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「饅頭」(中国風蒸しパン)は、浙江省寧波市の街頭でよく見かける朝食だが、奈良県奈良市の漢國神社の境内にある林神社が、寧波出身の「饅頭の祖」林浄因が饅頭を日本に伝えた記念に創立されたことを知る人はほとんどいないだろう。
「饅頭」が中国から日本に伝わった経緯―中国紙
http://www.recordchina.co.jp/b180932-s10-c30.html
2017年6月18日(日) 15時20分
「饅頭」(中国風蒸しパン)は、浙江省寧波市の街頭でよく見かける朝食だが、奈良県奈良市の漢國神社の境内にある林神社が、寧波出身の「饅頭の祖」林浄因が饅頭を日本に伝えた記念に創立されたことを知る人はほとんどいないだろう。毎年林神社では、林浄因の命日である4月19日に「饅頭まつり」が催される。(文:王思勤 楊静雅 寧波晩報掲載)。
林浄因は、北宋時代の詩人・林逋の7代目の末裔にあたり、浙江省寧波市奉化区黄賢村で生まれた。取材のため黄賢村を訪れた記者は、林浄因の34代目の末裔にあたる、日本の林氏饅頭「塩瀬総本家」の当主・川島英子氏が、自身のルーツについて調べるためにかつてこの地を訪れたことを知った。
〇日本の「まんじゅうの元祖」
元の時代、日本の僧侶・竜山徳見が中国を訪れ、林浄因と親しく交流した。1350年、竜山禅師が日本に帰国する際に、林浄因も日本に向かう船に乗った。海のシルクロードを渡り、船は日本に到着した。当時、日本には小麦粉を発酵させる技術がなく、点心(お菓子)の多くは、堅くパサパサした米菓子だった。林浄因は中国饅頭の製法を参考に、日本人好みの餡を組み合わせたまんじゅうを作り、表面に「林」の字の焼印を入れて大々的に販売した。
林浄因のまんじゅう製法技術は後代に引き継がれ、複数の支店をオープンした。その後、戦争によるトラブルを避けるため、林氏は苗字を「塩瀬」に改めた。林浄因の子孫の一人は、点心の作り方を学ぶために中国の宮廷に赴いた。学び終えて日本に帰国すると、東京にまんじゅう店を新しく開き、屋号を「塩瀬」とした。また、「日本第一番本饅頭所林氏塩瀬」の看板を授かった。
林氏塩瀬饅頭は、江戸幕府の歴代将軍から寵愛を受け、長きにわたり朝廷の「御用菓子」であり続けた。その後、その名がどんどん広まった林家饅頭は、日本人が最も好むお菓子の一つとなった。
林浄因は、結婚する際に、赤・白2色のまんじゅうを大量に作り、お祝いに訪れた客に送ったという興味深いエピソードが残っている。今の時代も、日本には結婚や他の慶事の際に、紅白まんじゅうを贈るという習わしが残っている。2008年、日本の林氏饅頭第34代当主・川島英子が自身のルーツを調べるために黄賢村を訪れた。
〇日本のまんじゅう後継者がご先祖様探しに黄賢村を訪問
黄賢森林公園内に大きな石碑がある。表面には、「林逋故里(故郷)」の4文字が刻まれている。この石碑は、2008年に日本の林氏饅頭第34代当主の川島英子氏が、自身のルーツについて調べるためにこの地を訪れた際に建てたものだという。すでに退職した黄賢村の林孝良・元書記は、川島氏が黄賢村を訪れた時のことを思い出しながら、感慨深げにこう語っている。
「1980年代、川島氏は日本の飲食文化に対する先人の貢献を感謝し、先祖の林逋が眠る杭州市孤山まで出向いて、先祖の霊を弔った。1993年、川島氏は再び杭州を訪れた。私たちも杭州に向かい、『浄因亭』の落成式に出席した。当時、川島氏は家系図を携帯していたので、自分が持っている家系図と照らし合わせてみた。すると、両方の系図がぴったり一致することが分かった。林浄因は間違いなく、林逋の末裔だった」
「その後、川島氏からの手紙を人づてに受け取った。その手紙の内容は、林浄因を偲んで日本で毎年開かれている『饅頭まつり』に招待するというものだった。さまざまな理由から、私は行くことはできなかった。だが、私は、黄賢村の資料と林家の家系図を人に頼んで川島氏に届けた」
「2008年10月の中頃、川島氏が家族とともに、大量の日本のまんじゅうを持ってやって来た。村側も、油包(パオズ)や米製饅頭などのお菓子で彼らをもてなした。川島氏は日本に戻った後、私に手紙を届けてくれた」。
川島氏が林孝良・元書記に宛てた手紙には、次のように書かれていたという。
「私は幸運にも黄賢村を訪れ、ご先祖様である林逋の御参りをすることもでき、とても感動し、かつ感謝している。自分とご先祖様との距離がさらに近づいたように思う。帰国後も黄賢の姿と『林逋故里』の石碑のことがたびたび思い出された。皆が同じご先祖様で繋がっている。これも不思議なご縁としか言いようがない。今後も、頻繁に行き来して、連絡を取り合いたい。日本を訪れ、さらに交流を深められることを心待ちにしている」。
〇600年続く老舗、最初は「皇室の御用菓子」だった
東京で住み始めて20年あまり経つ周華氏は、日本の寧波友好会のメンバーで、当時、川島氏一行が中国を訪れた際に通訳を務めたという。彼は、「塩瀬饅頭は、日本で600年あまりの歴史を誇り、最初は皇室の御用菓子だったが、その後民間にも広まった」と話した。
周氏は以下のように続けた。「塩瀬饅頭には、さまざまな価格帯、型番、風味がある。日本各地の大型百貨店で販売されており、『高級菓子』の部類に入る。各売り場の塩瀬饅頭販売カウンターには、林氏饅頭の歴史について書かれた小冊子が置かれており、買い物客に配布されている」。
「京都には、饅頭屋町という名前の場所があり、『塩瀬ビル』という名前のビルがある。塩瀬饅頭を販売しているほか、ビル内には茶室が設けられており、茶道教室が開かれている。奈良・漢國神社の鳥居前には、『饅頭の祖神 林神社』と書かれた石碑があり、漢國神社の境内には林神殿があり、饅頭製作技術を日本に伝えた寧波出身の林浄因が祭られている。毎年4月19日、神社では『饅頭まつり』が開催され、日本の各地からやって来たお菓子屋さんが紅白まんじゅうを献上し、参拝客に無料で配られる」。
林氏の子孫が日本で営むまんじゅう店がこれほど繁盛していることから、黄賢村の村民も、林氏饅頭の看板を上げることを切に望んでいる。黄賢森林公園には、「饅頭館」と「伝承館」が設置されており、村民はまんじゅうを販売する一方で、寧波人が日本のまんじゅうの元祖となった経緯を来場者に紹介している。(提供/人民網日本語版・編集KM)
「饅頭」(中国風蒸しパン)は、浙江省寧波市の街頭でよく見かける朝食だが、奈良県奈良市の漢國神社の境内にある林神社が、寧波出身の「饅頭の祖」林浄因が饅頭を日本に伝えた記念に創立されたことを知る人はほとんどいないだろう。
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