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2017年は中東ニュースが減る「踊り場の年」に【展望・前編】/川上泰徳
2017年01月17日(火)
http://www.newsweekjapan.jp/kawakami/2017/01/2017.php
<「シリア内戦の行方」「イスラム国(IS)掃討作戦」「トランプ米政権の発足」に関心が集まっているが、今年の中東は「踊り場の年」になるだろう。2011年の「アラブの春」で始まった中東危機の6年間を振り返って整理してみると――>
2017年の年頭に、底なしの混乱の中にある中東を時間的、空間的に俯瞰してみたいと思う。
いま、中東についての世界の関心は「シリア内戦の行方」と「『イスラム国(IS)』の掃討作戦」であろう。さらに今月20日に米大統領に就任するトランプ氏は選挙戦の間、イランとの核合意の見直しに言及し、駐イスラエル米大使館をエルサレムに移すと発言している。米新政権発足で米国・イラン関係やイスラエル・パレスチナ問題がどのように影響を受けるが注目される。
2017年がどのような年になるかについて、私の予測は「踊り場の年」である。その意味を理解するためには、2011年の「アラブの春」で始まった中東危機の6年間を振り返る必要がある。
(中略)
〔「アラブの春」後、「同胞団時代」の到来を思わせたが〕
(略)
〔エジプトでもシリアでも、旧強権体制勢力が巻き返し〕
(略)
〔イスラム国(IS)の出現は「アラブの春」の終焉ではない〕
「アラブの春」の第4段階は、同胞団の退潮と入れ替わるように起こった、2014年6月の「イスラム国(IS)」登場である。イラクからシリアにまたがるISに対して、同年9月には米国が主導する有志連合による空爆が始まった。15年11月にはパリ同時多発テロなど 「イスラム国」が犯行声明を出す深刻なテロが起こった。この年は、シリア難民を中心に100万人の難民がトルコからエーゲ海をわたって欧州に密航する動きが起こった。15年はシリア内戦が絡む戦闘も、テロも、難民流出も、すべての面で最悪の年だった。
ISの出現を「アラブの春」の終焉と考える見方もあるが、私はこれまでも書いてきたように、ISの出現は「アラブの春」の流れの中で起こり、「アラブの春」はISという形で続いていると見ている。「イスラム国」にまつわる"誤解"については新刊『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)に詳述したが、「アラブの春」もISも、担い手は若者たちであり、腐敗と不公正が蔓延するアラブ世界の「旧体制」を打破しようという主張は共通する。インターネットの「ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)」を活用して動員し、行動主義的であるという動き方も通じる。
エジプトやチュニジアで始まった「アラブの春」のスローガンは「自由と公正」だった。カイロでタハリール広場を埋めた若者たちは「アダーラ(公正)」を叫んだ。長期の強権体制の下で、権力とのコネがなければ、就職もビジネスもできないという「腐敗と不公正」の打破を求める声だった。欧米や日本はアラブの若者たちが、西洋的な自由や民主主義を求めていると考えたが、それは自分たちの思いを投影しているだけで、全くの錯覚だった。
かつて欧米で「公正」を求める政治運動だった社会主義は「アラブの春」の20年前に終わっていた。アラブ世界の若者たちはグローバル化と結びついた「格差」に不満を強めたが、それは単に経済的な格差ではなかった。「権力と結びついた格差」であり、若者たちのデモは「イスクト・ニザーム(体制打倒)」を叫び革命的な色彩を持った。
「アラブの春」を主導した若者たちは当初、組織も、明確な思想も、政治的目標もなかった。ただし、若者たちには「反欧米、反イスラエル」の主張が強かった。それは、今世紀に入って起こった米国のイラク戦争やイスラエルによって繰り返されるパレスチナへの軍事攻勢に対する反発だった。さらに民主主義を欧米的な価値観と考え、革命後の選挙にも積極的に参加しようとはしなかった。
「アラブの春」で若者たちが求めた「公正」は、次第にイスラム的な色彩を強めた。<反強権、反欧米・反イスラエル、反民主主義、反ムスリム同胞団>という流れの中で、若者たちに広がったのはイスラム厳格派の「サラフィー主義」である。サラフィー主義といっても平和的な運動が主流だった。そのなかに、ジハード(聖戦)によってイスラムを実現しようとするアルカイダやISのような戦闘的な「サラフィー・ジハーディ(聖戦主義的サラフィー主義) 」がいる。
エジプトでもシリアでも、旧体制勢力が軍事力に訴えて、「アラブの春」の危機を抑え込みにかかった。選挙を通しての「公正」を目指したムスリム同胞団は排除された。その後、サラフィー主義に傾倒した若者たちが軍事化、戦闘化し、ISに参入する流れが起こった。2006年にイラクで生まれた「イラク・イスラム国」はシリア内戦に参入した後、「アラブの春」の若者たちのエネルギーを吸収して、肥大化したのである。
〔2016年後半、「中東大変動」を力で抑え込む動きが始まる〕
2016年後半にはイラクではISの主要拠点であるモスルでの掃討作戦が始まり、シリアではアサド政権軍によるアレッポの制圧があった。この2つの軍事作戦は「アラブの春」によって始まった「中東大変動」を力で抑え込む動きである。モスル制圧は時間がかかっているが、2017年中にISの主力はモスル主要部から排除されることになろう。ISの"西の首都"であるシリア側のラッカに対する米軍の支援を受けたクルド勢力の攻勢も始まった。
ISはイラクでもシリアでも、軍事的、政治的に追い込まれることになろう。しかし、それはISの終わりとはならない。イラクとシリアでISが生まれ、肥大化したのは、スンニ派勢力やスンニ派部族が権力から排除され、抑圧されているためである。ISを軍事的にたたくばかりでは「スンニ派の受難」は解決されない。スンニ派部族が支配する都市の周辺地域でISは続くことになる。
「アラブの春」で始まった危機を抑え込む中で、中東ではいたるところ"剛腕"が幅を利かせている。 トルコのエルドアン大統領、中東に影響力を強めるロシアのプーチン大統領、イラク、シリアに介入するイランの革命防衛隊、エジプトの軍主導政権、さらに、サウジアラビアでイエメン内戦に軍事介入し、政治を主導するムハンマド国防相(副皇太子)も。そこに強硬派の海兵隊司令官出身の国防長官を擁するトランプ大統領が就任する。
2017年が「踊り場の年」になると考えるのは、強権で「危機」を抑え込む形になったことを受けたものである。危機の原因は何も解決していないが、少なくとも国際ニュースにもなりにくくなる。
〔中東ではほぼ10年ごとに大きな危機が起きてきた〕
(略)
- トランプの「大使館移転」が新たな中東危機を呼ぶ?(後編)〜しばらく足踏みをしても、中東の危機はまた新たな危機の階梯を上が 仁王像 2017/1/18 20:04:05
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