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長周新聞 2019年7月27日
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豪雨災害で崩落したまま手つかずの道路(25日、呉市天応)
中四国地方に未曾有の被害をもたらした西日本豪雨災害から1年が経過した。東日本大震災、九州北部豪雨、熊本地震など全国各地で毎年のように災害被災地が増え、その度に家を失い、路頭に放り出される被災者たちが増え続けている。西日本豪雨の被災地も例外ではなく、生活再建が遅れ、住居の問題や経済的負担など多重の困難が被災者にのしかかり、高齢者などの弱者がとり残されている現状がある。国民の困難に対して政治はなにをすべきなのか――。被害の大きかった広島県坂町、呉市の今を取材した。
■坂町小屋浦 インフラ復旧遅れ、商店も病院もなく
山と海に挟まれた広島県安芸郡坂町(人口約1万3000人)は、昨年7月6日の豪雨で町内の約50カ所で土砂崩れが発生し、家屋全壊は292軒、半壊が983軒にのぼった。死亡者は18人(うち災害関連死3人)で、今も人が行方不明となっている。
なかでも坂町中心部の東約5`に位置する小屋浦地区は、山からの土砂や流木が激流とともに集落全体を呑み込み、15人が死亡するなど町内で最も大きな被害を受けた。
町内に入ると、昨年末までは放置されていた倒壊家屋や全半壊になった建物はほとんどが解体・撤去され、家家が軒を連ねていた集落のあちこちに更地が目立ち、雑草が生い茂っている。解体作業のために出入りしていたトラックや重機も姿を消し、ひっそりとした静寂のなかで、そこにあった人人の営みが丸ごと消えてしまったような寂寥感が漂っている。氾濫によって崩れた川土手には、土砂を詰め込んだフレコンバックが積み重ねられ、崩れた歩道はまだ補修されていない。上流に上がれば上がるほど路面は凸凹になり、道幅も軽自動車が1台ようやく通れるほどしかない。
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家があった場所は更地になり、護岸はフレコンバックでの応急処置が続く(25日、坂町小屋浦)
川土手の家に住む70代の男性は「不幸中の幸いで我が家は被害が少なかったので住み続けられるが、周辺の全半壊になった家はみんな諦めて解体してしまった。町営の促進住宅から、ときどきここに足を運んでは“早く戻りたい…”といわれるが、家を建て替えるには膨大な費用がかかる。上流の砂防ダムはまだ完成しておらず、いつまた土砂災害が起こるかわからないという不安もある。隣近所の友だちが土砂に流されたので、妻は“ここに住んでいるのが辛い”といって親戚の家に行っている。元の生活や精神状態をとり戻すにはまだ時間がかかりそうだ…」と話した。
被害がひどかった川向こうの集落は、道路が崩落したままで下水道も復旧していないため、工事現場に置いてある仮設トイレを設置している家もある。水道管も仮設の管を地上に這わせているため、夏場になると蛇口から熱湯が出てくる。電柱も倒れてテレビの共同アンテナも敷くことができず、テレビもインターネットも見られない。「どうしても必要なら土地を確保して自力で敷くしかない」と語られていた。
町内会長を務める男性は、「一年経って倒壊家屋の解体がようやく終わったというところだ。古い砂防ダムが決壊したので、2つの砂防ダムを建造中だが、一つは今年中(12月)、もう一つは今年度中(来年3月)に完成予定で、それから土石流が溜まった川の浚渫(しゅんせつ)をし、ようやく道路の補修に手が付くという状態だ。だから住民が安心して暮らせる状態になるのはまだ何年も先の話になる。それでも仮設住宅やみなし仮設の入居期限は2年間で、来年には切れる。家を補修したり、建て替えるにも、災害保険に入っていなければ経済的な負担が大きすぎる。子どもとの同居ならまだしも、高齢者世帯だけなら、あと何年生きられるかわからないのだから新築の家を建てる気にもならないのが実際だ。被災前に36軒あった町内の家は15軒に減り、空き地には雑草が生い茂っている。これからどのようにして町内のコミュニティを維持していこうかと頭を抱えている」と話した。
町民の生活再建にとって一番の心配事は、町内唯一のスーパー(Aコープ)が被災直後から閉店し、買い物ができる場所が町内2カ所に一日一時間程度やってくる移動販売車だけになったこと、さらに病院もなくなって日常生活に支障をきたしていることだ。「若い人が住みやすい環境を作るという以前に、高齢者が安心して暮らせる対策がされなければ人口減は歯止めがかからない。JRもバスも1時間に1本しかなく、車がなければ生活は困難になっている。町に要望をしても、お店や病院を誘致するにもお金がかかることなので簡単には進まない。今は小学校(全校約60人)をかつがつ維持しているが、このままでは先細りになってしまう」と危惧していた。
壊れた家を補修しながら住み続けているのは、長年この場所に住み続けてきた高齢者が多い。他の場所に移り住んでもコミュニティになじめなかったり、そもそも住む場所の確保が困難であったり事情はさまざま。近くに子どもたちが暮らしていれば見守ることができるが、高齢者だけの世帯は孤立していくことが心配されている。
70代後半の姉が一人で住んでいた家が大規模半壊したという男性は、車で1時間以上かかる廿日市市から毎日姉の世話のために通っている。「今は県のみなし仮設(県が借り上げた民間アパート)に暮らしているが、姉はどうしても地元に戻りたいというので小さな家を建てようと思っている。だが、大規模半壊でも支援金は150万円しかなく、蓄えのほとんどをはたかなければいけない。せめて帰って安心して暮らせるように買い物ができる場所を整備してもらいたい」と話していた。
床も天井も剥ぎとってがらんどうになった家の中からガレキを運び出していた40代の男性は、「半壊なのでリフォームを考えていたが、思ったより損傷が激しく、基礎からやり直せば建て替えるのと同じ費用がかかる。家族で話し合って小さくてもみんなで住める家を建て替えることにした」と話した。「一年たつと公費解体も打ち切られ、ガレキ置き場も閉鎖されるから急いで片付けている。公営住宅も家賃減免は二年で打ち切られる。おんぶにだっこで助けてほしいとは思わないが、プラスでもマイナスでもなくゼロに戻りたい。元の生活をするスタートラインに早く立つためにも行政には柔軟な対応をしてもらいたい」と話した。
■850世帯が仮住まい 家賃の高い災害公営住宅
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呉ポートピアの応急仮設住宅
広島県内では、6月末現在で少なくとも17市町の850世帯以上(2053人)が仮住まいでの生活を続けている。公営住宅や借り上げ住宅には712世帯、プレハブの仮設住宅には今も147世帯が暮らしている。
避難者が最も多い坂町では、坂地区の平成ヶ浜中央公園に98戸のプレハブ仮設が建設されている。仮設の入居期間は原則2年と定められているものの、他の激甚災害被災地と同じく特例として延長が認められている。だが広島県は、呉市と坂町に国が建設費の7割を負担する災害公営住宅が建つ見通しが立ったことを理由に期間延長しない方針を表明している。ところが災害公営住宅は家賃設定が高く、減免期間が終われば数倍に値上がりするため、経済的な事情で仮設住宅に入らざるを得なかった被災者たちを追い詰めている。
夫婦2人暮らしの77歳の男性は、40年間住んできた家が山の土砂や流木で押し流されて住めなくなり、県営住宅や公営住宅の抽選にも外れ、ようやく昨年10月にこの仮設住宅に入ることができたという。4畳半と6畳の2DK。広かった自宅とは比べものにならないほど手狭だが、家財道具を減らして何とか2人で生活している。解体した自宅跡には雑草が生い茂るため畑にして野菜を育てたり、「落ち込んでいたら病気になる」と自分を奮い立たせて仮設住宅の砂利の隙間にトマトやキュウリ、花を育てたりしながら「何とか前向きな姿勢で生きよう」と、見守りボランティアの手助けも受けて周囲の被災者と励まし合っているという。
「いずれは夫婦2人だけでも住める程度の持ち家を建てたいが、砂防ダムが今年の9月着工で来年3月までかかり、それから水路の整備、農道の補修をしなければ県の建築許可が下りない。だから来年7月にできる災害公営住宅に入ろうと思っているのだが、国の災害支援法で定められた家賃が月額4万〜7万円。所得によって値段が変動し、入居から3、4年で減免期間が終われば全体がさらに値上がりするのだという。少ない年金生活者にはとても払える額ではない。みんなすべてを捨てて裸一貫で逃げてきた人たちばかりなのに…」と顔を曇らせた。
「私たちも家から持ち出せたものといえば、2階にかろうじて残っていた冬物の服とタンスだけ。巨木が家に突き刺さってめちゃめちゃに破壊され、家の中は土砂や泥に埋もれて手の施しようもなかった。たとえ3年後に全財産を注ぎ込んで家を建てても80歳。あと何年生きられるのかもわからない。贅沢をいう気はないが、せめて少ない年金でも入れる家賃設定にできないものだろうか。ここに入っている高齢者みんながそれを望んでいる」と切実な思いを吐露していた。
■呉市天応 コミュニティ回復せず取り残される高齢者
坂町に隣接する呉市天応地区も、豪雨災害で甚大な被害を被った。坂町と同じように家屋の解体は進んだが、人口が半減した地域もあり、コミュニティの回復が進んでいない。川の護岸は崩れたままで、豪雨に見舞われたらいつまた崩れてくるかわからないような危険な箇所がそのまま放置されており、周辺住民の帰還を妨げている。
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家があった場所を指す住民(呉市天応)
地区内の仮設住宅で暮らす高齢者夫婦のお世話をしにきていた女性は「お世話になった人だから、今は解体する家から必要なものだけを運んであげている。本人たちにとっては愛着のある家だから壊したくないといわれていたが、直すだけで1000万円以上かかる。公費解体の期限が切れないうちに手放した方がいいと説得してようやく決断したところだ」と明かした。被災前に数十万円をかけてリフォームしたばかりだったという。自宅から狭い仮設住宅に持ち込めるものは衣類や食器などわずかだが、車を持たないお年寄りだけではそれすら運ぶこともできない。
女性は「天応は道路も砂防ダムもいまだ手つかずで高齢者だけで住み続けるには危険すぎる。災害公営住宅の家賃は月額7万円といわれるが、それでも命にはかえられない。身寄りのいない高齢者がとり残され、被災後、急速に足腰が弱っており、そのうち痴呆が始まらないか心配している。高齢者の継続的なサポートと、安くて安心できる住宅を確保してあげないと寿命を縮めるばかりだ。こんな扱いで人生の最期を迎えるのは本当に気の毒だ…」と、こみ上げるものを抑えながら憤りを口にした。
同じく仮設住宅に入居中の80歳の男性も、家が半壊して病気持ちの奥さんと2人で暮らしている。「天応でも唯一のスーパーが閉店し、病院も一つしかない。この場所に災害公営住宅が建っても、買い物をしたり、医者にかかるには、車で30分以上かけて呉市内まで行かなければいけない。車も水に浸かり、家も失った人たちには酷な環境だ。命が助かっただけ喜べといわれても喜べない状態だ」と話した。
「公営住宅も家賃が高く、あの値段では国民年金の人たちは対象外だ。私は妻が病気で、手が震えて包丁も持つことができないので、周囲から隔絶されたこの場所では生活ができない。現在介護付きのケアマンションを探しているが、これもカネ次第でピンからキリまであり、カネのないものは姥捨て山のような僻地で惨めな生活をしなければならない。80歳で誰がお金を貸してくれますか? 誰が雇ってくれますか? 仮設からは来年7月までに出ろといわれているが、県からの見舞金は30万円、呉市からは6万円程度しか出なかった。助けてもらうのが当たり前とはいわないが、あれほど集まった義援金はどこへいったのだろうか? と思う。国は“老後のために2000万円貯めておけ”というが、年寄りは早く死ねということなのだろうか…」と話していた。
未曾有の災害から一年が経過した広島被災地では、災害当初にはメディアも同情の視線を注いだが、今はほとんど報道されることもない。だが、災害は終わっておらず、数千人が家を失った状態が続いており、時間が経てば経つほど弱者がとり残され、誰も知らないところでひっそりと息を引きとる高齢者も少なくない。東京五輪のお祭り騒ぎに数兆円が注がれる一方で、生活基盤すら失った被災者の救済は「自助努力」の名のもとに置き去りにされている。
国民のために機能することをやめた政治の残酷な姿が集中的にあらわれている。
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家財道具の多くが置き去りのまま進む家屋の解体(25日、呉市天応)
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家が解体され、雑草に覆われた空き地(呉市天応)
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