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「国境調整税」はグローバル時代の税制革命
アメリカは「タックスヘイブン」になるか
2017.4.7(金) 池田 信夫
トランプ政権発足2か月、障害相次ぎ公約達成に遅れ
メキシコとの国境に壁を築く計画の大統領令に署名するトランプ氏(2017年1月25日撮影)。(c)AFP/NICHOLAS KAMM〔AFPBB News〕
アメリカの共和党が提案した「国境調整税」が話題を呼んでいる。トランプ大統領の「メキシコに35%の関税をかける」といった保護主義と混同されがちだが、これは彼の当選する前の昨年夏に共和党主流派が出した、包括的な税制改革案である。その狙いは貿易赤字を減らすことではなく、法人税をなくすことだ。
この提案に対して、アメリカの小売り業者は「輸入品が大幅に値上がりする」と反対運動を展開しているため、実現するかどうかは不透明だが、この改革案はきわめて合理的である。
その目的は輸出を増やすことではなく、グローバル資本主義の流れを変えることで、実現したら、そのインパクトは革命的といってもよい。
法人税を廃止して課税をキャッシュフローに一元化
国境調整税という名前は誤解を招くが、正式名称は「目的地キャッシュフロー税」(Destination-Based Cash Flow Tax)という。難しそうだが、その中身はシンプルだ。具体的には、次の3つがポイントである。
1. 利益に課税する法人税を廃止し、キャッシュフローに20%課税する
2.商品が消費された場所で課税し、海外の売り上げには課税しない
3.輸入品にも同じ税率をかけ、輸出品にかけた税は輸出のとき払い戻す
この税金の本質は(国内も海外も同じく)会計上の利益ではなくキャッシュフローに課税する点にあるので、この記事では「キャッシュフロー税」と呼ぶ。今の法人税は複雑で抜け穴が多い。日本の法人の7割が赤字で、税金を払っていない原因は、法人税が帳簿上の利益に課税されるからだ。
会計上の利益は、償却の期間を変えると大きく変わる。特にややこしいのは減価償却である。租税特別措置も償却期間の変更で行われることが多いので、税務当局の裁量が大きい。
共和党の改革案では利益に課税する制度をやめ、正味のキャッシュフローに20%課税する。売り上げから仕入れや人件費などの経費を差し引いて課税するが、減価償却も金利も経費として認めない。租税特別措置もほとんどなくなり、税制は劇的に簡素化される。
消費した国で課税する「国境調整」
キャッシュフロー税の第2の特徴は、現金を払った場所で課税されるということだ。これが「目的地ベース」(仕向先ベース)と呼ばれる所以だが、これはキャッシュフローに課税することから必然的に出てくる。その最も簡単な例が消費税である。
東京で給料をもらっても、大阪の店で商品を買ったら、消費税は大阪で払う。大阪の業者が商品を北海道から仕入れていたら、その経費は売り上げから差し引かれる。北海道のメーカーは大阪に出荷した段階で消費税を課税される。
このような多段階課税は、EUで「付加価値税(VAT)」として行われており、共和党案はEU域内で行われている調整を国際的にやるだけだ。日本の消費税も、考え方としては同じである。VATと同じくキャッシュフローが発生した国で課税し、輸出する場合には国内で課税した税を払い戻す。
ここで第3の問題が出てくる。大阪の小売店が、北海道ではなくアメリカから商品を輸入したらどうなるだろうか? この小売店は日本の消費税を払うが、仕入れ値はアメリカの州ごとの消費税などが課せられた分、高くなる。他方、日本からアメリカに輸出される商品は消費税が還付されるので8%安くなる。これを同じ条件にするには、アメリカも輸出のとき税金を還付すればいい。これが国境調整である。
問題は、このときアメリカの輸入品の価格が上がることだ。キャッシュフロー税では輸入品に20%課税するので、計算上は、アメリカが100ドルで輸入した商品は120ドルになり、アメリカ国内で120ドルで売っている商品を日本に輸出するときは100ドルになる。この結果、アメリカの輸出品が安くなり、貿易赤字が減るだろう。
しかし国境調整で企業の国際競争力は変わらないので、元の貿易収支に戻るまでドルが上がり、貿易赤字は元のレベルで安定する。為替で調整できない分は、インフレが起こって調整される。このルールで世界が統一されれば、すべて生産地で課税されたときと同じなので、理論的には貿易収支に中立だ。
グローバル資本主義を変える税制改革
法人税には歪みが大きい。企業は利益に課税されたあと、それを配当すると株主には所得税がかかるので、法人税は法人所得と個人所得への二重課税である。おまけに支払い利息を経費として認める一方、配当には所得税が課税されるため、企業は株式より負債で資金を調達するバイアスをもつ。それをキャッシュフローに統一すると、金利と配当は同じ扱いになる。
アメリカの法人税率は35%と高いため、資本の海外逃避が起こりやすい。20%のキャッシュフロー税の税収は今とほぼ同じだが、法人税のバイアスを是正できる。グローバル時代には生産地で課税することは難しいので、どこで生産しようと消費した国で課税することが合理的だ。
「利益は意見だが、キャッシュは現実である」という。利益は帳簿を操作すれば大きくも小さくもなるが、資金繰りが回らなくなったら会社はつぶれる。キャッシュフロー税の最大の狙いは、ごまかしやすい法人税を透明な現金ベースの税制に切り替えることだ。
ただし国境調整で輸入品に課税するので、過渡的には値上がりする。これに対して輸入品の多いウォルマートなどの小売り業者は強く反対し、ファーストリテイリングの柳井正会長は「国境税が実現したらアメリカから撤退する」という。しかし国境調整税が一律に課税されれば、ユニクロのアメリカ法人が衣類を輸入する価格は一時的に上がるが、最終的には為替レートで調整されるはずだ。
最大の効果は、法人税率の違いによる資本逃避がなくなることだ。アメリカの法人税率がゼロになったら、アイルランドやケイマン諸島などに現地法人を置いて法人税を逃れている多国籍企業がアメリカに帰ってくるだけでなく、世界中からアメリカに投資が集中するだろう。
これはアメリカをタックスヘイブンにしようという大胆な改革である。トランプ大統領は今のところキャッシュフロー税には否定的だが、これは経済活性化の役に立つ。先進国では避けられないと思われていた製造業の海外移転が、逆転する可能性もある。
この改革案には、マーティン・フェルドシュタインのような保守派の経済学者だけでなく、リベラル派のポール・クルーグマンも賛成している。アメリカがこういう税制改革をやったら、日本もやらざるをえない。キャッシュフロー税は、グローバル資本主義を大きく変える可能性がある。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/49671
2017年4月10日 田中泰輔
ドル円は110円付近で膠着 年内120円目指す下地不変
拡大する
http://diamond.jp/mwimgs/9/6/-/img_96ccc6f4e354cfbb7fc8a243f0d1105d129988.jpg
ドル円相場は、予想より早まった3月米利上げ後も、110円近くへ重くだれている。利上げ前に115円台に上昇したが、膨らんだ買い持ちポジションが売り戻された。
この「織り込み済み」現象に加え、トランプ米大統領がオバマケア改革法案を議会との調整難航で取り下げざるを得なくなったことが追い打ちをかけた。大統領の他の政策の実現性への疑念が再燃し、ポジション整理に弾みがついた。
相場の短期変動は、投機的ポジションにイベントやニュースがどう絡むかで決まる部分が大きい。この観点からは、ドル円相場は当面もみ合いを抜けられないかもしれない。ドル円上昇の鍵は、米国の景気堅調と金利上昇、そしてその米景気を強化するための財政政策である。4月中はこの全てがドル円にとって強い買い材料として認知されにくそうだ。
まず、米経済指標が伸び悩む恐れがある。米国では財政政策期待で景況感は良くなったが、実際に政策は発動されておらず、実体指標の伸びはいまひとつ。そこに第1四半期の天候要因の悪影響が重なると思われる。米利上げは、次は6月と見込まれ、少なくとも4月中はドル円の強気材料として浮上しないだろう。トランプ政策は、議会調整を経て、よりシンプル化し、スケールダウンするとの見方が主流になりつつある。
さらに4月は、米財務省為替報告、日米経済対話を控え、ドル円強気派も買い持ちを積み上げにくい。4〜5月の仏大統領選挙も相場を手控える一因になり得る。極右政権誕生の可能性は小さいとみるが、フランスのEU(欧州連合)離脱リスクが浮上すれば、ユーロ不参加の英国の離脱のケース以上に、市場で資産配分見直しやヘッジの資金フローが大規模に発生しかねない。
もっとも中期では、米国について前向きな見方を変えていない。米政権の減税案のうち、中間層優遇措置と法人税改革は、オバマケア見直しより戦術的に議会で超党派の同意を得やすい面がある。部分的でも実現のめどが立てば、経済成長が加速する下地はある。その場合、FOMC(米連邦公開市場委員会)メンバーは粛々と利上げを進めよう。利上げが彼らの想定(上図)通り進むなら、ドル円は120円台に向かおう。
米国が日本の対米経常黒字を問題視し、円高・ドル安を口先介入で促すとの危惧も聞かれる。しかしドル高を招く米景気の強さは、経常赤字の循環的拡大をもたらす(下図)。トランプ政策が米成長を高める場合、日本や円に何を言おうと、彼ら自身の政策が米経常赤字の拡大とドル高(円安)を招こう。ドル円の強気・弱気の程度を決める鍵として、米政策決定過程を最大限注視したい。
(ドイツ証券グローバルマクロリサーチオフィサー 田中泰輔)
http://diamond.jp/articles/-/124196
【第1回】 2017年4月10日 小西史彦
「無一文」から「大富豪」になった人物が語る成功の秘訣は「誰にでもできること」だった
NHKやテレビ東京、日経産業新聞などで話題の「マレーシア大富豪」をご存じだろうか? お名前は小西史彦さん。24歳のときに、無一文で日本を飛び出し、一代で、上場企業を含む約50社の一大企業グループを築き上げた人物。マレーシア国王から民間人として最高位の称号「タンスリ」を授けられた、国民的VIPである。このたび、小西さんがこれまでの人生で培ってきた「最強の人生訓」をまとめた書籍『マレーシア大富豪の教え』が刊行された。本連載では、「お金」「仕事」「信頼」「交渉」「人脈」「幸運」など、100%実話に基づく「最強の人生訓」の一部をご紹介する。
マレーシア大富豪・小西史彦氏のご自宅
マレーシア大富豪との出会い
車窓をオレンジ色の外灯(がいとう)が次々と流れていった。
東京から南へ約5500km。クアラルンプール国際空港を経由して約8時間のフライトを終え、マレーシア北部に位置するペナン国際空港に着いたのは日没後だった。暗闇に包まれているため、「東洋の真珠」と呼ばれるペナン島の美しさはわからない。静かな車内の後部座席から見えるのは、外灯に照らされた路面だけ。ゆるやかに蛇行(だこう)するオレンジ色に染まったハイウェイを、車は滑るように走り続けた。
「タンスリのお宅まで、あと20分くらいです」
マレー人の運転手が、おだやかな口調で教えてくれた。「タンスリ・コニシ」。これから出会う人物は、マレーシアでそう呼ばれている。「タンスリ」とは、マレーシア国王から与えられる民間人として最高位の名誉称号。いわば貴族だ。想像もつかない世界を生きる人物と、間もなく対面するのか……。そう思うと、緊張が高まった。
きっかけは3ヶ月前の東京――。
「本物に会いたくないかね?」
この一言がすべての始まりだった。声の主は、日本人ならば誰もが知る一流企業の会長。その企業の「中
興の祖」として不動の地位を確立した会長への、数ヶ月に及ぶロング・インタビューが終わろうとしていたときだった。
その会長は、敗戦後の焼野原で露天商から身を起こし、現代に至るまで過酷なビジネスの第一線を生き抜いてきた――あるマッキンゼー出身の経営者が「おそるべき人物」と評する――本物中の本物。その人物が「本物」と呼ぶとは、いったいどのような人物なのか? 興味をそそられないはずがなかった。それを察した会長は、数枚の文書をテーブルに置くと、こう言った。
「これに、彼の経歴をまとめてある。裸一貫で海外に飛び出して、ここまで成功した日本人を僕は知らない。興味があったら、連絡を寄越しなさい。紹介するよ」
その場を辞すと、喫茶店に直行した。
そして、コーヒーを注文すると、すぐに文書を取り出して目を通し始めた。そこに書かれていたのは、驚くべき経歴だった。
上場企業を含む約50社を築き上げ、「貴族」となった
本名は小西史彦。
1944年石川県生まれ。薬問屋を営む家の長男として生まれた生粋(きっすい)の日本人だ。東京薬科大学で薬剤師の資格を取り、教授の紹介で大手企業の内定を得るが辞退。実家を継がないことも父親に告げた。そして、薬局のアルバイトで生計を立てながら、日米会話学院で英会話を学び始める。海外雄飛(かいがいゆうひ)の夢を実現するためだった。
転機が訪れたのは2年目。1967年に、日本政府が明治100年を記念して企画した「青年の船」に応募。英語力を武器に選考を勝ち抜き、東南アジア各国を歴訪するチャンスを得る。そこで、魅了されたのがマレーシアだった。
1957年にイギリスから独立したばかりの若い国。「青年の船」で接した政府高官も若く、「自分たちの国をつくり上げる」という清新(せいしん)な志に満ちていたという。太陽が燦々(さんさん)と降り注ぐ美しい国土にも魅せられて、翌年には国立マラヤ大学に留学。1年間をマレーシアで過ごすなかで、この地で生きていこうと心が固まる。
翌年、本格的に移住。結婚したばかりの妻とふたり、ほぼ無一文での船出だった。
ところが、いきなり座礁する。ある日本企業がマレーシア連邦に設立した合弁会社の社員として働くはずだったが、この話がご破算(はさん)になってしまう。わずか2ヶ月で解雇。助け舟を出してくれたのは、合弁会社の社長だった。知り合いの華僑が経営する、シンガポールに拠点を置く商社への就職をあっせんしてくれたのだ。そこで任されたのが日本製の染料の輸入販売。こうして、小西氏は営業マンとしてのキャリアをスタートさせる。
365日ほぼ休みなく、マレーシア全土の繊維工場に営業をかける毎日。車にサンプルを積んで、月に5000kmを移動するハードワークだったが、その努力が実り、取り扱い量は増加していった。シェアを奪われた数名の欧米人営業マンにつるし上げられたこともあったが、歯を食いしばって地を這うような営業を継続。揺るぎのない営業基盤を築き上げるに至る。
ところが、またもトラブルに見舞われる。現地の商慣習としてやむなく約束した取引先へのリベートを、社長が横領。約束を反故(ほご)にされた取引先に突き上げられる事態に陥る。進退きわまった小西氏は、帰国を覚悟せざるを得ない状況に追い込まれる。
しかし、禍福(かふく)はあざなえる縄のごとし。「君がいなくなると困る」と、日本メーカーや取引先の華僑たちが小西氏の独立を支援。かねて住みたいと願っていたペナン島に商社「テクスケム・トレーディング」を設立。出資者のひとりである華僑の事務所の一角を間借りして、たったひとりでの独立を果たす。1973年9月、29歳のときだった。
それから約45年――。
たったひとりで始めたテクスケムは、幾多(いくた)の難局を乗り越えて、製造業や商社、飲食業など約50社からなる一大企業グループに成長した。1993年にマレーシア証券取引所に上場し、マレーシアのほかミャンマー、タイ、ベトナムなど7ヶ国で事業を展開。従業員数約8000人、売上高300億円を超える、マレーシアの国民的企業として高い知名度を誇っている。
経済的な成功をおさめただけではない。日本から多くの投資を呼び込んだほか、大きな雇用を生み出すなど、マレーシアに多大な貢献をしたことが評価され、2007年には「タンスリ」の称号を授けられる。何の後ろ盾もなくたったひとりでマレーシアに渡り、辛酸をなめた男が、マレーシア国民の敬意を集めるVIPにまで登りつめたのだ。
こんな日本人がいるのか……。
それが、率直な感想だった。海外で働く日本人は100万人以上いるというが、孤立無援(こりつむえん)、徒手空拳(としゅくうけん)でここまで成功した日本人がいるだろうか? いや、日本人だけではない。世界中で、異国の地でこのような成功をおさめた人物が何人いるだろう? そう思うと、聞きたいことが山のようにあふれ出した。「どんな信条をもっているのか?」「どうやって多くの信頼を勝ち得たのか?」「成功の秘訣は何か?」「数々の苦難をどうやって乗り越えたのか?」「どんな人生観をもっているのか?」……。
すぐに、会長に連絡を入れた。
「小西さんの経歴を拝読しました。ぜひ、紹介していただけませんでしょうか?」
「いいでしょう。彼に頼んでおくよ」
こうして、小西氏にコンタクトするチャンスを手にしたのだ。
圧倒的な大豪邸
気づくと、車はハイウェイを降り、市街地を走っていた。
ジョージタウンと呼ばれる一角だ。イギリス植民地時代に建てられた洋館が立ち並ぶ美しい街並みは、世界文化遺産に認定されている。この一帯はビジネス街として現在も機能しており、小西氏の現在のオフィスもここに置かれている。
市街地を抜けると、緩勾配の坂道を登り始めた。住宅街に入ったようだ。
「もうすぐですよ」
ミラー越しに、運転手が微笑みかけた。しばらくすると守衛がいるゲートで停車した。運転手が守衛に一声かけると、ゲートが上がった。聞くと、ペナン島随一の高級住宅街の入り口だという。セキュリティのためにゲートが設けられているのだ。たしかに、車窓からうかがう風景は一変。道路の両脇には整然と街路樹が植えられ、その間を車はゆっくりと進んだ。外灯に照らされて浮かび上がる広大な敷地の屋敷を、いくつも通り過ぎて行った。
「到着しました」
運転手はそう言うと、威厳のある門扉の前でスピードを落とした。正門の詰所にいる守衛に合図を送ると、門扉がゆっくりと開き始めた。運転手はハンドルを切りながら、門をゆっくりと通過する。そして、敷地の全貌を眼前にすると気圧されるような感覚を覚えた。
どのくらいの広さだろう? サッカー・フィールド2面分は軽く超えるだろう。門扉を過ぎると、両側は広大な庭園。その真ん中をまっすぐ100mほどの石畳の路面が延びている。その先に、フランスの城のような大豪邸が、外灯のおだやかな光に照らし出されていた。車はゆっくりと進み、明るく照らされた玄関前に横付けにされた。
車を降りて礼を伝えると、運転手は会釈を返して車を発進させた。あたりは物音ひとつしない。周りを見渡すと、手入れの行き届いた植木のなかに、見事な彫刻がライトに照らされていた。5段ほどの階段を上り呼び鈴を鳴らすと、ほどなくドアが開いてメイドとおぼしき女性が現れた。名前を告げると、笑顔で招き入れてくれた。
2階まで吹き抜けになった広い玄関に入ると、左手にホールのような空間が見えた。その部屋の壁には巨大な絵画がかけられている。ボッティチェッリの名画「春(プリマヴェーラ)」だ。中世イタリアを思わせる白亜の柱も目に入った。
「こちらです」
玄関から右手に延びる廊下を案内された。その廊下にも数枚の絵画が飾られている。左に曲がり、さらに進んだ突き当りに扉があった。女性が扉をコツコツ叩くと、中から張りのある男性の声がした。小西氏だ。女性は扉を開けると、中に入るように促した。
全面ガラス張りの6角形の部屋だった。窓の外には樹木が植えられ、その向こうには丘陵が広がっているようだった。
「失礼します」
一礼して部屋の中に一歩踏み出すと、ちょうど小西氏は椅子から立ち上がろうとしているところだった。とても70歳を過ぎているとは思えない、がっしりと引き締まった体躯。立ち上がると、こちらの目をまっすぐに見つめながら声をかけてきた。
「遠いところを、よく来てくれましたね。疲れたでしょう? どうぞ、腰をかけなさい」
整髪料をつけて、綺麗に整えられた頭髪。鋭い眼光。張り出した顎のラインは、意志の強さを表しているようだった。大きな存在感を前に、思わずひるみそうになる。それを察知したのか、小西氏は微笑みながらこう言った。
「楽にしなさい。僕はごくごく平凡な人間ですから」
峻厳に思われた顔をほころばせると、相手をホッとさせるような人懐こい表情に一変。一気に心をつかまれそうになる。
「とんでもない。ここまでの成功をおさめられたのですから……」
そう言葉を返すと、目を伏せながらこう言った。
「いや、ほんとうにそうなんです。常々、平均的な日本人だと思ってきました。だから、すごい話を期待されても困りますよ。ただ、私は、普通の人がしないような経験を無数にしてきました。そのなかで学んだこともたくさんあります。それが、若い人たちのお役に立つとしたら嬉しいことです」
小西史彦(こにし・ふみひこ) 1944年生まれ。1966年東京薬科大学卒業。日米会話学院で英会話を学ぶ。1968年、明治百年を記念する国家事業である「青年の船」に乗りアジア各国を回り、マレーシアへの移住を決意。1年間、マラヤ大学交換留学を経て、華僑が経営するシンガポールの商社に就職。73年、マレーシアのペナン島で、たったひとりで商社を起業(現テクスケム・リソーセズ)。その後、さまざまな事業を成功に導き、93年にはマレーシア証券取引所に上場。製造業やサービス業約45社を傘下に置く一大企業グループに育て上げ、アジア有数の大富豪となる。2007年、マレーシアの経済発展に貢献したとして同国国王から、民間人では最高位の貴族の称号「タンスリ」を授与。現在は、テクスケム・リソーセズ会長。既存事業の経営はすべて社著兼CEOに任せ、自身は新規事業の立ち上げに采配を振るっている。著書に『マレーシア大富豪の教え』(ダイヤモンド社)。
大富豪が語る「成功の秘訣」は、「誰にでもできること」ばかりだった
小西氏から与えられたのは5日間。
仕事の時間以外はすべて取材に充ててくれた。4月6日に発売された新刊『マレーシア大富豪の教え』は、このとき小西氏が語ったことを編集してまとめたものだ。
私たちビジネスパーソンは、そのほとんどが「持たざる者」としてキャリアをスタートさせる。そこから、どうやって成功をつかみ取っていくのか? どうやって充実した人生を切り拓いていくのか? 小西氏は、そんな切実な思いにヒントを与えてくれる、25の教訓を語ってくれた。
【選択】成功したければ、「誰もいない場所」を選びなさい。
【未来】「今」に集中すれば「未来」は拓かれる。
【リスク】「リスク」とは避けるものではなく、自ら取りに行くものである。
【非凡】「才能」があるから非凡なのではなく、「熱中」するから非凡に至る。
【お金】「お金」を貯める者は貧しくなる。
【自信】「自信」をもつより、「不安」を味方につけなさい。
【謙虚】人生は「上」からではなく、「下」から始めなさい。
など、若くして異国にわたり、徒手空拳でビジネスを始め、一代で大富豪になった小西氏以外には語りえない「最強の人生訓」だ。重要なのは、そのどれもが「誰でもできること」だったこと。「誰でもできること」を徹底することで、必ず成功をつかみ、充実した人生を切り拓くことができるということだ。 関係者への影響を考え、実名の表記を控えた箇所はあるが、すべて実話で構成されている。本物の大富豪が、その成功の秘訣を明かした稀有な内容を、連載第2回以降、ご紹介していく。
http://diamond.jp/articles/-/123881
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