http://www.asyura2.com/17/hasan122/msg/899.html
Tweet |
WEDGE REPORT
血縁に見捨てられた認知症の伯母【ある成年後見人の手記(1)】
2017/08/07
松尾康憲 (ジャーナリスト)
「松尾由利子さんが倒れ、脳の血管が切れて認知症となられました」
2009年2月5日朝、単身赴任していた共同通信社大阪支社に出社間もなく、神戸市内の救急病院から電話。これで義理の伯母、当時86歳の成年後見人への道を選ぶに至った。
2日後、病院に由利子を見舞う。車いすに座りぐったりしていた。それでも私が分かり「やっちゃん」と、か細い声で呼んでくれた。
新大阪駅で買い持参した「いちご大福」を、看護師が小指の先ほどに切り食べさせる。いちごは、飲み下せない恐れがあり、捨てられた。「箸を認識できず、食事は手づかみ」と、ソーシャルワーカーの高田美恵(仮名)。
危急の電話の主も高田だった。彼女が語る経過は……。
─―09年1月25日、バスの中で不快を訴え下車、停留所で動けなくなっているのを通行人が見つけ、救急車で搬入。由利子は、現金3万円と預貯金通帳、印鑑など貴重品を手提げ袋に入れ持ち歩いていた。
高田は、所持品を手掛かりに神戸市内に住む血縁の2軒に電話したが、「関係ない」と、けんもほろろ。外信部次長時代の筆者、松尾康憲の名刺を頼りに東京本社に電話し、大阪に単身赴任中の私を手繰り寄せた─―
「後見人になっていただけませんか? 身柄を引き取れとか言いません。受け入れる施設は、私が見つけ、その後もご相談に乗ります。拒否されるなら、神戸市長が後見人の選任を申し立てる選択肢もあります。でも、ご身内がなられた方が……」。成年後見とは、家庭裁判所から選任された「成年後見人」が、認知症になった人の預貯金の管理や不動産の処分などを行うとともに、福祉施設や病院の入退院手続きといった日常生活にかかわる契約などを支援する制度である。高田に、ぐいぐいと引きずり込まれていった。
由利子は、筆者にとって亡父の兄の奥さん。夫は他界し子はいない。私とは血縁がなく扶養義務もない。
(iStock.com/kazoka30)
血縁はないが思い出を共有
1959年秋に私が満6歳を迎える前に、由利子との最初の接点があった。私は東京都内で出生したが、2歳のときに両親が離婚。婿養子だった父が私を連れ郷里、広島県尾道市の実家に帰り、暮らすに至っていた。
59年11月、父が33歳にして死去。家族、親族の女たちが号泣していた。その中の1人が由利子だ。その直前、父は死期を察していたのか、由利子に小遣いを託し私を近くの行楽地・千光寺公園に連れて行かせてくれたのを覚えている。実子のいない由利子はかわいがってくれた。
若き日の松尾由利子(撮影日・場所は不明。)
尾道の家は印刷業を営んでいた。祖父が跡取りにと、神戸から由利子夫婦を呼び寄せていた。当時は都会と地方の生活差が大きく、朝食に紅茶とトーストを味わう夫婦はとてもハイカラに見えた。
ところが、私が小学校1年か2年のとき、祖父と息子は家業の経営をめぐりいさかいを繰り返し決裂。由利子夫婦は神戸に舞い戻ることになった。その経緯は、私が子供だったため詳しくない。私は寂しくなった。
少年期から思春期を迎え、私には、小さな町を出たくて出たくてたまらない思いが募っていく。18歳で神戸の公立大学に入り、日本育英会奨学金(当時)月1万2000円と新聞配達や家庭教師で自活して学生生活を送った。
十数年ぶりに再会を果たした由利子夫婦に、大きな経済負担を掛けた覚えはない。だが保険外交員の由利子は、食事に招いたり、小遣いをくれたりした。義理の仲なのに嫌な顔もせず。多感な青年期にどれほど心温められ、孤独を癒されたか……。
だから、今できる力がある以上は、独りにしておけない。
義理の伯母である松尾由利子を実名で書いていくのは、彼女を巡る事態の推移が決して絵空事でなく確固たる現実であり、誰の身にも起きかねないことを分かっていただきたいからである。善良なる市民として勤労して過ごした末の最晩年に、認知症を患うのは恥でも何でもない。自らの軌跡の公表が、成年後見制度などの改善にたとえ一歩でも寄与するなら、伯母は本望であろうと確信する。
信じられないごみ屋敷
09年2月12日、再び見舞う。高田が由利子の車いすを押し、その自宅の神戸の某市営住宅を女性民生委員と私を含め4人で赴いた。
5年ぶりになろうか、3号棟415号室のドアを開けると、部屋の中は衣類、雑貨、ごみが散乱、足の踏み場もなく、土足で上がった。電気は切れている。あの几帳面だった由利子の部屋がこれ!
倒れる前から認知症が始まっていたのか? 呆然とし「電話しても連絡がつかなくなっていた」とつぶやくと、民生委員が「そうですよ。出歩くのが好きで、家は寝るだけの場になっていた」。
荒れ果てた部屋に「もう、ここ嫌や」と、車いすの由利子が言う。奮起させようと、ソーシャルワーカーの高田が声を上げた。
「大切な物を回収しましょう。銀行員の名刺が見つかったら、事情を説明しに来てもらいましょう。私たちが証人になります。伯母さんの入院料などの支払いのため、下ろさないといけないって」
女性の気丈を感じた。堆積物の中から、定額貯金や定期預金の通帳、さらに外貨建て投資信託に関する郵便物、金融機関職員の数々の名刺などなどを回収した。
その名刺を頼りに、某メガバンクの支店に電話した。
「口座番号○○○○、松尾由利子の親族の者ですが、本人が倒れて引き下ろせなくなっているので、事情を確認に来ていただきたい」
だが、人を寄越すどころか、名刺の主も電話口に出さない。法務担当者が「引き出すなら、戸籍謄本を持って来てください。えっ、ご本人の亡くなられた夫の弟の息子さんですか。血縁関係がなければ駄目です」。
私は「血族に身元を引き受ける者がいなくて、病院が困っているんです。ここに居る本人が預けた金を、この危急時に、どうすれば利用できるか、教えてください」。何の回答もなかった。
頼りにならない弁護士
(iStock.com/takasuu)
あの名刺群の行員たちは、80歳を超えた由利子の勧誘にどれほど笑顔を振りまいたことか……。怒りを抑え「お立場は、よく分かりました。当方は、専門家の助力を得て法的手段で解決します」と、私は述べた。
JR神戸駅近くの法律事務所に駆け込み、皆元静香弁護士(仮名)らに委任したのが09年2月19日。
ソーシャルワーカーの高田の知人から「金融に強い」との評判を聞き、難題をこなすプロ集団と信じていた。由利子の金を由利子のために使えるようにしたいと、すがる思いだった。
事前の打ち合わせで、手付金23万円を支払い、代理人活動開始ということになっていた。弁護士事務所まで金を持参したが、何を勘違いしたのか13万円しかなく、残り10万円は振り込みに。私のミスだ。初めての体験の連続に、神経が参っている。
成年後見制度について初めて知った。プライバシーをすべて皆元らに話し、記録に残す。
「とにかく早く手続きを進めてほしい」と頼み込んだ。当時の由利子のぐったりした様子を目にした身としては、万一の事態が起きた場合、つまり由利子が死去した時、後見人の身分がなければ、大変複雑な問題に巻き込まれると懸念したからだ。また、後見人になってこそ、私の立替払いは本人の財産から弁済されるのである。
だが弁護士は、選任までの所要時間の見通しを言ってくれない。1カ月半がたっても何も進まない。4月1日には、こんなやり取りがあった。
私「どの段階まで来ているんですか」
皆元「不動産登記がないことの確認書類を求めています」
私「早くしていただかないと立替払いの負担も大変です。交通費とか」
皆元「交通費は出ませんよ」
私「この支出は認められる、これは駄目という基準を示してください」
皆元「はっきりした基準はないんです」
皆元らが、由利子の血族や病院、施設関係者らへの聞き取り調査に動く気配がないのも、不思議だった。思い余って4月6日、ある革新政党に近いといわれる神戸の法律事務所に山江恵一弁護士(仮名)を訪ねた。
ここで初めて、後見人に関するマニュアルをもらった。弁護士に対する懲戒制度についても説明を受けた。
「先生、替わってもらえませんか」と要請したが、専門外のため「弁護士会で後見人専門の人を紹介してもらった方が良い」と勧められた。他人の仕事を引き継ぐのは嫌なのか。皆元たちで続けるしかない。
申立人の法的な保護が必要
こうして私は09年2月に成年後見人への選任申立てを決意し、生まれて初めて司法の判断を仰ぐ立場となった。裁判所の門をくぐったことの無い読者も多いだろう。そんな人々こそ、「司法は、当事者である市民の声に耳を傾け審判を下す」との私が当初抱いていた素朴な期待を理解してくださると思う。だが事は安易ではなかった。
私が、神戸家裁に成年後見人への選任を申し立てるに当たり、疑問を抱いたのは、雇った弁護士から準備書類作成のため、由利子が住んでいた市営住宅に行き、書類や書簡などの回収を頼まれた時だ。弁護士が依頼人に作業を求めるというのも考えてみれば変な話だが、それはともかく、何度も部屋に上がり込んで物色したが、これは家宅侵入や窃盗の容疑を抱かれかねない行為だと思い、怖かった。私はこの時点でまだ後見人にもなっておらず、立ち入り権限はあるのだろうか? 隣人が不審に思い110番通報して警官が来でもしたら、一悶着は避けられなかっただろう。
市民が司法判断を求めようとすると、危なっかしい思いを余儀なくさせられるような現状は、早急に改めねばならない。後見人選任の申立人を保護する制度を設けるべきだ。(つづく)
Wedge3月号 特集「成年後見人のススメ」認知症700万人時代に備える
PART1:東京23区の成年後見格差、認知症への支援を急げ
PART2:先進地域に学ぶ成年後見の拠点作り・前編:品川モデル
PART2:先進地域に学ぶ成年後見の拠点作り・中編:「品川モデル」構築のキーマン・インタビュー
PART2:先進地域に学ぶ成年後見の拠点作り・後編:大阪モデル
PART3:過熱する高齢者見守りビジネス最前線
Wedge3月号はこちらのリンク先にてお買い求めいただけます。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/10156
まさか消費者金融に世話になるとは【ある成年後見人の手記(2)】
2017/08/08
松尾康憲 (ジャーナリスト)
2009年3月14日、松尾由利子は神戸市街の救急病院から六甲山を越え、有馬温泉の奥、神戸市外にある老人保健施設に移り住むことになった。生きて還ることなき旅路である。車いすの由利子と、介護タクシーに乗り込んでいると、ソーシャルワーカーの高田美恵が白衣を着替えて駆け付け、「同行します」と言ってくれた。業務外なのに。
幼くして両親と生死別していた筆者は、この時55歳だったが、こうした施設とは縁遠かった。徐々に老いていく親を見ている身であれば、心の準備もできようが、私はいきなり当事者となったのだ。ひとり付き添うのが心細くてたまらず、高田の親切がうれしかった。
一方、施設への入所を強引に進めたのも高田であった。「まだ後見人でも何でもない無資格者ですよ。もうしばらく待ってもらえませんか」と、私は抵抗したのだが、高田に「救急病院という性格上、いつまでも収容できないんです。ふさわしい施設を紹介しますから」と押し切られてしまった。その果ての同道である。
六甲山(iStock.com/paylessimages)
施設へ送る「生還なき旅路」
由利子が、「姥(うば)捨て山」に連れて行かれるような気分を抱くのではないか、嫌がったらどうしよう、と胸ふさがる。ところが現実の由利子は、車窓から見える街並みや木々の緑を楽しみ、顔に笑みを浮かべる。揺れが快適なのか春眠も味わってくれた。高田ともども安堵した。外出好きな伯母にとっては1万250円のドライブとなった。
その2日後の夜、施設のケアマネジャーから電話が鳴った。「夜ベッドで無理に立とうとするんです。転倒が怖くて……。うちは身体拘束できません。『ビールが一番やな』とおっしゃっていますが、飲めるんなら睡眠薬より良いので送ってくれませんか」。缶ビール2ダースを送った。
規則正しい生活と栄養バランスのとれた食事のせいか、車いす頼りだった由利子が立てるようになった。この時期の由利子は、どんどん元気になっていった。歩けるし、トイレも自分で行ける。
すると新たな問題が起きる。4月18日、ケアマネジャーより電話が鳴った。「徘徊がひどくエレベーターで降りて外出しようとするんです。仕方ないので閉鎖棟に移ってもらいます。酒類は禁止です」。かわいそう、楽しみがなくなる。私は、目まぐるしい推移に携帯電話が鳴るのが怖くなってしまった。ジャーナリストでありながら……。
新たな住まいとなった閉鎖棟は、2階の厚い鉄扉で仕切られた空間で、中に入ったら健常者も職員に頼んで鍵を開けてもらわないと外に出られない。約30人の高齢者男女が、ピンクのジャージーを着せられ2人部屋に寝起きする。ビールが飲めなくなっただけではない。私物の持ち込みは一切禁止。タオルまで廃棄させられた。「重症者には、何でも食べてしまう方がいるので」と寺田弘子看護師(仮名)。
募る不信感、ついに弁護士解任
神戸家庭裁判所
皆元静香弁護士らに委任して約4カ月を経た09年6月15日、やっと神戸家庭裁判所での調査官面談にこぎ着け「神戸家裁50774号(後見開始申し立て)」という事件名を得た。この場で皆元らを事実上解任した。
由利子には計14人の血族がいることは後に判明する。彼ら彼女らから、私が成年後見人となることへの同意を得なければならないのに、皆元らは1人も取っていなかった。
調査官の前で、私が詰問すると、「要らないと思った」と皆元。「『思った』って、法律家の言葉ですか」。もはや依頼者と弁護人の対話ではない。4カ月が空費された。書類不備もあった。由利子の名を「百合子」と誤記していた。
皆元が、別れ際「辞任届でいいですか? 手付金の全額は返せません」と言うので、「了解。費消分は差し引いてください。ただし法外な金を取ったら懲戒申し立てしますよ」と釘を刺した。20万円余りが戻ってきた。
4日後、兵庫県弁護士会に駆け込み、6月26日付で広末毅弁護士(仮名)に委任。メールで進展状況を知らせてくれ、信頼関係が築けた。
ただ、それまで弁護士という職種に抱いていた畏敬は壊れてしまった。弁護士会に駆け込んだ時も60〜70歳くらいの年配弁護士に聴取を受けたが、名乗らない。敬語を使わない。
私が説明し始めると「法律相談の場じゃあない。手短に」。由利子が倒れた経緯に及ぶと「認知かあ?」。「認知症です。正確に記録してください」。病名を端折れば差別的ニュアンスを帯びかねないことすらわきまえていない。
経済負担重く消費者金融へ
09年6月15日の神戸家庭裁判所での初回調査官面談から、筆者は由利子の成年後見人の候補に。ところが後見人になるまでは重い経済負担ばかりで権利保障は無い。メモを繰ると、私の立替払いは09年9月7日時点で81万5129円。
由利子を入所させた有馬の奥の老人保健施設から4月17日付で5万5908円の請求書が届き、以後は毎月約10万円。これを滞りなく払う。この外に、差し引き二十数万円の弁護士料、由利子が滞納してきた後期高齢者医療保険料なども負担した。
9月7日午前、新任の広末弁護士と臨んだ神戸家裁2回目の調査官面談。家裁から請求されたのは鑑定費はじめ計7万7950円。
由利子について、「要介護5」との証明書と、診断書は提出済みだったが、偽証罪を視野に入れた「鑑定書」を、診断書を書いたのと同じ医師から求めるというのだ。せめて後見人になるまで支払いを待ってほしい。
私の当時の年収は1000万円を超えていた。だが住宅ローン返済、息子の学費といった既定支出があり、家計は想定外の出費にもろい。定期預金を崩し、ボーナス期の谷間、顔をこわばらせて消費者金融へ。生まれて初めての体験だった。しかしながら担当者の対応は、銀行や家裁、弁護士よりよほど親切だった。
由利子をほぼ月1回見舞ってきた。単身暮らす大阪府吹田市から有馬の奥の施設までの片道は、地下鉄とJRを乗り継ぎ710円。施設最寄りへのバス便は少なくタクシーに乗り換え2500円。手土産も含め諸経費は1回1万円超。
さらに2カ月にほぼ1度、妻、容子を東京から呼び3人で“デート”。息苦しいであろう施設での生活に、せめて“社交”の機会を与えようと思ったからだった。09年5月30日が第1回で、東京から妻を呼び寄せ、タクシーでドライブした。
温泉街を流れる有馬川(iStock.com/paylessimages)
由利子を妻が持参した思い切り若めの服に着替えさせ、定番となったコースは、まず美容院で身づくろいし口紅を引く。有馬温泉の足湯につかり、両脇を支えカフェバーへ。ビールとワインを少しだけたしなませ、近くの和菓子店で土産を選ばせる。
美容院で「どんな具合に?」と尋ねられたから「とにかくお客さん気分を味わわせてください」と頼んだ。
タクシーに乗った由利子は、「六甲はあっちやな。ここ有馬かいな」。道路表示の漢字を読み取る。2時間余りを過ごすと「ありがとう。長生きして良かった」。
以上のような、後見人になるまでの「見舞い」経費は、先に挙げた80万円余りの立替払いから外した。
事実上解任した皆元弁護士からは「お見舞いは自由意志です」と言われ、広末も「多額請求では後見人になれません」と釘を刺されていたからだ。
だが、老いはての人にとり最も必要なのはケアではないか。後見人となる身も、金計算よりもケアにこそ意を用いたい、と思ったものだ。
9カ月も経ってやっと後見人に
神戸家庭裁判所の家事審判官(一般裁判での裁判官に相当)は09年10月6日、私を由利子の成年後見人とする審判(判決に相当)を下した。
審判書の主文は、1.「本人」由利子について後見を開始、2.成年後見人として申立人(筆者)を選任、3.手続費用のうち申立手数料800円、後見登記手数料4000円、送達・送付費3150円、鑑定費約8万円は由利子の負担。
これが全内容、一般の裁判での判決理由に相当する文言はない。成年後見開始の審判において、申立人自身は異議申し立てできない。この薄い文章の読み方を広末弁護士が教えてくれた。「弁護士料は、伯母さんでなく、松尾さんの負担ということです」。
私が払ってきた弁護士料は通算24万3600円。どの弁護士も、後見人に選任されれば戻ってくる前提で話をしていた。それは私の聞き間違いだったのだろうか。いずれにせよ戻ってこない支出となった。
その結果、09年9月時点での立替払いを80万円余りと先述したが、立替分として戻ってきたのは約49万円にとどまった。
後日、家裁で書記官に尋ねた。「この申し立ては、私の利益になるものではない。すべて伯母由利子のためなのですよ」。答えは「弁護士なしで後見人になる人もいます」。
二の句が継げなかった。書記官の想定にあるのは、親子や兄弟、夫婦などの間での後見人選任であり、家族会議で円満に同意を得るケースだろう。
姻族三親等の私は、血族の誰一人面識もなかった。そもそも血族が何人いるかさえもわからなかった。弁護士に頼り相手方を探すことから始めなければならない。それには戸籍謄本の取得が必要だが、弁護士や司法書士など抜きでは不可能だ。
一般の裁判と異なり、審判官は申立人と対面しない。こんな環境を訴える場は、私にはなかった。
見捨てる血族たち
由利子の血族との面会を一度だけセットしたことがある。だが、その再会は荒涼たるもので、血縁とは何かを考えさせられた。
広末弁護士が由利子の血族の割り出しを進め、姉妹2人と甥や姪ら計14人がいることが判明。この中で、神戸に住む実妹の田宮悦子(当時79歳、仮名)が私と連絡を取りたがっているという。
考えた末に電話した。「どんな経緯があったか知らないし、知るつもりもないが、一度見舞っていただけませんか」。
曲折を経た末に09年9月7日午後、悦子と息子の次郎(当時47歳、仮名)が施設を訪ね、私も広末弁護士と同道することになった。
施設に着くと、悦子母子を先に進ませ対面させた。由利子の口から飛び出した第一声は「あんた誰?」、そして私に気づき「ああ、やっちゃん」。
悦子は当惑し「なんで分かるん?」。頬を流れる涙も見られない。由利子が実妹に「奥はん」とも呼び掛ける場面もあり、懐旧談も長くは続かない。
皆が由利子の部屋に集まり、医師の説明を聞いた。すると次郎が「預貯金が1000万円あるそうだが、母は妹だから下ろせるはず」と言いだす。広末が「法律上そうはいかないんです。本人の前で、金の話はやめてください」。
次郎が、何度も金の話をぶり返す。私も感極まり「あなた方は私より縁が濃い。あなた方が後見人を引き受けてもいいんですよ」。「いえ、ありがとうございます」と母子。
(iStock.com/Halfpoint)
由利子がうつむく。空気が分かるのだ。「伯母さん、面倒を見るよ。そのために弁護士先生に来てもらったの。また有馬温泉に行こうね」。私はこう言って、気を紛らわせるしかなかった。
帰り際、母子と早く別れようと思っていたら、「こんな所で放り出されても」と悦子。仕方なくタクシーで駅まで送った。「こんな所」って、実の姉の終の住み処なのに……。
その後、由利子が亡くなる14年10月まで、血族の誰一人として由利子を見舞っていない。
(つづく)※8月9日公開予定
血縁に見捨てられた認知症の伯母【ある成年後見人の手記(1)】←
Wedge3月号 特集「成年後見人のススメ」認知症700万人時代に備える
PART1:東京23区の成年後見格差、認知症への支援を急げ
PART2:先進地域に学ぶ成年後見の拠点作り・前編:品川モデル
PART2:先進地域に学ぶ成年後見の拠点作り・中編:「品川モデル」構築のキーマン・インタビュー
PART2:先進地域に学ぶ成年後見の拠点作り・後編:大阪モデル
PART3:過熱する高齢者見守りビジネス最前線
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/10163
定年女子より真っ暗、「役職定年女子」の未来
残れず、生めず、決心も付かず…
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
2017年8月8日(火)
河合 薫
2020年まで、あと3年。いや、もう3年?
いずれにせよ、3年後は「アッ」という間にくる。
といっても、東京オリンピックの話をしているわけではない。
なんと「日本人の女性の過半数が50歳以上」になってしまう……というのだ。
『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』の著者、河合雅司氏が、合計特殊出生率を計算する際に「母親になり得る」とカウントされている49歳までの女性人口と、50歳以上の女性人口を比較した結果、
「2020年には、50歳以上の人口(3248万8000人)が、0〜49歳人口(3193万7000人)を追い抜き、日本女性の過半数が出産期を終えた年齢になる」
ことがわかった(国立社会保障・人口問題研究所の推計に基づき算出)。
「出産期を終えた年齢」……ですか。
ふむ。グサッとくる言葉だ(苦笑)。
今までも「産めや、増やせや、でもって、働けや!」と、戦時中並みの圧力をかけられている若い女性たちが気の毒で、「戦力外でホント、ごめんなさいね。いつの間にやらこんな年齢になってしまって…、個人的には“まだ”イケるかもと思っているのですが…(冷汗)」なんてことを冗談混じりに言っていたのだが、遂に「50歳以上」で一括りにされてしまうとは……。
兄と私を育てあげた77歳の母親と一緒のグループ。なんてこった。
この数字が胸にズシッと来た理由
河合雅司氏が日本人の女性を「母親になり得る年齢」と「もうムリ!!」という年齢とに分け、比較した背景には、
「半数以上が50歳以上になって、どうやって少子化を解消するというんだ? ひとりで5人も6人も生んでくれってことなのか?」
といった、「政府の少子化対策の夢物語ぶり」を指弾する狙いがあった。
この数字を突きつけられた世間はおののき、“未来の日本”を案じたわけだが、リアル「50歳以上」の働く女性たちの心配は、ちょっとばかり異なる。
“自分の未来”に、戦戦恐恐としたのである。
私自身も「3年後の2020年に大人(20歳以上)の“10人に8人”が40代以上。50代以上に絞っても“10人に6人”」と各所で公言してきたのだが、「女性」と限定されたことで、数字の持つ重さにズッシリとヤラレている。
「女性には役職定年なんてない。アレはドラマの世界」――。
こう嘆くのは、某大手企業に勤める、夫なし、子なし、介護の母ありの“マンネン課長”。51歳の女性である。
というわけで、今回は「定年女子」ならぬ「役職定年女子」について、アレコレ考えてみようと思う。
と、その前に簡単に補足しておきますと、「ドラマの世界」とは、今話題になっている「定年女子」のこと。大手商社に勤める53歳の主人公が(南果歩さん)、突然、役職定年を言い渡され、邪魔者扱いされ居場所を失い、会社を辞め、セカンドライフを模索するドラマだ。
プライベートでは、浮気が原因で離婚した夫の母親の介護まで“なぜか”任され、出産を控えた娘が浮気で出戻りとやらで、てんやわんや。
50代以上の女性たちに、人気を得ている、らしい。
では「役職定年はリアルではありえない」とする、“マンネン課長女子”のお話からお聞きください。
「うちの会社では、55歳になると“3つ”から選ばなくてはなりません。
早期退職するか、給料半額で現場に戻るか、給料そのままで地方でも関連会社でもなんでもやります宣言するか……です。でも、現実的には“早期退職”するしかないんです」
「御社は女性の多い会社としても有名ですよね?」(河合)
「はい。先輩たちの中には、現場に戻った人もいますし、関連会社に転籍した人もいます。
私たちより上の世代は、採用も少なかったし、辞めた人も多いので、残っている女性は少ない。だから3択が可能なんです。
でも、私たちの世代はそうはいかない。女性も多く採用してるので、どう考えてもポストが足りません。もともとうちの会社は、男性と女性とではキャリアパスが違います。
男性は、いろいろな部署を経験しますが、女性は接客のある現場をずっと担当させられ、リーダーから課長になるというコースが一般的です。部長に昇進する人は滅多にいませんから、“マンネン課長”が最高地点なんです。
取締役に先輩女性2人が抜擢されていますが、男性との割合から考えるとこれ以上増える見込みもない。
関連会社でも、女性を受け入れるポストは少ないし、転籍した先輩女子が65歳まで在籍したら私たちの受け入れ先は激減します」
少数のおばさんならいい会社でも、おばさんだらけだと…
「でも、役職定年して現場に戻るという選択肢は残るんじゃないんですか?」(河合)
「ドラマでは、女性の“役職定年”が話題になっていますけど、実際はそんなかっこいいものではないですよ(苦笑)。部長になった一部の女性と、マンネン課長の私たちとでは、役職を退いたあとの待遇が全く違いますから。
そもそも……現場は歓迎しませんしね。
オバさんが数名なら『女性を長期雇用するいい会社』というイメージアップになるかもしれませんが、オバさんだらけになったら『なんだよ、ババアかよ。こないだの若い人の方がいいな』とか、お客さんに言われてしまうのがオチ。
会社もできることなら、オバさんは奥に押し込めておきたいというのがホンネだと思いますよ」
「ということは、早期退職という名のリストラを、暗黙裡に強要される確率が高いってことですね」(河合)
「ええ、そうです。たぶん会社もこんなに女性社員が残るとは、考えていなかったんじゃないでしょうか。まぁ、自分自身、こんなことになるだなんて、想像もしていませんでしたから……」
「早期退職しても、それなりにもらえるならアレですけど、もともとうちの会社は女性の基本給が低いんです。
50歳過ぎた女性を雇ってくれる会社なんてないし、家のローンも残ってる……。
先のこと考えると、不安だらけです。ホント、どうしたらいいんでしょう。
ただ、困った事に、あと数年で選択をしなければならないというリアリティが持てない自分もいて……。情けない話ですけど、不安から逃れるために先送りしている自分がいます。
この先、女性の活用ってどうなるんでしょうか? 他の企業とかどうなっているんですか? 河合さん、知ってたら教えてください」
……以上です。
「今さら何を言ってるんだ。オレたち、みんなそうやって悩みながら生きてんだよ!」
と、男性たちは呆れているかもしれませんね。
はい、そのとおりなんですよ。
「いまさら何を」って、その通りなのですが
でも……、そのなんといいますか、“男女雇用均等法世代”より下の私たち世代は、
「私には若い頃から描いてきたキャリアデザインがあります。将来はこの会社を背負っていきます。その思いだけでキャリアを重ねてきました!」
と胸を張るような女性は極めて稀。
世間的には“バリキャリ”と思われている女性であっても、周囲が思っているほどにはキャリア志向は高くないのです。
気がつけば、この年齢。気がつけば、オヤジ並みに働き、子なし夫なしの「親になり得ない群」のメンバーのひとりにカウントされ……。
かくいう私も「3年働いたら辞めて結婚し、双子を育てる予定」だったので、彼女の気持ちが痛いほどわかる。
仕事では、ロールモデルがいなくても困らなかったけど、人生は別。
「自業自得」と思いつつも、子なし、夫なし、仕事なしの未来像が描けず、足がすくむ。“孤独死”なんて文字まで、頭を過る。
ひたすら時間だけが過ぎ、鏡に写る自分の顔の衰えに気が滅入り……、不安が募る一方で、「ひょっとしたらどうにかなるかも」という淡い期待が交錯し、金縛りになる。
人生とはありえぬことの連続だが、「今、ここで未来を案じている自分」も、想定外中の想定外で。ありえない、のである。
「あのさ〜、そんなの男だって一緒。すべてが想定外でしょ? だいたい男の方が大変だよ。家族もいるんだからさ」
はい、そのとおりです。
なのでこの先のことは、彼女自身がどうにかしなきゃいけなない問題であり、婚活するもよし、セカンドキャリアに向けて勉強するもよし、50歳以上の女性を雇ってくれる会社で必死で働くもよし、それこそ「背負うもの」が少ない分、踏ん張るしかない。
と、このように、“役職定年女子問題”は、社会的な共感・理解を得ることが極めて難しいことは重々承知している。
が、その一方で、私は別の思いを持ったのもまた事実。
「女性活躍って、何なのだろう?」と。
「女性活躍」=リーダーを増やす 管理職を増やす という凝り固まった考え方にこれまでにも異論を唱えてきたけど、「リーダーになり得ない(=会社に残り得ない)&親にもなり得ない)群のリアル」を理解し、解決していくことが真の女性活躍につながっていくのではないだろうか。
だって彼女のあとには、さらに大量採用された、50歳以上の働く女性は確実に増えるわけで。雇う側も「こんなに残るとは想定外」などと言っている場合ではないのである。
男女差に関する、興味深い「数字」がある。
経済協力開発機構(OECD)の「国際成人力調査(Program for the International Assessment of Adult Competencies : PIAAC)」の結果で、日本の「労働者の質」は世界トップレベルであることは、以前書いた(“東京の夜景”の被害者を二度と出さないために)。
この調査は、読解力、数的思考力、ITを活用した問題解決能力の3分野のスキルの調査に加え、「学歴ミスマッチ」なるものの分析も行っている。
学歴ミスマッチには、「オーバー・クオリフィケーション(オーバー・エデュケーション)」と、「アンダー・クオリフィケーション(アンダー・エデュケーション)」があり、前者は「現在の仕事に必要な学歴(学歴要件)よりも高い学歴を取得している場合」で、後者はその逆のこと。
PIAACの分析では、日本のオーバー・クオリフィケーションの割合は31%、アンダー・クオリフィケーションは8%で、OECD加盟国の中でオーバー・クオリフィケーションの割合がもっとも高い国であることがわかっているのだ。
ギャップが持続する日本
とりわけ大卒労働者が、大卒から想定されるよりも低いレべルの能力が求められる仕事に従事している割合が日本は高く、就職6カ月後と5年後の追跡調査でも、その状態が解消されないことが示されている。
他の先進国の場合、たとえ入社時にオーバー・クオリフィケーションであっても、その後の社内異動などで解消されるケースが多いにも関わらず、だ(D.Varhaest and R. der Velden .“Cross-country differences in graduate evereducation and its persistence ”)。
例えば、就職時のオーバー・クオリフィケーションが、日本の次に高いオーストラリアと比較すると……
就職時―― 日本(31%) オーストラリア(27.8%)
就職半年後―― 日本(30%) オーストラリア(24%)
就職5年後―― 日本(25%) オーストラリア(14%)
持続率―― 日本(66%) オーストラリア(39%)
※持続率とは半年後のオーバー・クオリフィケーションが解消されない人の割合
ちなみに、持続率が7割近いのは、先進国では日本特有の現象である。
つまり、「日本って、せっかく大学とか大学院まで行っても、意味ないじゃん。だって、企業はさ〜、大卒者の能力を活かしきれてないし〜、労働力の質の高さを生産性に反映できてないのかもね〜」ってこと。
しかも、学歴ミスマッチを男女に分けて比較した国内外のいくつかの調査からは、
日本の女性は就職時にマッチした職を得ても、その後、オーバー・クオリフィケーションに陥りやすい。
オーバー・クオリフィケーションはマッチした人に比べ低賃金になるが、その差は若年層よりも中高年層で、男性よりも女性で大きい。
オーバー・クオリフィケーションの解消には、日本では転職よりも内部異動の効果が大きいが、内部異動で効果があるのは男性のみ。
女性は転職でオーバー・クオリフィケーションの解消が期待できるが、無期雇用の場合、転職でオーバー・クオリフィケーションに陥りやすい。
などなど、日本の女性の教育レベルは世界的に誇る高さにも関わらず、その潜在能力を活かされていない可能性が示されているのである。
……さて、これらの結果をアナタは、どう受け止めますか?
上を伸ばすだけでは活躍意識は高まらない
「じゃあ、女性のキャリア意識をあげろ!」
「じゃあ、転勤とか出張とか文句言うなよ!」
「じゃあ、リーダーになりたいってもっと主張しろよ!」
といった、厳しい意見をいう人も多いかもしれない。
しかしながら、「内部異動で効果があるのは男性のみ」という結果を踏まえると、問題は女性が置かれる環境、すなわち「人事」にあるという解釈もできる。
「女性の方が優秀なんだよね〜」
という意見を耳にすることは度々あるけど、その“優秀さ”は適性配置されているのだろうか。
だいたい“デキる女性”のお決まりのコースといえば、「広報部長」や「ダイバーシティ部長」というのも、妙だ。
「企業の生産性を高めよ!」を合い言葉に、AIやらなんやらに躍起になるのもいいけど、男性であれ女性であれ、50過ぎであれ、組織内のありとあらゆる階層・階級で、潜在能力を引き出す人材の配置を模索しないと、企業は膨大な「割増退職金」を払い続けることになる。
だって、あと3年で「大人(20歳以上)の“10人に8人”が40代以上」、「女性の過半数が“出産期を終えた年齢”」になるという現実は“ありえる事実”として存在しているのだ。
会社内の階層・階級の“上”の方ばかりを「活躍」の場と意識してしまうと、女性の「活躍したい」という意識はむしろ下がるかもしれない。それはもちろん、男性を対象にしても言えることなんですけどね。
……最後に……。あの〜「女性は若いほどいい」という価値観もどうにかなりませんかね?
今も飛んでいるスッチー時代の同期によれば、
「最近のお客さんは恐くなった。二言目には『どう責任とってくれるんだ』って、自分の思い通り(お客さんの)にならなかったことの責任を押し付けられるし、……『ババアかよ』って、わざと聞こえるように言われた事も何度もあるよ〜」
と、顔で笑い、心で泣いておりました。
これからは50代のオジさんたちを癒すのは、同じ悩みを抱えている「出産期を終えた年齢」の女性じゃないでしょうか。彼女たちは案外、オジさんたちにはかなり優しいと思いますよ。
悩める40代〜50代のためのメルマガ「デキる男は尻がイイ−河合薫の『社会の窓』」(毎週水曜日配信・月額500円初月無料!)を創刊しました!どんな質問でも絶対に回答するQ&A、健康社会学のSOC概念など、知と恥の情報満載です。
このコラムについて
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/080700117
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 経世済民122掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。