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増加する「息子介護」〜妻が何とかしてくれると思っていたら…
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52676
2017.09.13 平山 亮 東京都健康長寿医療センター研究員 現代ビジネス
■介護する息子は増え続けている
家族は社会の関数である。
家族のあいだに何が起こるか、家族のなかで何ができるかは、人口や経済を含めた社会の大きな流れの影響をもろに受けている。
高齢の親を誰が・どう看るか、という「親の介護」問題も、社会の変化を受けて様変わりしてきた。その変化の一つが、親を介護する男性=息子介護者の増加だ。
厚生労働省の『国民生活基礎調査』(2013年)によると、同居の「家族」から主に介護を受けている高齢者のうち、その「家族」が息子であるケースは16.3%。一方、娘や義理の娘から主に介護を受けている高齢者は、それぞれ19.1%、17.8%である。子世代が介護しているケースのなかで、息子介護者はもはや少数とはいえない。
ちなみに、この数字は同居介護に限った割合だが、日本では、主たる介護者が同居しているケースがいまだに過半数(6割以上)を占めている(内閣府『平成28年版高齢社会白書』)。
■息子が介護するのは独り身だから?
こうした息子介護者の増加を、シングル男性の増加と結び付けたがる向きがある。息子の妻による介護が「ふつう」だったこれまでを念頭に、「息子介護者が増えたのは、妻に親の介護をしてもらえない独身男性が増えたからだ」という説だ。
だが、この説は、必ずしもデータによって支持されているわけではない。
例えば、全国国民健康保険診療施設協議会が2012年に行った調査(『家族介護者の実態と支援方策に関する調査研究事業』)は、介護する家族の婚姻状況を調べている。それによると男性の「老親介護者」の50%は、有配偶者である。
対してシングルの方はというと、一度も結婚したことがない男性だけでなく、離別シングルや死別シングルもあわせて、ようやく有配偶者の割合に拮抗する。「息子介護者が増えたのは、独身男性が増えたから」というには、既婚者の割合が「多すぎる」ことに気が付くだろう。
息子介護者が増えた背景には、「シングル男性の増加」説とは真逆の現実がある、と考えたほうがよい。つまり、結婚していようといまいと、自分で自分の親を看る男性が増えたからこそ、息子介護者はここまで――娘や義理の娘の割合に「引けを取らない」程度まで――増えた、ということだ。
そもそもシングル男性が増えたといっても、男性の生涯未婚率(50歳までのあいだに一度も結婚したことのない人の割合)は23.4%(国立社会保障・人口問題研究所による2015年国勢調査データの分析より)。シングルは少数派のままだ。だとすれば、息子介護者の増加要因としては、シングル男性は「少なすぎる」とはいえないか。
■「結局は妻が何とかしてくれる」は変わらない
では、息子介護者が増えたのは、男性の意識の変化によるものなのだろうか。
かつては妻に「任せる」のが「ふつう」だった親の介護を、既婚の男性も自分でするようになったのだとしたら、これは「自分の親は自分で看る」という意識が男性に浸透した結果なのでは、と思う人もいるかもしれない。
だが、データが示すのは、「必ずしもそうともいえない」という事実だ。
社会学者の中西泰子氏は『若者の介護意識:親子関係とジェンダー不均衡』(勁草書房)のなかで、男性は妻に「手伝って」もらうことを前提に親の介護を考えているのでは、と指摘している。
というのも、統計解析の結果、妻に専業主婦であることを期待する男性ほど、「親の介護をするつもりがある」と答える確率が高くなる、ということがわかったからだ。
中西氏の指摘は、私自身の調査の結果とも符合する。
私は2010年から息子介護者のインタビュー調査を続けているが、独身の息子介護者が「まさか自分が介護することになるなんて思わなかった」と漏らすのを聞くのは、めずらしくない。彼らには、既婚の男きょうだいがいる。だから、親の世話は「嫁」がいる兄弟のところに回るものだと思っていた、と彼らは口を揃える。
ちなみに、中西氏のデータは20代が中心、わたしの調査は40代・50代が中心である。対象者の世代の違いにもかかわらず、「結局は妻が何とかしてくれるはず」という男たちの暗黙の期待にそれほど違いはない。だとすれば、親の介護に関する男性の意識がそれほど変わったと言えるのかどうか……疑問である。
■親が倒れて初めてわかる「誤算」
「結局は妻が何とかしてくれるはず」という期待があるからこそ、自分ひとりで親を看ることになった既婚の息子介護者から、「正直、こうなるとは思ってもみなかった」という本音を聞くことは少なくない。
もちろん彼らは、親の介護の何もかもを、妻にやってもらうつもりでいたわけでは必ずしもない。だが、それでも妻は何かしら「関わって」くれるだろう、と心のどこかで思っていたのである。
この期待は、自分たち夫婦と親の距離が近いほど、強くなる。
親の住まいが近所にあるほど、妻が「関わって」くれることに疑いをもたなくなっていくし、まして同じ建物、同じ敷地に住んでいるのであれば、自分の親を看ることに妻は同意している、と確信してしまう。
だからこそ、「見当違い」で自分で何もかもすることになった息子のなかには、釈然としないものを抱えたまま介護を続けている者も少なくない。
付け加えておくと、彼らのほとんど全員が、事前に妻の意向を確認したり、親の介護について話し合ったりしたことがなかったそうだ。
つまり、彼らは妻本人に尋ねることも頼むこともないまま、妻はきっと何かしら「関わって」くれる、とどこかで思い続けてきたのである。
自分の思惑と妻の意向はズレていたのだ、という事実に彼らが直面したのは、親が実際に介護を要するようになってからだった。
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