り少なくとも客観的な観察では見当たらない。一方、事件によって引き起こされた波紋の影響は深刻だ。長年の友邦であるマレーシアやインドネシアとの外交関係は危機にさらされ、米国や中国など関係国を中心に国際社会にも極めて強いマイナスのメッセージが発信された。このギャップを埋められないから、専門家は頭を抱えてしまっているのだ。
こういう状況では、このギャップを埋めるために様々な憶測が飛び交うことになる。北朝鮮の内情など確認不可能だし、「可能性がある」という書き方なら絶対に誤報とはならない。そのために普段から北朝鮮報道は真偽の見極めが難しいのだが、こうした状況では「書いたもん勝ち」と考えるメディアが出てくるのは避けられない。
金正男氏が脱北者の亡命政府に担がれようとしていたという話も、この一種だろう。韓国では脱北者団体が乱立しており、大きな連合体を作ろうという求心力は見受けられない。脱北者の亡命政府というもの自体が、とても成立するとは思えないのである。たとえ設立を宣言する人々がいたとしても、意味のある活動をできるとは考えられない。しかも、3代世襲の金正恩体制に反対するのであれば、そもそも金正恩氏の兄を首班に立てようとする時点で自己矛盾に陥ってしまう。
さらに、亡命政府ができたとしても韓国政府の支援など期待できない。統一は韓国主導で行われなければならないと考える韓国政府にとって、亡命政府など邪魔な存在でしかない。韓国統一省は事件と関連して亡命政府説が流れた時、「亡命政府(構想)は一部脱北者の逸脱にすぎない」と切り捨てた。
事件直後に行われた金正日生誕75周年を記念する大会で「指導者の継承問題を完璧に解決した」と金正日氏をたたえる演説があったことを、事件と結びつける報道もあった。北朝鮮の事情に詳しい関係者が「事件成功を祝ったのだろう」と見ている、といったような具合だ。しかし、これは北朝鮮が何年も前から数えきれないほど繰り返し言ってきたことだ。どうして今回だけ事件と関連してしまうのか理解に苦しむ。
さらには「金正恩氏が自らについて、怒れば兄でも殺すほど手ごわい人間だと米国にメッセージを送ろうとした」という説まであるらしいが、この説に同調する専門家は見たことがない。失笑交じりに「米国は核問題を交渉する相手だというのが北朝鮮の考えだ。今回の事件が結果的にトランプ政権の対北朝鮮認識に影響を与える可能性は否定できないものの、北朝鮮にとっての対米メッセージはあくまでも核実験や弾道ミサイル発射だ。日米首脳会談に合わせたように弾道ミサイルを発射したことでも、それは分かる。暗殺事件で怖さを演出するとは思えない」と話す人ばかりだ。
似たような話で、国民向けに「金正恩氏の怖さ」をアピールするという考え方もあるようだ。しかし、そもそも金正日氏の家族情報は機密扱いだったから、一般国民は金正男氏の存在自体を知らない。だから、国民向けに金正恩氏の無慈悲さを示す材料に使うこともできないのである。
背景にあるのは歴史的な「小国意識」か
結局、体制や国家にとってのメリットは見当たらない。ならば、金正恩氏の個人的な都合によって金正男殺害が決められた可能性の方が高いことになる。金正男氏が世襲批判をしていたことが気に入らなかったのかもしれないし、あるいは金正男氏が管理していたと言われることもある秘密資金を取り上げようとしたのかもしれない。ただ、これも前述のケースと同じように「メリットとデメリットのバランス」が悪すぎる点は変わらない。
南北問題を担当する統一相経験者でもある韓国の北朝鮮専門家に聞くと、「金正日と金正恩の行動様式は違う。それに尽きるのではないか」という答が返ってきた。もちろん金正恩氏の思い込みで脅威を感じたという可能性は残るのだが、それでもやはり「釣り合いが取れない」という感をぬぐうことはできないのである。
そうしたことを考えてたどりついた一つの考えが、冒頭に書いた「事件がこれほど大きな国際的波紋を生むなどとは予想しなかったのではないか」というものだ。
1月に出版された『新版 北朝鮮入門』(東洋経済新報社)という入門書を私と一緒に書いた礒崎敦仁・慶応大准教授に聞くと「同感だ」という言葉とともに、金正日生誕75周年の記念大会に出てきた金正恩氏の姿についての感想が返ってきた。「金正恩委員長が公式の場にデビューして以来、北朝鮮の新聞やテレビを通じて6年半ほどその表情を見てきたが、今回はとても違和感があった。印象論に過ぎないのだが、怒っているように見えて、疲れ切った感じだ。会議の内容にも上の空の様子に見えた」というものだ。事件を巡る想定外の波紋に憔悴したと考える余地があるということだろう。
おそらく私の考えは、木村幹・神戸大大学院教授の唱える「朝鮮半島の国家には歴史的な影響から自らを小国だと規定する小国意識が抜き難くある」という小国意識論に影響を受けたものだ。だから木村教授にも聞いてみると、「金正男氏の国際的な知名度と注目度を誤認したのだろう」と話してくれた。
木村教授はさらに「どうせ我が国なんて大した存在じゃないから、多少の事を言ったりやったりしても、大ごとにはならないはずだ、というのは南北に共通している。それが『小国意識』というものだ」と続けた。本稿は北朝鮮に関するものなので韓国については深く触れないが、実は、慰安婦問題を象徴する少女像や日韓合意に対する韓国内の議論を見ていても同じ思いにとらわれるのである。木村教授の考え方は、私の感覚と符合している。
繰り返しになるが、今回の事件に関する論評はどれも「可能性」を論じたものでしかない。その一つとして、「想定外の波紋に驚く北朝鮮」と見ることもできる。絶対にそうだという材料があるわけではないのだが、私にはそう見えるのである。
澤田克己 (毎日新聞記者、前ソウル支局長)
最終更新:2/24(金) 20:57
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170224-00010001-wedge-kr
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