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メディアが報じなかった「平成の取り付け騒ぎ」の真相 金融危機 20年目の現実
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/217760
2017年11月16日 日刊ゲンダイ 文字お越し
閉店の案内の幕が張り出された徳陽シティ銀行本店(C)共同通信社
1997年11月26日早朝、大蔵省は記者会見を開き、「徳陽シティ銀行(仙台拠点の地銀)が不良債権を抱えて経営破綻した」と発表した。営業権は地元の仙台銀行に譲渡することとなった。山一証券の自主廃業が報じられた4日後のことである。
このニュースが列島に与えたショックは、大蔵省の予想をはるかに上回った。その直後から、週刊誌などで“危ない”と名指しされていた全国の銀行の支店前に、大勢の顧客が殺到。預金を引き出すために列をなしたのだ。
「この日、僕は『銀行の前に列ができている』という一報を、銀行局の担当記者から耳打ちされて知りました。午前10時半か11時か、あるいはもっと早かったかもしれません。その時の衝撃は今も覚えています。瞬時に取り付け騒ぎが起こった昭和恐慌の資料写真が頭をよぎりました。ただ、どう行動したらいいかわからず、かなり慌てたんです」
こう振り返るのは、時事通信の大蔵省記者クラブのキャップだった同社解説委員の軽部謙介氏だ。
徳陽シティが三洋証券や北海道拓殖銀行、山一証券と同じ道をたどるであろうことは、地元では“織り込み済み”だったという。89年からの7年間、日銀、大蔵省出身のトップが指揮を執り、テコ入れを図っていた。それでも経営は崖っぷちだった。
もっとも、危ないとウワサされる銀行は他にもあった。徳陽シティはもともと相互銀行だった第二地銀。預金量も取引先も多くなかった。それでも全国で預金を引き出そうという人たちが銀行に駆け付けたのはなぜなのか。
「直前に破綻した山一の時も、同社の前に列はできています。ただ、証券会社と銀行では意味が違う。決済機能を有し、金融システムの破綻に直結しますからね。おそらく積もり積もっていた利用者の不安が一気に表出したのではないかと思います」(軽部氏)
当然、新聞社、通信社、テレビ局は“行列”の情報をつかんでいた。しかしどこも報じなかった。
「当局からの要請も談合もありません。こちらとしては『抜かれる』のも『特オチ』もいやなので、各社のキャップの表情をそれとなく探った覚えはあります。ただ、当時はまだ『金融破綻を事前報道するのはアリか』みたいな論争があった。各社も相当悩んだと思います。国民の不安をあおれば、市場は大混乱に陥る恐れがあった。それを危惧して、結局、どこも報じませんでしたね。しばらくすると事態も収まりました」(軽部氏)
もし、一社でも報道をしていたら、他社も競うように窓口に並ぶ人たちの姿をリポートしただろう。それでまたほかの顧客が銀行に押し掛けて、取り付けが拡大――。昭和恐慌をしのぐパニックが起きていたかもしれない。
「僕らの場合は通信社ですので、書けばすぐに市場に流れます。マーケットは大荒れになっていたかもしれませんね」(軽部氏)
今はネットで情報があっという間に拡散する時代。情報のスピードは、97年と決定的に違う。もし、同じ事態が起きれば、騒ぎを収拾させるのは困難ではないか。
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