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「住宅はもはや生活するための手段に過ぎない」と牧野氏
「買ったほうがトク」持ち家派に欠けるバランスシートの概念
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171104-00000004-pseven-bus_all
NEWS ポストセブン 11/4(土) 7:00配信
都会を中心にクルマを買う人が減っているという。クルマは1970年代、一般庶民が所有したい新三種の神器と呼ばれる3C(「クルマ」「カラーテレビ」「クーラー」)に堂々とランクインしていた。当時のクルマは一家の財産であった。クルマを持つことは、生活に余裕のある証左でもあり、一種のステータスがあったともいえよう。
ところがクルマは三種の神器を卒業して、どの世帯でも所有できるようになると、むしろ生活の足として、地方を含めた全国で売られるようになる。日本独特の税制も影響して軽乗用車という日本独自規格のクルマが登場するに至って、家族に一台から各家庭の大人に一台の時代になった。
その一方で、クルマは急速にコモディティ化し、これを財産と考える人は一部の高級車を求める人を除いて日本ではいなくなった。もともと東京などの大都市では鉄道網が縦横無尽に張り巡らされ、通勤通学などにクルマを利用するという発想は希薄だった。
それでも住宅が郊外に郊外にと延びていった時代は、クルマは生活の足として珍重されたが、都心居住が進展すると、都心ではクルマを使わなくても豊かで便利な生活を送ることができることからクルマに対するニーズは急速に失われていったのだ。
また、クルマを所有することの非経済性が着目され、カーシェアリングのように、単なる移動の手段として「必要なときにのみ利用する」という考えも急速に広まってきている。利用料さえ払えば、別に家に鎮座している必要はない、という発想だ。
さて、一般市民にとってクルマ以上に常に憧れであったマイホームはどうであろうか。
先日、朝のラジオ番組のリスナーからの相談コーナーで「いま、家を買おうかと迷っているのだけれどどうしたらよいのか」という質問に視聴者がアドバイスする内容が聞こえてきた。
やはりというか、いまだに、というかアドバイスで多いのが「家賃を払っても自分のものにならないのだったら、買っちゃったほうがトクだよ」というアドバイスだった。実はこの「トク」という表現に日本人の脳みそに短期間で植え付けられたDNAのようなものを感じざるを得ない。
持ち家を推奨する理屈には上記を含めて次のような観点がある。
(1)家賃がもったいない
(2)今はローンが低金利で税金も有利
(3)ローンは共働きで返済できる
(4)いざとなれば「貸す」、「売る」ことができる
(5)高齢になると貸してくれない
現在、住宅ローンは「フラット35」を利用すれば期間で35年もの長期のローンを組むことができる。また、返済年齢も最長で80歳までに設定できる。金利は史上稀にみる低金利状態。住宅ローン減税を含めるとなんだか「買ったらトク」と思わせる内容だ。
また、住宅を持てば、自分の財産になる。それもその通りだ。そしていざとなれば「売ればよい」「貸せばよい」。そして老後も住宅難民とならずに安心というわけだ。
いずれももっともらしい理由なのだが、これらの理屈に欠けているのが、「時間軸」と「バランスシート」の概念である。住宅を買うのはもちろん「いま」である。つまり「いま」という時代がこの先どう変化していくかを考える必要がある。これが時間軸だ。
クルマも時代の流れとともにその存在意義や価値観が変化していった。クルマであれば価格も住宅よりは安く、5年からせいぜい10年程度の所有物であるからよいが、住宅はそういうわけにはいかない。
東京五輪が終わる2020年以降を見通すならば、住宅を取り巻くマーケット環境はかなり変化することが予想される。つまり、現在首都圏郊外部などに大量に居住している団塊世代全員が後期高齢者となり、相続が大量に発生してくることが予想される。
これを相続する団塊ジュニア以下の世代は、夫婦共働きがあたりまえになり、親が住んでいた郊外から会社に通勤するのはまっぴらごめん。相続した家は空き家として放置するか、賃貸に拠出する、あるいは売却するという選択となるだろう。
しかし、首都圏では2020年には人口は減少をはじめ、東京都ですら2025年には人口がピークアウトするといわれている。住宅需要は減少の一途といってよいだろう。
加えて、2023年には大都市近郊の都市農家に税制上の優遇を与えていた生産緑地制度の期限到来が控えている。この制度は1992年に営農30年を条件に生産緑地を選択すれば、都市農地の固定資産税を農地並みに扱うとしたものだ。その期限がやってくるというわけだ。
政府はさらに10年の延長制度を設け、また土地の賃貸ができるように法改正を検討しているが、農業の担い手は1992年当時とは異なり高齢化が著しい。実際は後継者難や相続の発生で、宅地化されてマーケットに供給される土地は少なくないものと見込まれる。
こうした時間軸で眺めるのならば、東京五輪前で建築費が高騰しているマンションなどの住宅をただ「家賃を払うよりもトク」という単純な理屈だけで買うのは得策ではないだろう。
また、こうした供給圧力は、将来困ったときには「貸せばいいじゃん」「売ればいいじゃん」という対策がずいぶん楽観的な方法であることに、ジュニアたちの多くが相続した親の家の処分に至っておおいに気づかされることになるだろう。
もうひとつがバランスシートの概念だ。住宅を買う多くの人にはこのバランスシートというものに対する理解がない。
家を買った世帯のバランスシートの「資産」=左側の項目には「家屋」として買った住宅の簿価が載る。バランスというだけあってこのシートの反対側、つまり右側には、「負債」という項目が計上される。ここにこの家を買うために借りた住宅ローン=負債が記載されるのだ。
さてこの負債、どんなに金利が安かろうが税金の優遇があろうが、借金を返済するまでこのバランスシートに計上されることとなる。
借金を返す傍らバランスシート上では何が起こるかといえば、負債が減る以上のスピードで資産は減価償却が始まり資産の価値は年々下落していくことになるのだ。借金は減らずとも会計上の資産はどんどん減るという構図なのだ。
もちろん、資産価格が昔のようにどんどん上昇していくのなら問題はないが、これまでみてきたとおり、今までのようにはうまくいかないことはすでに十分見通せるはずだ。バランスシートにも20年、30年後といった時間軸の概念が必要なのだ。
そんな心配に悩むよりも、賃貸という「住むためのコスト」として毎年の損益計算書に費用を計上し、定年時に夫婦がこの先住むのに十分な住宅を、おそらく「いま」よりもかなり下がった価格で購入すれば、家の問題は解決するのではないか。
よしんば買わなくとも、人口減少と高齢化の進展で、貸家はマーケットに溢れかえり、どんな高齢者であろうが「貸したほうがまし」と多くの大家が思う時代になっているかもしれない。
住宅はもはや生活するための手段にすぎない、クルマと同じ運命をたどることになりそうなのだ。そう気づく日は実はそう遠くない、東京五輪という宴が終わる頃なのかもしれない。
■文/牧野知弘(オラガ総研代表取締役)
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