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[時論]英スパイ機関元首脳 世界の行方読む
ジョン・サワーズ氏 英秘密情報部(MI6)前長官
人気スパイ映画シリーズ007で、主人公が所属するスパイ機関として知られる英国の秘密情報部(通称、MI6)。実態は厚いベールに包まれているが、世界に張りめぐらせた情報網や分析力は、米国にも引けをとらないといわれる。そのトップの座にあった人物は、激動する世界の行方をどうみているのか。ジョン・サワーズ前長官(61)に聞いた。
■ロシア 追いつめすぎは危険
――トランプ米政権の発足で、米国主導の世界秩序は終わりを告げそうです。影響をどうみますか。
「彼は内政中心の大統領になると思う。優れた交渉者であるという自負を持っているので、貸し借りによって外国との関係を築いていこうとするだろう。このため、戦略的な視点を見失う危険がある。クリントン、ブッシュ、オバマ各氏の歴代政権は同盟国とのきずなを維持し、世界で枢要な役割を果たす戦略をとってきた。経験を積むにつれ、トランプ氏も同じ路線を歩んでくれることを願うが、そうなるかどうか、まだ先がみえない」
――彼は選挙中、日韓や欧州の同盟国が米軍駐留経費をもっと払わないなら、守らないと言いました。同盟も揺らぎかねません。
「米国は、日本や英国のような古い同盟国を大切にするが、目の前の懸案を処理するため、貢献してほしいという思いも抱いている。トランプ氏はいわば、同盟国による『ただ乗り』は許さないだろう。欧州にも(米軍に防衛を)ただ乗りしている国々がある。集団的な防衛体制にもっと寄与するよう、そうした国々に圧力をかけるのは大事なことだ」
――同盟国に負担増を求める彼の主張にも、一理あるということですか。
「そう思う。しかし、相手国に圧力をかけることで、同盟網を弱めることがあってはならない。米欧の軍事機構である北大西洋条約機構(NATO)の加盟国は、一国への攻撃は全メンバーへの攻撃とみなし、みなで報復するという保障を交わしている。ロシアなどの敵対国に対し、米国がその合意を守ると思わせることが、極めて大切だ。この点は今後も大丈夫だろう。就任後のトランプ氏が、選挙中の彼と全く同じとは思えないからだ」
――トランプ政権は親ロシア的な路線を掲げています、その通りの政策をとれば、ロシアはさらに強気になりませんか。
「ここ数年、ロシアと西側諸国の関係が悪化している。特に、ウクライナ問題がその一因だ。ロシアの懸念を理解し、敬意をもって接する態度が西側諸国に十分ではなかったことにも原因がある」
――しかし、ロシアは米欧にサイバー攻撃や軍事挑発を強めています。彼らに融和的に対応するのが、正しい方策といえますか。
「ロシアは脅威にさらされ、危ないと思えば、むしろ危険な行動に出かねない。彼らが冷静でいられるよう、過度に脅かさないことが大事だ。とはいえ、(融和的な対応が)行き過ぎるのも危険だ。ロシア指導部は、西側のような多元的な民主主義体制に移行するつもりはない。彼らと私たちの間に調和ある関係が生まれる、と期待すべきではない。ロシアと巧みに協力するには、こちらも軍事、政治の両面で力を見せつける必要がある。ロシアは力を重視するからだ」
――トランプ氏は中ロなど大国と直接取引し、国際政治を動かす考えをにじませています。そうなれば、日本や欧州は蚊帳の外に置かれかねません。
「世界は再び、大国が主な役割を演じる局面に移ろうとしている。ロシアはウクライナとシリア、中国は南シナ海や東シナ海で軍事力を使い、西側諸国の影響力を排除しようとしている。これが、私たちが適応していかなければならない世界の現実だ。むろん、米中に並び、欧州と日本、インドも経済面では大国だ。この5カ国・地域が世界経済を運営し、開かれた貿易システムを維持すべきだ。そのうえで、世界の安定を保つため、(米中ロという)3つの軍事パワーが均衡を保っていく。今後10年から15年の世界のあるべき姿とは、このような構図になるだろう」
――米国が大国外交を優先するようになっても、世界の調和は保てますか。
「米大統領はロシアや中国、日本、英国といった国々の指導者と直接に協力し、関係を築くべきだ。首脳の個人的な関係はとても重要だ。しかし、国と国の関係において、米大統領が独りで大きな責任を抱え込むことは避けるべきだ。指導者といえども誤りを犯すからだ。たとえば、ルーズベルトは偉大な米大統領であり、ソ連のスターリンと渡り合えると信じていた。だが、実際、第2次世界大戦の末期になると、スターリンの方が上手だった」
■甚大なサイバー攻撃迫る
――テロやサイバー攻撃の脅威も深刻です。情報機関トップの経験から、対処の秘訣は何だと思いますか。
「テロやテロリストの脅威は、私たちの日々の生活に入り込んでしまっている。テロへの防御で、最前線を担うのが情報だ。テロ組織の内部に潜入し、彼らの意図をつかむことができれば、攻撃計画が実行に移されるのを防ぎやすくなる。とはいえ、テロの原因を解決することはできない。それはイスラム内部の分裂や、多くのイスラム諸国における統治の失敗にさかのぼるからだ」
「だからこそ、防御に照準を絞るべきだ。英国の情報機関のトップを務めた経験から、テロ組織の内部に潜入することがどれほど難しいか知っている。いちばん大切なのは、国内の情報機関と治安を担当する省庁、外国の情報機関とのチームワークだ」
――海外のテロ事件に日本人が巻き込まれる事態が相次ぎ、日本政府も外国の情報機関との協力を広げようとしています。
「今のところ、日本がイスラム系テロ組織の標的になっていないのは幸いだ。だが、ほかの多くの国々もそう考えていた。例えば、ベルギーもそう思い込み、敵対的な過激派組織を監視し、彼らの内部に潜入する能力を培ってこなかった。その結果、昨年のテロ事件で、悲惨な代償を払った。増大するテロの脅威に各国がどう対処しているか、(北アイルランド紛争や05年の大規模テロを経験した)英国も含め、日本政府として事例を研究しておくことがとても大切だ」
――国と国の情報協力は、持ちつ持たれつが基本と聞きます。日本が情報を得るには、相手国にも価値ある情報を提供できなければなりません。日本は何から手がけるべきでしょう。
「日本の情報機関は、それぞれがばらばらに動いているように思う。たくさんの組織が活動していて、必ずしも効果的に連携できないリスクがある」
――約3年前、日本でも国家安全保障会議(NSC)が生まれ、省庁間の連携を強めようとしています。
「だが、まだ道半ばといえるだろう。そうした努力はテロだけでなく、サイバー対策上も極めて大事だ。サイバー攻撃によって企業や団体が混乱におちいったり、銀行や製造業の業務が停止に追い込まれたりする事態も出ている。日本は技術力が優れており、コンピューター網に大きく生活を依存している。それだけに、この分野で果たせる独自の役割があるはずだ」
「5年から10年以内に、2001年の米同時テロのような破壊的なサイバー攻撃が発生する、と想定しておくべきだ。そうなれば多くの人々が命を落とし、突然、脅威を思い知らされることになる。すべての国家はそんな事態に備えなければならない」
――ところで、MI6はスパイ映画シリーズ007の主役、ジェームズ・ボンドが活躍する組織として有名です。どこまで彼は本物のスパイと似てますか。
「ジェームズ・ボンドの最大の貢献は、MI6が世界から支持され、優れた人材を集めやすくなったことだ。彼のおかげで、多くの人たちが情報機関で働こう、と思ってくれる。だが、現実のMI6では、彼のような人物はうまくやっていけない。必要とされるのは単独で行動する一匹おおかみではなく、チームの一員として動ける人材だ。技術に精通していなければならないし、常に法律を順守するよう求められる。それに、(映画と異なり)MI6には殺しのライセンスは与えられていない」
――それも虚構ですか。
「私たちに殺しのライセンスはないし、欲しくもない。MI6の任務は指導者に情報を提供することで、軍事工作はしない。ジェームズ・ボンドは現実とは違うが、それでも私は大ファンだ。現在、俳優ダニエル・クレイグ氏が演じているボンドは最高だ」
John Sawers 英外交官としてキャリアを積み、ブレア首相の外交補佐官、エジプト大使、国連大使を経て、09〜14年にMI6の長官を務めた。長官在任中には、中東を揺るがした反政府運動「アラブの春」やシリア内戦、ロシアによるウクライナのクリミア併合といった激変が相次ぐなか、情報活動を指揮した。
10年にはMI6の百年以上の歴史上、トップとして初めて講演し、テロ対策への理解を訴えた。MI6は94年まで、英政府がその存在すら公式には認めていなかった秘密組織。それだけに長官の講演は大きな話題を呼んだ。現在は英コンサルティング会社、マクロ・アドバイザリー・パートナーズの会長を務める。1955年生まれ、61歳。
◇ ◇
〈聞き手から〉幻想なき、冷徹な世界観
米大統領選から一夜明けた昨年11月9日朝。トランプ氏の勝利が確実になると、メイ英首相はまず、ロンドン市内のMI6本部に向かった。世界情勢はどうなるのか。今後の対策を練るには、MI6の分析がどうしても必要だからだ。
MI6はスパイ網を駆使した情報力で世界最高レベルといわれる。2年前までその頂点にいた人物だけに、サワーズ氏の発言には机上の論とはちがった現実感覚がある。たとえば、ロシアへの対応だ。
ロシアを「敵対国」と断じ、友好関係を築けるという幻想を抱くべきではないと警告する。その一方で、ロシアを追い詰めすぎれば、かえって危ない反撃に遭いかねないとして、彼らとの対話の大切さも説く。対ロ強硬でも融和でもない、極めてドライな政策論といえる。
米国と同盟国の関係でも同様だ。トランプ氏は米国への「ただ乗り」を許さないだろうと予測し、同盟各国がもっと自衛の努力をするしかないという。中国などが台頭し、米国の国力が相対的に下がった以上、おんぶにだっこは望めないというわけだ。こうした冷静な発想は日本にも参考になる。
(編集委員 秋田浩之)
[日経新聞1月8日朝刊P.9]
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