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大都市の異常な「住宅価格高騰」が招く悲劇 政府債務はどこまで将来世代の負担か 健全財政は危険 ただでお金をもらえる?
http://www.asyura2.com/17/hasan123/msg/123.html
投稿者 酢 日時 2017 年 8 月 09 日 12:24:47: JVuupfBNpkXsE kHw
 

大都市の異常な「住宅価格高騰」が招く悲劇


ロバート・J・シラー :米イェール大学経済学部教授 2017年8月6日


データで見ると、東京は世界の他都市に比べて比較的住宅を手に入れやすい


世界の大都市には住宅価格が法外なまでにハネ上がり、中間所得層ではとても手が出せない状況になっているところがある。都市を離れる決断を迫られている住民もいるようだ。

もちろん、すでに住宅を所有していて、売りに出す家があるなら、不動産価格高騰は思わぬ利益を上げられるチャンスだ。だが、売る家がなければ、ただ都市から追い出されるだけである。

世界で最も住宅を手に入れるのが難しいのは?

影響は、単に経済的なものにとどまらない。中には、自分が生まれ育った街を去らなければならない人もいるのだ。生まれたときからの人とのつながりを失うことは、精神的に大きな痛手となりうる。その都市に長く住んできた人々が外に追いやられるとしたら、街はアイデンティティだけでなく、独自の文化さえ失うことになる。

住宅価格が高騰した都市は徐々に高所得者の居住区と化し、リッチな人々の価値観に染まっていく。所得階層で住む場所が分かれる傾向が強まれば、所得格差が広がり、社会的分断も拡大しかねない。

住宅の手頃感に関する米調査会社デモグラフィアの調査が示すように、世界の大都市の間には、すでにすさまじい格差が存在する。

世界9カ国92都市を対象にした2017年版の調査によると、世界で最も住宅を手に入れるのが難しい都市は香港で、住宅価格は世帯年収(ともに中央値)の18.1倍だった。金利がいっさいかからない前提で30年ローンを組んでも、年収の半分以上を返済に回さねばならない計算だ。

ランキングは香港以下、こう続く。シドニー(12.2倍)、バンクーバー(11.8倍)、ニュージーランドのオークランド(10倍)、シリコンバレーとして知られるサンノゼ(9.6倍)、メルボルン(9.5倍)、ロサンゼルス(9.3倍)。住宅価格が極めて高いロンドン(8.5倍)やトロント(7.7倍)がこれらより順位が低いのは、所得の中央値も高いからだ。

一方、ニューヨーク(5.7倍)、モントリオール、シンガポール(ともに4.8倍)、東京と横浜(4.7倍)、シカゴ(3.8倍)は、国際都市でありながら、住宅は比較的手に入れやすい。

確かに、データは厳密なものではないかもしれない。たとえば、どこまでを都市部とするか、境界線の設定の仕方でも数字にバラツキが出るだろう。世帯人数が大きな都市では、他の都市に比べ、家のサイズも大きくなりがちだ。

なぜ住宅価格が高騰する都市が存在するのか

とはいえ、住宅の手に入れやすさは都市によって大きく違う、という調査の基本的な結論は変わらないだろう。問題は、なぜ住宅価格が法外なまでに高騰する都市が存在するのか、である。

多くの場合、これは住宅開発を阻む障壁と関係がある。水域や土地の傾斜といった物理的な制約が住宅開発を難しくし、価格高騰につながっているとの研究がある。

住宅開発の障壁には、政治的なものもある。中間層向けの住宅を大量に供給すれば、住宅は手に入れやすくなるだろう。しかし、すでに高い値段のついた住宅を所有している人たちからすれば、このような開発を支持する前向きな理由はほとんどない。自らの資産価値を下げることになるからだ。結果、自治体も住宅開発に許可を与えるのに後ろ向きとなる。

ある都市が「偉大な都市」となるには、市場メカニズムによって貢献度の低い低所得者層が排除されるのを甘受すべき場合があるかもしれない。だが多くの場合、年収に対してあまりにも住宅価格が高くなった都市は、「偉大な都市」というより、不寛容で、人道的な助け合いの精神に乏しく、多様性に欠けるものだ。危険な社会的反目の温床となるのである。

http://toyokeizai.net/articles/-/182436

 


 外国人が心底失望する「日本のホテル事情」
2017年7月31日(月)12時00分

デービッド・アトキンソン(小西美術工藝社社長)※東洋経済オンラインより転載

お金持ち外国人には、日本のホテル事情はどう見えている? sanjeri-iStock.


『新・観光立国論』が6万部のベストセラーとなり、山本七平賞も受賞したデービッド・アトキンソン氏。安倍晋三首相肝いりの「明日の日本を支える観光ビジョン構想会議」委員や「日本政府観光局」特別顧問としても活躍している彼が、渾身のデータ分析と現場での実践を基に著した『世界一訪れたい日本のつくりかた 』が刊行された。本連載では、訪日観光客が2400万人を超え、新たなフェーズに入りつつある日本の観光をさらに発展させ、「本当の観光大国」の仲間入りを果たすために必要な取り組みをご紹介していく。

日本にはまだまだ「上」を目指せる潜在能力がある
「最近、街を歩いていると外国人観光客の姿をずいぶんよく見掛ける」
そんなふうに感じる方も多いのではないでしょうか。
それもそのはずです。2013年に1036万人だった訪日外国人観光客は、なんと3年を経過した2016年には2404万人にまで膨れ上がっており、こうしている今も日本を目指す外国人観光客は右肩上がりで増え続けているのです。
さかのぼれば、2007年の訪日外国人観光客はわずか800万人強でした。残念ながらあまり景気のいいニュースを耳にしない日本で、「観光」は気がつけば10年で3倍もの成長を遂げている「希望の産業」なのです。
私は2015年に上梓した『新・観光立国論』のなかで、日本がもつ観光のポテンシャルが極めて高いことを指摘させていただきました。
また、少子高齢化によって社会保障が重い負担となっていくこの国では、「観光」こそが大きな希望になりうることを提言させていただきました。そのような立場からすると、日本がポテンシャルを発揮してきた昨今の状況は、本当にうれしく思っています。
ただ、その一方で「まだまだこの程度で満足してもらっては困る」というのも率直な感想ではあります。
確かに、日本の観光は順調に成長しています。たとえば、観光でいくら稼いだかを表す「国際観光収入」のランキングでは、日本は2013年に世界第19位でしたが、2015年には第12位までランクを上げて、トップ10入りが目前となっています。
しかし「上」を見上げれば、アメリカ、中国、スペイン、フランス、イギリス、タイ、イタリア、ドイツ、香港など、まだ多くの「観光大国」があるという厳しい現実もあるのです。
そこで、日本のポテンシャルをどうすれば正しく引き出すことができるのかを、『世界一訪れたい日本のつくり方』という本にまとめさせていただきました。これは『新・観光立国論』で提言したことをベースにした「実践編」ともいうべきものです。
この本を読んでいただければ、右肩上がりで成長を続け、なんの問題もないかにみえる日本の観光が、実はまだまだ多くの改善点、伸び代に満ちあふれているということがわかっていただけると思います。

外国人富裕層ががっかりする「日本のホテル事情」
今回はそのなかひとつとして、「ホテル」の問題を指摘させていただきます。
日本経済は長年、成長をせずに来ました。これから人口減少が加速しますので、経済基盤が緩みます。観光戦略はその対策のひとつです。そう考えるとやはり、重視すべきは「観光客数」より「観光収入」だというのは明らかです。
そこで、観光収入を決定する要因を探したところ、驚くべき事実を発見しました。さまざまな分析をする中で、世界の高級ホテルに関するデータを見つけて、大きな衝撃を受けたのです。

次のページ 「5つ星ホテル」わずか28軒
Five Star Allianceという有名な「5つ星ホテル」の情報サイトがあります。そのデータによると、世界139カ国に3236軒の「5つ星ホテル」があります。では日本はどうかというと、日本国内でこのサイトに登録されている「5つ星ホテル」はわずか28軒しかありません。これは、ベトナムの26軒を少し上回る程度です。
「ひとつの国にある超高級ホテルの数なんてそんなものじゃないの」と思うかもしれませんが、実は外国人観光客が年間2900万人訪れているタイには110軒の「5つ星ホテル」があります。バリ島だけでも42軒です。年間3200万人訪れているメキシコにも93軒の5つ星ホテルがあるのです。
タイはすばらしい実績を上げています。2900万人の観光客しか来ておらず、物価水準も先進国の半分以下であるにもかかわらず、タイの観光収入をドル換算すると、世界第6位の観光収入を稼いでいる計算になります。
タイが観光でこれほど稼げる理由のひとつに、110軒の5つ星ホテルの存在があります。タイの実績は「特殊な娯楽」を求める人に支えられているという批判をたまに聞きますが、それは事実無根のただの偏見にすぎません。
年間2400万人の観光客が訪れ、G7の一角をなす「経済大国」であるはずの日本に、タイの4分の1、メキシコの3割しか「5つ星ホテル」が存在しない。これは明らかに、日本が国際観光ビジネスを重視してこなかった結果だと思います。
実際、2年前にこんなことがありました。あるアメリカの大富豪の事務所から、紅葉の時期に京都に泊まりたいが、安いホテルしか見つからず、「予算の最低基準」を下回る。いいホテルを探してくれないか、という連絡があったのです。
私も手を尽くしたのですが、結局アパホテルしか空いておらず、その大富豪の訪日自体が白紙になりました。
もちろん、アパホテルが悪いと言いたいわけではありません。しかし世界のお金持ちには「予算の最低基準」があり、それを下回ると訪日すらあきらめる人が多いのです。これは究極の「もったいない」ではないでしょうか。
今まで日本は観光産業に力を入れてきませんでしたので、ある意味、仕方ないともいえますが、今後「観光大国」になることを考えると、高級ホテルを整備して単価を上げることが必要なのです。
そんなものがなくても、日本にはすばらしい文化や「おもてなし」の心があるので、観光客の満足度には影響がないと主張される方もいらっしゃるかもしれません。しかし、残念ながらそれは精神論をふりかざしているだけにすぎず、「観光大国」を目指すうえでの合理的な解決策とはいえません。

次のページ 「一流」旅館でも「3つ星」
たとえば、日本には「一流」と言われる旅館が多くありますが、スタイルが非常に独特で、短期滞在に合わせた限定的なサービスなので、やり方を変えないかぎりグローバルスタンダードには合いません。
いくら日本人に評価されても、グローバルスタンダードから見ると良くて「3つ星」くらいです。外国人に泊まって欲しいならば、必要最低限の調整が必要です。「郷に入るなら郷に従え」という意見もありますが、外国人は「なら、郷には入らない」と考えます。これでは、観光戦略は成功しません。

日本には「5つ星ホテル」が何軒必要か
Five Star Allianceに登録されている3236軒の「5つ星ホテル」がある139カ国を訪れた外国人観光客数は11億4907万人(2015年)ですので、1軒当たりの外国人観光客は35万5090人になります。
この計算でいくと、2020年に4000万人の訪日観光客を目指している日本には、最低113軒の5つ星ホテルが必要となります。2030年の6000万人だと169軒です。
実際、世界各国の国際観光収入と「5つ星ホテル」数の相関関係を分析すると、なんと相関係数は91.1%。極めて高い数値を示します。この計算をしたとき、私は強い衝撃を受けました。
しかし、よく考えてみると1泊数千円の宿に泊まるバックパッカーが1人来るより、1泊10万円のホテルを利用する富裕層に来てもらったほうがよほど稼げるのは当たり前です。このような人は、ホテルに限らず、あらゆる観光資源にたくさん支出してくれる存在なのです。
「5つ星ホテル」を多くもっている「観光大国」がいかに潤うのかは、さまざまなデータが雄弁に物語っています。
たとえば、アメリカは国際観光客数では世界一のフランスに及ばす第2位というポジションに甘んじていますが、国際観光収入では圧倒的な世界一です。
一方、フランスは世界で最も外国人観光客が訪れているのに、国際観光収入では第4位に転落しています。1人当たり観光客収入で見ると、アメリカは世界第6位なのに対し、フランスはなんと世界第108位にすぎないのです。ちなみに、タイは第26位と、かなり健闘しています。
つまり、たくさんの外国人観光客が訪れているものの、アメリカを訪れる外国人観光客よりあまりおカネを使わないというのが、フランスの課題なのです。

「観光収入」は高級ホテルの存在がカギ
このような「逆転現象」をさまざまな角度から分析をしていくと、「5つ星ホテル」がカギとなっている事実が浮かび上がります。
実はアメリカにはなんと755軒の「5つ星ホテル」があり、これは、全世界の「5つ星ホテル」の23.3%を占め、断トツの世界一なのです。一方、フランスの「5つ星ホテル」はタイよりも少し多い125軒しかありません。つまり、渡航先で多くのおカネを費やす「富裕層」を迎え入れる体制の差が、そのまま1人当たり国際観光収入の差になっているのです。

次のページ 「1人当たり」だと世界46位
それを踏まえて、日本を見てみましょう。先ほども申し上げたように、日本の国際観光収入はベスト10入りが目前に控えるようなポジションまで上がってきていますが、「1人当たり国際観光収入」で見ると世界で第46位という低水準に甘んじています。
都市別に見ると、東京にある5つ星ホテルは18軒で、世界21位です。興味深いことに、東京は観光都市ランキングでは世界17位です。
このように見てくると、日本には2400万人もの外国人観光客がやってきているものの、彼らからそれほどおカネを落としてもらっていないという問題が浮かび上がるのです。
ここで誤解をしていただきたくないのは、「ボッタクリ」のようになんでもかんでも高くして、外国人観光客からもっとおカネを搾り取れなどと言っているわけではないということです。
あまりおカネを使いたくないという観光客でもそれなりに楽しめるようにするのと同じように、おカネを使うことに抵抗がない観光客たちに、気兼ねなく「散財」してもらうような環境を整備すべきだと申し上げているのです。
その象徴がまさに「5つ星ホテル」なのです。せっかくおカネを使うことに抵抗がない人がやってきても、安いホテルしかなければ、そこに泊まるしかありません。それどころか、「ホテルのグレードが合わないから別の国に行こう」と考える人がいるのは、先ほどご紹介したとおりです。
このような「稼ぎ損ない」を極力抑えていくことが、これからの日本の観光では極めて重要なテーマとなってくるでしょう。

「庶民向け」だけでは伸び代が小さい
「観光大国」と呼ばれる国の特徴に、さまざまな収入、さまざまな志向の観光客を迎え入れる環境が整っているということが挙げられます。
バックパックを背負って「貧乏旅行」をする若者やショッピングと食事目当てでやってくる近隣諸国のツアー客だけでなく、自家用ジェットでやってくる世界の富豪まで、さまざまなタイプの客が楽しめる「多様性」がカギなのです。
しかし、残念ながら今の日本の観光には「多様性」がありません。これは「観光」というものが、「産業」ではなく「庶民のレジャー」だった時代が長かったことの「代償」です。
いわゆる「1億総中流」のなかで誰もが楽しめ、誰もが泊まれることが最も重要視されたので、あらゆるサービスが低価格帯に固定化されてしまったのです。
人口が右肩上がりで増えていく時代に自国民が楽しむレジャーという位置づけならば、それも良かったかもしれません。しかし、人口が減少していくなかで、外国人観光客も対象とした「産業」として発展させていく場合、このような画一的な価値観は大きな足かせになることは言うまでもありません。
日本が「観光大国」になるには、このような「昭和の観光業」の考え方を捨て、観光には「多様性」が必要だという事実を受け入れることがどうしても必要です。
そのような意味では、「5つ星ホテル」を増やすことは、日本が早急に手をつけなくてはいけない改革のひとつなのです。

『世界一訪れたい日本のつくりかた』

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http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/07/post-8089.php


 

野口旭 

政府債務はどこまで将来世代の負担なのか

2017年07月20日(木)19時00分

<増税などを早期に行って日本の財政を健全化すべきという主張には、政府債務の将来世代負担論=老年世代の食い逃げ論がある。今回は、その問題を考察する>

政界や経済論壇では、増税の是非をめぐる議論が再び活発化している。これまでの増税必要論の多くは、日本財政の破綻可能性を根拠としていた。筆者は本コラム「健全財政という危険な観念」(2017年6月27日付)において、そのような批判は基本的に的外れであることを論じた。
日本の政府財政が本当に破綻に向かっているのであれば、そのことが国債市場に反映されて、リスク・プレミアムの拡大による国債金利の上昇が生じているはずである。しかし現実には、1990年前後のバブル崩壊以降の持続的な「財政悪化」にもかかわらず、日本国債の金利は傾向的に低下し続けてきた。これは、少なくとも市場関係者たちの大多数は、日本の財政破綻というストーリーをまったく信じていないことを意味している。

それに対して、国債金利がこれまで低下してきたのは、単に日銀が国債を買い入れる「財政ファイナンス」を行っているからであり、そのような「不健全な」手段によって財政赤字を隠蔽しているからにすぎないという主張も存在する。
確かに、黒田日銀が国債の買い入れを拡大したことが国債金利のより一層の低下につながったというのは、まったくその通りである。そもそも、異次元金融緩和政策の目的の一つは、長期国債等のリスク・プレミアム低下をうながし、市場金利を全体として引き下げることにあった。つまり、国債金利の低下は、単に金融緩和政策の効果が目論み通りに発揮されたというにすぎない。
日銀の国債買い入れを批判し続けてきた論者たちはしばしば、そのような「財政ファイナンス」が行われれば、政府の財政規律が失われ、国債金利が上昇し、財政破綻やハイパーインフレが現実化すると論じてきた。しかし、現実に起きたことは、まったくその逆であった。彼ら財政破綻派は少なくとも、日銀の国債買い入れによって国債金利は急騰するというその脅しめいたストーリーが誤っていたことは認めるべきであろう。
ところで、増税などを早期に行って日本の財政を健全化すべきという政策的主張には、より慎重に考慮されるべき、もう一つの論拠が存在する。それは、「政府債務は将来世代の負担であるから、現世代は可能な限りそれを減らすべき」とする、政府債務の将来世代負担論である。本コラムではその問題を考察する。

通説としての「老年世代の食い逃げ」論
政府が財政支出を行い、それを税ではなく赤字国債の発行で賄うとしよう。つまり、政府が債務を持つとしよう。そして、政府はその債務を、将来のある時点に、税によって返済するとしよう。
このような単純な想定で考えた場合、増税が先延ばしされればされるほど、財政支出から便益を受ける世代と、それを税によって負担する世代が引き離されてしまうことになる。これが、通説的な意味での「政府債務の将来世代負担」である。
経済をモデル化する一つの枠組みに、若年と老年といった年齢層が異なる複数の世代が各時点で重複して存在しているという「世代重複モデル」と呼ばれるものがある。政府債務の将来世代負担論は、この枠組みを用いるのが最も考えやすい。
そこで、仮に老年世代の寿命が尽きたあとに増税が行われるとすれば、彼らは税という「負担」をまったく負うことなく、財政支出の便益だけを享受できることになる。そして、その税負担はすべてそれ以降の若年世代が負うことになる。

次のページ アバ・ラーナーの将来世代負担否定論
つまり、世代重複モデル的に考えた場合には、増税が先になればなるほど「現在および将来の若い世代」の負担が増える。それは要するに、老年の残り寿命が若年のそれよりも短いからである。老年は、その残り寿命が短ければ短いほど、自らは税負担を免れ、それをより若い世代に押し付ける可能性が強まる。その意味で、この政府債務の将来世代負担論は、「老年世代の食い逃げ」論とも言い換えることができる。

アバ・ラーナーの将来世代負担否定論
こうした通説的な政府債務の将来世代負担論に対しては、よく知られた反論が存在する。それは、初期ケインジアンを代表する経済学者の一人であったアバ・ラーナーによる、政府債務将来世代負担への否定論である("The Burden of the National Debt," in Lloyd A. Metzler et al. eds., Income, Employment and Public Policy, Essays in Honour of Alvin Hanson, 1948, W. W. Norton)。

このラーナーの議論の結論は、「国債が海外において消化される場合には、その負担は将来世代に転嫁されるが、国債が国内で消化される場合には、負担の将来世代への転嫁は存在しない」というものであった。ラーナーによれば、租税の徴収と国債の償還が一国内で完結している場合には、それは単に国内での所得移転にすぎない。ラーナーはそれについて、以下のように述べている。


もしわれわれの子供たちや孫たちが政府債務の返済をしなければならないとしても、その支払いを受けるのは子供たちや孫たちであって、それ以外の誰でもない。彼らをすべてひとまとまりにして考えた場合には、彼らは国債の償還によってより豊かになっているわけでもなければ、債務の支払いによってより貧しくなっているわけでもないのである(上掲書p.256)。

このラーナーの議論には、いくつか注意すべきポイントが存在する。第一に、ここで言われている「将来世代」は、世代重複モデル的な把握ではなく、将来のある時点に存在する人々を老若含めてひとまとまりにしたものとして考えられている。つまり、「1950年生まれ世代」とか「2000年生まれ世代」という区分ではなく、「1950年に生存していた世代」とか「2000年に生存していた世代」といったような世代区分が想定されているのである。

第二に、ラーナーの議論における「負担」は、単に税負担を意味するのではなく、「国民全体の消費可能性の減少」として考えられている。ラーナーは、赤字財政政策の結果としての「負担」は、上の意味での将来世代の経済厚生あるいは消費可能性が全体として低下した場合においてのみ生じると考える。そこでの焦点は、将来世代の所得や支出が現世代の選択によって低下させられているのか否かである。
たとえば、戦争の費用を国債発行で賄い、その国債をすべて自国民が購入したとしよう。その場合、現世代の国民は国債購入のために自らの支出を切り詰めるという「負担」を既に被っているので、将来世代の国民が支出を切り詰める必要はない。将来世代は単に、戦費負担を一時的に引き受けてくれた国債保有者への見返りとして、増税による国債償還という形で、より大きな所得の分け前を提供すればよい。それは、純粋に国内的な所得分配問題である。
それに対して、戦費が外債の発行によって賄われる場合には、現世代は戦争だからといって支出を切り詰める必要はない。戦争のための支出は、現世代の国民の耐乏によってではなく、その時代の他国民の耐乏によって実現されているからである。ただし、将来世代はその見返りとして、増税によって自らの支出を切り詰めて他国民に債務を返済する必要がある。
つまり、将来世代の消費可能性は、現世代が国債を購入してその支出を自ら負担するのか、国債を購入せずに海外からの借り入れに頼るのかによって異なる。前者の場合には将来世代の負担は発生しないが、後者の場合にはそれが発生する。これが、ラーナーが明らかにした「負担」問題の本質である。

次のページ ラーナーの負担否定論の意義と問題点

ラーナーの負担否定論の意義と問題点
このラーナーの議論は、政府債務負担問題についてのありがちな誤解を払拭する上では、大きな意義を持っている。人々はしばしば、赤字財政によって生じる政府債務に関して、家計が持つ債務と同じように「将来の可処分所得がその分だけ減ってしまう」かのように考えがちである。それは、財政赤字が外債によって賄われている場合にはその通りであるが、自国の国債によって賄われている場合にはそうとはいえない。
というのは、人々の消費可能性は常にその時点での生産と所得のみによって制約されているのであり、政府債務や税負担の大きさとは基本的に無関係だからである。政府債務がどれだけ大きくても、それが国内で完結している限り、必ずそれと同じだけの債権保有者が存在するのだから、その債務は一国全体ではすべてネットアウトされる。
他方で、このラーナーの議論には、一つの大きな問題点が存在する。それは、「赤字国債の発行が将来時点における一国の消費可能性そのものを縮小させる」可能性を十分に考慮していない点である。
一般には、政府がその支出を赤字国債の発行によって賄えば、資本市場が逼迫して金利が上昇するか、対外借り入れが増加して経常収支赤字が拡大するか、あるいはその両方が生じる。1980年前半にアメリカのロナルド・レーガン政権は、レーガノミクスの名の下に大規模な所得減税政策を行ったが、その時に生じたのが、この金利上昇と経常収支赤字の拡大であった。金利の上昇とは民間投資がクラウドアウトされたことを意味し、それは一国の将来の生産可能性が縮小したことを意味するから、一国の将来の消費可能性はその分だけ縮小する。また、外債に関する上の議論から明らかなように、一国の対外借り入れの増加とは、将来世代の負担そのものである。
ただし、赤字国債の発行が民間投資減少や経常収支赤字拡大をもたらすその程度は、経済が完全雇用にあるか不完全雇用にあるかで大きく異なる。所得の拡大余地が存在しない完全雇用経済では、国債発行によって政府が民間需要を奪えば、それは即座に民間投資のクラウドアウトや海外からの借り入れ増加につながる。
しかし、ケインズ的な財政乗数モデル(45度線モデル)が示すように、不完全雇用経済では、国債発行による政府支出の増加によって所得それ自体が拡大するため、貯蓄も同時に拡大する。その結果、金利上昇や経常収支赤字拡大は完全雇用時よりも抑制される。
つまり、赤字財政政策による「将来世代の負担」の程度は、不完全雇用時は完全雇用時よりも小さくなる。その意味で、「赤字国債発行による将来世代への負担転嫁は存在しない」というラーナー命題がより高い妥当性を持つのは、財政赤字拡大がそれほど大きな投資減少や対外借り入れ拡大に結びつかないような不完全雇用経済においてなのである。

「若い世代のための早期増税」は妥当か
以上の議論を踏まえた上で、以下では、早期増税の必要性を「若年世代の負担の軽減」に求める議論が、現状の日本経済においてどれだけ妥当性を持つかを考えてみることにしよう。

次のページ ラーナーの議論の最も重要なポイント
確かに、世代重複モデル的に考えた場合には、増税の時期を早めれば早めるほど、年長の世代が生涯において負う税負担が増え、より若い世代が負う税負担減る。とはいえ、この点だけを根拠に増税を早期に行うとすれば、それはおそらく将来の日本経済に大きな禍根を残すことになる。
ラーナーの議論の最も重要なポイントは、「将来の世代の経済厚生にとって重要なのは、将来において十分な生産と所得が存在することであり、政府債務の多寡ではない」という点にある。仮に早期の増税によってより若い世代が負う税負担が多少減ったとしても、それによって生産と所得それ自体が減ってしまっては、まったく本末転倒である。そして、「失われた20年」とも言われるバブル崩壊後の日本経済においては、まさしくその本末転倒が生じていたのである。
6月27日付拙コラムで論じたように、日本経済の長期デフレ化をもたらした一つの大きな契機は、橋本龍太郎政権が行った1997年の消費税増税であった。そして、それ以降の長期デフレ不況の中で最も痛めつけられてきたのは、ロスト・ジェネレーションとも呼ばれている、その当時の若年層であった。そのツケはきわめて大きく、それは単に彼ら世代の勤労意欲や技能形成の毀損には留まらず、日本の少子化といった問題にまで及んでいる。

【参考記事】日本は若年層の雇用格差を克服できるのか
結果としては、この早まった消費税増税は、若い世代の所得稼得能力を将来にわたって阻害しただけでなく、デフレ不況の長期化による政府財政の悪化をもたらし、将来世代が負うことになる税負担をより一層増やしてしまったのである。つまり、「将来世代の負担軽減」を旗印に行われた消費税増税は、皮肉にも彼ら世代に対して、所得稼得能力の毀損と税負担の増加という二重の負担を押し付けるものとなってしまったのである。
この1990年代後半以降の日本経済は、恒常的なデフレと高失業の状態にあった。つまり、一貫して不完全雇用の状態にあった。そして、小渕恵三政権時のような大規模な赤字財政政策が実行された時期においてさえ、国債金利はきわめて低く保たれ、大きな経常収支黒字が維持され続けてきた。これは、赤字財政による将来世代への負担転嫁は存在しないというラーナー命題が、ほぼ字義通りに当てはまっていたことを意味している。
それとは逆に、日本で行われた不況下の増税は、若い世代が将来的に負う負担を減らすのではなく、むしろそれを増やしてきた。それは、不況下の増税がとりわけ若い世代の雇用と所得に大きな影響を及ぼすものである以上、まったく当然のことであった。結局のところ、経済が不完全雇用である限り、職からはじき出されがちな若い世代の雇用の確保の方が、彼らへの多少の税負担軽減よりもはるかに優先度が高いということになるのである。
この筆者のコラム
http://www.newsweekjapan.jp/noguchi/2017/07/post-12.php

 
健全財政という危険な観念
2017年06月26日(月)17時50分

<インフレ・ギャップが拡大してもいない中で行われる増税などの緊縮策は、1997年や2014年の日本の消費税増税がそうであったように、経済を確実にオーバーキルし、時には致命的な景気悪化をもたらす>

経済本の一ジャンルに、「財政破綻本」とか「国債暴落本」というものがある。その内容はどれも大同小異であり、債務の対GDP比などを示しながら、日本の財政状況が他国と比較していかに悪いかを読者に印象付けた上で、日本経済には近い将来、国債の暴落、金利の急上昇、政府財政の破綻、円の暴落、預金封鎖、ハイパーインフレなどが起きると「予言」するというものである。
こうした本の多くは、事実上は「トンデモ本」に近いものではあるが、それらをすっきりと論破することはなかなか難しい。というのは、本質的に同様なストーリーを語っておきながら、表面的には真面目な専門書として書かれているような本も数多く存在しているからである。さらに、日本の財政破綻の可能性を経済モデルによって「学術的」に示したと称する論文やレポートは、巷に氾濫する国債暴落本と同じくらい枚挙に暇がない。
そうしたことから、日本のマスメディアや経済論壇では長らく、財政破綻のリスクを指摘しつつ増税を通じた財政の健全化を訴えるという論調が主流となってきた。日本の財政当局もまた、そのような見方を陰に陽に流布してきた。その結果、おそらく少なからぬ人々が、日本経済は政府の放漫財政によって破綻への道をひた走っているかのように思い込まされてきたのである。
もちろん他方では、そのような財政破綻論や緊縮主義を批判する議論も、ネットなどを中心にそれなりに存在している。しかし、よく知られた大手メディアで、そうした批判派の見解が肯定的に取り上げられることはほとんどない。おそらく、日本の財政が深刻であることは論議の余地もないほど自明であると考えている人々にとってみれば、財政破綻論や緊縮主義へのあからさまな批判は、きわめて奇矯かつ不健全な考えなのである。
実際には、日本経済にとってこれまで、本当の意味でリスクとなってきたのは、財政の悪化それ自体ではまったくなく、財政の悪化という観念上の思い込みに基づいて実行されてきた財政健全化の試みであった。そのことは、そのような的外れな観念が日本の政治や政策の世界を支配する中で行われた1997年と2014年の消費税増税が、その後の日本経済にどのような帰結をもたらしたかを振り返ってみれば明らかである。1997年の増税は、日本経済が真性の長期デフレ不況に陥る原因の一つとなった。そして2014年の増税は、日本経済が未だにそこから完全に抜け出すことができない原因の一つとなっている

財政破綻論の生みの親としての消費税増税
現在にいたる日本の財政をめぐる論議が始まったのは、バブル崩壊によって日本経済が長期低迷に入った1990年代前半のことである。その理由は明らかであり、それまではバブル景気の拡大を背景とする税収増によって改善していた日本の財政収支が、バブル崩壊後の景気悪化によって急速に悪化し始めたからである。
その時期の日本の財政赤字は、現在から見ればまったく取るに足りないものであった。しかし、財政当局すなわち当時の大蔵省は、そうは考えなかった。大蔵省は、「10年に1人の大物」と呼ばれた斎藤次郎事務次官を司令塔として、盛んに政界工作を展開した。そして、1994年2月に、フィクサーとして政界に君臨していた小沢一郎と相謀って、時の首相であった細川護煕に、消費税を3%から7%に引き上げる「国民福祉税」構想を発表させたのである。

次のページ 橋本政権による無用な消費税増税
この国民福祉税という増税構想は、細川政権の官房長官であった武村正義などの反対によって撤回された。そして、細川連立政権は、それによって崩壊した。しかし、大蔵省は増税を決して諦めはしなかった。細川政権の崩壊を受けて、1994年6月に村山富一連立政権が誕生し、自民党が与党に復帰した。この村山政権では、将来的に消費税を3%から5%に引き上げることが内定された。そして、1996年1月には橋本龍太郎政権が誕生し、結局はこの政権の手によって1997年4月の消費税増税が実行されたわけである。
この橋本政権の増税によって、日本経済は戦後最悪の景気後退に陥った。それは、1996年頃までの緩やかな景気回復の中でそれなりに消化されているようにも見えた金融機関の不良債権が、景気の悪化によって一気に表面化したからである。その結果、1997年末から1998年にかけて、日本を代表する金融機関のいくつかが破綻した。そのようにして生じた金融危機は、速水優総裁下の日本銀行の稚拙な対応もあって、その後の日本経済に、現在にまでいたるデフレというやっかいな病を定着させる契機となったのである。
橋本政権は結局、これによって崩壊した。そして不況の最中の1998年7月に、小渕恵三政権が成立した。小渕政権は、橋本政権時の財政スタンスを180度転換し、不況克服のための財政拡張政策を行った。その結果、景気悪化による税収減も重なって、日本の財政赤字は急激に拡大した。
小渕は1999年11月に、松山市で開かれたあるシンポジウムで、「日本の総理大臣である自分は世界一の借金王になった」と自嘲気味に発言した。日本の財政破綻の可能性がメディアや経済論壇で盛んに論じられようになり、財政破綻や国債暴落を煽る書物が経済本の一大ジャンルになるのは、主にこの時期以降のことである。
日本の財政が問題視されるにいたった以上のような経緯は、日本の財政状況の悪化とそれによる財政破綻懸念を生み出した最大の原因は、皮肉にも財政健全化を目的として実行された橋本政権による1997年の消費税増税であったことを明らかにしている。確かに、財政赤字を拡大させる政策を実行したのは、橋本ではなく小渕である。しかし、日本経済が最悪の経済危機に落ち込んでいる以上、小渕であれ誰であれ、橋本を引き継いだ政権に財政拡張以外の選択肢は政治的に存在しなかった。そして、そのような状況を作り出したのは、明らかに橋本政権による無用な消費税増税だったのである。

ますます危機から遠ざかってきた国債市場
こうして、「日本の財政危機」は、ある種の国民的な共通観念となった。しかしながら上述のように、それは元々、日本の財政は危機的であるというプロパガンダに基づいて実行された財政緊縮策の結果にすぎなかったのである。これは要するに、危機という観念が現実そのものをより危機に近づける方向に動かし、それが危機という観念をより強めるという、観念の悪循環である。それは、火の中に飛び込む夏の虫のように、「真の危機」を自らたぐりよせているようなものである。
幸いなことに、財政破綻なる観念の拡大にもかかわらず、現実の日本経済には、その危機の気配すら存在しない。というよりもむしろ、少なくとも国債市場の状況から判断する限り、国債暴落といった事態からはますます離れつつあるとさえいえる。

次のページ 日本の国債利回りの推移
財政破綻本や国債暴落本の執筆者の多くは、いわゆる市場関係者である。また、そのような本を書くことはなくとも、自らのレポートや金融メディアでのインタビューなどを通じて、日本国債売りのポジション・トークとして財政破綻を煽る市場関係者は、海外ヘッジファンドのマネジャーなどを中心に数多い。
実際、財政悪化が問題視されるようになった小渕政権期以降、多くのヘッジファンドが日本の財政危機を喧伝し、日本国債に売りを仕掛けてきた。しかし、それらはいずれも不発に終わり、多くのファンド・マネジャーが市場からの退場を余儀なくされた。彼らはいずれも、日本の財政破綻を煽ることで、結局は自らが破綻する羽目に陥ったわけである。そして、市場ではいつしか、日本国債の売りは「墓場トレード」と呼ばれるようになった。
その状況は、日本の国債利回りの推移が示すとおりである(図1)。それは、バブル崩壊以降、景気循環によって変動しつつも、傾向的に低下し続けてきた。つまり、日本国債の価格は、暴落するどころか、傾向的に上昇し続けてきたのである。小渕政権以降に生じたいわゆる「日本の財政悪化」は、国債市場にはほとんど何の影響も与えなかったということである。


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貯蓄過剰がより顕在化しつつある世界経済
このように、日本ではバブル崩壊以降、財政赤字の拡大にもかかわらず、国債金利は傾向的に低下し続けてきた。これは、市場が日本の財政破綻というストーリーをまったく信じてはいないことを示すという意味では、歓迎すべきことである。しかしながら、金利が上がらないという事実それ自体は、決して望ましいことではない。というのは、国債金利の低下とは、何よりも日本経済に大きな貯蓄超過とデフレ・ギャップが存在していることを示すものだからである。事実、日本経済はその間、高い失業率とデフレに悩まされ続けてきたのである。
日本の国債金利がバブル崩壊以降これだけ低くなったのは、需要不足によって日本経済の民間部門に投資機会が不足し、多くの金融機関が国債で運用する以外の選択肢を見出しにくくなったからである。ただし2013年以降の国債金利低下に関しては、黒田日銀が実行した異次元金融緩和の影響が大きい。しかし、それもまた、日本経済に依然として大きなデフレ・ギャップが残されており、結果としてデフレからの完全脱却が達成できていないという状況の反映と考えることができる。

次のページ 健全財政派の論者たちの主張
おそらく、これから日本経済のデフレ・ギャップが順調に縮小し続け、完全失業率がさらに低下して完全雇用に近づけば、国債金利も徐々に上昇し始めることになるであろう。それは、マクロ経済政策の本来的な目標が達成されつつあることを示しているという意味では、基本的にはきわめて喜ばしいことである。
ところが、健全財政派の論者たちは、「国債金利の急上昇や国債暴落というリスクが高まるのは、まさしく政策目標が達成されたこの出口においてであり、だからこそ金利上昇が始まる前のできるだけ早いうちに増税などによって財政再建を行うべきだ」と主張する。その考え方は、どれだけ正しいのであろうか。
確かに、デフレ・ギャップが消えた後に、インフレ・ギャップが急速に拡大し続ける状況が続けば、物価や賃金の上昇ペースが速まり、急速な金利上昇が生じる可能性はある。事実、そのような「インフレ・スパイラル」は、1980年代前半までの世界経済では、決して珍しいことではなかった。
しかしここで考慮すべきは、少なくとも2000年代以降の世界経済では、インフレの加速や金利の急上昇のような現象は、景気拡大期においてさえまったく起きてこなかったという事実である。FRB理事時代のベン・バーナンキが、2005年の講演「世界的貯蓄過剰とアメリカの経常収支赤字」で論じていたように、そこで生じていたのはむしろ、それとは逆の現象であった。
バーナンキがこの世界的貯蓄過剰(The Global Saving Glut)という問題提起を行った2005年とは、アメリカのサブプライム住宅バブルがまさにそのピークに達しようとしていた時期であった。しかし、そのような景気拡大期においてさえ、アメリカの長期国債金利は、4%前後という、当時としては歴史的に低い水準に保たれていた。バーナンキは、それを可能にしたのは中国に代表される新興諸国の貯蓄過剰であり、それが国際資本移動という形でアメリカへ流入したことによるものであることを指摘したのである。
この時期のFRB議長アラン・グリーンスパンは、退任後に著した自伝の中で、2004年頃からFRBが政策金利を引き上げ始めたにもかかわらず長期金利が低いままに推移した異例の事態を改めて振り返り、それをコナンドラム(謎)と名付けている。バーナンキが2005年に提起した上の世界的貯蓄過剰仮説は、FRB議長としての彼の前任者が在任中にFRB内部で問題提起していたはずのこの「謎」に対する「謎解き」でもあった。
この世界的貯蓄過剰問題は、アメリカのサブプライム・バブルという狂騒の中で、いったんは解消されたかに思われた。しかしそれは、リーマン・ショック後の世界大不況の中で、再びより深刻な形で表面化した。というのは、ローレンス・サマーズがその「長期停滞論」によって問題提起したように、リーマン・ショックから既に10年近くが経過しているにもかかわらず、多くの先進諸国では、物価や賃金や金利の伸びはきわめて弱々しく、景気過熱やインフレを懸念するには程遠い状況が続いているからである。

拙速な緊縮は致命的な結果をもたらす
今後の日本経済あるいは世界経済において、デフレ・ギャップがなかなか解消されないリスクと、インフレ・ギャップが拡大していくリスクのどちらが大きいかを問えば、それはどう考えても圧倒的に前者である。世界的な供給能力は今後、AI等による技術革新や既存技術のグローバルな移転によって、確実に拡大していく。他方で、医療技術の進歩による人々の寿命の伸びは、人々の貯蓄選好をより強めるように作用する。また、それによる将来的な人口構成の高齢化は、予備的貯蓄の必要性を高めることから、マクロ経済全体の貯蓄率をより高めることに帰結する。

次のページ 2019年に消費税増税が予定されている日本経済
中国経済のマクロ的状況は、その点で示唆的である。2000年代に入って急速な経済成長を実現させた中国経済は、まさに典型的な「高貯蓄」経済であった。中国のGDPに対する民間消費の比率は、40%にも満たない。逆にその貯蓄の対GDP比率は、時に50%を越えている。その高貯蓄の原因は、公的な社会保障制度が先進諸国のようには整備されていないことにもよるが、いわゆる一人っ子政策による人口構成の高齢化によるところも大きい。そのような中国のマクロ的状況が、近い将来に大きく変わると考えるべき理由はない。
この世界的貯蓄過剰という要因が、各国のマクロ経済政策に対して持つ含意は、きわめて明白である。それは、「ありもしない高インフレや金利高騰のリスクに怯えて、拙速なマクロ緊縮政策を行ってはならない」ということである。仮にインフレ・ギャップが拡大し、多少の金利上昇が生じたところで、世界的な貯蓄過剰のもとでは、海外からの資本流入によって直ちに抑制されてしまう。逆に、インフレ・ギャップが拡大してもいない中で行われる増税などの緊縮策は、1997年や2014年の日本の消費税増税がそうであったように、経済を確実にオーバーキルし、時には致命的な景気悪化をもたらすことになる。
その点で、安倍政権による2度にわたる消費税増税の延期は、きわめて正しい判断であった。しかしながら、2019年に再度の消費税増税が予定されている日本経済は、依然としてその同じリスクに直面しているのである。
この筆者のコラム
政府債務はどこまで将来世代の負担なのか 2017.07.20
健全財政という危険な観念 2017.06.26
国債が下落しても誰も困らない理由 2017.05.11
日銀債務超過論の不毛 2017.05.08
異次元緩和からの「出口」をどう想定すべきか 2017.04.10
オルト・ライト・ケインズ主義の特質と問題点 2017.02.28
日銀の長期金利操作政策が奏功した理由 2017.02.06

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プロフィール

野口旭
1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)等、著書多数。

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http://www.newsweekjapan.jp/noguchi/2017/06/post-11.php

 
マネーストックM3、7月は3.4%増 伸び小幅拡大=日銀
[東京 9日 ロイター] - 日銀が9日に発表した7月のマネーストック統計によると、指標となるM3の月中平均残高は1305兆1000億円となり、前年比で3.4%増加した。伸び率は前月の同3.3%増から小幅拡大。マイナス金利政策の導入後に進行した定期預金から普通預金などへのシフトの流れが一巡している。

M3の内訳を見ると、定期預金などの準通貨が同1.3%減少となり、5カ月連続でマイナス幅が縮小した。一方、普通預金などの預金通貨は同8.0%増と前月から伸びが小幅縮小。2016年1月のマイナス金利政策導入の定期預金金利の低下を背景とした流動性の高い預金へのシフトの巻き戻しが続いている。

準通貨のマイナス幅縮小や、譲渡性預金(CD)が同0.1%増と3カ月ぶりにプラス転換したことがM3の増加に寄与した。

幅広い金融資産を含めた広義流動性は同3.4%増となり、16年1月(同3.5%増)以来の高い増加率となった。円安を背景に外債が同10.8%増と2015年4月の同11.0%増以来の高い伸びとなったほか、金銭の信託が同3.6%増と前月の同3.0%増から伸び率を拡大したことなどが要因。投資信託は同1.2%増と5カ月ぶりにプラス幅が拡大した。

M3からゆうちょ銀行などを除いたM2は同4.0%増となり、前月の同3.9%増から伸びが小幅拡大した。

(伊藤純夫)

マネーストックM3、流動性シフトに一服感 16年度は19年ぶり高い伸び

マネーストックM3、12月は3.4%増 流動性へのシフト継続
マネーストックM3、11月は3.4%増 1年3カ月ぶりの高い伸び
マネーストック1月は前年比3.5%増、預金伸び拡大=日銀
http://jp.reuters.com/article/boj-m-idJPKBN1AP03H


 

 


 


ベーシックインカムは「ただでお金をもらえる」制度ではない 2017年08月08日 22:30池田 信夫

【本当にお金をくれるんです。びっくりです】国民全員がただでお金をもらえる。こんなアイデアが最近、まじめに議論されています。ベーシックインカムという社会保障政策。格差拡大や貧困の解決につながるのか、ビジネス特集です。http://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2017_0807.html
19:28 - 2017年8月7日


“ただ”でお金をもらえるとしたら?|NHK NEWS WEB
国から国民全員がただでお金をもらえるとしたら、どうなるでしょうか。一体何のことなのかといぶかしく思う方もいるかもしれません。こんな突拍子もないアイデアが最近、まじめに議論され、実証実験も始まっています。ベーシックインカムという、れっきとした社会保障政策です。格差拡大や貧困という世界共通の課題を解決するための手段として注目されるベーシックインカムの実態に迫ります。(おはBiz・豊永博隆キャスター)
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最近ちょっと話題になっているNHKのベーシックインカム特集は、根本的に間違っている。ベーシックインカム(BI)は「国民全員がただでお金をもらえる」制度ではない。フィンランドの実験は「世界初」ではなく、そもそも「ただでお金をもらえる」という言葉が矛盾している。
たとえば日本政府が国民全員の銀行口座に、ひとり年間80万円を振り込んだら名目GDPが20%増えるが、それを政府が発表した途端に、物価が20%上がって実質GDPは変わらない。財源措置がないとBIはヘリコプターマネーと同じで、激しい「財政インフレ」が起こるだけで実質所得は増えないのだ。
カナダで実験されてスイスで提案されたBIはそんなナンセンスな話ではなく、分配後の所得から所得税を徴収して税収中立にする。これはミルトン・フリードマンが負の所得税として提案したものと同じで、日本で財務省が「給付つき税額控除」として提案している制度も発想は同じだ。
生活保護と老齢基礎年金と子ども手当を廃止すると、日本でもすべての個人に年間約80万円(世帯あたり約200万円)のBIが支給できるが、税収中立にするためには所得税率を一律40%にする必要がある(社会保険料は廃止)。
財源はBIとは独立なので、たとえば累進消費税と組み合わせ、所得税・法人税を廃止することもできるが、この場合の消費税率は(税収中立だと)20%以上になる。「ただでお金をもらえる」フリーランチは存在しないというのが経済学の鉄則である。
BIの最大の政治的障害は、既存の社会保障を廃止することだ。これは所得再分配の透明性や世代間の公平という点では正しいのだが、年金生活者や生活保護世帯の既得権を奪うので、通常の方法では不可能だ。スイスでは国民投票をやったが、70%が反対だった。
しかし日本の社会保障が行き詰まるのは時間の問題なので、BIのような年齢に依存しない一括再分配に転換することは避けられない。団塊の世代が「食い逃げ」する前に社会保障を見直すには、政治家のみなさんもアゴラこども版ぐらいのBIの知識は必要だと思う。
http://agora-web.jp/archives/2027673.html


 

ただ”でお金をもらえるとしたら?

8月7日 19時10分
国から国民全員がただでお金をもらえるとしたら、どうなるでしょうか。一体何のことなのかといぶかしく思う方もいるかもしれません。こんな突拍子もないアイデアが最近、まじめに議論され、実証実験も始まっています。ベーシックインカムという、れっきとした社会保障政策です。格差拡大や貧困という世界共通の課題を解決するための手段として注目されるベーシックインカムの実態に迫ります。(おはBiz・豊永博隆キャスター)
世界で注目集めるベーシックインカム

フェイスブックの創業者、マーク・ザッカーバーグ氏がことし5月、母校のハーバード大学の卒業式に招かれた際の講演で、こう語りました。

「ベーシックインカムを導入し、みんなが新しいことに挑戦できるようにすべきです」

1月に開かれた世界各国の政治や経済界のリーダーが一堂に会する世界経済フォーラムの年次総会、いわゆる「ダボス会議」でもベーシックインカムが議論されました。格差拡大や貧困、国民の分断や内向き指向。世界に垂れこめる暗雲はしばしば資本主義のゆがみや限界とも指摘され、どうしたら問題を解消できるかとリーダーたちは真剣になっているのです。
ベーシックインカムとは
注目を集めているベーシックインカムとはどのような制度なのでしょうか。

日本語では「基本所得」と訳されますが、「すべての人」に「無条件」で「毎月、一定額」を支給するというのが特徴の社会保障政策です。生活保護や失業手当などとの最大の違いは「無条件」ということです。生活保護や失業手当を受給するためには所得や仕事の有る無しなどが問われ、行政に書類申請することが必要です。しかしベーシックインカムは、何の制限もなく、自動的に国からお金が振り込まれる仕組みとなっています。お金はすべての人が対象ですから、生活に困っている人だけでなく、収入の安定した人も、子どもにも全員に給付されるというのが本来の仕組みです。これが「“ただ”でお金をもらえるとしたら」というタイトルの意味です。
日本も深刻 貧困問題
日本も格差や貧困はひと事ではない深刻な問題です。ことし3月時点で生活保護を受けている世帯は1人暮らしの高齢者の増加を背景に164万世帯余りとなり、過去最多。しかも、日本には生活保護を受け取らず、それ以下の水準で暮らしている人の数が800万人とも1000万人とも言われており、行政の支援が届いていない、統計には表れない貧困の問題が深刻だとされています。
世界初 全国規模の実証実験
このベーシックインカム、正式な形で採用した国はまだありません。しかし、北欧のフィンランドはことし1月から2年間の期限を区切り、実証実験を始めています。全国規模で実験を行うのは世界で初めてのことです。
フィンランド ヘルシンキ

実験は全国の25歳から58歳の失業者を対象に無作為で2000人を選び出し、毎月560ユーロ、およそ7万円を支給するというものです。対象者を絞り込んでいる点は本来の「すべての人」という条件には該当しませんが、政策目的は失業や貧困の問題をどう解消するのかという点にあるので、実験としては妥当なものだと思います。


ベーシックインカムは気持ちを変える?
私は実際にフィンランドに行き、この制度によって、生活を立て直すことができたという女性を取材しました。首都ヘルシンキから北に500キロ。北緯64度にあるパルタモという町で暮らすマリ・サーレンバーさん30歳。11歳の息子を育てるシングルマザーです。実証実験の対象に選ばれ、ことし1月から月7万円を受け取っています。

サーレンバーさんは去年10月、勤めていたスーパーマーケットを解雇されました。頼りになるのは、月8万円の失業手当だけでした。子どもの教育費や光熱費を払うことで毎日が精いっぱいだったといいます。早く再就職して収入を増やしたいのはやまやまですが、収入を得たとたん、失業手当は減額されてしまいます。そのため、職探しには前向きになれなかったといいます。

ベーシックインカムは減額されることはありません。そのため、7万円を安定した生活費として使い、積極的に仕事をすることにしました。今では印刷所とスーパー、2つの仕事を掛け持ちしたことで、収入は合計で月22万円に上りました。

サーレンバーさんは「とても前向きな気持ちで仕事ができますし、ずっと抱えていた経済的な不安もなくなって安心しています。将来はフルタイムで働いて自分の給料で生活を支えられることを望んでいます」とうれしそうに語っていたのが印象に残っています。

実証実験を行うのはなぜ
フィンランドはなぜこうした社会実験に踏み出したのか。社会保険庁の担当者に取材すると、長年にわたって築き上げられてきた手厚い社会保障の仕組みが、これから先も安定して維持できるのか、新しい時代に適合できるのかという根本的な問いが投げかけられているといいます。

また、背景には高止まりした失業率という問題もあります。2016年の失業率は8.8%。リーマンショック、ヨーロッパの信用不安に加えて、フィンランド固有の事情としてロシアとの貿易取引の減少という問題があります。隣国ロシアとはもともと貿易が盛んですが、EU=ヨーロッパ連合によるロシアへの経済制裁によって、ダメージを受けているというのです。フィンランド政府は2年後に実証実験の効果がどのようなものだったか、検証するとしています。
ソーシャルでは賛否両論!
このベーシックインカムに関する特集を7月27日のNHKおはよう日本で放送したところ、ソーシャルメディアで多くの反響がありました。

おはよう日本 けさのクローズアップ

「資本主義の根本を否定するような政策」
「ちゃんと働く人が減って文句を言う人が増える」
「財源を確保できないだろう」
「無条件ということはその国に行くだけでお金をもらえるとか悪用されて不法移民が来そうで」

という否定意見多数。
一方、

「貧困を乗り越えるための重要な武器になるかも」
「競争原理を部分的に打ち消していく可能性があることは評価する」
「生産性の悪い仕事を駆逐する」

という肯定意見もたくさんありました。

中には「かつてトンデモ扱いされてたベーシックインカムがNHKニュースで報じられるようになる日が来るなんて胸熱」というコメントまでありました。

ちゃんと働く人が減ってしまうのではないかとの指摘は、この制度が議題になると必ず出てくる意見です。無条件にお金をばらまいてしまえば、そのお金を遊興費に使ってしまうのではないか。人々の勤労意欲を奪ってしまい、怠惰な人をうむことになりはしないかという疑念です。明確にそうならないと断言はできませんが、実際、フィンランドでベーシックインカムを受給している3世帯を取材しましたが、皆さん、それぞれ生活が安定し、人生を前向きに捉え直して新たな挑戦をしているように感じました。

また、財源はどうするのかという疑問は最も本質的な部分だと思います。ベーシックインカムのために大増税というのでは到底受け入れられないでしょう。ただ、今の生活保護や失業手当にも多額の予算が使われ、また多くの公務員が審査や職業訓練などの仕事に携わり、行政コストもかかっています。ベーシックインカムは「無条件」ですから審査や訓練というプロセスはありません。実際フィンランドで取材しましたが、ただお金が振り込まれるだけというもので、いたってシンプルでした。「すべての人に給付する」という性格上、年金の一部や児童手当などとってかわるものもあるでしょう。政府予算のなかでむだな歳出を減らすこと、富裕層に対する課税強化も当然必要だと思います。
新しい発想 求められる時代に
イギリスのEUからの離脱、トランプ政権誕生を目の当たりにして、人々はますます、世界は何かおかしな方向に行っているのではと感じ始めているのではないでしょうか。何かを根本的に変えないと格差や貧困の問題は解消できないのではないか。いままでのような豊かさは享受できないのではないか。そんなときに1つのアイデアとしてベーシックインカムという政策があるように思います。

いきなり導入できるかどうかはさておき、過去のしがらみや常識にとらわれず、新しい発想で考えてみる、そのようなことが求められる時代に私たちが生きているように思います。

おはよう日本 おはBiz
豊永博隆 キャスター
平成7年入局
函館局 サハリン駐在をへて経済部
ニューヨーク駐在4年 リーマンショックを取材
金融・通商・エネルギー取材を長く担当
現在は経済部デスクを兼任
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http://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2017_0807.html

 

ベーシック・インカムって何? 2017年02月27日 14:20 池田 信夫

このごろ「高校無償化」や「子育て支援」など、新しいタイプのバラマキ福祉が出ていますが、高校生や幼児をもつ親だけにばらまくのは不公平です。子育て支援のお金は、こどもではなく親がもらうので、それがこどもに使われるかどうかかはわからない。これは単なる所得再分配で、こどものいない貧乏人は税金を払うだけなので、ますます貧しくなります。
再分配するなら、すべての国民に非裁量的にばらまくべきです。それがベーシック・インカム(BI)で、カナダやスイスなどで提案されています。これは図のように、すべての人に(たとえば)80万円を一律に支給します。年収50万円の人には生活保護の代わりに差額の30万円を支給し、所得が80万円以上の人からは所得税20%を徴収した上でBIを支給します。年収500万円なら、手取りは80万円+(500万円×0.8)=480万円になります。
http://livedoor.blogimg.jp/ikeda_nobuo/imgs/a/e/ae1e0ca3-s.jpg 

他方、ミルトン・フリードマンの提唱した負の所得税は、社会保障をやめて税制だけで所得再分配するものです。これは課税最低所得が年400万円だとすると、それを超える所得に(たとえば)20%課税し、それ以下の人からはマイナスの税金を取る、つまり税金を還付するものです。年収500万円なら、手取りは400万円+(100万円×0.8)=480万円です。
つまり負の所得税とBIは思想的にはまったく違いますが、算術的には同じなのです。一律に給付するBIのほうが税務は単純化できますが、カナダの一部で行なわれた実験では「働かなくても金がもらえる」というBIのイメージが労働倫理に悪影響を及ぼすので、負の所得税のような形で労働所得を補助することが現実的でしょう。日本で議論されている給付つき税額控除は(言葉はまずいが)そういう発想です。
今の社会保障の一部を置き換えることもできます。今の老齢基礎年金と生活保護と子ども手当を廃止してBIに切り替えると、年間1人84万円(こども36万円)。これは標準世帯では204万円で、今の支給水準とほぼ同じです。社会保障をすべて所得税(および負の所得税)に置き換えると、所得税率は40%以上になりますが、今の社会保障でも2020年代には国民負担率は50%を超えるのでほとんど同じです。
所得税の欠点は、捕捉率が低く資産に課税できないことです。特に高齢者の資産は現役世代よりはるかに多いので、所得税に一元化するのは不公平です。資産課税や消費税と併用する必要があります。医療保険も基礎的な医療だけに縮小し、BIで医療費を支給したほうが効率的です。BIはこどもにも一人ずつ所得を分配するので、上の場合は毎月3万円のこども手当を配るのと同じです。
BIや負の所得税は理想に近い再分配システムですが、フリードマンが提案してから50年以上たっても実現しません。それは既存の社会保障をすべて廃止するので、年金生活者や官僚機構が強く反対するからです。でも日本の社会保障は行き詰まり、あと20年ぐらいで年金基金の積立はなくなって税金と同じになります。それなら最初から、税で分配すればいいのです。よい子のみなさんが大人になるころは、BIを真剣に考えるようになるでしょう。
追記:「高校無償化は現金じゃなくて授業料の免除だ」というコメントが来ましたが、授業料を免除されたら、高校に払うはずの所得が他に使えるので同じことです。「子育て支援」も同じくゼロサムの所得移転なので、それによって成長率が上がることはありません。しいていえば教育の受益者は子で負担者は親なので、親が浪費しないように使途を固定する意味は(初等教育には)ありえます。
http://agora-web.jp/archives/2024647-2.html

 

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