★阿修羅♪ > 経世済民120 > 743.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
働きすぎの現状を上司にどう伝えるべきか 貧困解消「子ども食堂」欠けた視点 終末期の望まない蘇生、救急「医師に確認し中止を
http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/743.html
投稿者 軽毛 日時 2017 年 4 月 07 日 17:01:30: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

働きすぎの現状を上司にどう伝えるべきか
レベッカ・ナイト:ボストンを拠点とするジャーナリストで、ウェズリアン大学講師。
2017年4月7日
自分のオーバーワーク状態を解消するためには、上司としっかり話し合うことが避けられない。その際、どんな姿勢と言葉をもって問題を伝えるべきなのだろうか。専門家が助言する。


 近頃は、仕事を抱えすぎている人が多いようだ。自分は働きすぎだと誰もが感じ、不満を口にしている。

 では、仕事量が多すぎることを上司に単刀直入に伝えるには、どうすればよいのだろう。怠惰、仕事にコミットしていない、チームプレーができない――そんな社員のようには誰しも思われたくない。勤勉というイメージを守りながら、もう限界であることを伝えるにはどうすればよいか。

●専門家のアドバイス

 どんなに多忙を極めていても、仕事量が多すぎることを上司に告げるのは非常に難しく感じられる場合がある。

 生産性の専門家で、『上位10%の人は知っている、仕事がうまくいく方法』の著者であるジュリー・モーゲンスターンによると、それには2つの理由があるという。

 まず、過重労働だと訴えることで仕事を失うのではないか、という心配だ。「内心でこう感じているのです。自分が仕事をこなせなければ、他の誰かがやるだろう。自分は代えが効く消耗品にすぎない、と」。次に、「生来の気質として、こう思い込んでしまう人がいます。自分は頑張りが足りない、賢さが足りない、十分に能率的でない。もっとうまくやらなければいけない、と。そのため誰にも悩みを打ち明けられず、苦しんでしまうのです」

 しかし、それは危険である。チームマネジメントの向上を支援する3COzeの共同創設者で、You First: Inspire Your Team to Grow Up, Get Along, and Get Stuff Doneの著者であるリアン・デイビーは、次のように指摘する。「野心のため、あるいは上司を感心させるために、無理して頑張るとしましょう。それでも完遂できない、または急ごしらえで仕事の質が低いとなれば、信頼できないという悪印象を与えてしまいます」

 したがって、仕事に押し潰されていると感じたら、本当に上司に知らせるべきなのだ。以下に、上司との会話を円滑に進める方法をいくつか紹介しよう。

●自分に寛大になろう

 過重労働にあえぐのは、平均以下の社員だからだというわけではない。「自己評価が厳しすぎてはいけません。たいていの組織や企業は、より少ない資源でより多くのことをやろうとします。そのため、仕事の量は必要時間よりも多いものです」(モーゲンスターン)。

 優秀な人が、時折仕事の依頼を断ったり猶予を求めたりしても、「それは怠慢な振る舞いではなく、評判が落ちることもありません」。むしろ、時々「ノー」を言うことで信用が高まるのだという。「上司が部下に望んでいるのは、最高のパフォーマンスを妨げる何かがあったら遠慮なく言ってもらうことです」

 与えられた仕事を全部はこなせないと認めることは、気が引けるものだ。しかし、そうすることは「組織への責任」なのだとデイビーは言う。「行き詰まったまま任務を果たせなければ、チームを窮地に追い込みます」

●他者に助言やサポートを求めよう

 忙しすぎると思ったら、仕事量を他者の視点から見てもらうのがよいとモーゲンスターンは言う。「第三者を通して、現実に立ち返ることができます」。自分のプロジェクトと責務の概要を、信頼できる友人や同僚に説明するとよい。仕事量を見てもらい、1人で抱えるには多すぎるかどうか、正直な意見をもらうのだ。

 また、上司にアドバイスを求め、過重労働への対処法を指導してもらうのもよいとデイビーは言う。そうすることで何を期待されているかが明確になり、仕事の効率アップにもつながる。「たとえば、『私は財務部へのレポートの作成に月5時間ほどかかっています。これはあなたの期待に叶っているでしょうか。作業プロセスを合理化する方法について、何かアドバイスをいただけませんか』と持ちかけるのです」。結局のところ、「上司も同じように、大変な思いをした経験があるはずです」

●解決策をみずから提案しよう

 自分の仕事量について上司と率直に話すには、相応の適切な姿勢が必要だとモーゲンスターンは述べる。「自分と上司で、会社の目標を達成するためのパートナー同士になるのです」

 話し合いのはじめに、「会社全体の目標」について触れ、自分と上司の考えが一致していることを確認する。その後、全社目標を達成するうえで何が自分の障壁となっているかを説明する。できる限り具体的に示そう。たとえば、「この案件は大量のリサーチを必要とするので、時間がかかっています」または「自分はいまではチームを管理しています。以前よりもプランニングに多くの時間を割いているため、日常的な業務に費やす時間が十分にありません」といった具合だ。

 そして、次の段階が非常に重要となる。ここで、問題を解決するためのアイデアを3つ提案するのだ。たとえば、ある業務を毎月ではなく四半期ごとにする、同僚にサポートに加わってもらう、仕事量の負担を減らすために会社に臨時スタッフを雇ってもらう、などだ。「解決策がなければ、上司に問題を持ちかけるべきではありません」(モーゲンスターン)。ここでの目標は、どのプロジェクトが「延期、委譲、中止、縮小」できるのかをはっきりさせることだ。

●優先順位をつけよう

 すでにパンク寸前の時に、上司からさらに別の仕事を与えられるのは耐えがたいことだ。「上司は往々にして、個々のタスクにかかる時間を知らぬまま、仕事を割り振るものです」(デイビー)。その場合には、自分が抱えている仕事を説明し、「この中で最も重要なものはどれで、それ以外については優先順位をどうすればよいですか」と尋ねるべきである。

 モーゲンスターンが勧めるのは、それぞれの仕事に「どのくらいの労力を割くべきか」「最大、最小、ほどほどの労力とはどの程度か」を上司に尋ねることだ。新しい仕事に関しては、完遂できるかわからない場合は、絶対にその場で引き受けてはならない。「たとえば、こんなふうに言って時間を稼ぐのです。『その仕事の要件を教えてください。いま進行中の他のプロジェクトをふまえて、できるかどうか検討します。明日お返事してもいいですか』」

●可能な範囲で協力しよう

 仕事に忙殺されていても、可能な部分で協力するのが、親切かつ仕事人として賢明な振る舞いだろう。上司への言い方として、デイビーはこんな例を挙げる。「このプロジェクトを引き受けると、いまやっている他の業務に支障が出ると思います。でもスケジュールを調整すれば、これを担当する人に私が助言することはできます」。たとえばブレーンストーミングに参加する、原案に目を通す、相談役になる、などでもよい。そして、いつでも要望に応じられる準備をしておくようデイビーは勧める。

 自分にできることがたとえ限られていても、ささやかな助けの手を差し伸べることは、「組織の成功にコミットしている責任感あふれる人、という周囲からの認知」を強めるのだとモーゲンスターンは言う。

●正直になろう

 誰の人生にも、プライベートでの重大な出来事を他の何よりも優先すべき時がある。たとえば、母親が重い病気だと診断された、息子が学校で問題を抱えている、などだ。その場合、事態を正直に告げるべきだとモーゲンスターンは述べる。上司にこう伝えてもよい。「これを何とかしなければ、私の家族にとって深刻な負担になり、自分の仕事のパフォーマンスにも支障が出ます」。率直な言い方、そしてできるだけ自制心と冷静さをもって伝える必要がある。

 デイビーもこの点に同意している。「状況を具体的に伝え、期限を定めましょう。たとえば、『こんなことは滅多にないのですが、向こう2週間はちょっと大変な状況になるので、手助けが必要です』というふうに」。分別のあるよき上司ならば、理解を示し、正直な態度を評価してくれるだろう。「英雄になろうと頑張っても、燃え尽きるまでやってしまうのは得策ではありません」

●同僚を味方につけよう

 過重労働であることを上司に伝えても、必ずしも望ましい結果が得られるとは限らない。上司に改善する意図が見られなければ、自分が大変な思いをしていることを同僚に知らせるべきだとデイビーは言う。「上司が理解を示してくれなくても、同僚はわかってくれるかもしれません」。

 彼らが負担の一部をなくしてくれたり、こちらの遅れに対処してくれたりするかもしれない。たとえ手助けが得られないとしても、自分が限界を超えていて全力を尽くせないのだと伝えることにはなり、信用の失墜を避けられる。

 上司が部下の過労にいつまでも無関心な場合には、転職の必要性を検討すべきだとモーゲンスターンは指摘する。過重労働は長期的に持続可能ではないからだ。

覚えておくべき原則

【やるべきこと】
●個々の仕事に費やす時間をどう減らすかについて、マネジャーや同僚に助言を求める。
●優先順位の変更や、案件によってトレードオフが可能かどうか、率直に相談する。
●同僚やプロジェクトを微力ながら支援する方法がないか尋ね、協力の意思を示す。

【やってはいけないこと】
●自分に厳しすぎてはならない。場合により依頼を断ったり猶予を求めたりするのは、怠惰なことではない。
●新たな仕事をその場ですぐに引き受けてはならない。現在の仕事量を考慮したうえで追って返答すると上司に伝え、時間を稼ぐ。
●上司が耳を貸さない場合でも、同僚に事情を隠してはならない。限界を超えている時にはその旨を発信すれば、同僚からの信頼を損なわずに済む。

事例1:解決策を提示し、助言を求める

 ミネアポリスを本拠とするセリディアンは、人材マネジメント用のソフトウェアを提供する企業だ。リサ・スターリングは、同社の製品戦略バイスプレジデントを1年間務めた頃、最高人材責任者に昇進した。当初、彼女は両方の職務を掛け持ちする予定だった。

 しかし数ヵ月後、リサは膨大な仕事量に圧倒されていた。そして上司であるセリディアンのCEO、デイビッド・オシップに相談しなければと思いつつも、不安を感じていた。「これまで、上司に『助けてほしい』と訴えたことは1度もなかったんです」と彼女は語る。「上司との関係は良好でしたが、私は不安がありました。彼が(私を昇進させた)自分の判断は間違いだったと思うのではないか、私は適任ではなかったと感じるのではないか、と」

 リサは話を切り出す際に、「自分が理解している、会社の優先事項」を述べた。自分がデイビッドに求められている注力事項を、きちんと理解しているか確認するためだ。次に、製品部門と人事部門の両方で自分が関わっているプロジェクトを網羅したリストを彼に提示した。「そのうえで、どこが順調で、どこで苦労しているのかを話したのです」

 最後に、リサは解決策をいくつか提示した。「私はチームに、こうアドバイスしています。『私に問題を持ち掛ける時は、もし自分が私と同じ立場なら、その問題をどう解決するかを考えておくように』と」

 今回のケースでリサが提案したのは、組織的取り組みの一部を棚上げにできること、そして、ある製品の発売を一時的に延期できるということだ。さらにもう1つ、彼女の職務の一部を引き継ぐ、製品戦略ディレクターを雇うという提案もした。

 デイビッドはどちらの案にも賛意を示した。また、リーダーシップに関する有益な指導と助言も授けてくれた。「彼はこう言いました。キャリアを積むにつれ、日常的な管理業務の重要性は減り、チームを育てることが主な仕事になるのだと。自分がいろいろなことに首を突っ込みすぎていたと気づきました。他人に任せる能力を伸ばし、チームのメンバーがみずから仕事を全うできるよう、自分が一歩下がる必要があったのです」

 リサは、率直に話してよかったと思っている。「目が開かれた思いです。助けを求めなかったら、経営者によるこんなコーチングを受ける機会はなかったでしょう」

事例2:正直に、率直に話す。それでも上司が理不尽ならば、転職も考える

 ジャニーン・トゥルイットは数年前、大規模な病院グループの人事部で働いていた。ニューヨークのロングアイランドを拠点とするその組織は、毎年従業員数を急増させており、人事部はそのスピードにまともに追いついていなかった。

「私は、10ヵ所の施設の初級職から上級管理職に至るまでを担当していました」とジャニーンは振り返る。「上司はさらに、病院拡張に向けた特別プロジェクトと人材計画も私に割り振っていたのです」

 医療業界で10年近く働いてきた彼女は、限界に達していた。しかし、上司に相談する前に、親しい同僚たちと自分の仕事量について話し合った。「同僚に話をしたのは、仕事量が多すぎることに同意してもらうためというよりも、精神的な支えを得るためでした。どの人も仕事量が私よりだいぶ少なく、同情してくれました」

 彼女は上司に、この問題について話し合う機会を持ちたいと訴え、面談では率直な言葉で伝えた。「いまの仕事量をこなし続けるのは難しい、と上司に告げました。声を挙げることで自分がどんな結果になるかは、気にしませんでした。ただし同僚、ひいては患者さんを失望させてしまうことが心配でした」

 ジャニーンは、状況を改善するための方法をいくつか提案した。たとえば、初級職の採用は若手の人事スタッフに任せ、自分はもっと戦略的なポジションの採用に専念するなどだ。また、病院拡張プロジェクトの話し合いには、もっと早い段階から加わらせてほしいとも頼んだ。「そうすれば、何が必要となるかが早めにわかり、将来的により適切な人材配置ができますから」

 残念ながら、彼女のアイデアは上司にことごとく拒絶された。失望したジャニーンは、同僚に再び相談した。「私たちが取り組んだのは、同じ施設で似たようなポジションの採用が必要な場合に協力し合うことでした。そうすることで、負担をいくらか軽減できました」

 それでもジャニーンの仕事量は、辞表を提出するその日まで「限界を超え続けていた」という。現在の彼女は、事業戦略とマネジメントのコンサルティング会社、タレント・シンク・イノベーションズの最高イノベーション責任者を務めている。

 前職は彼女にとって素晴らしい思い出ではないが、貴重な教訓を得たという。「人材計画は、効率よく事業を進めるうえで最重要事項の1つです。顧客と従業員の定着率を高く、離反率を低く保ちたいならば、合理的な範囲を超えた過重労働が頻繁に起きないよう、万全を期す必要があるのです」


HBR.ORG原文:How to Tell Your Boss You Have Too Much Work January 13, 2017

■こちらの記事もおすすめします
部下のストレスと燃え尽きを防ぎ、仕事の生産性を上げる方法

レベッカ・ナイト(Rebecca Knight)
ボストンを拠点とするジャーナリストで、ウェズリアン大学講師。ニューヨーク・タイムズ紙やUSAトゥデイ紙、フィナンシャル・タイムズ紙にも記事を寄稿している。
http://www.dhbr.net/articles/-/4779

 

2017年4月7日 みわよしこ [フリーランス・ライター]
子どもの貧困解消を目指す「子ども食堂」ブームに欠けた視点


子どもの貧困解消を目指す「子ども食堂」がブームとなる一方で、現状が大きく改善する気配はない。現在ある「子ども食堂」にはどんな視点が欠けているのだろうか

広がる「子ども食堂」は
子どもの貧困を解決できるのか?

 2017年3月20日、三連休の最終日となった春分の日の午後、シンポジウム「子どもの貧困対策の未来 子ども食堂をこえて」が大阪市で開催された。主催したのは、大阪市生野区を中心に活動する「生野子育ち社会化研究会」。直接支援を行うNPOや研究者など、子どもの成育に関わる多彩なメンバーで構成された民間研究会だ。私自身も、本連載で研究会の活動を紹介したことが契機となり、昨年末より研究会の一員として活動している。

「子ども食堂」がブームとなる一方で、子どもの貧困問題が大きく改善する気配はない。子どものいる家庭の生活保護基準は、引き下げの検討や実施が続いている。また教育に関しても、財務省はより一層の削減を求めている。国レベルの予算削減が続き、深刻化していく子どもと親の貧困そのものを解決する力は、現在の「子ども食堂」にはないことを認めざるを得ないだろう。少なくとも「子ども食堂」に加えて、現在の「子ども食堂」を質量ともに超えるための何かが必要なのは間違いない。

 そのような問題意識は、多くの人々に何となく共有されていたのだろう。この日の大阪市は、好天のポカポカ陽気であったにもかかわらず、会場となった大阪教育大学天王寺キャンパスのホールは、多数の参加者で埋め尽くされた。

 プログラム前半では、私が露払いとして、子ども食堂に関するメディア報道の動向、米国の民間の取り組み、米国の寄付と助成の仕組みなどを紹介した。続いて後半では、「子ども食堂」活動を実際に行っている4名、研究者3名(社会福祉学・保育学・障害児教育)、報道に携わる私の合計8名によるパネルディスカッションが行われた。


プログラム前半で講演する筆者。「子ども食堂」と「子どもの貧困」報道の、短期間ながら複雑かつダイナミックな歴史を振り返っているところ
 本記事では、パネルディスカッションで語られた内容を中心として、子どもの貧困と「子ども食堂」の現在を、多面的に眺め直してみたい。貧困と欠食の中で心身にハンデを背負いながら育つ子どもにも、経済的には不自由のない生活をしているゆえに困難を訴えにくい状況にある子どもにも、それぞれのニーズがある。内容の違いや濃淡があっても、ニーズや困難は「地続き」であるはずだ。

 パネルディスカッションで「子ども食堂」活動への取り組みについて話題を提供したのは、隅田耕史氏(NPO法人フェリスモンテ)、高橋淳敏氏(ニュースタート関西事務局)、津守佳代子氏(藍朱〈らんじゅ〉とピンポン食堂)、そしてCPAO・徳丸ゆき子氏だ。といっても、目的、対象、スタイルはそれぞれ大きく異なっている。

4つの「子ども食堂」は
運営者もスタイルも様々


シンポジウム「子どもの貧困対策の未来 子ども食堂をこえて」の事前告知チラシ。筆者自身にとっても、多様な内容・多彩なパネリストとともに「これから」の次の一歩を考える貴重な機会になった
 まず、最初に注目していただきたいのは、「子ども食堂」を運営する立場から話題を提供した4人のうち、2人は男性であることだ。現在、子ども食堂の運営の中心は、子育てを経験した専業主婦層とイメージされることが多い。確かに、子育てを経験したミドル世代、シニア世代の専業主婦には、地域でのボランティア活動に参加しやすい条件が整っている。時間的にも経済的にも一定の余裕と安定があり、生活のために働く必要はない。子育てを通じて形成した、地域の学校などとの人的ネットワークもある。

 しかし、食事、居場所、人間関係などが地域に不足していることを感じ、それらを提供することや、互いに提供し合うことの必要性を感じ、実際にそういう場を設けて運営することが、子育てを経験した専業主婦の“専売特許”であるはずはない。立場の弱い人々の安全が保障される限り、多様な人々が関わることは、それだけで有益なはずだ。

 4つの「子ども食堂」のスタイルは様々だ。開催頻度は、不定期かつイベント的であったり、週に4回であったりする。訪れて食事をする人々は、「子ども食堂」という以上、地域の子ども中心とイメージされるが、時には中高年しか来ないこともある。

 また中高生など、子どもとはいえ幼少ではない人々を主対象としていることもある。同じように、欠食状態の子どもたちを主対象としていても、オープンで子ども限定ではない「子ども食堂」もあれば、逆にオープンにしないことで子どもたちの安全感・安心感を確保しているところもある。

 いずれにしても大切なことは、「誰のため?」「何のため?」という対象と目的が、その時々ではっきり見えていることではないだろうか。今、はっきり見えていないのなら、「いるはずの誰かの気配を感じ、必要としている何かの手がかりをつかむ」ことが“とりあえず”の目的となり得るだろう。

 ちなみにCPAOは現在、子どもたちに居場所と食事を提供する「ごはん会」活動を週4回行っているだけではなく、給食のある学校や地域の居場所に行けない子どもたちに食事を届ける活動を、月1回行っている。これらの活動の始まりは、1ヵ月に1回程度の「子ども食堂」だった。各地域で1ヵ月に1回程度しか開催していなかった「子ども食堂」が、欠食状態の子どもたち多数の存在を発見するきっかけとなり、子どもたちのニーズに沿う形で、現在の「食事と居場所」という活動につながっている。

 とはいえ、一民間団体の力では、地域のすべての子どもの貧困を解決することは、質・量ともに不可能だ。それどころか、貧困の全貌を把握することも不可能だろう。まだまだ、多様性という面でも人数の面でも、関わる人々の豊かさが、より一層、必要になりそうだ。そのためには、公的資金がどうしても必要ということになるかもしれない。

 4つの「子ども食堂」のストーリーには、関わる人々の「豊かさ」を増やす方法のヒントが、数多く含まれている。

「当事者である」「当事者だった」の
生々しさが持つ強み

 フェリスモンテの子ども食堂は、19歳の女性の「中高生だったとき、家でも学校でもない第3の居場所が欲しかった」という思いから始まった。フェリスモンテ自体は、親世代の介護を経験した50代の主婦たちの「住み慣れた地域で最期まで暮らしたい」という思いから始まり、高齢、障害、子育て、地域など多様な問題に関わる活動を続けてきた団体だった。

 1999年に活動を開始した実績と、直前に中高生だった女性の思いが結びつき、2015年、「子ども食堂」活動が開始されることとなった。当初、中高生は来ずに中高年ばかりの時期もあったが、徐々に子どもたちの参加者が増え、現在は小中学生も大人も来るようになっているという。

 CPAOは2013年5月、大阪で起こった2児置き去り死事件、母子変死事件をきっかけとして、「助けてって言ってもええねんで!」をキャッチフレーズとして活動開始した。2013年5月の2つの事件では、幼い2児を置き去りにして死なせた母親も、幼い我が子とともに変死体で発見された母親も、様々な困難を抱えたシングルマザーだった。

  CPAO代表の徳丸ゆき子氏は、育児真っ只中のシングルマザーである。活動の原動力となっているのは、徳丸氏自身のシングルマザーとしての当事者性であり、CPAOに集うシングルマザーたちとの「ピア(仲間)」としての関係性である。

 かつて子どもであり、少年であり、青年であったりしたすべての人々に、「子ども時代の自分に、こういう場があったら」「青少年期の自分に、こういう機会があったら」という思いがあるだろう。

 また、親としての育児経験があれば、子どもの養育責任の重さも社会のサポートの手薄さも「わがこと」だ。その思いは、努力やガマンや子どもへの愛情が不足しているように見える他の親に対する攻撃につながることも多い。

 しかし一歩進めば、問題だらけの子育てを続けざるを得ない状況にある親に対する「あのお父さん自身は、自ら望んで、ああいうダメ親になっているのではないかもしれない」という想像や、「あのお母さんは非難が怖くて他人を近づけないみたいだけど、お天気の話くらいは安心してできるような接近の仕方はないだろうか?」という思慮の基盤にもなるだろう。「子育て」「子どものいる生活」という共通経験があり、それが想像や思慮の基盤になるからだ。

 では、「当事者だった」「当事者である」というファクターは、どうしても必要なのだろうか。そんなこともなさそうだ。残る2つの「子ども食堂」を見てみよう。

「よその人」「他人」の距離感も
適切な関わり方や役割のヒントに

「藍朱(らんじゅ)とピンポン食堂」は、地域の子どもが家庭で虐待に遭っていることに津守佳代子氏が気づいたことがきっかけとなり、2016年2月、活動を開始した。とはいえ、地域の大人にできることは多くない。もちろん、深刻な状況にあれば、児童相談所へ通報することはできる。しかし、虐待が認められて児童相談所が子どもを保護すると、子どもは地域からも親からも引き離されてしまう。

 もちろん児童相談所の保護は、そのときの子どもの心身と生命を守るために必要な措置であり、現在の日本では唯一の選択肢でもある。しかし、子ども本人、親、地域の関係者の思いを大切にしながら、長期的に幸せな関係を築くためには、必ずしも有益ではない。

 津守氏はパネルディスカッションの場で、時折、涙で声をつまらせながら、気がかりな子どもたちの様子を語った。また、親との信頼関係構築の難しさ、行政や学校との連携の難しさ、目的や活動形態に関する迷いやジレンマを率直に語り、参加者たちの大きな共感を集めていた。

「ニュースタート事務局関西」は、不登校、ニート、引きこもりの支援を行う団体として活動を開始した。現在は、引きこもりだった青年たちや、地域生活をする精神障害者の仕事場づくりも行っている。また、その人々が共同生活する施設も運営している。

 子ども食堂活動は、CPAOと提携して2013年に開始されたが、現在は不定期でイベント的な活動状況となっている。地域の子どもは参加せず、参加者は“身内”ばかりということもある。活動の場は、共同生活施設の中、公民館、グランドに張ったテント、お寺の境内の屋台、公園など様々だ。

 活動の背景には、「子どもの貧困の原因は、大人社会の関係の貧しさにある」という思いがある。また、引きこもりなどの困難を通過し、就労収入による自活も、親となることも難しい人々に対し、社会に対して責任を果たす大人となる回路を開く目的もある。いずれにしても、頻度多く充実した活動を通じて、「地域の子どもの貧困を具体的に解決した」という結果に結びつけるのは難しいかもしれない。

 しかしながら、時々の「子ども食堂」活動は、収入や社会的地位や家族の有無と無関係に自分の存在や活動を認め認められ、幸せに毎日を送る大人たちという「モデル」を世の中に、もちろん子どもたちに提供するだろう。

 不登校もニートも引きこもりも、そうならないことが望ましい状態かもしれないし、将来の選択肢や可能性を減らすかもしれない。でも、それで人生が終わるわけでも何でもなく、幸せに生きていけるらしい――。様々なプレッシャーに対して苦しい思いをしている子どもたちにとって、その事実は大きな救いになるだろう。

「子どもの貧困」を超えて
社会の「貧困」解決を


パネルディスカッションで、8人のパネリストが並んでいる様子。マイクを握っているのは池谷航介氏。左端にいる筆者は、このとき、虫に刺された耳をガマンできずに掻いていた
「子どもの貧困」という大きな問題そのものを解決する力は、子ども食堂にはない。そもそも、子どもが貧困状態にあるのは、親が貧困だからである。パネルディスカッションに参加した研究者たちは、この点への目配りを忘れなかった。

 加美嘉史氏(佛教大学・社会福祉学)は、親の所得を引き上げ、親の経済的困窮に対策する必要性を指摘した。「対策」とは、労働環境全般の改善、子どもと家族への公的支出の増加、公的給付利用に対する抵抗感(スティグマ)を解きほぐすことを含む、所得再分配の強化である。

 奥野隆一氏(佛教大学・保育学)も、困難や貧困に対する「子ども食堂」のセンサー機能を評価し、さらに磨く必要性を指摘しつつ、公的支援の必要性への指摘を忘れなかった。奥野氏が言う公的支援は、財政、活動の場、活動に携わる人々を支援することなど多岐にわたる。

 最後に挨拶した池谷航介氏(大阪教育大学(当時)・障害児教育)は、子どもの育ちに関する専門家として、「大人がどういう形で子どもに手を出せばよいのか」という社会課題の実践と発見の場の1つとして、「子ども食堂」を位置づけた。活動を継続するのは、容易なことではない。しかし、実際に手を出して動けば、社会の課題が見えてくる。


本連載の著者・みわよしこさんの書籍『生活保護リアル』(日本評論社)好評発売中
 さらに池谷氏は、実際に動いている団体が手をつなぎながら「批判」しあうことの重要性も指摘した。批判の「批」は手偏。手を動かして、責任を持って批判することは、忘れてはならないポイントなのだ。

 これから、何をすればよいのか。何ができるのか。必要な資源はどう確保すればよいのか。問題も課題も山積している。だからこそ、飽きずウンザリせず、エネルギーを枯渇させず、燃え尽きず、息長く活動することが必要なのだろう。

 そのためには、どうすればよいのだろうか。答えは見当たらない。社会の大人として、取り組み続け考え続けなくてはならない課題であることだけは、はっきりしている。
http://diamond.jp/articles/-/123978

 

終末期の望まない蘇生、救急隊員「医師に確認し中止を」
2017/4/7 14:56
共有
保存 印刷その他
 自宅などで最期を迎えようとしている終末期の患者に対する救急隊員の対応について、日本臨床救急医学会は7日、提言を発表した。心肺停止後の蘇生処置を望まないと事前に書面で残している場合、かかりつけ医に是非を直接確認した上で蘇生処置を中止するよう求めた。

 総務省消防庁の基準では、生命に危険がある場合、応急処置を行うよう定めている。ただ最近は事前に蘇生措置を拒否する意思表示をする人が増えている。こうした場合への対応は示されておらず、現場では救急の原則か患者の意思尊重かで対応に苦慮している。

 同学会は2015年4月に検討委員会を立ち上げ議論してきた。

 提言によると、患者が心肺蘇生を希望していない場合、家族は「119番通報をしないのが望ましい」としている。しかし容体の急変に慌てて救急車を呼んでしまうことがある。こうしたケースでは現場に駆けつけた救急隊員は、家族などからを希望しないとの書面の提示を受けたとしても、心肺蘇生を始めるべきだとした。

 その上で、かかりつけ医と連絡をとり、中止を指示されれば患者本人の意思を尊重して心肺蘇生を中止する。かかりつけ医と連絡がとれない時は、日常の救急業務で相談している医師を代役として指示を求めるべきだとしている。

 都内で記者会見した同学会の坂本哲也代表理事は「提言を参考に、地域の消防、医師会などが集まって運用をどうするか議論していただきたい」と述べた。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG07HBQ_X00C17A4000000/  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > 経世済民120掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
経世済民120掲示板  
次へ