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「名古屋のカネ持ち」は、結局どれくらい金持ちなのか 好景気の街で広がり続ける「格差」(週刊現代)
http://www.asyura2.com/17/hasan123/msg/466.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 9 月 02 日 18:02:25: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 


「名古屋のカネ持ち」は、結局どれくらい金持ちなのか 好景気の街で広がり続ける「格差」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52691
2017.09.02 週刊現代  :現代ビジネス


ド派手、ブランド好き、見栄っ張り。名古屋人気質はこう評される。たしかに今回登場する資産家も、自家用ヘリやフェラーリ、宝石が好きな人たち。だがその背景には、深遠な金銭哲学がある。

■名古屋財界は「ムラ社会」

8月某日、名古屋市内の高層ビルから1機の新型ヘリコプターが飛び立った。操縦桿を握るのは、スポーツ用品店「アルペン」創業者の水野泰三会長(68歳)だ。

同乗したのは――元フィギュアスケート世界女王の浅田真央。同じく元フィギュアスケート選手の村上佳菜子、小塚崇彦も加わる。アルペンの保有する「みずなみカントリー倶楽部」までは、約15分のフライトである。

浅田真央はこの日がゴルフの初ラウンド。この夏、水野会長と大相撲名古屋場所や愛知県体育館でのアイスショーの場でゴルフの話が持ち上がり、デビューとなった。

「真央ちゃんは初めてコースに出るんです。自社のゴルフ場ですから、人目を気にすることなく、楽しんでもらおうと思いまして。コース内はエアコン付きのカートで移動できるので、日焼けもあまりしませんしね。

プライベートなので、結果は非公表ですが、フィギュアスケートの選手はひねりが素晴らしいし、ジャンプしても軸をぶらさずに回転するから、どの選手もスイングの筋がいい。これは大発見でした」(水野会長)

昨年9月、社長から会長になり、社長を長男に譲って現役を退いた水野氏は、今後、愛知県や名古屋のアスリートたちと親交を深め、スポーツ界の活性化を陰で支えることに一役買うという。

水野会長が話す。

「社長を退きましたが、現在もほぼ毎日出勤して仕事をしています。以前より時間を取れるようになったのが、大きな変化です。空いた時間はスポーツをして、健康のために使ったり……そんな年齢になったなという感慨もあります」

水野会長の人生は挑戦の連続だった。'72年にスキー用品店を創業するも、間もなく泥棒に入られてしまう。資金繰りに窮して、残った在庫を安売りしたところ、これが大繁盛につながった。

後に米国視察で巨大店舗を空から視察し、高速道路のインターチェンジ近くに大型店を作れば人が来ると確信。一宮インターチェンジ近くに当時としては珍しい数百坪の大型店舗を作って成功させた。

他にも、いち早くプライベートブランドを立ち上げたり、シーズンオフの球場の駐車場を使って大セールを展開したりと、革新的な手法で事業を拡大してきた。



「創業時から自分の勘で動く『カンピュータ』を頼りに、斬新なアイデアを実現していきましたが、新社長になってからは『コンピュータ』を駆使して、通販などにも事業を広げていっています。

うちは典型的なオーナー企業ですが、今後は新社長のやりたいようにやってもらいたい。社員たちが萎縮しないよう、よく話を聞いてチームアルペンとしてやっていってほしいと伝えています。

資産ですか?持ち株は一族で61%ほど(時価総額は約564億円)。私個人で株の20%を保有しています」(水野会長)

愛知県といえば、トヨタ自動車のお膝元。名古屋の財界人の多くは、表向きはトヨタ車を愛用する。商売上、トヨタ自動車と何かしらの関係があり、他人の目を気にするからだ。名古屋財界は、周囲を気にする巨大な「ムラ社会」とも言える。

そんな街で、愛車フェラーリを駆って、国際レースにチャレンジする経営者がいる。屋外広告の制作を中心に、企業のビジュアルブランディングを手がける「アン・クリエーション」創業社長の本多秀朗氏(67歳)だ。

「フェラーリにはそれまでまったく興味がありませんでした。車はビジネスでお付き合いのある会社から購入していたので、国産車しか乗っていませんでした。

ところが3年前、試しに乗ってみたら、こんな素晴らしい車は他にないと思って、即購入したんです。フェラーリ・カリフォルニア。ただし、いかにもフェラーリという赤は目立ちすぎるから、渋いグレーを選びました。周囲の目を意識するのは、名古屋人だからかもしれません」(本多社長)

本多社長は生まれついての富豪ではない。むしろ叩き上げの人物だ。高校卒業後、石川島播磨重工業に入社。溶接の技能職として、技能オリンピックの予選に出場したこともある。

仕事は充実していたが、別の世界も見てみたいと退社し、22歳で屋外広告の会社に営業職で転職した。

「営業もこれからはデザインの知識が必要になると考え、夜学で2年間勉強しました。営業成績も上がりましたが、上司はデザインの重要性を理解してくれない。逆に余計なことをするなと叱られる。

しかし、取引先には喜ばれた。そこで、自分の考えを貫きたいと思って独立。26歳の時です。

事業自体は比較的順調で、10年後には自社ビルを購入しました。ただ、当時の悩みは人が定着しないこと。社員にも自分と同じものを求め、それができないと厳しく叱責したからです。

どんなに一生懸命育てても次々に辞めてしまう。このままでは自分一人になるかもしれないと思い詰めたこともありました」

■無駄遣いは嫌い

そんな時、本多社長が出会ったのが、故郷・岡崎にある菩提寺の住職の言葉だった。曰く――、

「自分を貫くことも大事だが、人にはそれぞれ個性がある。その人のいい部分を見ることだ」

本多社長が続ける。

「今振り返ると、当たり前の話なのですが、当時はとても新鮮に感じました。一人では何もできないし、自分の信念を通すためにも協力してくれる人間が必要だと気づいてから、社員も徐々に定着するようになりました。

仕事で大事にしているのは、『ハッピートライアングル』という考え方です。近江商人の『三方よし』の考え方に通じます。

売り手よし、買い手よし、世間よしと同じで、自社にプラスで、取引先が満足するのは当然として、我々が提供した屋外広告を目にする多くの人に、必要なメッセージを送ることを目指しています」

堅実な生き方をする一方、金のしゃちほこを見上げて生きる名古屋人は、ブランド好きでも知られる。だが、実業家は総じて質素だ――本多社長はそう指摘する。

その理由はこうだ。

「名古屋の財界は東京に比べると小さい。悪い噂はすぐに広まります。逆に真面目にやっていれば、狭い世界だからそれも広まり、応援してくれる人も現れる。

名古屋ではどんな大企業の経営者でも遊びに必要以上のおカネはかけません。名古屋の財界人も付き合いは大切にしますが、(東京にあるような派手なクラブではなく)静かにお話ができれば、それで十分だと考える。それが名古屋ではないでしょうか。

名古屋人はブランド好きとも言われるし、そうした面を否定しませんが、実は一生ものと言えるような、いい物を買いたがるだけなのです。ブランド品を数多く持ちたい欲求はあまりないのではないでしょうか。

ただ、そんな私もバブルの時は痛い目に遭いました。不動産投資もしたし、3億円で11ヵ所のゴルフ会員権を買ったこともあります。当時は売り上げが5億円程度。馬鹿なことをしたと思いますが、当時は投資をするのがある意味で国策でしたから、それに乗り遅れないようにと思ったんですね。

バブル崩壊後、銀行に自社ビルを売却しろと迫られましたが、なんとか踏ん張れたのは、会社の財務を見ている妻の頑張りがあったから。今でも頭が上がりません」



そんな妻だから、夫の趣味、カーレースにはいい顔をしなかった。世界中で年7戦行われるレースにかかる費用は、道楽の範囲で収まる金額ではない。しかも命がけだ。

「会社の年商はグループで約28億円。それなりの規模に育てた自負はありますが、自分の人生に100%満足している気がしない。そんな時、フェラーリ・チャレンジ・アジア・パシフィックというレースに出会ったんです。

ビジネスでも人生をかける場面はありましたが、命の危機に直面することはない。自分にしかできない、何か突き抜けることに挑戦したい。そこには今まで歩んできた人生とはまったく違うものがあるはず。格好をつけるようですが、それを見てみたかったんです」

名古屋人は見栄っ張りとも言われる。気前よく財産を使う資産家が多いのも、名古屋の特徴だ。ただし、その使い途は、ただの無駄遣いにならないよう目的を絞ったものであることが多い。

「ココイチ」の愛称で知られる「カレーハウスCoCo壱番屋」創業者、宗次徳二氏(68歳)もそんな資産家の一人だ。ただ、その規模には度肝を抜かれる。



'02年に宗次氏は会長業から引退し、'15年には資産管理会社が保有する同社の株式23%をハウス食品に売却した。単純計算で220億円超も資産を得たとされる。その宗次氏は「私個人の資産はすべて社会にお返しする」と明言する。

■なぜ派手好きなのか

実際に宗次氏は自身が理事長を務めるNPOを通じ、今年も愛知県の学校に1億円相当の楽器を贈呈した。貧困問題の解決に奔走する市民団体にも毎年7000万円程度の寄付を行う。

さらに学費に困る子供たちへ奨学金を提供。慈善活動のすべては宗次氏のポケットマネーで賄われ、その額は年間2億5000万円にも上る。宗次氏が言う。

「私は別に自分がリッチマンだと思っていませんし、贅沢をしたいとは思わない。でも、社会貢献活動におカネを使うと、人が喜んでくれるんです。その笑顔を見るのが好きでね。

ビジネスで成功したからといって、私が自分一人の力で富を築いたわけではありません。多くの人の手を借りて、また少なからず社会にご迷惑をおかけしてビジネスをやってきました。その結果、手元に有り余るおカネが残ったのなら、それは社会に返すのが当然だと思います。

世の中には、資産を築くために資本主義があって、競争があるから経済は発展したんだとか、勝者と敗者の選別が資本主義の本質だとか言う人がいます。そして、貧しい人を指差して、自己責任だと決めつける。

でも、ギリギリの生活をしている人を放っておくのは、無責任な話でしょう。ある程度、富を得た人は1割でも2割でも社会にお返しするのが道理です」

そういう宗次氏の金銭哲学は、自身が孤児院育ちという幼少期と無縁ではない。

「私は孤児院で物心がつき、今も実の両親のことは知りません。養父はギャンブル好きで、極貧の暮らしを送ってきました。とにかく生活はメチャクチャで、家具はリンゴ箱が一つだけ。家賃を払えないから、家は半年から1年で追い出される。学校には弁当も持っていけませんでした。

でも、私は自分が不幸だとは思わなかった。根がのん気だったんでしょうね。だから、カネ持ちになりたいとか、大きな仕事をしたいとか考えたこともないんです。ささやかなことでも人に喜んでもらいたいという気持ちだけ。それが壱番屋の事業にもつながったし、今の活動にもつながっているのかもしれません。

人のためにおカネを使うことは、自分が満ち足りることなんです。だから私は今、究極の贅沢をさせてもらっています」

一方、ド派手に着飾る名古屋の女社長もいる。高級住宅街、覚王山で高級飲食店群「よし川ビレッジ」を作り上げた「よし川グループ」代表の吉川幸枝氏(82歳)は「歩く100億円」と呼ばれる。

だが、それは他人に富を見せつけるためではない。吉川氏独自の哲学があってのこと。地に足の着いた幸せの延長線上に、派手好きがある。

「宝石って、女性にとって幸せの一つの象徴でしょう?そこに埋もれているということは、幸せに埋もれているということ。不幸を全部取り除けば幸せでしょう、という私なりの哲学に基づいた姿なんです。

ただ、私の真似をしようとする人が出てこないように、どうせなら見苦しいほどつける。嫌になるほどつける。『ようやるわ』と同情を受けるくらい。それが『グロの極み』よ(笑)。

一つひとつが結構重いし、ネックレスも肩が凝るし、決してお洒落ではないことはわかっています。だけどおかげさまで、『幸せ色』を醸し出せたのではないでしょうか」



■120歳までの人生設計

吉川氏もまた赤貧の生まれだ。13人兄弟の末っ子として生まれた彼女は、14歳の時に母親と二人でリアカーを引き、名古屋の地を踏んだ。

母親と一緒に住み込みの女中として働き、6畳一間で暮らした。そんな吉川氏の実業家としての道のりは21歳の時、不動産業者としてスタートする。

「今でこそ普通に使われている『マンション』という言葉は、実は私が日本で初めて建物名として使った、いわゆる名付け親なんです。昭和38('63)年のことでした。

私は母親のために『豪邸』を建ててあげたかった。それで米国で豪邸は何と言うのかと字引を引いたら『マンション』とあった。蔵があるような家は無理だけど、これなら建てられる。

当時は建築業界も国も家を建てるためならローンを組んでくれたので、昔で言う月賦で家を買うことができました。

ところが、いよいよおカネを貯めて家を建てようというときに、母に言われたんです。『そこに人を入れなさい。建物を細切れにして、入居者から銭をもらったらどうか。私はその片隅に住めればいい』と。それもそうだと思い、建物を賃貸にしようと思ったんです」

どうせ建てるなら、と吉川氏は施工を竹中工務店に依頼した。建設費は借金だ。人生をかけるのだから、とことんまで借りてやろう。もちろん、返済するための目算は立っていた。

「こうして、当時はまだ木造2階建ての建物ばかりの名古屋に、鉄筋コンクリート4階建ての日本初の賃貸マンション『大幸マンション』が生まれるんです。

名古屋には単身赴任が多いところに目をつけて、家具やハウスキーパー付きで部屋を提供しました。どこにもそんな物件はないから結果的に大盛況となって、借金はすぐに返せました」

その後、吉川氏は飲食業にも乗り出し、成果を上げる。最大で50店舗を出店する勢いだった。

「一時は年商が100億円に迫るほどでしたが、頭のいい人が飲食店をするようになり、一流の店が巷に溢れるようになっていった。小さな店を50店舗持っていても敵わないと思ったんです。

だから、一流ではなく、一番を目指そうと考え、店舗を少しずつ手放していく一方、覚王山の土地を買い集め、それが1万uの森の中に飲食店が点在する『よし川ビレッジ』になったんです」

手広く事業を拡大することを目指さず、できることに注力する。吉川氏もまた、名古屋人らしい堅実経営で成功を収めた。その吉川氏には100歳はおろか、120歳までの計画がすでにある。

「悩みはありませんが、責任感には追われていますね。これまで『幸せ色』を醸し出して、夢を売ってきたわけですが、それは最後まで貫き通したい。

ただ、100歳になったらもう許してよ、となるでしょ。それからの20年間というのは、ようやくすべてから解放されて自由に生きられる時間。

そのためには食の努力はしていますよ。若さを維持するために、食には銭を使いました。たとえば、よもぎでも山奥で摘んできたもので、1束2900円します。自分で使う出し汁も、専門家に研究してもらって、研究費に8000万円かけている。

普通のカネ持ちが大きなクルーザーやらを買うために使うおカネを、私はすべて食に使って体に入れてしまいました。おかげで82歳にしては歯はしっかりしているし、髪も地毛だし、仕事でほとんど寝ていなくても体は元気です」

ブームとなった名古屋めしの代表格とも言えるみそかつ。創業70周年を迎えた老舗みそかつ店「矢場とん」の三代目、鈴木拓将社長(44歳)も実に名古屋らしい手堅い経営を心がけ、人材育成に力を注ぐ。

「名古屋の資産家はベンツを持っていても、プリウスに乗って出かけていくような、たとえおカネを持っていてもそうは見せません。

私も名古屋人気質で、堅実な合理主義者。中学時代から厨房に入って家業を手伝っていましたが、母からは『日銭商売は怖い』といつも言われてきました。

大学卒業後、ヒルトン名古屋で2年間働いたあと、'98年に矢場とんに入社。当時、1億8000万円だった売り上げは、東京進出などを経て'05年には17億円に、'14年には私が社長を引き継ぎ、'16年には40億円余りとなりました。

名古屋名物は長い間、きしめんとういろうでしたが、その後、グルメ番組が増え、地方の珍しいものが全国に紹介され始めました。ひつまぶしと味噌煮込みうどんが注目され、その次に着目されたのが、みそかつだったのです」



■悩んでるヒマはないがや

現在、国内外に23店舗を構えるが、鈴木社長は闇雲に事業を拡大するつもりはないと言う。

「何年後に年商いくら達成というような、経営者としての夢はありません。それよりも創業100周年を迎えた時、どれだけ多くのスタッフが自分についてきてくれているかが重要です。

たしかに外食産業は非正規雇用も多く、給料も低く抑えられがちです。労働時間が長いとブラック企業だと言われる風潮もありますが、働いたことに対価を支払わない会社がブラック企業なのではないでしょうか。私は、その人が懸命に働いたら、きちんと飯が食えるようにしたいですね」

平行して鈴木社長は国際貢献にも力を入れる。創業60周年の際にカンボジアに小学校を建設するプロジェクトを始動させたのだ。

「今年で5校目ができました。社員もカンボジアの学校に連れて行きます。カンボジアは貧しい国ですが、自殺者がほとんどいません。そんな国で必死に生きる彼らを見ることで、社員自身が持つ悩みが小さく見えたり、物の見方が変わったりします。

目を輝かせて明るく必死に生きるカンボジアの子供たちの姿を見ると、日本に自殺者が2万人もいることにも疑問を感じます。

日本の子供は世界一平和な環境で育っているのに、6人に一人が貧困状態で、職があるのに、働かない人もいる。これっておかしいじゃないですか。そういう点を、まずは自分の会社の従業員から正していくのは大事だろうと思います」

他人の目を気にするからこそ、堅実経営をモットーにする。派手好きの背後には、地に足の着いた幸せがある。名古屋のカネ持ちに共通する特徴だ。

好況に沸く名古屋の街には、他人のためにおカネを使うことに幸せを見出している資産家たちがいた。これが名古屋経済の底力なのである。

「週刊現代」2017年9月2日号より



 

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コメント
 
1. 2017年9月02日 18:30:15 : TsaEP5gcmE : ZeRoKEgHUoU[12]
フェラーリに宝石、そしてとうとう芸能人。

典型的な成金趣味のパターンですね。それでも一生懸命文章を感動的にしようと頑張って書いていますね。


2. 2017年9月02日 20:47:48 : 2FbCg9vijk : ylRMDBXhDG8[559]
黒い過去 伏せて美化する 立志伝

3. 2017年9月03日 01:29:03 : ZeK6Ht0u6A : sCHs8ig7imU[15]
どうでもよくないか?
好景気などどこにも無いのだから。
そもそもフェラーリ自体、国民の99%には関係無い。
また関心も無い。

4. 2021年2月12日 08:29:16 : fKkQda7Cxw : a01WR1RYQWZoY00=[1082] 報告
お金に対する欲望はドーパミンのなせる業
麻薬患者が麻薬を欲しがる
新しい異性と交渉を持ちたがるメカニズムと同じだ

麻薬患者にどれだけ麻薬を欲しいかと尋ねると必ず帰ってくる答えは
「もっと」だということらしい。
最近読んだ「もっと」という本の仮説だが。

5. 2021年2月12日 12:23:11 : Sn698n5Lng : eGtUbEpPT3EuZTY=[38] 報告
政治的謀略なのか真実なのか。
東京五輪中止が話題の時期に、スポーツ用品の会社の社長が逮捕ねぇ。

------------------
逮捕のアルペン会長が辞任 被害女性に素性明かさず

2/12(金) 10:11配信

共同通信

スポーツ用品大手アルペン(名古屋市)は12日、
強制わいせつ致傷などの疑いで愛知県警中署に逮捕された水野泰三容疑者(72)
=同市東区=が会長職を辞任したと発表した。同日開かれた臨時の取締役会で承認された。
本人から弁護士を通じ、職責を果たせないと申し出があったという。

一方、水野容疑者が被害者の女性に自身の素性を明かしていなかったとみられることが
捜査関係者への取材で判明。中署は現場のホテルの防犯カメラを解析するなどして水野容疑者と特定した。
中署は12日、水野容疑者を送検した。
中署によると、女性は3週間のけが。水野容疑者は容疑を否認している。

ーーーーーーーーーー

8月某日、名古屋市内の高層ビルから1機の新型ヘリコプターが飛び立った。
操縦桿を握るのは、スポーツ用品店「アルペン」創業者の水野泰三会長(68歳)だ。

同乗したのは――元フィギュアスケート世界女王の浅田真央。
同じく元フィギュアスケート選手の村上佳菜子、小塚崇彦も加わる。
アルペンの保有する「みずなみカントリー倶楽部」までは、約15分のフライトである。

浅田真央はこの日がゴルフの初ラウンド。
この夏、水野会長と大相撲名古屋場所や愛知県体育館での
アイスショーの場でゴルフの話が持ち上がり、デビューとなった。

「真央ちゃんは初めてコースに出るんです。自社のゴルフ場ですから、
人目を気にすることなく、楽しんでもらおうと思いまして。
コース内はエアコン付きのカートで移動できるので、
日焼けもあまりしませんしね。

プライベートなので、結果は非公表ですが、フィギュアスケートの選手はひねりが素晴らしいし、
ジャンプしても軸をぶらさずに回転するから、どの選手もスイングの筋がいい。これは大発見でした」(水野会長)

昨年9月、社長から会長になり、社長を長男に譲って現役を退いた水野氏は、
今後、愛知県や名古屋のアスリートたちと親交を深め、
スポーツ界の活性化を陰で支えることに一役買うという。

水野会長が話す。

「社長を退きましたが、現在もほぼ毎日出勤して仕事をしています。
以前より時間を取れるようになったのが、大きな変化です。空いた時間はスポーツをして、
健康のために使ったり……そんな年齢になったなという感慨もあります」

水野会長の人生は挑戦の連続だった。'72年にスキー用品店を創業するも、
間もなく泥棒に入られてしまう。資金繰りに窮して、
残った在庫を安売りしたところ、これが大繁盛につながった。

後に米国視察で巨大店舗を空から視察し、
高速道路のインターチェンジ近くに大型店を作れば人が来ると確信。
一宮インターチェンジ近くに当時としては珍しい数百坪の大型店舗を作って成功させた。

他にも、いち早くプライベートブランドを立ち上げたり、
シーズンオフの球場の駐車場を使って大セールを展開したりと、
革新的な手法で事業を拡大してきた。

「創業時から自分の勘で動く『カンピュータ』を頼りに、斬新なアイデアを実現していきましたが、
新社長になってからは『コンピュータ』を駆使して、通販などにも事業を広げていっています。

うちは典型的なオーナー企業ですが、今後は新社長のやりたいようにやってもらいたい。
社員たちが萎縮しないよう、よく話を聞いてチームアルペンとしてやっていってほしいと伝えています。

資産ですか?持ち株は一族で61%ほど(時価総額は約564億円)。私個人で株の20%を保有しています」
(水野会長)

6. 2021年2月13日 23:45:50 : L5oFY7JHkM : U2ZPcnl1NDl4dHc=[1] 報告

この投稿は建前のお話だろう。
名古屋は血縁が強いと思う、
これはもしかしたら半島系の人材が多いためかもしれない。
所謂血が汚れるというもの。
実際聞くところによれば障害を持って生まれた子供たちのメンタル面の施設はどうも多いらしくて働く職員さんの待遇もこれに関しては比較的いいらしい。
逆にいえば部外者はなかなか入り込めないということ。
大ドヨダの抱え込み会社風土をみたら良く分かる。
何もかも抱え込んで他人は拒絶して徹底的に値切るもしくは無理強いする。
日本の猶太というところだろうね。
どうもこの浮ついた書き込みを見ると違和感を覚える。
建前と本音とが見事に乖離している社会だと思っている人間にとっては。
7. NEMO[5] gm2CZIJsgm4 2024年1月11日 19:21:55 : pFOo12dNeQ : S2x6SVQxaHdmaVE=[704] 報告
<△22行くらい>
【名古屋】「お尻を見せれば仲良くなれると思った」コンビニ店員に尻を突き出して見せつけ、尻を左右に振った疑い 会社員の男(48)逮捕

2024/01/11(木) 18:53:49.77ID:G3FGQ3BK9
名古屋市東区のコンビニで、男性店員に尻を見せつけたなどとして、48歳の会社員の男が逮捕されました。「お尻を見せれば仲良くなれると思いやりました」などと供述しているということです。

愛知県迷惑行為防止条例違反の疑いで逮捕されたのは、東区に住む会社員、嶋義和容疑者(48)です。

警察によりますと、嶋容疑者は、12月2日午前4時半ごろ、東区のコンビニエンスストアで、男性店員(24)に対し、尻を露出して見せつけるなどの卑猥な言動をした疑いがもたれています。

店内の防犯カメラの映像には、嶋容疑者とみられる人物が、尻の線に沿って切り込みが入った黒色のストッキングを履きカウンター内にいた店員に対して尻を突き出して見せつけた後、尻を左右に振るような様子が映っていたということです。

後日、店長が「ストッキング姿の男が店に来た」と110番通報し、防犯カメラなどの捜査から、嶋容疑者が浮上しました。

嶋容疑者と男性店員の間に面識はなく、調べに対し、「お尻を見せれば仲良くなれると思いやりました」と容疑を認めているということです。

1/11(木) 16:55 中京テレビNEWS
h ttps://news.yahoo.co.jp/articles/f2a2738b6cdf986eb5909fd4e748c3802ef23421

h ttps://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1704966829/l50

[18初期非表示理由]:担当:アラシ認定のため全部処理


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