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「バブル入行組」は岐路 日本経済に翻弄された銀行員の「天国と地獄」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180116-00000049-sasahi-bus_all
AERA 2018年1月22日号より抜粋
メガバンク誕生で看板を掛け替え (c)朝日新聞社
メガバンクはこうして生まれた(AERA 2017年1月22日号より)
みずほ銀行のある支店では朝から全員が集められた。昨年10月28日。新聞が「10年間で1万9千人削減」などと報じたからだ。従業員の4分の1に達する。落ち着かない行員たちを前に、支店長が声を張り上げる。
「これは自然減だ。みなさんがクビを切られるわけじゃない。安心して働いてほしい」
自然減。人数が多い「バブル入行組」が退職し、新卒の採用数を抑えることだ。三菱UFJフィナンシャル・グループ(FG)も9500人分、三井住友FGは4千人分、それぞれ業務量を減らすと発表した。AIなどの技術で預金や融資といった事務作業を自動化する。
持続可能とはいえない
銀行は大きな岐路に立つ。きっかけは日本銀行が2016年1月に始めたマイナス金利政策。満期10年の国債の金利まで一時マイナスを記録したほどで、銀行の収益となる預金と融資の金利差がきわめて小さくなった。場合によってはマイナス。お金を貸せば貸すほど赤字が膨らむ。企業の情報や戦略を広く投資家などに伝える統合報告書で、三菱UFJFGの平野信行社長は言い切った。
<私たちのビジネスモデルは現状のままでは最早(もはや)持続可能とはいえない>
今年度9500億円もの純利益を見込みながら、危機感を隠そうともしない。融資という創業以来の「本業」にこだわっていては生き残れないというのだ。
銀行は日本経済の浮き沈みに伴って盛衰を繰り返してきた。銀行員が見る風景も、入行時期によって大きく異なる。退職をせかされた格好のバブル入行組はどうか。アラフィフの別の支店長は人事部のアンケートに悩んでいた。こんな選択肢が並ぶ。
●このまま銀行で仕事をしたい
●グループ会社に出向したい
●融資先企業などに転籍したい
次長、部長、本部長などと昇進するほどポストの数は少なくなる。銀行では早ければ40代半ばから、ポストに就けなかった人が外に出ていく。昨今バブル入行組がその局面にある。
同年代で本部勤務の幹部も、本当によく働いたと思う半面、「これでいいのか」と考えることがある。数年前に受けた「たそがれ研修」を思い出した。40代半ばを対象に、半日ほど開かれる。外に出ると年収も職位も下がる。退職金や年金の将来像を精緻に示すことで、生活設計を見直す。出向や転籍した先でうまくなじめるように、銀行員の固定観念も捨てるように求められる。気がつけば同期の3分の1はみずから銀行を去り、3分の1は関連会社に出て、3分の1しか残っていない──。
若かったころも思い出した。年号が平成に変わり、バブル真っ盛りだった。日本中が好景気に踊り、融資の案件が次から次へと舞い込んだ。1日17時間は仕事に追われていた。それでも週末は合コンづくし。銀行員というだけでモテまくった。なにしろ30歳で年収1千万円だ。就職活動中の後輩に真新しい超高層ビルを指さし、「おれが貸したカネで、あれが建った」と自慢したこともあった。
自慢された側も銀行に就職を決めた。1997年のことだ。ここで時代は暗転する。株価や地価の暴落に足を引っ張られて大企業といえど倒産や業績悪化は避けられず、銀行にとっては返済されない融資、つまり不良債権の山が積み上がるばかりだった。
翌年にかけて北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行が経営破綻に至る。金融システム全体が揺らぎ、98年から公的資金の注入が始まった。2年で総額26兆円を超える。一部は債務超過の穴埋めに使われ、国民負担となった。「安定」の象徴だった銀行ですら、明日をも知れぬ不況の幕が開いた。
別の銀行に勤める40代半ばの次長も、この時期に入行した。新卒研修を経て配属されると、支店長の指示はたった二つ。
「預金を集めろ」
「既存融資の金利を上げろ」
理屈も何もない。「どぶ板営業」だった。担当企業に行っては「うち、しんどいんです」と、頭を下げ続けた。合コンでは人気が急降下。銀行員と名乗ると、「ノルマがきついんでしょ?」と逃げられた。銀行はブラック企業の代名詞となった。
これが銀行の仕事なのか。多くの銀行員が悩んだ。中小企業を前向きに支えたいのに、融資を求められると、「貸せません」と答えるしかなかった。稟議(りんぎ)を書いても書いても審査部が承認せず、世間から「貸し渋り」と批判された。それどころか、業績が比較的順調な中小企業から融資を引き揚げる「貸しはがし」も横行したとされる。
関連する取引が金融庁の検査で問題視される事例も相次いだ。コンプライアンス(法令順守)が注目され、「セ・リーグ」「パ・リーグ」とささやかれる人事異動が絶えなかった。それぞれセクハラ、パワハラを指す。
銀行員は理想と現実のギャップに押しつぶされそうになりながらも、歯を食いしばって働いた。だが03年、りそなホールディングスに2兆円近い公的資金が注入。不良債権がもとで信用力に不安が生じた結末だ。事実上の国有化。銀行として「死」を意味すると受け止められた。
復活に向け、銀行は経営統合を選んだ。規模の拡大で体力の強化をめざし、最終的に05年、現在の3大グループにまとまった。各行の処遇や用語の違いをどうやって統一するか。みずほを例にとれば、富士銀行では営業を「工作」と言い、第一勧業銀行や日本興業銀行の出身者には伝わらなかった。用語の比較、一覧表をつくったそうだ。
この間、「金融ビッグバン」でさまざまな規制緩和が進んだ。そのひとつ、銀行の窓口で投資信託、生命保険などの販売が解禁された。手数料を新たな収益の柱にしようと力を入れ、日本株の暴落で大損した人も「銀行が売る投信なら買ってもいい」と前向きだった。まだ銀行に対する信頼は残っていたと、胸をなで下ろす行員も多かった。
本格的に順風が吹き始めたのは08年、米国の低所得者向け住宅ローン(サブプライムローン)問題で投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻したリーマン・ショックがきっかけだ。日本の銀行は傷が浅く、ほぼ公的資金を完済していたこともあって、優良企業もメインバンクとの取引を再び重視するようになった。前出の次長がしみじみと語る。
「ここで銀行の社会的評価も見直された感触がありました」
*呼称はすべて当時
(編集部・江畠俊彦)
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