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電通本社ビル(christinayan_by_Takahiro_Yanai/iStock)
「罰則」は労基法違反の制裁として機能しているのか?
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/10159
2017年7月21日 河本秀介 (弁護士) WEDGE Infinity
広告代理店の株式会社電通が、自社の社員に違法な長時間労働をさせていた事件で、東京区検察庁は7月5日、同社を労働基準法違反の罪で略式起訴しました。これに対して裁判所は、7月12日、略式手続によることを「相当でない」として、正式裁判により審理することを決めました。異例とも報道される今回の裁判所の判断には、どのような意味があるのでしょうか。そもそも、「略式起訴」とは何でしょう。
■刑事事件に発展した労基法違反問題
まず簡単に振り返ると、今回の事件は、平成27年12月、当時入社1年目だった広告代理店社員が、最大月130時間にも及ぶ長時間残業の末に亡くなったことをきっかけに、社内の長時間労働が明るみに出ることになったものです。
その後、同社は以前にも是正勧告を受けていたにもかかわらず、社内で違法な長時間労働が常態化しているという疑いが強まり、強制捜査を受けることになりました。この時点で、同社の労働基準法違反の問題は刑事事件に発展したといえます。
最終的に東京区検察庁の検察官は、社員に労使協定を超えた違法な長時間労働をさせたとして、同社を労働基準法違反の罪により略式手続により起訴をしました。これに対して裁判所は、検察官による起訴自体は受理したうえで、「略式手続による」とした部分を認めず、通常の裁判手続で審理すると判断したものです。
■「略式起訴」とは? 通常の起訴との違いは?
まず、略式起訴とはどういう手続でしょうか。通常の手続とどう違うのでしょうか。
通常の刑事裁判の場合、まずは検察庁の検察官が裁判所に起訴状を提出するところから始まります。起訴状を受け取った裁判所は、公判期日を決めて被告人を呼出し、以後、公開の法廷で審理が進むことになります。
この場合、検察官の起訴状読み上げから始まり、黙秘権の告知、被告人による認否、証拠の提出、証人尋問や被告人本人に対する質問など、いくつもの手続を経て、検察官と弁護人や被告人の意見を聴いた上で、最終的に裁判官が判決を言い渡すことになります。
このように刑事裁判では慎重に手続が取り進められることになるのですが、軽微な事件で、なおかつ、被疑者・被告人が罪を認めている場合であっても、例外なく慎重な手続を取らなければならないとなると、被疑者・被告人本人だけでなく、検察庁や裁判所にも負担が大きいといえます。
そこで我が国の刑事訴訟法では、一定の軽微な事件の場合であって、当事者に異議がない場合、正式な裁判を経ることなく罰則を課すことを認めています。
具体的には、@簡易裁判所に管轄がある事件であり、A100万円以下の罰金や科料の対象となる事件であり、なおかつ、B被疑者が略式手続によることに異議がないことを書面で明らかにしている場合には、検察官は起訴状を提出するときに、裁判所に略式命令を求めることが可能です(一般的にはこれを「略式起訴」と呼びます)。
略式起訴がされた場合、裁判所は書面審査だけで被告人に罰金等を命じることになりますので、公開の法廷が開かれることはありません。したがって、証人尋問や被告人質問、あるいは意見陳述といった手続も行われません。
■裁判所が略式起訴を「相当としない」と判断したわけは?
さて、今回の労基法違反事件では、略式起訴を受けた裁判所が、略式手続によることを「相当としない」として、公開の法廷で正式裁判を行うことを決めました。これはどういうことでしょうか。
大前提として、今回の場合、略式手続の要件は満たしていると思われます。すなわち、違法な長時間労働に対する罰則は、「6カ月以下の懲役または30万円以下の罰金」です(労働基準法119条1号、32条。なお、法人には懲役刑は適用されません)。すなわち、本件は100万円以下の罰金の対象となる事件であり、なおかつ、簡易裁判所にも管轄がある事件です(裁判所法33条1項2号)。
そうすると、被疑者である広告代理店自身に異議がない限り、検察官は略式起訴することが可能だということになります。実際に略式起訴がなされたということは、広告代理店は罪となる事実を認め、罰金が科されることに同意していたということになるでしょう。
それにもかかわらず、裁判所が略式起訴を「相当としない」として認めなかったのは、なぜでしょうか。おそらく裁判所の中には、いわゆるブラック企業が社会問題となるなか、特に注目される労働問題に対して形式的に罰則を与えるだけでは不十分だとする考えがあるのではないかだと推測されます。
略式手続の場合、非公開の書面審査だけで罰金刑が命じられます。そのため、事件の実態などは書類の記録には残るものの、公開の法廷には出てこないということになります。今後、正式裁判になった場合、公開の法廷で審理されますので、事件の実態や、事件に対する広告代理店側の受け止めかたが公開の法廷に出てくることになります。裁判所は社会的な影響が大きい事件だけに、公開の法廷で慎重な手続を取る必要があると判断したのでしょう。
■略式起訴を不相当とすることの「危うさ」
今回の裁判所の判断に対しては、労働問題に取り組んでいる側からは称賛の声も聞かれます。私自身も、心情的には裁判所の英断だと思いたい反面、ある種の危惧も覚えます。
本来、刑事裁判が公開の法廷で行われるのは、被告人が一方的で不当な裁判を受けることのないように、国民全体で裁判所を監視することが目的であると考えられます。被告人に世間に向けた説明をさせたり、まして被告人を見せしめにすることは、刑事裁判の本来の目的ではないでしょう。
裁判所は今回の判断の理由を明らかにしていませんが、もし、判断の根底に、公開の裁判にかけることを一種の制裁としたいという思惑があるのであれば、刑事裁判の本来の目的を逸脱するのではないかという気がします。
■はたして罰則は労基法違反の制裁として機能しているのか
むしろ、今回のことで課題として浮き上がってくるのは、「労働基準法違反に対する罰則があまりに低すぎる」という点ではないでしょうか。
今回の事件では、社員の方が亡くなるという痛ましい結果が起きてしまいました。また、違法な長時間労働が常態化していたという会社の体質も指摘されています。このような事件の内容にもかかわらず、略式手続で処理される程度の罰則しか予定されていないというのは、少々違和感を覚えます。
罰則の引き上げは、様々な要素を考慮して慎重に検討される必要がありますが、それでも、企業に対する罰則として「30万円以下の罰金」しか予定されていないというのは制裁として小さすぎるように思います。
企業が守るべきルールを定める他の法律、例えば独占禁止法や金融商品取引法などが違反行為に対して高額な罰金・課徴金を予定しているのと比較すると、あまりにも低い金額です。
特に大企業からすると、刑罰を受けることに「見せしめ」以上の不利益はないでしょう。刑罰が見せしめにすらならないような本物のブラック企業の場合、もしかすると何の歯止めにもならないかも知れません。
長時間労働は社員の健康に悪影響を及ぼすだけでなく、企業の生産性に必ずしも貢献していないというデータもあります。労働基準法違反に対しては、まずは法を厳格に適用することに加え、罰則の引き上げも検討される必要があるのではないかと考える次第です。
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