http://www.asyura2.com/17/hasan124/msg/462.html
Tweet |
生活保護基準の引き下げ議論には、「根拠」と言える根拠も影響に関する十分な見積もりもない。その杜撰な背景と、低所得家庭が被りかねないリスクを考える(写真はイメージです)
生活保護の根拠なき引き下げに翻弄される貧困家庭「心の叫び」
http://diamond.jp/articles/-/148905
2017.11.10 みわよしこ:フリーランス・ライター ダイヤモンド・オンライン
生活保護費の引き下げは
なぜ許されるのか?
いま生活保護制度は、1950年の制度創設以来、最大の危機に直面しているのかもしれない。
政治的な事情により、「必要即応」「無差別平等」という生活保護制度の原則が徹底されなくなったのは、1954年(昭和29年)のことだった。戦後の混乱期、生活保護を必要とする人々の急増により、生活保護費は増大する一方だった。大蔵省(当時)はこのことを問題視し、厚生省(当時)は抵抗した。
4年間にわたったバトルは、結局、厚生省が生活保護の「適正化」を受け入れることで決着した。ここで言う「適正化」とは、生活保護の申請を抑制すること、すでに生活保護で暮らしている人々を対象外とすることだった。この「適正化」路線は、程度の強弱や内容の違いはあるものの、現在まで続いている。
2000年代の「適正化」の特徴は、人数・世帯数の増加を抑制することに加えて、個々の世帯に給付される生活保護費の金額を縮小させ始めたことだ。生活費に関しては、世帯類型ごとの特徴に対する「加算」が最初の削減ターゲットとなった。
まず、高齢世帯に対する「老齢加算」が廃止され(2004年度より、2007年度に完全廃止)、ついで、子どもがいるけれども両親の片方または両方がいない世帯に対する「母子加算」(2005年〜2008年、2009年度に完全廃止)が廃止された。このうち母子加算は、2009年12月、民主党政権下で復活した。
民主党政権から自民党政権への政権交代を経た2013年以後は、生活費(生活扶助)本体の削減(2013年〜2015年、平均6.5%)、冬季の暖房費補助(冬季加算)の削減(2015年より)、住宅費(住宅扶助)の上限額削減(2015年より)と、大きな影響をもたらす引き下げが相次いでいる。
この他、多人数世帯に対する「スケールメリット」を反映した「逓減率」も見直された。私から見ればスケールメリットの過剰見積もりとなっており、多人数世帯に大きな打撃を与えている。心が痛むのは、これらの引き下げから最も大きな影響を受けているのは、複数の子どもがいる生活保護世帯であることだ。
他人から金品を奪えば窃盗だし、家庭の収入を家族に使わせないことは「経済的暴力」ともなり得る。しかし、生活保護基準を引き下げることによって、政権はどのような処罰も受けない。「根拠」と言える根拠も、影響に関する十分な見積もりもなく、「引き下げたいから、引き下げる」で済んでしまうのだ。
憂慮の絶えない日々が続く本年11月3日、毎日新聞によるショッキングな報道が行われた(毎日新聞記事より)。同記事によれば、消費実態に比べて生活保護基準が高すぎると見られる大阪市などで、生活保護基準が来年度から引き下げられる可能性があるということだ。「生活保護で地方は不利」という声は以前から存在したのだが、「だったら都市部を引き下げればいい、大阪市なら市長は反対しないだろう」ということなのだろうか。
長年にわたって生活保護の現場で働いてきた社会福祉士の田川英信さんは、この生活保護費の「地域格差」問題に関する突然の報道に、驚きを隠せない。
「厚労省は今年8月、『全国生活と健康を守る会連合会』との公的な懇談で、『検討課題としていたけれども、検討が間に合わないため、来年度は実施しない』と発言していました。なのに、このような報道があって驚いています。現在開かれている社会保障審議会のいずれの部会でも、何の検討もされていません」
私にとっても「寝耳に水」だ。
イマドキの生活コストは
物価だけでは測れない
生活保護基準は、制度発足時から地域によって「格差」が設定されていた。生活保護制度には、どのような条件下においても「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する必要がある。生活コストの高い地域では、生活保護基準も高くなるのが必然だ。ちなみに、国民年金の給付額が全国一律なのは、年金が基本的に「支払った保険料のリターン」であり、最低生活保障機能を持っていないからだ。
戦後、昭和20年代、30年代であれば、生活コストを見積もることは、現在ほど困難ではなかったかもしれない。それほど大きくない市、あるいは小さな町村の中で、その地域の低所得層の人々が日常の買い物をしている商店・商店街などで物品の価格を調べれば済むことだった。人々の多くは、地方でも車を保有しておらず、安売りを求めて遠方のショッピングモールに車を走らせることはなかった。
昭和20年代は食糧などの「ヤミ価格」を考慮するという困難な課題があったものの、当時の消費者物価指数はヤミ価格も考慮して計算されていた。もちろん、生活保護基準も同様の考え方で計算されていた。「正規価格の食糧なら買える保護基準」は、ヤミ食糧しかない場面では餓死者を生み出してしまうからだ。
日本が終戦直後の混乱期を脱却すると、ヤミ食糧の必要性は薄れていった。いずれにしても昭和30年代、40年代までは、「その地域で売られている物品の価格」で、生活保護基準が問題なく見積もれたものと思われる。
「車社会化」で生活保護基準
の見積もりが困難になった
この状況を激変させたのは、日本の「車社会化」だ。生活保護制度が発足した1950年(昭和25年)、日本の乗用車の台数は、自家用・業務用を含めて約6万4000台だった。1960年(昭和35年)には約51万台と急増しているが、それでも多くの家庭にとって「自家用車」は縁遠いものだった。しかしこの時期も乗用車の台数は増加を続け、1970年(昭和45年)には約900万台、1974年(昭和49年)には約1600万台となっている(データはリンク先の図1-6のExcelファイルによる)。
ちなみに、2017年7月のデータの車種別(詳細)保有台数表によれば、日本で保有されている乗用車は約6100万台、そのほとんどが自家用だ。大人1人につき1台の自動車が必要な地域では、自動車の保有率は100%を超えている。
しかしながら現在、生活保護で暮らすことは、車を断念することとほとんど同じだ。生活保護のもとでは、ごくわずかな例外を除き、自動車の保有や運転は禁止されているからだ。交通が不便な地域では、このことが就労の機会まで奪う可能性も指摘されているが、政府が見直す気配はない。
いずれにしても、交通が不便な地域で生活保護で暮らす人々は、しばしば徒歩または自転車で行ける範囲で、割高な買い物をせざるを得なくなる。大手スーパーやコンビニで販売されている商品の価格は、多くの場合は全国統一となっており、地域によって割高だったり割安だったりするわけではない。バスに乗って買い物に行こうにも、地方ではバスが1日あたり1往復・2往復になったり、あるいはバス路線そのものが消滅してしまったりしている。
「言い値」で購入するしかない購買者の事情、そもそも商売の成り立ちにくい過疎地で辛うじてビジネスを維持している販売者の事情の双方から、交通が不便な地域の物価は高くなりがちだ。
現在の生活保護制度では、全国の自治体を生活コストによって3つの「級地」に区分、さらに各級を2区分、合わせて6ランクに区分している。もちろん、生活コストに合わせて、生活費にも差がつけられている。
しかし現在の区分見直しは、まだ「限界集落」という用語が一般的でなく、現在に比べればバスも鉄道も多数の路線があった1987年に行われたものだ。最低となる「3級地の1」「3級地の2」で生活が厳しくなり過ぎているという声は、以前から挙げられていた。しかし、現政権は地方の生活保護費を引き上げるつもりはなく、都市部を引き下げる方針のようである。
もう1つ、考慮しなくてはならない背景がある。「平成の大合併」だ。
「平成の大合併」での
保護基準統合をめぐる混乱
現在の生活保護の級地が定められた1987年、日本には3253の市町村があった。しかし「平成の大合併」が一段落した2010年度末、市町村数は1727まで減少した(出典)。
市町村合併の際、生活保護での級地区分の異なる市町村が合併される場合には、級地は上位に合わせられた。2005年、京都府京北町が京都市と合併した際には、保護基準が高い方から5番目だった京北町は、最も高い京都市に合わせられた。
また、2010 年に長崎県江迎町・鹿町町(いずれも高い方から6番目=最下位)が佐世保市と合併したときには、合併先の佐世保市(高い方から4番目)に合わせられた(経済諮問会議資料による)。
現在問題にされているのは、1987年に存在した自治体のうち約20%で、このような「繰り上がり」が起こった(厚労省資料の11ページ)ことである。しかし、もしも逆だったら、つまり「保護基準を低い側に合わせる」こととなっていたら、合併した新自治体にもたらされる生活保護費は減る。また住民は、合併のせいで「自分の保護費が減った」「生活保護のお客さんの買い物が減って売り上げ減少」ということになる。住民が合併のせいで「自分の保護費が減った」「生活保護のお客さんの買い物が減った」ということになる。そういうことなら、誰も合併に賛成しなかっただろう。
むろん、「平成の大合併」で合併した市町村の約80%では、生活保護の級地の「繰り上がり」は起こっていない。たとえば、2005年に3町の合併で生まれた大分県由布市は、合併前も合併後も、最下位「3級地の2」のままだ。しかし大合併は、役所と出先機関の減少や小中学校の減少など、生活にとって好ましくない影響ももたらす。大合併で削減されたコストの多くが、実のところは住民に付け替えられているのだとすれば、生活保護の級地が変わらなかった自治体でも、有形無形の生活コストが高くなっているはずだ。
いずれにしても、市町村合併と生活保護基準の関係を、簡単に検討したり決定したりできるわけがない。社保審・生活保護基準部会で、この問題が論点として持ち出されたのは2016年10月であり、現在まで若干の検討は行われているが、重大な決定の根拠と言えるほどの検討がされているわけではない。
他の誰かの生活を「ゼイタクだ」「充分に貧乏ではない」と断定するのは容易だが、一般的に、生活コストの見積もりは困難な課題だ。まして、地域ごとに異なる数々の経緯や要因を考慮して、最低限度だけれど「健康で文化的」な生活費を見積もることは、それ自体が極めてチャレンジングな研究課題となり得る。
だから、専門家委員会である社保審・生活保護基準部会は慎重なのだ。もちろん「大阪市は引き下げる」といった具体的な話は全く出ていない。にもかかわらず、リークなのかスクープなのか、毎日新聞は「大阪市などは引き下げ方針」と報道した。私は「寝耳にミミズ!」「そんなのアリかよ!?」と絶叫したい。
専門家は「お飾り」なのか?
徹底的な無視の連続
生活保護基準を決定するための専門家・有識者による審議会は、制度発足当初から必要性が認識されていた。当時、厚生省保護課長だった小山進次郎氏は、「国民の声を保護基準に反映する審議会を」という声もある中で、国会で「保護の基準はあくまで合理的な基礎資料によって算定」されるべき、「決定に当たり政治的色彩の混入することは厳に避け」られるべき、「合理的な基礎資料は社会保障制度審議会の最低生活水準に関する調査研究の完了によって得られるべき」と説明した(小山進次郎『生活保護法の解釈と運用』より。太字は筆者による)。
これが、現在の審議会方式の始まりだった。人間が基本的な暮らしを営むにあたって必要なコストを計算することが実は研究上の大変な難問であること、人間の生命・生存・生活を直接左右する保護基準だからこそ誰もが納得するデータとプロセスから導かれなくてはならないこと、政治的な思惑や感情による「上げろ」「下げろ」に対応すべきではないことを1950年に述べた小山氏が日本の現状を見たら、いったいどう感じるだろうか。
▲上へ ★阿修羅♪ > 経世済民124掲示板 次へ 前へ
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 経世済民124掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。