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地方消滅を加速する、霞ヶ関の「地方自治体いじめ」の構造を暴く 予算で縛り、忖度させる
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53997
2017.12.29 今井 照 (公財)地方自治総合研究所 主任研究員 現代ビジネス
少子高齢化による人口減少を食い止めるために、国家プロジェクトとして進められている「地方創生」事業。地方自治総合研究所の今井照主任研究員によると、同事業をはじめとする多様な「計画策定」が自治体の日常業務を圧迫し、自治体の本来の機能を低下させているという。データからその厳しい現状を明らかにする。<連載第三回はこちら> |
「地方分権」実は、全然進んでいない
前回の記事では、地方圏の人口減少対策として打ち出された東京23区内の大学立地規制が、むしろ地方圏の高校生たちに痛みを強いる結果になることを確認しました。
そもそも「若年世代が東京圏に集中することで地方圏の人口減少が進んでいる」という認識からして間違っているので、そのための政策も結果も、目的と逆方向に向かってしまうわけです。
実は、世間に反対する人が少ない「地方分権」でも似たようなことが起きています。「分権」を進めれば進めるほど「集権」が進んでいる。【図1】は、北海道の市町村に「国から各自治体へのコントロールは、概して強化されていると感じますか」と聞いた結果です。なんと3分の2の市町村が「強化されている」と答えています。
これは驚くべき数字です。国会が全会一致で「地方分権の推進に関する決議」を行ったのが、宮澤内閣時代の平成5(1993)年。すでに20年以上が経過しているのに、どうしてこんな結果になってしまったのでしょうか。この失敗もやはり、「地方分権」を誤って理解した国政に原因があるのです。
地方をコントロールする「手口」
同じ北海道での調査には、次のような質問もありました。「各自治体から国に対する声・要望は、概して届きやすくなっていると感じますか」というもので、【図2】がその結果です。市町村の声が国に届きやすくなっていると答えた市町村が半数を占めている。
届きにくくなっていると答えた市町村も4割を超えているので、拮抗しているという表現が正しいとは思いますが、それにしても、「国からのコントロールが強化されている」が3分の2を占めた【図1】の結果からすると、やや意外な感じを受けます。
【図2】国に市町村の声が届きやすくなっているか
〔出所〕図1と同じ
この調査を実施した北海道大学の研究チームは次のように分析しています。
「政策の実施に関する自由度は(好む・好まざるを問わず)自治体が有するようになった一方、政策を実行していくための大枠となる制度や交付金申請等、手続きに関する自由度については国が(却ってこれまで以上に)強く握ることになった」(出典:【図1】と同じ)
つまりこういうことです。以前は、国が考案した政策を、法律や補助金などを使って自治体にやらせることが多かった。健康保険や年金のように、一律に給付する制度がそれに当たります。確かに、生活水準を上げることが優先される開発国家型の行政であれば、そのやり方でもある程度までは通用しました。
ところが経済が成熟し、地域社会や市民生活の多様性が際立ってくるとそうはいかなくなる。地域の個別の事情について、国は何もわからない。自治体から政策アイデアを提案してもらわないと国は政策を立てられない。それなのに、大きな財布は相変わらず国が持っている。このお金をどう配分するかというところに、自治体に対する国の権限の源泉があるので、国は簡単には財布を手放しません。
そこで国はどうしたかというと、自治体で成功した政策アイデアを事例集にして、その中から選択した政策を実施する自治体にはお金を配ることにしたのです。自治体には政策事例集から何を選択するかという計画づくりが義務づけられます。正確に言うと、義務づけはしていないのですが、「お金を申請するなら計画書を添付してください」という形で、計画づくりを実質的に義務化したのです。
「計画を立てた自治体の責任だよね?」
これが「分権」時代に応じた、国の地域政策のパターンになりつつあります。具体的な計画を策定するのは自治体であって国ではないので、あたかも「分権」のように見えます。一方、地方自治体の側から見れば、(税収が伸びない中で)少しでも多くお金の配分を受けたいので、国が例示した政策メニューから選ばざるをえない。それが、国の思うままに動かされているという実感につながるわけです。
ここで問題とすべきは、責任の所在が国から自治体に転嫁されていること。「計画を立てたのは自治体だよね」ということです。それは裏を返せば、うまくいかない場合に「計画を立てた自治体の責任だよね」ということにつながります。
この仕組みの中で、国はいつのまにか評価する立場に変わっています。計画の目標となる業績評価指標(KPI=Key Performance Indicator)が立てられて、それに達しないと、国は「そんなことではダメだ」と他人ごとのように自治体を「評価」する。そうした構図が【図1】と【図2】から読み取れる、というのが北海道大学の研究チームの分析です。
連載第一回では、国の考える「地方創生」政策の中身がいかに間違っているかをさまざまな形で指摘しました。商品券による消費喚起は「先食い」にすぎなかったこと。予算名目をつけ替えただけの事業が多いこと。移住促進や産業誘致は人口の移動を生むにすぎないこと――。そして実は、今回ここまで書いたように、事業の「進め方」すらも間違っていたわけです。
「忖度」しないと予算がもらえない
平成26(2014)年11月に公布された「まち・ひと・しごと創生法」には、各市町村が「地方版総合戦略」という計画を「定めるよう努めなければならない」と書いてあります。いわゆる努力義務規定です。日本語として素直に読めば、努力しなさいということであって、作りなさいとまでは書いてない。
ところが、法律の公布からわずか1年ちょっとで、実にすべての都道府県と99.8%の市町村(1741市町村中1737)がこの計画を策定している(「まち・ひと・しごと創生本部」調べ)。調査の時点で策定していなかったのはわずか4市町村だけです。なぜでしょうか。それは地方創生関連の交付金をもらうためです。この計画を作らないともらえないからなのです。
しかも、国はご丁寧にもこの「地方版総合戦略」を作るための経費を、それぞれの自治体に1000万円という枠で用意しました。市町村の計画策定経費としては巨額です。多くの市町村は、計画づくりを東京などの大きなコンサルタント業者に委託しました。
総額200億円弱にのぼるこの予算は、言ってみれば、銀行系や経営系のコンサルタント業者に振り分けられる公共事業のようなものです。
計画づくりのために、国は丁寧なマニュアルを作成しました。当然のことながら、交付金をもらうためには国が認めてくれるような計画を盛り込んでおかなければならない。これは要するに「忖度」の世界です。どんな計画なら国は認めてくれるのか。都道府県の中には、市町村に対して手取り足取り、計画の添削や推敲をくり返したところもあると聞きます。
自治体を襲う「計画地獄
このような計画は、近年になって一段と増えています。私が調べた限り、現在、法律などで市町村に求められている計画策定業務は約160あります。【図3】はそれらの計画がいつごろできた法律によって決められたのかを累計したものです。まだ完全に調べ切れていないので暫定値ではありますが、特に2000年くらいから角度が急になっています。2000年には約70だったので、現在までに倍以上になっている。
【図3】現在、市町村に求められている計画の初年別累計(暫定値)
〔出所〕法律検索などを利用して筆者作成
前回記事で書いたように、とりわけ小規模な市町村ではこれらの仕事が大きな負担になっています。毎年毎年新しい計画が求められるだけではなく、一定の期間が過ぎれば計画の更新もしなければならないからです。
2014年5月、内閣府に置かれている地方分権改革有識者会議で、新潟県聖籠町の渡邊廣吉町長が「『分権がもたらす豊かさ』とは」と題したプレゼンテーションを行いました。国から日々求められる調査・照会事項や、法律などで半ば義務化される計画の策定が、町村の行政執行を阻害していることを指摘するものでした。
聖籠町では国からの調査・照会事項が年間420件あり、それに応じるためには延べ656人の職員が1日不眠不休で働く計算になる。また、各種の町の計画を策定するのに要する人員は延べ1800人の職員が1日中働くことに等しい。聖籠町の行政職員は118人とのことなので、調査や計画の負担が役場やその職員にとってきわめて重いことがわかります。
これは国による「自治体いじめ」だ
国が市町村に策定を求める計画には、いくつかのタイプがあります。一つは、法律で策定の「義務づけ」をしているものです。これはかつて問題となり、2009年9月に出された地方分権改革推進委員会第3次勧告で原則廃止されました。ところが、当時は政権交代の余波もあり、「義務づけ」から「できる」規定や努力義務規定への修正にとどまるものがほとんどでした。
「できる」規定とは、計画を「定めることができる」としたもの。努力義務規定は「努めるものとする」としたものを指します。いずれも先ほど触れたように、自治体にとっては国から実施予算を獲得する必要があるため、事実上義務と同じになってしまいます。
問題はそれだけにとどまりません。実は法律に決められていなくても、国からの通知文書などで計画を作らざるを得ないものがある。たとえば、総務省はこれまで自治体に対して、行政改革や職員削減などの計画を作るように求めてきましたが、これは法律に根拠があるわけではなく、「技術的助言」という名目の通知文書によるものでした。
「技術的助言」であれば、作る作らないは自治体の判断によると思われるでしょうが、実際にはヒアリングと称する面談などで、作ったかどうか、その内容はどうかといったことを調べられるので、結局、自治体は作らざるを得ないのです。
国全体にはさまざまな政策課題があります。そのうち私たちの生活に直接結びつく政策課題のほとんどは、自治体が担っています。特に市町村の役所が市民生活や地域社会に向き合って仕事をしないと、私たちの生活は豊かにならない。
それなのに、分権改革以降もこのようにねじ曲がった「国による自治体いじめ」が続き、市町村の役所は国に出す資料づくりに忙殺され、まったく余裕がないのが現実なのです。そんな厳しい状況の中で、コンサルタント業者などに「まる投げ」して行われる「地方創生」が、果たして地方に有益な何かを生み出せると、皆さんは思いますか?
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