http://www.asyura2.com/17/hasan122/msg/626.html
Tweet |
あまりに残念な地銀の実態〜金融庁「異例の警告」の真意に迫る もうダメ経営陣が淘汰されるべきでは…
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52336
2017.07.20 多胡 秀人金融庁・金融機能強化審査会 会長代理 一般社団法人地域の魅力研究所 代表理事 現代ビジネス
■頭取たちの前で鳴らされた警鐘
銀行業界には「参勤交代」がいまも残っている。
地域銀行(地方銀行と第二地方銀行)の頭取たちが月に一度、それぞれの協会での例会出席のために、全国各地から上京してくる。例会の行事の中には、金融庁幹部との意見交換会があり、四半期に一度は金融庁長官が登壇する。
7月12日(地銀)、翌13日(第二地銀)に行われた金融庁との意見交換会は、3期目に入った森信親長官の所信表明の場となった。さっそく、長官の講話を聞いた参加者からヒアリングし、筆者なりに銀行経営の根幹に関わるポイントをまとめてみた。
「金融検査マニュアルの弊害でもあるが、銀行の健全性は確保されたものの、リスクを取らなくなった。収益環境の悪化により、金融システムの脅威は、貸借対照表(B/S)の健全性から、損益計算書(P/L)の改善に変わった」
「(銀行は)低金利融資の拡大など、既存のビジネスモデルの延長線上から抜け出せていない。希望的観測を前提とした経営は間違っている。有価証券運用で過度なリスクを取り、本業の赤字を穴埋めしようとする金融機関を見逃すわけにはいかない。余力のあるうちに、持続可能性のある本業でのビジネスモデルを確立してほしい」
「中小企業3万社のアンケートによれば、経営上の課題や悩みの把握、サービス提供の効果について、顧客企業から高い評価を受けた地域銀行は、貸出金利の低下幅が小さい。持続的なビジネスモデルを確立するにはコストと時間がかかるが、本当に大事なのは言葉だけではなく実行に移すことだ」
これらが、森長官が3年目の続投にあたって、頭取たちに向けて鳴らした警鐘だ。いずれも過去2年間、森金融庁が発信し続けてきたことの延長線上にあり、まったくブレていない。
銀行経営に長く関わってきた視点から、この森談話の意図、真意を、さらに細かく探ってみたい。
■外債投資の経験もないのに…
いま、地域銀行の外債等の債券投資(以下、「外債投資」)での損失が問題になっている。2017年3月末の決算で、多額の損失を計上した地域銀行は少なくない。それより問題なのは、投資債券が簿価の30%以上下落していないからという理由で、減損処理をせず、含み損という爆弾を抱えたままの地域銀行がかなり存在することだ。
地域銀行が外債投資を急拡大した理由の一つには、異次元の金融緩和によって日本の長期金利が低下し、国債運用に赤信号が点灯したことにある。実際、地域銀行が保有する国債残高は、金融緩和後に大きく減った。
もう一つの理由は、金融緩和がマイナス金利へと展開し、地域銀行のメインビジネスを直撃したためだ。
信用リスクの少ない優良事業者への融資は、銀行間の低金利競争の主戦場となってしまった。住宅ローンも金利低下で収益を見込めなくなった。賃貸アパートローンや消費者ローン、投信・保険などの商品は、金融庁が求めるフィデューシャリー・デューティー(=真に顧客本位の経営)への配慮から、のべつ幕なしに残高を伸ばせる状況にない。
厳しい局面を迎えている地域銀行 photo by gettyimages
このような本業での閉塞感から、地域銀行は外債投資を加速したわけだが、それがうまくいかないのは当然のことだ。地域銀行の経営陣には、外債投資の経験者がほとんどいないからだ。
現場にまかせきりで「よきに計らえ」、そのくせ「なんとか収益を上げろ」と結果だけ求める。打ち出の小槌ではあるまいし、現場もたまったものではないだろう。
外債など有価証券運用のリスク管理については、どの地域銀行でもさまざまな議論をしているはずだ。しかし、各行の経営陣はその意味合いをどこまで理解しているのだろう。実際のところ、リスク資本の多くを有価証券運用に費やしている地域銀行は、かなり存在するとみられる。
■問題なのは経営陣
そうした状態で外債投資を続けて損失を出し、それが資本の毀損につながるようだと大きな問題だ。
そもそも地域銀行の資本は、長い年月にわたって地元顧客との取引を重ねるなかで積み上げられたもの。だからこそ、地域の顧客や経済社会に何か異変が起こったときに使われるべきである。端的な例をあげれば、地元事業者の業況が悪化したとき、この資本をバッファとして事業再生を支援するケースが、それに当たる。
そのような趣旨の資本に、外債投資の失敗で万が一にも大穴を開けるようなことがあれば、地域の顧客に対して顔向けできないと考えるのが当たり前だ。バブル期に地域外のノンバンク向け融資などで莫大な損失を計上し、銀行経営を危機に陥れた過去を忘れてはならない。
外債運用経験のあるスタッフは地域銀行には少ない photo by gettyimages
もしそうしたことがあれば、当然ながら責任問題となるはずだ。もちろん、責任をとるのは担当部門だけではない。運用経験の限られたスタッフ、不十分な情報といった劣悪な状況のなかで、外債投資で収益を上げるのはそもそも至難の技である。とりわけ現在のような金利環境ではなおさらだ。
本業での業務改革を怠り、不慣れな外債投資に安易に飛びついて損失を出した問題の所在は、経営にある。金融庁もここ数年の改革を通じて「問題なのは経営陣、ガバナンスの問題だ」と気づいている。森長官が頭取たちの集まる前であえて警告を発したのはそのためだろう。
■「日本は銀行の数が多すぎ」はウソ
ところで、一部メディアの論調や有識者たちの議論のなかで、「地域銀行は数が多すぎる。役割を終えている銀行は退場すべき」という根強い意見がある。筆者としては、これには賛同できない。
数だけで言えば、日本の金融機関は、メガバンクから信金・信組まで足しても600行弱しかない。日本の2倍以上の人口を抱えるアメリカで7000行弱、日本の人口の3分の2ほどのドイツで2000行弱だから、日本がオーバーバンキングだという指摘は正しくない。
ただし、アメリカやドイツと違って、どの金融機関も似たりよったりの業務を行っている現実を見ると、オーバーバンキングだという指摘もあながち間違いとは切り捨てられない。
問題は数ではなく、横並びから抜け出して自らの独自性を持った経営ができない経営陣にあるのだ。役割を終えているのは地域金融機関そのものではなく、現状にしがみついている旧態依然とした経営陣なのである。
そういう現実に目を向けずに、「地方における人口減と経済環境の厳しさ」も「外債投資の失敗やフィンテックの台頭」も、何でもかんでも地域銀行の再編や淘汰に話を展開させるステレオタイプの報道があまりに多いことに、筆者は辟易としている。
再編はあくまで手段の一つに過ぎない。地域の特性(歴史や社会など)や競合関係を考慮した上で、独自の顧客本位のビジネスモデルを構築し、地域顧客の役に立つ存在に変身できれば生き残れるはずだ。
■キレイごとに満ちた企業理念
共同通信記者の橋本卓典氏が『捨てられる銀行』『捨てられる銀行2 非産運用』(講談社現代新書)で詳述しているように、「顧客本位のビジネスモデル」「顧客と金融機関の共通価値の創造」は、いずれも金融庁が行政方針(2015年版、2016年版)を通じて言い続けてきたことだ。
遺憾ながら、顧客本位のビジネスモデルの浸透はいまだ道なかばである。属人的単発的な取り組みはどこの金融機関にもあるが、組織的継続的に行われるには至っていない。
組織的継続的な顧客本位BMがいつまでたっても始まらない理由は、やはり経営陣の姿勢にあると言うほかない。彼らからは、
「顧客本位のビジネスモデルと言うが、そんなものは理想に過ぎない。現実はそんなに甘くはない」
「顧客本位のビジネスモデルこそが重要だというのは理解できるが、実現には時間とコストがかかる。目先の収益を考えると踏み切れない」
との声が聞こえてくる。
前者はとんでもない思い違いだ。実際に、組織的継続的な顧客本位のビジネスモデルを採用し、成果を出している金融機関がある。「理想に過ぎない」と思うなら、「顧客本位」「地域とともに」といったキレイごとに満ちた企業理念の文言を、「地元が死屍累々になろうが自分たちだけは生き残る」とでも書き換えるべきだろう。
後者は、プロダクトアウト型(=作り売る側の理論を優先して商品やサービスを提供するやり方)で量を売ることをやめれば、いますぐにも収益が激減してしまう、という経営陣の恐怖心が生む誤解だ。すでに成果を上げている金融機関では、経営者が腹をくくって企業理念から逸脱したビジネスモデルの是正を決断しているのである。
いつかやらねばならないビジネスモデルの転換であれば、先送りせず、追い詰められる前に断を下すのが経営というものではないか。竦んで何もしないというのは、経営者として無責任きわまりない。
■地域銀行に経営人材を派遣
いま地域金融業界に求められているのは、経営人材をいかに育成するか、だ。
たしかに、地域銀行はムラ社会(あるいはお友だちクラブ)の典型であり、出る杭は打たれ、異分子が阻害されがちで、横並びを脱する飛び抜けた人材をそのなかで育てるのは容易でない。
金融庁は外部人材の活用を訴えており、ムラ社会への人材派遣も考えているようだ。冒頭で触れた7月の地方銀行、第二地方銀行の例会では、森長官が頭取たちに向けて次のように言及している。
「地域経済活性化支援機構(REVIC)とその子会社である日本人材機構が行なっている、地域銀行に対する専門人材の派遣を充実させたいと考えています」
この発言からも、地域銀行への経営人材の派遣が現実味を帯びてきていることがわかる。メガバンクの人間、異業種の人間、地元の関係者……どんな人材がいいのかは、議論の分かれるところだろう。
大事なのは、どんな業界から人を選ぶかではなく、経営の本質を心底理解し、それをスピード感を持って実行できる人間かどうか、の一点に尽きる。
■「再編淘汰」は目的ではない
「リレーションシップバンキングは、近江商人の『三方よし』ですね」
十数年前に大阪で開かれた地域密着型金融のシンポジウムで登壇した際、ご一緒したパネリストの方からこのように言われたのを思い出す。
「売り手よし、買い手よし、世間よし」を、筆者は当時以下のように整理した。
買い手→ 金融商品サービスを受ける顧客 (融資先の法人/個人、預金者)
売り手→ 金融商品サービスを提供する地域金融機関 (従業員、株主)
世間→ 地域経済・地域社会
メガバンクのビジネスモデルは「世間よし」にはなりえない。とはいえ、せっかく地域にあっても、自己中心の銀行は「世間よし」を考えていない。そういう銀行には顧客本位の観点がないから、「買い手よし」でもない。
顧客本位のビジネスモデル、すなわちリレーションシップバンキングを実現できる地域銀行だけが「三方よし」であることは言うまでもない。
3年目に入った森金融庁の地域金融改革の真髄は、地域金融機関の「再編淘汰」ではなく、地域金融機関の「ガバナンス」である。いかなる地域金融機関も役割を終えたわけではない。淘汰されるべきはダメ地域銀行ではなく、ダメ経営陣なのである。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 経世済民122掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。