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都市部で見かけるスリーター
物流革新に勝ち続けた「クロネコヤマトの宅急便」強さの秘密
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170923-00010013-dime-bus_all
@DIME 9/23(土) 18:10配信
1976年。今や街中でその姿を見ない日はないほど、日本全国に浸透したサービスが産声を上げた。ヤマト運輸が提供する『宅急便』である。その40年史にはヒットのヒントが満載だ。
1948年入社、71年にヤマト運輸2代目社長に就任。『クロネコヤマトの宅急便』の生みの親。95年に経営から身を引く。元ヤマト福祉財団理事長。2005年逝去。
◆大雪も「人災!」と一喝。「サービスが先、利益は後」というヤマトのDNA
◎LINEを使って集荷・再配達に対応
2016年1月にまたひとつ、『宅急便』の新たに便利なサービスが始まった。「ヤマト運輸LINE公式アカウント」の開設だ。クロネコメンバーズ向けのサービスで、公式アカウントのトーク画面に「お届け予定メッセージ」と「ご不在連絡メッセージ」を配信してくれる。さらには、荷物の問い合わせ、集荷・再配達の依頼などをLINEから行なうことができる。消費者側の利便性に一歩踏み込んだ、新しいサービスと言えよう。
それだけではない。ヤマト運輸は、昨年1年間だけで、小さな荷物を対象とした投函サービス「ネコポス」、小さな荷物をお得に送ることができる「宅急便コンパクト」、クロネコメール便に替わる「クロネコDM便」と、次々と新サービスをスタートさせた。
荷物の取り扱いは、昨年1年間で約16億2200万個。他社の追随を許さないポジションにあるにもかかわらず、次々と新サービスを投入するのはなぜか。
「お客様のための宅急便という変わらない目的のために、私たちは変化を厭(いと)いません」
そう語るのは、営業を取り仕切る北村稔常務執行役員だ。
「お客様のニーズが変化しているのなら、現場でお客様と相対している私たちも、変化していかなければならないと思います」
しかもこうした「変化」は、現場のセールスドライバー(SD)からの意見で採用されることが多いという。「トップダウンではなく、ボトムアップで成長してきた」(北村氏)のが『クロネコヤマトの宅急便』なのだ。
こうした現場から変革していくスタンスを、北村氏は「ヤマトのDNA」と胸を張る。いったい、「ヤマトのDNA」とは何なのか。その秘密は『宅急便』の成り立ちの中にあった。
◎宅急便のアイデアに取締役は全員反対
宅配便は今でこそ私たちの生活に欠かせないものになっているが、『クロネコヤマトの宅急便』が76年に登場するまでは、C to C(C=コンシューマー、個人消費者同士の取引)は、ビジネスにならないと考えられていた。あくまで運送業は、B to B(B=ビジネス、企業間取引)が基本だった。
しかし既にB to B市場は、頭打ち。何とか打開できないものか。当時の小倉昌男社長は、ニューヨークで見たUPS(米国の運送会社)の集配車と、吉野家が牛丼という単品に絞ったサービスを提供しているのを見て、「個人宅配市場にターゲットを絞る」ことを思いつく。
だが前例のないアイデアに、取締役は全員猛反対。小倉社長はそれにめげず、サービス開発を続行。新事業のコンセプト(宅急便開発要綱)をまとめる。
(1)不特定多数の荷主または貨物を対象とする
(2)需要者の立場になってものを考える
(3)他より優れ、かつ均一的なサービスを保つ
(4)永続的・発展的システムとして捉える
(5)徹底した合理化を図る
これは今に続く考え方である。
◎スキー宅急便のピンチに小倉社長が下した決断
だがサービス初日の1月20日。フタを開けてみると、取扱個数はたった11個だった。北村氏が振り返る。
「私が入社した当時、小倉社長は健在でした。社長の口癖は、『サービスが先、利益は後』というもの。サービスが良ければ、利益はあとからついてくる、と考えていたのです」
北村氏が入社した83年、長野県の社員のアイデアで、「スキー宅急便」が始まる。ところが翌年の暮れ、大きなトラブルに見舞われる。関越自動車が大雪で通行止めとなり、スキー配達が滞ってしまったのだ。
「私はこの時、現場に配属されていました。この時の小倉社長の指示は、今でも忘れられません。天災だと諦める私たちに向かって、対策を怠った君たちが悪いと言い放ち、『雪国で雪が降るのは当たり前。これは人災だ!』と一喝したのです」
小倉社長は、交通費、スキー用具などすべて弁償するように指示した。「費用はいくらかかっても構わない」と社員の背中を押した。需要者の立場になってものを考える、というコンセプトを億単位のお金をかけて実践したのである。
◎官僚が間違っていれば臆せずして戦う
『クロネコヤマトの宅急便』はその後、右肩上がりで成長していく。宅急便スタートの8年後の1984年には取扱個数が1億個、93年には取扱個数が5億個を突破した。
だがその一方で、成長の前に立ちふさがったのは、国による規制という壁である。当時は利用する道路ごとに「路線免許」が必要だった。路線バスと同じ扱いである。ところが、この路線免許を運輸省(現・国土交通省)に申請しても、地元の運送業者の反対で、許可が下りない。免許によっては、何年も審査が遅れていた。
「宅急便は『他より優れ、かつ均一的なサービスを保つ』ことを目指していましたが、それが行政によって思うようにならない。この当時は、官僚との戦いでした。時には粘り強く説得し、時にはメディアに情報を発信し、世論に訴えかけました。運輸大臣を相手取り、訴訟を起こしたこともあります。相手が間違っていると思ったら、それが政府であっても戦う。それがヤマト運輸の姿勢です」(北村氏)
結局、ヤマト運輸の全国ネットワークが完成したのは、サービス開始から20年以上経った97年のことだった。
ヤマト運輸の成長を支えている秘密は何なのか。
「小倉さんは、背が高い人でしてね。支社長など役員には厳しい人でしたが、私たち社員にはやさしい方でした。小倉さんのロジックは大変わかりやすく、例えば『安全第一、営業第二』ということをよく口にしていました。もうひとつは『全員経営』です」(北村氏)
全員経営――これはヤマト運輸を特徴づけるキーワードだ。実は、社訓にもそれを象徴する言葉がある。
〈ヤマトは我なり〉
「自分自身がヤマト運輸の代表である、との意識を持て」という意味だ。
この精神はドライバーの名称にも表われている。ヤマト運輸のドライバーは、あえて「セールスドライバー」(SD)と呼ばれているのだ。ただの運転手ではなく、セールスをするドライバーである。
「現在、6万人のSDがおりますが、彼らは日々、直接お客様と対面しています。つまりニーズを一番わかっているんですね。ゴルフ宅急便など、現場の声から商品化されたものが多いのもヤマトの特徴ですが、これはSDひとりひとりが、ヤマトを代表しているという気持ちで、仕事に向き合っているからだと思っています」(北村氏)
例えば最近では、「高齢者の見守り支援」や、「高齢者世帯向けリコール製品回収の取り組み」という新しいサービスが始まっている。これも現場発だ。
ヤマト運輸の強みは「お客様に直接届けるネットワークを持っていること」だと北村氏は言う。ならば、そのネットワークを生かして、サービスを重層化できないか。そういった発想から生まれたのが、「見守り支援」や「リコール製品回収」というわけだ。地域に根ざしているSDが、高齢者に声をかける。あるいは、リコール品の情報を自宅に届ける。人と人とのつながりが、新たなビジネスへと昇華しているのだ。
◎成果一辺倒でなく「人柄」で社員を評価
しかし、SDによる手厚いサービスは、ビジネスの効率化と逆行するはずだ。
「私はそれでいい、と考えています。効率を第一に考えると、需要者が置き去りになってしまいがちです。あくまで『サービスが先、利益は後』なのです」
ヤマト運輸は、社員評価でも実績や成果だけで評価しない。社員同士が評価し合う「満足BANK」などの制度を利用して、特に「人柄」を評価するようにしているのだ。
なぜならば「人材」こそ、ヤマト運輸の宝であり、財産であると考えているからだ。ゆえに、社員教育や社員評価にも、じっくりと時間をかける。正社員の割合も多く、従業員約16万人は日本でもトップクラスだ。
「お客様へのサービスを第一に考える姿勢、全員経営というスタンスは、これからも変わりません。これは私たちに刻まれたヤマトのDNAです。一方で、ニーズは刻一刻と変化しています。東南アジアで国際クール宅急便を始めたのも、ニーズ対応のひとつです」(北村氏)
荷物の配達方法や受け取り方の選択肢を広げるため、他社も巻き込んだ取り組みも検討しているという。今年1月に40周年を迎えた『宅急便』の進化は、これからも続いていくに違いない。
●社員のやる気を引き出す「満足BANK」の仕組み
「満足BANK」とは「お客様、社会、仲間に喜んでもらえるために何ができるか」を各自で考えるために始められた「満足創造運動」。(1)お客様からのお褒め、(2)仲間からの評価、(3)目標に対する自己評価、をポイント化し「満足BANK」に貯めていく。ポイント数に応じて、銅→銀→金→ダイヤモンドのバッジがもらえる。
1983年入社。福井主管支店長を皮切りに、長野主管支店長、構造改革部生産性推進課長、埼京主管支店長、執行役員北信越支社長などを歴任。2015年4月より常務執行役員。
《宅急便40年の主な出来事》
[1976年]「宅急便」発売
1976年1月20日、宅急便がスタート。当初はYPS(ヤマト・パーセル・サービス)という名前が有力だった。
[1979年]宅急便取扱個数約1000万個突破
[1983年]「スキー宅急便」発売・世論の後押しを受け「Pサイズ」発売
[1984年]「ゴルフ宅急便」発売・宅急便取扱個数約1億個突破
[1986年]「コレクトサービス」開始
[1987年]「クール宅急便」発売
[1989年]「空港宅急便」発売
[1992年]「宅急便タイムサービス」発売
[1993年]宅急便取扱個数約5億個突破
[1996年]365日営業開始
[1997年]「クロネコメール便」発売・宅急便の全国ネットワーク完成
[1998年]「時間帯お届けサービス」開始・「往復宅急便」発売
[2002年]「SDダイレクト通信」開始
[2004年]宅急便取扱個数約10億個突破・「超速宅急便」発売
[2005年]「宅急便e-お知らせシリーズ」開始
[2006年]「店頭受け取りサービス」開始・「国際宅急便」発売
[2007年]個人会員制サービス「クロネコメンバーズ」開始
[2010年]シンガポール、上海で宅急便事業開始
[2011年]香港、マレーシアで宅急便事業開始・東日本大震災への支援が話題に
[2014年]宅急便取扱個数約15億個突破・割引サービス「クロネコメンバー割」開始
[2015年]「宅急便コンパクト」「ネコポス」「クロネコDM便」発売・「クロネコメール便」廃止
〈時代のニーズに応じて『宅急便』の配送方法は「変化」してきた!〉
当初はバンで集配していたが、「腰をかがめずにすむ天井の高いクルマがほしい」という現場の声が大きくなった。九州支社は独自にベニヤ板の試作車を作製。これを基本に1981年ウオークスルー車が完成した。
「セールスドライバーの数だけ運び方がある」がヤマト運輸の考え方。地域特性をふまえ、スリーターや台車も登場する。こうした配達方法の開発によって、女性の活躍の場も増えている。
〔話題追跡〕未来の「宅配サービス」はどう変わる!?
ドローンに自動運転車、さらにはテレポーテーションまで!? 研究が進む「噂」の配送方法の現状を紹介する。
【Q】「ドローン配送」は実現するの? 配達方法はどこまで進化する?
(A)ドローンはまもなく登場? 無人宅配車も
政府は昨年12月千葉市を国家戦略特区とし、ドローンでの宅配を許可すると発表した。3年以内の事業化を目指しており、実現すれば世界初となる可能性も。自動運転車と配車アプリを組み合わせた「無人宅配車」構想も進められている。
【Q】受取時間や方法はもっともっと便利になるの?
(A)より細かな時間、場所指定、さらに……
メールでより細かく時間指定をしたり、ロッカーやコンビニを活用したりすることで、希望時間に希望場所での受け取りがどんどん可能に。海外ではデータをメールで送り、受け取り側が3Dプリントする「テレポーテーション配送」の研究も。
文/編集部
※記事内のデータ等については取材時のものです。
@DIME編集部
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