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たくぎん・山一の破綻から20年、金融界と個人の価値観はこうも変わった
http://diamond.jp/articles/-/149514
2017.11.15 山崎 元:経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員 ダイヤモンド・オンライン
山一證券の経営破綻から20年が経過した…。 Photo:AFP/AFLO
■元山一マンが20年前を振り返る
11月は、1997年に、地元では「たくぎん」の名で親しまれた北海道拓殖銀行と(東京の金融界では「ほくたく」と呼ばれることが多かったが)、大手証券四社の一角だった山一證券が経営破綻した月だ。あれから20年になる。
筆者は北海道出身であるし、当時、親戚でたくぎんに勤めている者がいた。また、筆者自身は、山一證券に勤めていた。あの時から20年経ったかと思うと、個人的にも感慨深い。
北海道拓殖銀行の破綻は、同行をメインバンクとする地元企業に大きな影響を及ぼした。当時の金融慣行では、「メインバンクは融資先の経営に責任を持つ」との暗黙の了解があり、メインバンクの消滅は、他の銀行、あるいは社債権者にとって由々しき事態であり、資金を引き揚げられて窮地に陥った会社が少なくなかった。
たくぎんは、地元の第二地方銀行の北洋銀行に北海道内のビジネスを、中央信託銀行(当時)に道外のビジネスを譲渡した。預金及び預金者は完全に保護された。北洋銀行は、率直に言って、たくぎんよりもずいぶん格下の銀行だった。
後のビジネス展開を考えると、道内二番手の銀行であった北海道銀行にビジネス全体を譲渡した方がよかったのではないかと思うが、両行は長年のライバル関係にあったし、独禁法的な観点からも難しかったのだろう。
山一證券は、顧客向けの利回り補填から生じた不良債権の「飛ばし」の存在によって自主廃業に追い込まれた。
山一の「飛ばし」は、破綻の数年前から金融業界で噂になっていたし、社内でも「ウチには、例の問題があるから」と、事あるごとに社員同士は公然と語っていた。しかし、その金額がいくらで、その結果どうなるのかを具体的に知る社員はほとんどいなかった。当時の社内の一般的な理解は、「この問題は、MOF(「モフ」当時の大蔵省)も知っているのだから、当社をつぶすことはできないだろう」という希望的で甘いものだった。
ただ、違法行為である「飛ばし」の存在によって、売却交渉の際に、デューディリジェンス(資産査定)を正直に行うことができないことは、会社の身売りで会社の存続を目指した経営陣にとって決定的な弱点だったろう。
それにしても、社内にいても、会社がつぶれるのか否か、またつぶれるとしてもそれがいつなのかは分からないものだ。不適切な会計処理などが問題になっている会社にお勤めの社員さんたちには、事態を甘く見ないようにということと、転職活動は早めに行うことをお勧めする。会社の破綻が決まると、山一の際にまさに起きたように、似たような条件の人材が一気に転職市場に吐き出されて競争することになるのからだ。
自己都合退職の場合の退職金の減額(卑怯で不適切な制度だ)などを気にして転職を躊躇するよりは、納得できる条件の働き口が見つかったら早めに転職を決める方が精神衛生にいいし、後のキャリア上の評価にもいいだろう。
■銀行・証券ビジネスは大きく変貌
たくぎんは、主に北洋銀行として残った。山一は、自主廃業で翌1998年の3月に消えた。
たくぎんの道内ビジネスを吸収した北洋銀行は、2001年には地元の札幌銀行との経営統合を決めた。今や北洋銀行の預金量は8兆円を超えて、破綻前のたくぎんの預金額7.1兆円を上回る。また、北海道経済もアベノミクスの好影響を受けて、有効求人倍率がバブル期を上回る1.12倍(9月)となるなど、それなりに好調だ。
しかし、国際展開を持たずに、地元に密着したビジネスを行う北洋銀行のような銀行に、現在、有望なビジネスモデルがあるようには思えない。北海道に限らず、健全な法人の借り入れ需要は乏しいし、長期金利までゼロ近辺に固定する日銀の金融政策の影響もあって利ざやが小さい。もちろん、有価証券運用でも十分な利回りを妥当なリスク水準で得ることは不可能だ。
有望な企業を育てるのが銀行本来の役割だろう、という金融庁の言い分は正論だが、銀行にとっては、もともと分かっていながら「そんな力はわれわれにはないよ」と本音では答えざるを得ないのが現実だ。
アパートローンに関しては、首都圏でさえも賃貸需要の減少が見込まれ、北海道のような地方にあって貸家業が有望だとは思えず、不良債権化が心配な状況だ。また、個人向けのカードローンは「銀行が消費者金融会社の規制逃れを助長するフロントになっている」状況が問題になりつつあり、これ以上伸ばそうとすることは経営判断として非常識だろう。
毎月分配型を中心とする投資信託や貯蓄性の保険(現在は外貨建てが多い)の販売も、金融庁からの評判が悪い。実際、顧客は、銀行の窓口でこうした運用商品を買わない方がいいと筆者も思う。
北洋銀行もそうだが、ネット関連のビジネスに注力するスルガ銀行のような銀行を除いて、地方に根を張る銀行には有望なビジネスモデルがない。もちろん、皆がスルガ銀行をまねしても、うまくいかないことは明らかだ。
一方、仮に山一證券が存続していたとすると(おそらくは外資系金融機関の子会社としてだろうが)、ブローカー、引き受け、資産運用などの業務は、ブローカー業務が固定手数料時代のような調子ではもうからないが、現在それぞれに存在意義があるし、複数の業務をまとまった組織体で行うことによるメリットもあっただろう。
ただし、旧山一證券のような経営で、その後のネットバブルとその崩壊、ライブドアショック、サブプライム問題からリーマンショックで大きく顕在化した金融危機といった金融環境の荒波を乗り越えられたかどうかは、大いに疑問があると言っておくことが多分フェアだろう。
とはいえ、旧山一證券に関しては、つぶしてバラバラにしない方が「価値」はあったと思われ、あえてバラバラにしてしまった残念な感じが残る。
■働く個人の価値観も変えた
働く個人にとって、1997年時分のたくぎん、山一の破綻は強烈な印象を残す出来事だったし、実際、多くの人の“価値観”が変化した。「堅いビジネス」を営む「大企業」に就職しても、人生は安泰ではないのだということが存分に可視化されたからだ。
転職が一般的なことになったし、まだまだ不十分だと思うが、一人ひとりの働く人が、組織の中での自分の立ち位置だけでなく、自分の個人的な「人材価値」を意識して働き方全般を考えなければならなくなった。
筆者個人としては、転職に対する世間のイメージが変わったことが印象的だった。過去に何度も転職していた筆者は、1990年代前半くらいまでは、「これが最後の転職になるといいですね」などと言われて他人から同情されることが多かったが、1998年以降は「何度も転職できるということは、それだけ能力が評価されているということなのでしょう」と褒められるケースが増えた。
実際には、以前は自分でも「これで最後の転職にしたい」と思いながら転職していたし、その後、転職を褒められるようになっても、「成り行き上そうなっただけなのに」と心の中で思いつつ、恐縮するほかなかったのが現実だった。
先般、みずほ銀行が10年で1万9000人の人員削減と、店舗数も大幅に減らすことなどを発表した。他のメガバンクも、同様の計画を発表している。
銀行員にとっては、当面、「支店長ポストが随分減るなぁ」というあたりが大きな変化なのかもしれないが、銀行のビジネスモデル自体が現在すでに危うくなってきているし、将来、銀行は残っても銀行員の大半が不要になるかもしれない。
大きな海外業務を持たず、地域の人口縮小が予想される北洋銀行のような銀行にとっては、メガバンク以上にビジネスが難しくなるはずだ。
北洋銀行の行員の中には、まだ2割ほど元たくぎんマンがおられるらしい。彼らも含めて、北洋銀行マンの将来が幸せなものであることを祈りたいが、その幸せは銀行員としての幸せではないかもしれない。
(経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員 山崎 元)
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