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高学歴であっても、それが社会的成功を約束するものではないのはよく知られている。大学を出ても、良い仕事に就けない人はまわりを見回せばどこにでもいる。
何しろ、今の社会では高学歴な人間など当たり前に存在する。つまり、高学歴は陳腐化してしまっている。大学卒業が高学歴という意識すらも希薄になった。
せっかく高い学費を払って大学を出ても、そんな人間がうじゃうじゃいれば希少性が発揮できない。
何年もかかって大学の卒業証書を取っても、いざ社会に出て大学卒の人間で溢れていたら、今度は大学のランクが重視されて、一流以下は相手にされなくなる。
どうでもいい大学では意味をなくして、学歴はあってもなくても同じになる。
大学を卒業してもまともな仕事も就けず、食べていけない人が続出しているのは、もはやそこに希少性がないからだ。分かりやすく言うと、それはありふれてしまったのだ。
ありふれてしまったら価値が下がる。価値が下がれば、そこで得られる賃金は極限まで下がっていく。学歴が社会的成功を約束しなくなったのは、もうそんなものはありふれたものになったからである。
必ずしも成功するとは決まっていないという現実
そもそも、高学歴であっても必ずしも社会的に成功するとは決まっていない。
人間性が欠けていたり、行動力が欠けていたりすると、いくら高学歴者であっても、いずれは社会から相手にされなくなっていくのは当然のことだ。
高学歴者であっても実務に有能でなければ、やがては実務に有能な人間がその人に取って代わるだけだ。代わりはいくらでもいるから代替には困らない。
目の前の実務ができない人は、いくら高学歴であっても単なるガラクタにすぎない。ガラクタは邪魔だと思われたら高価だったものでも、処分される運命が待っている。
行動力のない高学歴者は山ほどいる。行動力がなければ、最悪の場合は引きこもりやニートになることすらもある。
今の30代、40代の引きこもりの中には高学歴を持った人も珍しくないと言われている。高学歴であっても成功しないのは、彼らの立場が示している。
不幸な人たちもいる。景気が後退した時は企業は人を雇う余力がなくなっていく。そのため社員を募集するどころか、社員をリストラするような動きとなる。
そんな時は、高学歴でも就職活動で何度も落ちることが珍しくない。欧米では経済的なショックが来るたびに就職活動をしている若年層が被害に遭って、高学歴なのにピザの配達をしているような光景もある。
あるいは景気が悪くなくても、就職した大企業の経営者があまりにも愚かであれば、高学歴であってもリストラの憂き目に遭い、次の仕事が見付からずに時給800円のアルバイトに身を落としてしまうこともある。
高学歴者は成功しやすいという側面はあるが、必ずしも成功するとは限らない。
それでも、ほぼすべての人が高学歴者になることを望むのは、そうでもしないと条件がもっと悪くなり、成功の可能性がもっと狭まるからだ。
低学歴だと、通常の社会ではスタートの位置に付くことすらもできない。
それを求める人間を食い物にするシステムになった
現代社会は、原始時代の時のように「屈強な身体」や「力持ち」であることが求められているわけではない。確かに人類が肉体を駆使して生きていた狩猟時代や農業時代は、頭脳よりも肉体が重視されていた。
しかし、もうそんな時代は終わった。
18世紀の半ばからイギリスで始まった産業革命を経て、現代社会が急速に工業化していくと、身体能力よりも知的能力の方が重視されるようになっていった。
そして、現代の高度情報化社会になると、その知能重視はますます先鋭化している。この知能重視の結果として生まれて来ているのが、学歴社会である。
学歴はその人の知的レベルを手っ取り早く計るモノサシになるので、他人に雇われて生きる人にとって学歴は何にも増して重要なものになっていく。
そのため、誰もが社会で生きて行くために学歴を必要としている。一般的に、それは高ければ高いほど良い。一流であることは望ましいが、二流三流であってもないよりはマシだと考えられている。
その歪みとして先進国では大学全入時代が生まれた。日本だけでなく多くの先進国がそうだ。
グローバル社会になるとこの流れは途上国でも広がり、今やケニアやナイジェリアと言ったアフリカ諸国でも学歴社会が到来している。
大学は学生たちの足元を見て学費を値上げして儲けるようになった。値上げしても学生が来るのだから、資本主義の論理で値上げするのは当然の動きだろう。
また、民間の金貸し業者がサメのようにやって来て学生に多額の金を貸し付けて長年に渡って暴利を貪るシステムができあがった。
つまり、今の資本主義は学歴を求める人間を食い物にするシステムになっていこうとしている。
ただ金を搾取されるためだけに生きる奴隷と化す
学歴が必要な社会にする。就職と賃金で差別化する。そうすると、いずれは誰もがそれを必要とする社会になる。
そうなると、学校は学費を上げて生徒を食い物にする。金貸し業者は学費を用意できない生徒の弱みにつけ込み、高利で金を貸し付けて食い物にする。
かくして、まだ社会に出ていない若者が搾取される構造ができあがっていく。そこに気付かない若者は、まったく知らない間に資本主義の奴隷と化していく。
この構図を見ると、莫大な借金を背負わされて先進国に売られた途上国の女性たちの悲劇とほとんど何も変わらないことに気付くはずだ。
経済的に豊かになるためには先進国で働くしかない。そのためにブローカーに借金をして先進国に行く。そこで借金を返すためだけに売春ビジネスを強制され搾取されていく。
「経済的に豊かになりたいだろう。そのためには先進国に行く必要がある。金がないなら貸してやろう」と言われて、彼女たちは搾取されるだけの奴隷になった。
今の若者は経済的に豊かになるために大学に行くしかない。そのためにブローカーに借金をして大学に行く。そこで借金を返すために必死で仕事をして搾取されていく。
「経済的に豊かになりたいだろう。そのためには大学に行く必要がある。金がないなら貸してやろう」と言われて、学生たちは搾取されるだけの奴隷になっていく。
どちらも、経済的に豊かになりたいとささやかに望んでいただけなのに、知らない間に社会の闇に取り込まれて莫大な借金を背負わされ、ただ金を搾取されるためだけに生きる資本主義社会の奴隷になる。
高学歴になって絶対に成功するのであればまだしも、今や高学歴などありふれて希少価値すらもなくなり、それは武器にならない。それなのに莫大な借金を背負うのである。
経済的に豊かになりたいという「望み」につけ入れられて、社会の食い物にされる。
それが、弱肉強食の資本主義のやり方だ。現代社会の搾取構造を甘く見てはいけない。それはいつでも人々を搾取の中に放り込む。その恐るべき社会の搾取構造に、あなたは気付いているだろうか。
高学歴であっても、それが社会的成功を約束するものではないのはよく知られている。大学を出ても、良い仕事に就けない人はまわりを見回せばどこにでもいる。
何しろ、今の社会では高学歴な人間など当たり前に存在する。つまり、高学歴は陳腐化してしまっている。大学卒業が高学歴という意識すらも希薄になった。
せっかく高い学費を払って大学を出ても、そんな人間がうじゃうじゃいれば希少性が発揮できない。
何年もかかって大学の卒業証書を取っても、いざ社会に出て大学卒の人間で溢れていたら、今度は大学のランクが重視されて、一流以下は相手にされなくなる。
どうでもいい大学では意味をなくして、学歴はあってもなくても同じになる。
大学を卒業してもまともな仕事も就けず、食べていけない人が続出しているのは、もはやそこに希少性がないからだ。分かりやすく言うと、それはありふれてしまったのだ。
ありふれてしまったら価値が下がる。価値が下がれば、そこで得られる賃金は極限まで下がっていく。学歴が社会的成功を約束しなくなったのは、もうそんなものはありふれたものになったからである。
必ずしも成功するとは決まっていないという現実
そもそも、高学歴であっても必ずしも社会的に成功するとは決まっていない。
人間性が欠けていたり、行動力が欠けていたりすると、いくら高学歴者であっても、いずれは社会から相手にされなくなっていくのは当然のことだ。
高学歴者であっても実務に有能でなければ、やがては実務に有能な人間がその人に取って代わるだけだ。代わりはいくらでもいるから代替には困らない。
目の前の実務ができない人は、いくら高学歴であっても単なるガラクタにすぎない。ガラクタは邪魔だと思われたら高価だったものでも、処分される運命が待っている。
行動力のない高学歴者は山ほどいる。行動力がなければ、最悪の場合は引きこもりやニートになることすらもある。
今の30代、40代の引きこもりの中には高学歴を持った人も珍しくないと言われている。高学歴であっても成功しないのは、彼らの立場が示している。
不幸な人たちもいる。景気が後退した時は企業は人を雇う余力がなくなっていく。そのため社員を募集するどころか、社員をリストラするような動きとなる。
そんな時は、高学歴でも就職活動で何度も落ちることが珍しくない。欧米では経済的なショックが来るたびに就職活動をしている若年層が被害に遭って、高学歴なのにピザの配達をしているような光景もある。
あるいは景気が悪くなくても、就職した大企業の経営者があまりにも愚かであれば、高学歴であってもリストラの憂き目に遭い、次の仕事が見付からずに時給800円のアルバイトに身を落としてしまうこともある。
高学歴者は成功しやすいという側面はあるが、必ずしも成功するとは限らない。
それでも、ほぼすべての人が高学歴者になることを望むのは、そうでもしないと条件がもっと悪くなり、成功の可能性がもっと狭まるからだ。
低学歴だと、通常の社会ではスタートの位置に付くことすらもできない。
それを求める人間を食い物にするシステムになった
現代社会は、原始時代の時のように「屈強な身体」や「力持ち」であることが求められているわけではない。確かに人類が肉体を駆使して生きていた狩猟時代や農業時代は、頭脳よりも肉体が重視されていた。
しかし、もうそんな時代は終わった。
18世紀の半ばからイギリスで始まった産業革命を経て、現代社会が急速に工業化していくと、身体能力よりも知的能力の方が重視されるようになっていった。
そして、現代の高度情報化社会になると、その知能重視はますます先鋭化している。この知能重視の結果として生まれて来ているのが、学歴社会である。
学歴はその人の知的レベルを手っ取り早く計るモノサシになるので、他人に雇われて生きる人にとって学歴は何にも増して重要なものになっていく。
そのため、誰もが社会で生きて行くために学歴を必要としている。一般的に、それは高ければ高いほど良い。一流であることは望ましいが、二流三流であってもないよりはマシだと考えられている。
その歪みとして先進国では大学全入時代が生まれた。日本だけでなく多くの先進国がそうだ。
グローバル社会になるとこの流れは途上国でも広がり、今やケニアやナイジェリアと言ったアフリカ諸国でも学歴社会が到来している。
大学は学生たちの足元を見て学費を値上げして儲けるようになった。値上げしても学生が来るのだから、資本主義の論理で値上げするのは当然の動きだろう。
また、民間の金貸し業者がサメのようにやって来て学生に多額の金を貸し付けて長年に渡って暴利を貪るシステムができあがった。
つまり、今の資本主義は学歴を求める人間を食い物にするシステムになっていこうとしている。
ただ金を搾取されるためだけに生きる奴隷と化す
学歴が必要な社会にする。就職と賃金で差別化する。そうすると、いずれは誰もがそれを必要とする社会になる。
そうなると、学校は学費を上げて生徒を食い物にする。金貸し業者は学費を用意できない生徒の弱みにつけ込み、高利で金を貸し付けて食い物にする。
かくして、まだ社会に出ていない若者が搾取される構造ができあがっていく。そこに気付かない若者は、まったく知らない間に資本主義の奴隷と化していく。
この構図を見ると、莫大な借金を背負わされて先進国に売られた途上国の女性たちの悲劇とほとんど何も変わらないことに気付くはずだ。
経済的に豊かになるためには先進国で働くしかない。そのためにブローカーに借金をして先進国に行く。そこで借金を返すためだけに売春ビジネスを強制され搾取されていく。
「経済的に豊かになりたいだろう。そのためには先進国に行く必要がある。金がないなら貸してやろう」と言われて、彼女たちは搾取されるだけの奴隷になった。
今の若者は経済的に豊かになるために大学に行くしかない。そのためにブローカーに借金をして大学に行く。そこで借金を返すために必死で仕事をして搾取されていく。
「経済的に豊かになりたいだろう。そのためには大学に行く必要がある。金がないなら貸してやろう」と言われて、学生たちは搾取されるだけの奴隷になっていく。
どちらも、経済的に豊かになりたいとささやかに望んでいただけなのに、知らない間に社会の闇に取り込まれて莫大な借金を背負わされ、ただ金を搾取されるためだけに生きる資本主義社会の奴隷になる。
高学歴になって絶対に成功するのであればまだしも、今や高学歴などありふれて希少価値すらもなくなり、それは武器にならない。それなのに莫大な借金を背負うのである。
経済的に豊かになりたいという「望み」につけ入れられて、社会の食い物にされる。
それが、弱肉強食の資本主義のやり方だ。現代社会の搾取構造を甘く見てはいけない。それはいつでも人々を搾取の中に放り込む。その恐るべき社会の搾取構造に、あなたは気付いているだろうか。
高学歴であっても、それが社会的成功を約束するものではないのはよく知られている。大学を出ても、良い仕事に就けない人はまわりを見回せばどこにでもいる。
何しろ、今の社会では高学歴な人間など当たり前に存在する。つまり、高学歴は陳腐化してしまっている。大学卒業が高学歴という意識すらも希薄になった。
せっかく高い学費を払って大学を出ても、そんな人間がうじゃうじゃいれば希少性が発揮できない。
何年もかかって大学の卒業証書を取っても、いざ社会に出て大学卒の人間で溢れていたら、今度は大学のランクが重視されて、一流以下は相手にされなくなる。
どうでもいい大学では意味をなくして、学歴はあってもなくても同じになる。
大学を卒業してもまともな仕事も就けず、食べていけない人が続出しているのは、もはやそこに希少性がないからだ。分かりやすく言うと、それはありふれてしまったのだ。
ありふれてしまったら価値が下がる。価値が下がれば、そこで得られる賃金は極限まで下がっていく。学歴が社会的成功を約束しなくなったのは、もうそんなものはありふれたものになったからである。
必ずしも成功するとは決まっていないという現実
そもそも、高学歴であっても必ずしも社会的に成功するとは決まっていない。
人間性が欠けていたり、行動力が欠けていたりすると、いくら高学歴者であっても、いずれは社会から相手にされなくなっていくのは当然のことだ。
高学歴者であっても実務に有能でなければ、やがては実務に有能な人間がその人に取って代わるだけだ。代わりはいくらでもいるから代替には困らない。
目の前の実務ができない人は、いくら高学歴であっても単なるガラクタにすぎない。ガラクタは邪魔だと思われたら高価だったものでも、処分される運命が待っている。
行動力のない高学歴者は山ほどいる。行動力がなければ、最悪の場合は引きこもりやニートになることすらもある。
今の30代、40代の引きこもりの中には高学歴を持った人も珍しくないと言われている。高学歴であっても成功しないのは、彼らの立場が示している。
不幸な人たちもいる。景気が後退した時は企業は人を雇う余力がなくなっていく。そのため社員を募集するどころか、社員をリストラするような動きとなる。
そんな時は、高学歴でも就職活動で何度も落ちることが珍しくない。欧米では経済的なショックが来るたびに就職活動をしている若年層が被害に遭って、高学歴なのにピザの配達をしているような光景もある。
あるいは景気が悪くなくても、就職した大企業の経営者があまりにも愚かであれば、高学歴であってもリストラの憂き目に遭い、次の仕事が見付からずに時給800円のアルバイトに身を落としてしまうこともある。
高学歴者は成功しやすいという側面はあるが、必ずしも成功するとは限らない。
それでも、ほぼすべての人が高学歴者になることを望むのは、そうでもしないと条件がもっと悪くなり、成功の可能性がもっと狭まるからだ。
低学歴だと、通常の社会ではスタートの位置に付くことすらもできない。
それを求める人間を食い物にするシステムになった
現代社会は、原始時代の時のように「屈強な身体」や「力持ち」であることが求められているわけではない。確かに人類が肉体を駆使して生きていた狩猟時代や農業時代は、頭脳よりも肉体が重視されていた。
しかし、もうそんな時代は終わった。
18世紀の半ばからイギリスで始まった産業革命を経て、現代社会が急速に工業化していくと、身体能力よりも知的能力の方が重視されるようになっていった。
そして、現代の高度情報化社会になると、その知能重視はますます先鋭化している。この知能重視の結果として生まれて来ているのが、学歴社会である。
学歴はその人の知的レベルを手っ取り早く計るモノサシになるので、他人に雇われて生きる人にとって学歴は何にも増して重要なものになっていく。
そのため、誰もが社会で生きて行くために学歴を必要としている。一般的に、それは高ければ高いほど良い。一流であることは望ましいが、二流三流であってもないよりはマシだと考えられている。
その歪みとして先進国では大学全入時代が生まれた。日本だけでなく多くの先進国がそうだ。
グローバル社会になるとこの流れは途上国でも広がり、今やケニアやナイジェリアと言ったアフリカ諸国でも学歴社会が到来している。
大学は学生たちの足元を見て学費を値上げして儲けるようになった。値上げしても学生が来るのだから、資本主義の論理で値上げするのは当然の動きだろう。
また、民間の金貸し業者がサメのようにやって来て学生に多額の金を貸し付けて長年に渡って暴利を貪るシステムができあがった。
つまり、今の資本主義は学歴を求める人間を食い物にするシステムになっていこうとしている。
ただ金を搾取されるためだけに生きる奴隷と化す
学歴が必要な社会にする。就職と賃金で差別化する。そうすると、いずれは誰もがそれを必要とする社会になる。
そうなると、学校は学費を上げて生徒を食い物にする。金貸し業者は学費を用意できない生徒の弱みにつけ込み、高利で金を貸し付けて食い物にする。
かくして、まだ社会に出ていない若者が搾取される構造ができあがっていく。そこに気付かない若者は、まったく知らない間に資本主義の奴隷と化していく。
この構図を見ると、莫大な借金を背負わされて先進国に売られた途上国の女性たちの悲劇とほとんど何も変わらないことに気付くはずだ。
経済的に豊かになるためには先進国で働くしかない。そのためにブローカーに借金をして先進国に行く。そこで借金を返すためだけに売春ビジネスを強制され搾取されていく。
「経済的に豊かになりたいだろう。そのためには先進国に行く必要がある。金がないなら貸してやろう」と言われて、彼女たちは搾取されるだけの奴隷になった。
今の若者は経済的に豊かになるために大学に行くしかない。そのためにブローカーに借金をして大学に行く。そこで借金を返すために必死で仕事をして搾取されていく。
「経済的に豊かになりたいだろう。そのためには大学に行く必要がある。金がないなら貸してやろう」と言われて、学生たちは搾取されるだけの奴隷になっていく。
どちらも、経済的に豊かになりたいとささやかに望んでいただけなのに、知らない間に社会の闇に取り込まれて莫大な借金を背負わされ、ただ金を搾取されるためだけに生きる資本主義社会の奴隷になる。
高学歴になって絶対に成功するのであればまだしも、今や高学歴などありふれて希少価値すらもなくなり、それは武器にならない。それなのに莫大な借金を背負うのである。
経済的に豊かになりたいという「望み」につけ入れられて、社会の食い物にされる。
それが、弱肉強食の資本主義のやり方だ。現代社会の搾取構造を甘く見てはいけない。それはいつでも人々を搾取の中に放り込む。その恐るべき社会の搾取構造に、あなたは気付いているだろうか。
高学歴であっても、それが社会的成功を約束するものではないのはよく知られている。大学を出ても、良い仕事に就けない人はまわりを見回せばどこにでもいる。
何しろ、今の社会では高学歴な人間など当たり前に存在する。つまり、高学歴は陳腐化してしまっている。大学卒業が高学歴という意識すらも希薄になった。
せっかく高い学費を払って大学を出ても、そんな人間がうじゃうじゃいれば希少性が発揮できない。
何年もかかって大学の卒業証書を取っても、いざ社会に出て大学卒の人間で溢れていたら、今度は大学のランクが重視されて、一流以下は相手にされなくなる。
どうでもいい大学では意味をなくして、学歴はあってもなくても同じになる。
大学を卒業してもまともな仕事も就けず、食べていけない人が続出しているのは、もはやそこに希少性がないからだ。分かりやすく言うと、それはありふれてしまったのだ。
ありふれてしまったら価値が下がる。価値が下がれば、そこで得られる賃金は極限まで下がっていく。学歴が社会的成功を約束しなくなったのは、もうそんなものはありふれたものになったからである。
必ずしも成功するとは決まっていないという現実
そもそも、高学歴であっても必ずしも社会的に成功するとは決まっていない。
人間性が欠けていたり、行動力が欠けていたりすると、いくら高学歴者であっても、いずれは社会から相手にされなくなっていくのは当然のことだ。
高学歴者であっても実務に有能でなければ、やがては実務に有能な人間がその人に取って代わるだけだ。代わりはいくらでもいるから代替には困らない。
目の前の実務ができない人は、いくら高学歴であっても単なるガラクタにすぎない。ガラクタは邪魔だと思われたら高価だったものでも、処分される運命が待っている。
行動力のない高学歴者は山ほどいる。行動力がなければ、最悪の場合は引きこもりやニートになることすらもある。
今の30代、40代の引きこもりの中には高学歴を持った人も珍しくないと言われている。高学歴であっても成功しないのは、彼らの立場が示している。
不幸な人たちもいる。景気が後退した時は企業は人を雇う余力がなくなっていく。そのため社員を募集するどころか、社員をリストラするような動きとなる。
そんな時は、高学歴でも就職活動で何度も落ちることが珍しくない。欧米では経済的なショックが来るたびに就職活動をしている若年層が被害に遭って、高学歴なのにピザの配達をしているような光景もある。
あるいは景気が悪くなくても、就職した大企業の経営者があまりにも愚かであれば、高学歴であってもリストラの憂き目に遭い、次の仕事が見付からずに時給800円のアルバイトに身を落としてしまうこともある。
高学歴者は成功しやすいという側面はあるが、必ずしも成功するとは限らない。
それでも、ほぼすべての人が高学歴者になることを望むのは、そうでもしないと条件がもっと悪くなり、成功の可能性がもっと狭まるからだ。
低学歴だと、通常の社会ではスタートの位置に付くことすらもできない。
それを求める人間を食い物にするシステムになった
現代社会は、原始時代の時のように「屈強な身体」や「力持ち」であることが求められているわけではない。確かに人類が肉体を駆使して生きていた狩猟時代や農業時代は、頭脳よりも肉体が重視されていた。
しかし、もうそんな時代は終わった。
18世紀の半ばからイギリスで始まった産業革命を経て、現代社会が急速に工業化していくと、身体能力よりも知的能力の方が重視されるようになっていった。
そして、現代の高度情報化社会になると、その知能重視はますます先鋭化している。この知能重視の結果として生まれて来ているのが、学歴社会である。
学歴はその人の知的レベルを手っ取り早く計るモノサシになるので、他人に雇われて生きる人にとって学歴は何にも増して重要なものになっていく。
そのため、誰もが社会で生きて行くために学歴を必要としている。一般的に、それは高ければ高いほど良い。一流であることは望ましいが、二流三流であってもないよりはマシだと考えられている。
その歪みとして先進国では大学全入時代が生まれた。日本だけでなく多くの先進国がそうだ。
グローバル社会になるとこの流れは途上国でも広がり、今やケニアやナイジェリアと言ったアフリカ諸国でも学歴社会が到来している。
大学は学生たちの足元を見て学費を値上げして儲けるようになった。値上げしても学生が来るのだから、資本主義の論理で値上げするのは当然の動きだろう。
また、民間の金貸し業者がサメのようにやって来て学生に多額の金を貸し付けて長年に渡って暴利を貪るシステムができあがった。
つまり、今の資本主義は学歴を求める人間を食い物にするシステムになっていこうとしている。
ただ金を搾取されるためだけに生きる奴隷と化す
学歴が必要な社会にする。就職と賃金で差別化する。そうすると、いずれは誰もがそれを必要とする社会になる。
そうなると、学校は学費を上げて生徒を食い物にする。金貸し業者は学費を用意できない生徒の弱みにつけ込み、高利で金を貸し付けて食い物にする。
かくして、まだ社会に出ていない若者が搾取される構造ができあがっていく。そこに気付かない若者は、まったく知らない間に資本主義の奴隷と化していく。
この構図を見ると、莫大な借金を背負わされて先進国に売られた途上国の女性たちの悲劇とほとんど何も変わらないことに気付くはずだ。
経済的に豊かになるためには先進国で働くしかない。そのためにブローカーに借金をして先進国に行く。そこで借金を返すためだけに売春ビジネスを強制され搾取されていく。
「経済的に豊かになりたいだろう。そのためには先進国に行く必要がある。金がないなら貸してやろう」と言われて、彼女たちは搾取されるだけの奴隷になった。
今の若者は経済的に豊かになるために大学に行くしかない。そのためにブローカーに借金をして大学に行く。そこで借金を返すために必死で仕事をして搾取されていく。
「経済的に豊かになりたいだろう。そのためには大学に行く必要がある。金がないなら貸してやろう」と言われて、学生たちは搾取されるだけの奴隷になっていく。
どちらも、経済的に豊かになりたいとささやかに望んでいただけなのに、知らない間に社会の闇に取り込まれて莫大な借金を背負わされ、ただ金を搾取されるためだけに生きる資本主義社会の奴隷になる。
高学歴になって絶対に成功するのであればまだしも、今や高学歴などありふれて希少価値すらもなくなり、それは武器にならない。それなのに莫大な借金を背負うのである。
経済的に豊かになりたいという「望み」につけ入れられて、社会の食い物にされる。
それが、弱肉強食の資本主義のやり方だ。現代社会の搾取構造を甘く見てはいけない。それはいつでも人々を搾取の中に放り込む。その恐るべき社会の搾取構造に、あなたは気付いているだろうか。
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